―嵐の前―
「その女は儂に会わせろ……と、暴れ込んで来たのじゃな……?」
カードは役人達の詰め所――その地下室へと続く階段をくだりながら、背後に続く部下の男に確認した。
「は、はい。
その通りでございます」
カードの問いに男は、必要以上に畏まった様子で応じた。
カードが魔術士らしくゆったりとしたローブに身を包んでいるのとは対照的に、男は2m近い巨体をゴテゴテとした無骨な鎧で覆っていた。
腰には剣も携えている。
彼はこの町の行政を取り仕切る役人の1人だが、とても事務仕事などが務まるようには見えなかった。
明らかに戦闘などの荒事専門──見た目だけなら良くて傭兵、悪くて破落戸といった風体である。
もっとも、竜の恐怖によって統治されているこの町においては、彼のような役人らしからぬ役人の下でこそ、町の機能が効率的に動くのかもしれないが。
そんな男とカードの身長を比べると、大人と子供ほども違う。
体重ならば3倍近くの差がありそうだった。
圧倒的に体格が恵まれている男が本気を出せば、外見上はひ弱な老人にしか見えないカードなんぞ、数秒で捻り殺せそうであったし、実際に今すぐそれを実行しても、なんら問題は無いように見える。
それにも関わらず、男がカードに媚びへつらう姿は、滑稽を通り越して異様ですらあった。
「とにかく……もの凄い暴れようでして、我らが数人がかりでやっと取り押さえました」
男は脅えたような声音で報告した。
なにせ女を取り押さえようとした同僚が、5m以上も殴り飛ばされた場面を目撃している。
細身の女があれほどの怪力を身に付けているという事実が、彼は未だに信じられなかった。
やっとのことで女を取り押さえ、牢に入れる為にその身体を抱え上げた時だって、彼女は異様な軽さだった。
細身とは言え身長が170cm以上あるにも関わらず――しかも鎧を装着していてさえも、その体重は50kgを大きく超えるものでは無かったのだ。
とてもじゃないが、大の大人を殴り飛ばせるほどの筋肉量がある重さではない。
あるいは女が何らかの魔法か特殊な武術を使うことによって、あのような怪力を発揮していたのかもしれないが、そうではない可能性を考えて男は身震いをした。
もしも女が、単純な筋力だけであれほどの力を発揮したのならば、それは彼女の筋肉組織が人間とは根本的に違う構造をしているとしか思えない。
つまりは化け物だ。
だから男が、自らと比べればかなり身体の小さい女に対して、不覚にも畏怖の念を感じてしまったのも無理はないだろう。
ただ、化け物としか思えない者なら、男の目の前にも1人いる。
彼にとっては、そちらの方がはるかに恐ろしい存在であったが。
「ふむ……儂に会いたいとは何者なのであろうな……?」
カードは軽く首を傾げる。
彼には女が何者なのか、心当たりが多すぎて見当がつかなかった。
おそらくは彼に恨みを持つ誰かであろうことまでは想像できたが、彼に恨みを持つ者はこの世にいくらでも存在する。
そしてあの世には、更に数多く存在する。
その中から特定できるものではなかった。
「しかし……なにもカード様自らが、訊問なさらなくてもよろしいのではないですか……?」
男のそんな言葉は、心底本音であった。
正直言って、この老人とはあまり顔を合わせたくなかった。
この老人の機嫌を損ねて命を落とした者を、彼は沢山見てきている。
そんな老人と長く顔を合わせていれば、それだけ彼自身に被害が及ぶ可能性が高くなるのだ。
だからこの老人が、得体の知れない女の訊問などは自分達に任せて、自宅に引きこもっていてくれた方が安心できる。
それに彼らのみで訊問を行う場合、相手が女ならばそれなりの役得があるというものだ。
そう、これから竜の生贄にされる者――つまりはすぐ死ぬことが決まっている者からは、報復などを受ける心配は一切無いのだから、彼らは何をしようがお構いなしだった。
カードはそんな男の思惑を、知ってか知らずか、
「いや、良い暇つぶしになるわい。
……それに儂に会いたいと言う、そやつの望みを叶えてやろうではないか。
明日には死出の旅に発たなければならぬ者への、手向けとなろう」
そう低く呟き、カードは凄惨な笑みを浮かべた。
「…………!!」
カードの背後にいた男にその笑みは見えなかったが、それでも彼はうそ寒いもの感じて、背筋に震えを走らせるのであった。