―迫り来る戦いの刻―
誤字報告ありがとうございました。
城の大会議室には、50人ほどの人間が集められていた。
彼らは王国に12ある各騎士団の団長以下、主立った上級騎士や宮廷魔術士達である。
本来は国の一大事となれば、他にもこの倍以上の人間が集まっていなければならないのだが、地方領や国境に赴任している者達の召還には、事件の発生があまりにも突発的過ぎて時間が足りなかった。
「――以上のことから、この国に竜が大挙して現れる可能性が高いことが分かったわ。
万が一の場合に備えて、各騎士団は早急に臨戦態勢を整えてほしい」
ベルヒルデは大勢の騎士達に対して、この国に迫りつつある危機について説明した。
勿論、それが湖から拾ってきた得体の知れない男からの情報だとは言えるはずもなく、その辺は適当に誤魔化している。
ベルヒルデの話を聞き終えた騎士達の間には、どよめきが広がっていく。
彼女の言葉を信用しない訳ではない。
むしろ彼らは、彼女の言葉ならば大抵のことは信じる。
それだけ彼女のことを信頼していた。
更に突然出現した湖についても、既に転移魔法が使える術者による調査によって確認が取れており、それがベルヒルデの言葉に信憑性を与えていた。
しかしだからと言って、「竜がこの国を滅ぼすかもしれない」という話は俄には信じられない――いや、信じたくはないようだ。
だが、昨夜の爆音など、無視できない事実もある。
それにベルヒルデが鎧を身に纏い、腰には普段の護身用の剣ではなく、国宝級の価値と凄まじい切れ味を秘めている言われている名剣、「ラインの黄金」を帯剣していることからも、これが只の冗談ではないことが一目瞭然だった。
それでも騎士達の不安げなざわめきは、留まるところを知らない。
「静粛に!!
国の防衛を預かる騎士が、そのようなことでどうする!!
いざという時には国民に不安を与えぬよう、毅然とした態度を心がけなさい!」
ベルヒルデにそう一喝され、室内は静まり返る。
「……とにかく、有事の際には城下の住民を城に避難させ、防御結界装置を作動させる――これは陛下の許可も既に得ています。
住民の避難誘導は、戦乙女騎士団に一任。
避難誘導後、そのまま住民の警護にあたるように」
「ハッ! 住民の避難誘導後、警護に全力であたります!」
戦乙女騎士団副団長は、勇ましい調子で復唱した。
住民の避難誘導は、地味な仕事である。
竜と戦うであろう他の騎士団から比べれば華々しい活躍の場は無いし、騎士としてその武勲をあげることもできない。
更には直接戦闘に関わる機会が少ないことから、安全で楽な任務と軽視されることもあるだろう。
しかし副団長には与えられた任務に不満は無く、おそらく他の団員も同じだろう。
彼女らが与えられた任務がいかに重要なものであり、誇るべきものであるのか――それは日々の訓練の中で、ベルヒルデにとことん教え込まれている。
「戦いにおいて、命を奪うことよりも、命を守ることの方が難しいのだ」と……。
その難しさを承知の上で、ベルヒルデは戦乙女騎士団に城下の住民達を守ることを命じたのだ。
その期待と信頼に、応えない訳にはいかなかった。
そんな副団長の様子にベルヒルデは満足げに頷いてから、再び表情を引き締める。
「他、第1から第7騎士団は住民避難後の表城門の防御、第8から第11騎士団は裏城門の防御を命ずる。
魔術士達も二手に分かれ、門へ防御結界の構築にあたり、引き続き魔法による騎士団の補助と援護を命ずる」
「ハッ!」
騎士達の間から一斉に威勢の良い了解の声が上がり、士気の高さが伝わってくる。
「よし。
では、作戦の詳細について説明する」
ベルヒルデは再び満足げに頷き、作戦の詳細を語り始めた。
ベルヒルデが今しがた命じた兵の布陣は、籠城作戦としては鉄壁の護りであると言って良い。
魔法の最新技術を用いて造られた結界装置は、城全体を強力な結界で包み込んで何者の侵入も許さず、しかも人間の力で外部から結界を解除することも、まず不可能だった。
しかしそんな高い防衛能力を誇る結界装置にも、いくつかの穴が存在する。
とは言え、それは無くてはならない穴だと言えた。
つまり出入り口だ。
戦況によって兵を出陣させて攻勢に転じる為に、あるいは緊急脱出の為にと、城門などには出入り口としてあらかじめ結界が形成されない構造となっているのだ。
それというのもこの結界装置は、必要に応じて任意の場所に出入り口を形成するという、器用な真似ができない為である。
旧来の結界装置は出入り口を形成するにあたって、結界の全てを解除する必要があり、結果、再び結界を形成する前に敵の侵入を許してしまう危険性があった。
だからそのようなことが無いように、あらかじめ結界の影響を受けない構造の出入り口を設けたのである。
勿論、その出入り口は結界装置よりも確実に脆いが、そこへは魔術士が別個に結界を施し、更に兵を配置しておけば防御は完璧に近く、敵の侵入もまず有り得ない。
――が、この鉄壁の防御結界も、相手が人間である場合を想定したもので、竜に対して有効なのかどうかは疑わしかった。
ただ、たとえ竜が結界を破るにしても、城を包む結界よりは魔術士が門に施した結界の方が明らかに脆い。
だから竜もそこから侵入を試みるであろうと、ベルヒルデは予想を立てている。
結局のところ、取るべき対策は、人間の兵団が相手の場合とさほど変わらなかった。
もっとも城内へ竜の侵入を許してしまった場合、結界内には逃げ場など無く、竜を全滅させるか追い出さない限り、アースガルは終わりだ。
これではとても最善の策とは言えないだろう。
だがしかし、結界の無い城の外への避難は、更に無謀な選択だと言えた。
飛行能力を有する竜に上空から攻撃されれば、騎士達には手の出しようがない。
竜にその気さえあれば、一切の抵抗を許すことなく、この国の人間を虐殺することも可能なのだ。
それでも、住民の各個人が散り散りになって山林にでも逃げこめば、多少は生き残る可能性はあるのかもしれないが、それでは犠牲が大き過ぎる。
おそらく数千から数万単位の人命が失われる。
だからベルヒルデは、籠城策に国の命運を懸けた。
竜の目的が仲間の救出ならば、その目的を達成すれば、この国から立ち去ってくれる可能性もある。
希望的観測であるが、最早そこに一縷の望みを託すしかなかった。
「要はそれまで門を護り切ればいいのです。
決して城内に竜の侵入を許してはなりません!」
ベルヒルデの言葉に多くの者が、決意に満ちた表情で頷いた。
「なお、竜の皮膚は鋼鉄よりも硬いとされているので、使用する武器は魔法の力を帯びた物か、刀剣類よりも槍や槌などの武器の方が有効だと思うわ。
それらもできる限り携帯すること。
また、細かく変化する戦況への対応は、各騎士団長に任せます。
日々の訓練の様子を見る限り、私がいちいち指示をするまでもないでしょう。
信頼していますよ」
「? 王妹殿下が陣頭指揮を執るのではないのですか?」
「はい」
騎士の1人が問う。
本来ならば王族が最前線に自ら出向いて戦闘に加わることなど、そうそうあるものではない。
万が一死亡したり、捕虜にされたりした場合、非常に面倒なことになるからだ。
これが他の国ならば、「何を当たり前のことを聞いている」と、一喝されてもおかしくはないだろう。
勿論、士気を鼓舞する目的などで、王族が積極的に最前線に立つ例も他国ではあるが、そこに大きなリスクがあることだけは事実である。
だがそれでも、ベルヒルデは部下だけを戦わせて、安全な場所に引き籠もるというような真似ができるような人間ではなかった。
だから騎士達は、ベルヒルデが現場で指揮を執ることが当然だと受け止めていた。
しかし彼女は、指揮を執らないという。
しかも疑問点は、他にもある。
「ラインの黄金」の「ライン」に「純粋」とルビをふっているのは、本作のオリジナルなので、実際の訳としては正しくないと思います。ワーグナーの歌劇『ラインの黄金』にて、ラインの黄金のことを「純粋な黄金」と呼んでいる部分がある事に由来しています。




