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―戦場の銀狼姫―

 その日、夜空には轟音が響き渡った。

 空には雲らしい雲もなく、月はおろか星までもがハッキリと確認できる。

 雷ということは考えにくかった。

 稲光(いなびかり)を見た者もいない。


 しかし大気を、更には大地をも震わせるほどのその轟音は、落雷の時のそれに近かった。

 だから多くの人々は「おかしな天気もあるものだ」と、無理やり納得することによって不安な気持ちを紛らわせ、中断させられていた眠りに再び就いた。

 

 暫くして薄汚れたローブに身を包んだ人物が、ヨタヨタとした不確かな足取りでアースガルの城下町に辿り着く。

 その人物は街に辿り着いた安堵感からか、それとも疲労感からか、歩みを止めて大きく嘆息した。

 

「……クッ、これほどまでに深い傷を負わされるとはな……。

 当分の間はまともに動けぬか……」

 

 その人物は忌々(いまいま)しげにそう呟くと、再びヨタヨタとした足取りで深夜の街の中へと消えて行った。

 

 この時、この地にもたらされた破局的な災いに気づいた者は、まだ誰もいない。


 

 アースガル神聖王国・王城の庭園を、1人の少女が(うら)らかな陽光に照らされながら歩んでいた。

 遠目に見ると庶民の娘達とさほど変わらぬ衣類に身を包んだこの少女が、何故この荘厳(そうごん)な王城の庭園にいるのか──と、実情を知らぬ者ならば不思議に思うことだろう。

 

 しかしよく見れば、彼女は帯剣しており、一般人ではないことがすぐに分かるはずだ。

 そして紅い輝きを見せるその瞳は、何処か神秘的な印象を見る者へと与え、なによりも三つ編みに結われた美しい銀髪を見れば、少女がこの国に縁深き者であることを、アースガルの人間ならば誰もが思い当たったはずだ。

 

 銀髪と紅い瞳は、アースガル王族であることの証明であり、彼女は先代国王オウディンが第二子にして、現国王バルドルが王妹(おうまい)・ベルヒルデ・アースガルであった。

 

 ベルヒルデの年の頃は16~17歳だろうか。

 本来ならば結婚していてもおかしくはない年齢である。

 それというのも王族や貴族の子は、政略結婚の道具にされてしまう場合が多いからだ。


 たとえば自身より身分の高い者の親族になることで出世する為に、あるいは同盟者に対して裏切らないことの証明である人質として……等々、子供達の意志とは無関係に婚姻は結ばれる。

 時として10歳に満たない幼女を、嫁に出す例すらあった。

 

 しかしベルヒルデは未婚であった。

 それは彼女が政略結婚というものに安々と従うような気性ではなかっこというのもあるが、その身内もまたそのような打算的な手段を嫌ったからでもある。

 だが、理由はそれだけではない。

 

 仮にも一国の王族ともなれば、嫁ぎ先に他国の王族を選ぶことは珍しくもない。

 しかしアースガルの王族はもとより、貴族や国民までもがベルヒルデを――「戦場の銀狼姫」と(うた)われた王国最強の守護神を、他国へ渡すことを良しとしなかったのである。

 

 ベルヒルデは戦いの天才であった。

 幼い頃から礼儀作法や宮廷舞踏よりも、軍事に関することに興味を示し、剣の習練にも打ち込んだ。

 そして彼女が13歳になる頃には、国内の剣士でベルヒルデを打ち負かせることができる者は、1人もいなくなっていたほどだ。

 

 そしてその1年後には、戦略に関する才能も彼女にとって最悪の形で発揮されることとなった。

 ベルヒルデが14歳を迎える年、アースガル神聖王オウディンは急病が為に崩御(ほうぎょ)

 それによって生じた国の混乱に乗じて、隣国のクラサハード帝国(・・)が侵攻を開始したのである。

 

 アースガル本国がこの事態を把握した時には、既に国境を守護する砦は陥落しており、そこを越えれば首都ミドガルまでの進軍を阻む物は、いくつかの街に駐留する少数の部隊のみという状態であった。

 この時点で、帝国軍がミドガルに雪崩れ込むまでに残された猶予は3日か、長くても5日程度という状態であった。

 あまりに迅速な帝国の動きに、内通者の存在も疑われたが、国の混乱によってそれは有耶無耶になっている。

 

 この国家存続の危機に対してベルヒルデは、自ら少数の兵を(ひき)いて出陣し、帝国を迎え討ったのだ。

 この時、クラサハード帝国軍の総数はおよそ2万以上。

 それに対してベルヒルデが率いた兵は、千騎にも満たなかった。


 大規模な軍を編成して迎え撃とうとすれば、それだけで多大な時間を浪費してしまう。

 それでは手遅れになると、ベルヒルデは判断したのだ。

 そして圧倒的な戦力差は、巧みな戦略と戦術を用いて埋めればいい――と。

 

 事実、国内の地理を知り尽くしていたベルヒルデは、帝国軍の死角からいくどとなく奇襲をかけて翻弄し、時には敵軍を誘導して人為的に引き起こした土砂崩れに巻き込むなどの計略を駆使した。

 

 この時のベルヒルデの戦いぶりは「戦場の銀狼姫(ぎんろうき)」と、味方から褒め称えられるほど勇猛であり、敵軍の兵からは「アースガルの鬼姫(おにひめ)」と恐れられるほどであったという。

 これによって帝国軍の進行速度は大幅に遅れ、当初の予定には無い場所での駐留を余儀なくされることとなる。

 そこでベルヒルデは夜間の駐留地に忍び込み、糧食に火を放った。

 

 これには帝国軍も浮き足立つ。

 食料が無ければ、長期戦になるほど帝国軍の不利となるのは自明である。

 相手が弱小国であるのならば、現地での略奪行為によって食料を調達する余裕もあるのだろうが、生憎アースガルはそれほど舐めてかかれる国でもない。


 騎士団の強さには隣国からも定評があったし、国土面積こそクラサハードには劣るものの、一応は大国と呼んでも良い規模を誇る領土と経済力を持った強国であった。

 ただ、国王の崩御意外にも貴族や宗教団体による政治的な腐敗が進んでおり、そこに他国や売国勢力が付け入る隙があっただけに過ぎない。

 

 そんなアースガル軍の抵抗を受けながら現地調達をしていては、どうしても効率が悪い。

 そしてそれは、国王の死によって混乱していたアースガルに体勢を立て直す猶予を与える結果にもなりかねなかった。

 

 確かに今は、ベルヒルデ率いる数百騎程度の部隊が先行して動いているだけに過ぎないが、そんな彼女らが時間を稼いだおかげで、首都ミドガルでは王子バルドルによる指揮の下、迎撃体勢の構築が着々と進んでいたのも事実だ。

 更に時間が経過すれば、国土の各所に配置された兵を招集して、アースガルの軍勢は数倍に膨れ上がっていくだろう。

 そうなれば食料を失い衰弱した兵ばかりの帝国軍では、太刀打ちできなくなるはずだった。

 

 つまりこの時点で帝国軍は、勝機の大半を逃がしていたとも言える。

 結果、帝国軍の士気は大幅に下がり、ここに至って戦況の不利を悟った兵士の中からは、帝国軍からの逃亡を図ろうとする者さえ現れたほどだ。

 ベルヒルデが嫌がらせのように繰り返していた奇襲に、音を上げたとも言う。

 

 そんな帝国軍の消耗を見計らい、首都に集結した軍勢と合流したベルヒルデは、一気に総攻撃を仕掛けて帝国軍を国外へと追い返すことに成功したのである。

 この間、戦いに要した時間はたったの4日であった。

 

 更にアースガル軍側の死者は、全軍の1割にも及ばなかったという。

 これは奇跡的な勝利だと言えた。


 この時のベルヒルデは、持てる力の全てを注ぎ込んでいる。

 故に敵軍に対しては、一切の手加減をしていない。

 勿論、投降する者や逃亡する者達には寛大に接したが、それ以外の敵には容赦が無かった。

 手加減する余裕など無かった。

 

 元来、ベルヒルデは戦略と戦術を学び、剣の技を磨くことを好んだ。

 しかし人の命を奪うことは、決して好まない。

 いや、他の誰よりも嫌っていたと言ってもいいくらいだ。

 矛盾しているようだが、彼女はそういう人間だった。

 

 だが、人の死なない戦争などあるはずもなく、そして戦いが長びけばそれだけ犠牲が増える。

 また、戦いに曖昧な決着を付ければ、敵国は幾度となく侵攻してくることだろう。

 そうなれば、犠牲は永遠に無くならない。

 

 だからこそベルヒルデは一刻も早く、そして圧倒的な力の差を見せつけて勝たねばならなかった。

 その結果としてアースガル軍は最小限の被害で済んだが、クラサハード帝国軍が出した死者の数は膨大なものとなっている。

 

 この事実にベルヒルデは、凄まじく心を痛めたであろう。

 いかに彼女が比類無き戦いの天才であったとしても、人の命を奪うことはまだ少女である彼女に――いや、たとえ大人であったとしても重すぎた。

 しかしそれを覚悟の上でベルヒルデは全力で戦ったのだ。

 

 そんなベルヒルデのことを、をアースガルの人々は「救国の戦乙女(ワルキューレ)」と褒め讃える。

 だが、彼女の名声が近隣諸国へと轟くのは、これからだった。

 アースガル王家は、北欧神話系の名前で統一されています。

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