―遅すぎる起床―
コン、コン。
と、ルーフは客室のドアを、軽くノックした。
なかなか起床してこないザンを、起こす為である。
今までは「旅の疲れもあるだろうから」と、起こさずに放置していたのだが、正午を過ぎ、更に夕方も近くなってきも、ザンは起床してこなかった。
なのでルーフは、仕方が無く彼女を起こしにきたのである。
それは彼にとって、切実な理由があったからだ。
そう、このままではザンの為にわざわざ材料を仕入れ、手間暇かけて作った昼食が無駄になってしまうのだ。
と言うか、既に朝食は無駄になった。
まあ、捨てるのは勿体ないので、なんとかルーフ1人で食べきったが。
昨日のザンの健啖ぶりを考慮して、5人前も作るんじゃなかった……と、彼は後悔する。
ともかく、今問題なのは、起床してこないザンのことである。
ルーフはドアの前で気長に返事を待っていたが、いくら待てども部屋の中からは何の反応も返ってこない。
だから今度は、
ゴン、ゴン。
と、多少強めにノックしてみる。
そして、
「ザンさーん、そろそろ起きてください。
もう夕方ですよー?」
大声でそう呼びかけてみるが、やっぱり反応は返ってこなかった。
「…………?」
ルーフは(爆睡モードにでも入っているのかな?)などと思いつつも、部屋の中で首を吊られていたり、病死されていたりしたら凄く嫌なので――昔、そういう客がいたのだ――念の為に中を確かめてみることにした。
「ザンさーん、入りますよー?
ちゃんとノックもしましたからねー。
後で文句を、言わないでくださいよー?」
と、一応呼びかけてみて、数秒待っても何の反応もなかったので、マスターキーを使って鍵を開ける。
そしてルーフは、ゆっくりと慎重にノブを回し、ドアを開けていった。
実際のところ、女性が眠っているかもしれない部屋に入るのは、妙に緊張した。
場合によっては、性犯罪だと勘違いされかねない行為である。
ルーフが緊張するのも、当然と言えば当然だろう。
それに世の中には、寝起きの直後には異常に狂暴化する人間もいる。
眠っているところを無理やり起こされれば、尚更である。
特にザンは、只者ではない雰囲気を醸し出していたので、万が一の事態に備えておいても損はないだろう。
(何が起こってもおかしくない……!)
ルーフはゴクリと唾を飲み込み、何となく猛獣の巣穴に入るような気分で部屋に入った。
しかし実際に部屋に入ってみると、何事も起こらなかった。
いや、既に起こってしまった後だったと言うべきか。
部屋の中には、完全な静寂だけが残されていた。
つまり、全くの無人と化していたのだ。
ただ、僅かに窓が開いている。
細身の女性ならば、通り抜けられる程度に──。
(や、宿代を踏み倒された――――っ!?)
ルーフはショックのあまり、脳の働きが急激に鈍っていくのを感じた。
結果、身体も硬直し、茫然とその場に立ち尽くすこととなる。
それから数分が経過した頃、
「そ、そんなぁ……。
1ヶ月ぶりの宿泊客だったのにぃ……」
ようやくのことでそう呟くと、彼はそのまま再度固まってしまう。
それから暫くの間、彼は微動だにしなかった。
いや、できなかった。
どうやら、何かをしようという気力が、全て吹き飛んでしまったようだ。
そして更に数分が経過した頃、立ちくらみでもしたのだろう。
ルーフは、グラリと身体を斜めに傾ける。
そのまま傾き続ければ、いずれは倒れて、そのまま当分の間は立ち直れないかもしれない。
あるいは倒れたまま、明日の朝までふて寝してしまう可能性だって有り得た。
まさにそうならんとした瞬間、ルーフの視界に何かが映り込み、彼はギリギリで倒れることを踏み留まる。
「あ……!」
それはベッドの上に置かれた1枚の銀貨と、この部屋の鍵だった。
その下には紙切れが挟まっている。
「よ、よかったぁ……。
ちゃんと宿代を払ってくれたんだぁ……」
ルーフはホッと胸をなでおろし、銀貨と鍵をエプロンのポケットにしまい込みながら、「これは何だろう?」と紙切れに目を向ける。
その紙切れには、
「竜に会ってきます。
心配はいらない」
と、なぐり書かれていた。
あまり奇麗な字ではない。
「な…………」
ルーフは数瞬の間、言葉を喉に詰まらせた後、
「何考えてんの、あの人はーっ!?」
一気に吐き出すかのように、絶叫を上げた。
心配するなと言う方が、無理な話であった……。
「役人の詰め所に女が暴れ込んで、取り押さえられた」
そんな話をルーフが聞いたのは、それから数時間後のことである。
それは無慈悲なる守護神が、生贄の儀式を所望しているとの報せでもあった。




