―遠い日の記憶―
プロローグです。
とある山脈の麓――深い渓谷と森林に囲まれた陸の孤島のような場所に、小さな花畑があった。
こんな辺境の地に花畑があるのを見れば、不思議に思う者も多かろう。
もっともそんな感想を抱く者が、この地に足を踏み入れること自体が困難ではあろうが。
それでもそこには確かに花畑があり、人間の生活がこの自然環境の厳しいであろう土地にも、確かに根ざしていることを物語っていた。
花畑には2つの人影があった。
1人はまだ幼い少女で、年の頃はようやく5~6歳になったばかりだろうか。
その少女は花を摘んで、冠などを作って遊んでいた。
そんな少女の側にはまだ若くて美しい母親と思しき女性が、優しげな眼差しで少女を見守っている。
その時、ビュウ――と、突風が母娘の間を通り過ぎた。
花びらが無数に舞い上がり、それが空に吸い込まれていく様を、少女は目で追う。
そしてその先に何かを見つけた彼女は、小さく声をあげた。
「あ!」
仰ぎ見る少女の視線の先には、数百を数える竜の姿があった。
巨大な竜の群れは渡り鳥のように編隊を組み、夕日によって紅く染まった西の空を目指して飛んでいく。
よく見るとその竜達の背には、武装した人間の姿が見て取れた。
「父様たちだ!」
少女は竜の群れに向かって大きく、かつ忙しなく手を振った。
すると1匹の竜が群れから離れ、母娘の上空でゆっくりと旋回した。
その背には少女に応えて手を振る、男の姿がある。
そんな男の姿を確認した少女は、「とうさまー!」と声を上げながら更に激しく両手を振り、母親もそれに倣うかのように軽く片手を振った。
どうやらこの母娘は、父であり夫でもある人物を見送る為に、この場所にいたようだ。
暫くの間上空を旋回していた竜は、母娘との別れを惜しむかのように吠え、そして群れへと戻っていった。
西へと進む竜の群れは、時の経過と共に小さくなっていき、ほどなくして母娘の視界から消えた。
しかしそれでも少女は未だに手を振り続ける。
それはまるでなにかに取り憑かれたかのように、必死になって繰り返し繰り返し……。
その目からは止まることなく涙を溢れさせ、そんな彼女の様子はまるで父との永遠の別れを惜しんでいるようにも見える。
悲痛な娘の様子に、母親は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
彼女は最早夕日以外には何も見えなくなった西の空を見つめながら、切なげに呟く。
「必ず無事に戻ってきてね……ベーオルフ……」
しかし、その竜の群れが戻ることは、二度となかったのである。
──そして、少女は全てを失った。
おそらく外伝を含めると500話以上になると思いますが、末永くお付き合い頂ければ幸いです。なるべく毎日投稿する予定です。
また、既に完結している『神殺しの聖者』、『鬼 -逸話集-(年内に新作予定)』、『ロスト・ウィザード~魔法封印大陸の魔法使い』もよろしくお願いします。