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 青ざめているスターチアを嘲笑った男は、立派ではあるが趣味がいいとは言えない屋敷の扉までやってくると、ブツブツと呟き始めた。

 スターチアにもその声は届いたものの、なにを言っているのかは分からない。

 男が発した言葉は方言が強いから聞き取れないというのではなく、スターチアがこれまでに聞いたことのないものだ。


――どこの国の言葉かしら。いえ、言葉なのかしら?


 少しでも手がかりを得ようとするスターチアは必死に耳を澄ますものの、理解できない言葉を記憶するのは難しい。

 人が話す言語とはどこか違うという印象だけが、スターチアの脳裏に残った。


 やがて扉は音もなく開く。

 そのことに、スターチアは小さく息を呑んだ。

 不思議というより、異様な気配を感じる。


――この屋敷に入ったら、絶対駄目だわ!


 なにが駄目なのか、どうして駄目なのか、それはさっぱり分からないが、とにかくスターチアの直感が強く訴えかけている。

 しかし、自分の意思で足を動かすことができない彼女は、ふたたび男に引きずられるようにして歩くことになってしまう。

 屋敷の廊下は絨毯張りで、二人の足音が響くことはない。

 スターチアが村で暮らしていた家も現在生活している小屋も床は板張りであるため、足音がしないことに違和感を覚える。


――このお屋敷、誰のものなのかしら。


 平民のスターチアには美術品の価値が分からないが、廊下にいくつも並べられている壺や絵画は、これだけ数があればそれなりに金がかかっているということぐらいは分かる。

 とはいえ、まるで人目に付かないようにして建てられている屋敷にどういった意味があるのかは、どんなに考えても分からなかった。

 廊下の突き当りにやってくると、男が扉を軽く叩く。

「ポラスでございます。ただいま戻りました」

「入れ」

 中から聞こえてきた声に、スターチアは僅かに眉根を寄せる。


――聞いたことがあるような気もするけど……。


 パンを買いにくる客ではなく、またスターチアが買い物をする店の店員でもない。

 それでも、どこかで聞いたことがあるように感じた。

 同時に、その声がとても異様な気配をまとっていることも感じる。

 スターチアはとっさに踏ん張ってそこに留まろうとするが、男がグイッと腕を引っ張ったため、室内へと踏み入れることになってしまった。

 体勢を崩したスターチアは、床にへたり込む格好となる。

 そんな彼女を馬鹿にしたように、フンと鼻を鳴らす音が聞こえる。

「どこからどうみても、みすぼらしいただの小娘じゃないか。アディス様は、なんだってこんな小娘に目をかけていらっしゃるのやら……」

 それを聞いて、スターチアはハッと我に返り、顔を上げた。

 アディスの名を出したのは、どっしりとした長椅子に座り、左手にワイングラスを持った小太りの男だった。

 まとっている服は布をたっぷりと使っており、また、指にいくつもの指輪を着けていることから、貴族であることはスターチアにも見て取れる。

 だからこそ、余計に疑問が深まった。


――貴族の方が、どうして私を呼び出したの?


 しかも、かなり不可解で乱暴なやり口でわざわざ平民であるスターチアを呼び出したのは、どういうことだろうか。

 問いかけたいところだが、平民から声をかけるのは無礼だとされている。礼儀にのっとるつもりはなくとも、スターチアは声が出せないのだが。

 床にへたり込んだままのスターチアがぼんやりと貴族の男を窺っていると、ポラスと名乗った中年の男がその貴族へと近付き、これまでのことをあれこれと報告している。

 それを聞いて、貴族と思われる男が意地の悪い笑みを浮かべた。

「なるほど、なるほど。軍の者たちであっても、この小娘の後をつけてくることはできなかったか。アディス様の部下とはいえ、まだまだ未熟ということか。はっはっは」

 最後に大きな声で男が笑うと、「違うわ、私の術が見事だったからよ」と、女性の声が割って入る。

 スターチアは突然のことに目を大きくみはった。この部屋には自分以外に、男が二人いただけだったからだ。

 窓が開いた様子も、スターチアの背後にある扉が開いた様子もない。

 なのに、明らかに女性の声はこの部屋で聞こえた。

 言葉を失っていたスターチアだったが、さらに驚くことになる。

 長椅子に座っている男の頭上の空間が奇妙に歪みはじめ、次第に黒い渦へと変化していく。

 その渦の中から、足首まで覆う裾の長いドレスをまとった女性が現れた。ドレスだけではなく、髪も瞳も闇のように黒い。


 その女性の正体は悪魔だと、スターチアは即座に悟った。


 息も止まるほど驚いているスターチアに、人間離れした美貌を持つ悪魔の女性が微笑みかける。

 しかし、その微笑みには優しさやぬくもりはまったく感じられない。人間を虫けらのように見下しつつ、楽しくて仕方がないといった、なんとも奇妙な笑みだった。

 ただただ呆然としているスターチアをよそに、貴族の男は悪魔の女性に話しかける。

「もちろん、あなた様の魔術が見事であることは、百も承知ですよ。……して、どのような術で、軍の者たちの目を欺いたのでしょうか?」

 スターチアに向けていた態度とは打って変わり、貴族の男はあからさまに媚びへつらっている。

 そんな男に、悪魔の女性がフッと口角を上げて見せる。

「ホースキン。あなたは金を稼ぐことには長けていても、他のことは察しが悪いのね」

 長い指を口元に当て、悪魔の女性がクスクスと笑っている。

「いやぁ、お恥ずかしい」

 それに対し、貴族の男が苦笑いを浮かべた。 


 そして、スターチアの息が今度は止まった。


――今、ホースキンって、言った……?


 関わり合いはまったくないが、その名前は知っている。

 スターチアが耳にしたホースキン男爵の話は、慈善事業に熱心な貴族だということだ。

 王都に立派なパン屋を構え、そこで孤児を雇っているというのは、有名な話である。

 だが、この屋敷の持ち主が分かったところで、スターチアを攫うようにして連れてきた理由は、いまだに謎だ。

 謎だからこそ、得体の知れない恐怖に襲われる。

 しかも、ホースキン男爵とこの悪魔の女性は顔見知りのようで、そのことがさらにスターチアの恐怖心をあおっていた。

 またしてもスターチアにかまうことなく、ホースキンは口を開く。

「金を稼ぐことしか能がない男に、あなた様がお使いになった術を教えていただけませんかねぇ」

 揉み手をしそうな感じでホースキンが話しかけると、悪魔の女性は目を細めた。

「ええ、いいわ。今の私、とても気分がいいの。もうすぐ私の心が満たされると考えたら、楽しくて仕方がないわ」

 クスクスと笑う悪魔の女性が、スッとスターチアへと視線を向ける。

 その表情は、相変わらず人間を見下しているものだった。


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