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 公園でパンを売ること以外、スターチアは基本的に断っている。

 慰霊祭への出店は、国を守ってくれたアディスへの感謝と、祖父との思い出を聞かせてもらった礼として引き受けた。

 しかし、その一度だけだ。

 よほどのことがない限り、今後も公園以外の場所でパンを売るつもりはない。また、パンを焼くために出向くつもりもない。


――わざわざ声をかけてくれたのはありがたいけれど……。


 スターチアの気持ちはこれまでと変わらなかった。

 彼女は申し訳ないといった表情を浮かべ、静かに口を開く。

「声をかけてくださって、本当にありがとうございます。ですが、そのような申し出はお断りさせていただいているんです。素人よりは多少腕がある程度の私ですので、ご期待には沿えないかと」

 それは謙遜ではなく、彼女自身が本気でそう思っていることだ。

 マールやアディス、そして常連客達が褒めてくれるのは、身内びいきのようなものだろうとスターチアは考えていた。

 穏やかで品のいいこの男性は、きっと貴族に仕えている者だろう。

 だとしたら、自分の作るパンが主人とやらの口に合うとは思えない。

 

――たぶん、物珍しさから声をかけてきたのよね。


 この男性の主人は、食通として知られるアディスが何度となく買いに来るパンを話のタネとして食べてみるかと、興味を持っただけだろう。

 純粋にスターチアが作るパンが食べたいというわけではないはずだ。

 そんな彼女の言葉に男性は首を横に振り、人好きのする笑顔を浮かべた。

「あなた様が作るパンの評判は、よく耳にしております。実は、屋敷の者も何度かあなた様のパンを買いに行っているんですよ。とても美味しいと、皆は大喜びです」

「そうだったんですか?」

 スターチアは客たちの顔を思い浮かべてみた。

 たしかに慰霊祭以降は新規の客が増えていて、その中には下働きの者と思える格好をした客も時折見掛ける。

 男性の言葉は嘘ではなく、穏やかな微笑みから察するに、冷やかし半分でスターチアを屋敷に招こうとしているのではなさそうだ。

 それでも、スターチアは頷くことができない。


――アディス様の申し出は何度もお断りさせてもらっているのに、この人の話を了承するのは、アディス様に失礼だわ。


 今後、スターチアが誰かの申し出を受けるとしたら――その可能性は限りなく低いが――、最優先するべきはアディスだ。

 日頃から目をかけてくれていて、また、異臭騒動の際には世話になった。

 そのアディスを差し置いて他者の依頼を受けてしまっては、礼儀に反しているのではないかとスターチアは考える。

 スターチアが了承してくれることを期待している男性の視線がつらいが、やはり引き受ける気持ちにはなれなかった。

「皆様に喜んでいただけで嬉しい限りですが、お引き受けするつもりはございません。どうか、ご容赦ください」

 スッと頭を下げるスターチアに、男性が変わらない口調で話しかけてくる。

「ああ、そうでした、そうでした。お礼の話を、すっかり忘れておりましたね。あなた様が我が主人の屋敷に出向いてくださった暁には、もちろん、十分にお礼をさせていただきます」

 ニコニコと穏やかに笑う男性に、スターチアは困ってしまう。

「私がお引き受けしないのは、お礼がどうこうということではないんです」

 僅かに苦笑を浮かべたスターチアに、男性がズイッと一歩前に出た。

「まぁ、まぁ、そうおっしゃらずに。我が主人はあなた様が望むままに礼をすると申しております。お金でも、物でも、お好きなままに」

「いえ、ですから、お礼は関係ありませんので……」

「なるほど、金品ではなく、社会的な地位をお望みですか。でしたら、我が主人は大変顔が広いお方ですから、あなた様を貴族と養子縁組し、養女として迎い入れていただくこともできるかと」

「そういうことでも、ないのですが……」

「では、お望みのものを遠慮なくおっしゃってくださいませ。できる限りのことをさせていただきますので」

 いっこうに話を分かってもらえないことに、スターチアはますます困ってしまう。


――どうしたら、引き下がってくれるのかしら?


 困りつつ、スターチアはこの男性を不審に思い始めていた。


 そこまでして屋敷に招こうとしている理由が分からない。

 物珍しさだけで、こんなにも熱心になるものだろうか。

 自分は王都で有名なパン職人ではなく、細々と日銭を稼ぐだけのパンを売る小娘である。

 いくら祖父仕込みの腕があったとしても、アディスが後押ししてくれているとしても、好きなように礼を取らせるのは、あまりにおかしい。

 また男性が何度も口にしている『我が主人』の名前をいっさい出してこないところも、どうにも引っかかる。

 そう考え始めると、笑顔を崩さないこの男性が、どんどん怪しい人物に思えてきてしまう。


 スターチアは無意識のうちに、スッと後ろに下がった。

 そんな彼女の肩越しにチラリと視線を向けた男性は、なぜか少しだけ笑みを抑えた。

「長々とお引止めして、申し訳ございません。本日は、失礼いたします」

 これまでのしつこさとは打って変わり、その男性はその場を立ち去る。

 突然のことに、スターチアはただ男性の背中を無言で見送るしかできなかった。




――いったい、なんだったの?


 まるで意味が分からず、スターチアの困惑は深まるばかりだ。

 その場に立ち尽くしている彼女に、後ろから声をかける者がいた。

「スターチアさん、どうしました?」

 若い男性の声には聞き覚えがあり、スターチアはホッと息を吐いて振り返る。

 歩み寄ってきたのはアディスの部下のうちの一人で、先日行われた慰霊祭では一緒にパンを販売したあの青年だ。

 異臭騒ぎの後に公園付近や町中を見回りしており、彼がパンを買いに来る以外にもこのように顔を合わせることが何度かあった。

「いえ、大したことでは……」

 フルリと首を横に振るスターチアの前に、青年がスッと立つ。

「初老の男性と話をされていたようですが。道を尋ねられていたにしては、なんだか様子がおかしかったですね」

「ええと、実は……」

 スターチアは苦笑を浮かべ、先ほどのことをかいつまんで青年に説明した。

 それを聞いた青年が何度か頷く。

「まぁ、あり得る話ですね。慰霊祭で評判になってから、スターチアさんのパンが実は貴族の間でも注目されているようですよ。ですが、堂々と買いに行くのはどうにも憚られるようでして、下働きの者にこっそり買いに行かせたり、中には平民に見えるように変装して買いに来る方もいるとか」

「そんなことが?」

 にわかに信じがたい話に、スターチアは目を丸くする。

「私のパンは、貴族の方々の口に合わないでしょうし。なにより見た目が地味で、その点も貴族の方々の好みには合わないと思うんですけど」

 驚く彼女に、青年がフッと口角を上げて見せる。

「貴族の中には、意外と好奇心旺盛な方が多いのですよ。事あるごとに足を運ぶアディス様がどのようなパンを食べているのか、そのパンはどこで売られているのか、最近、貴族の間ではよく話題に上っているとも聞いています」

 青年の話に、スターチアは気恥ずかしくなる。

「店舗も構えず、公園で販売しているような私を気にかけてくださるなんて、なんだか嘘みたいですね。貴族の方たちって、私のような視界にも入れないかと思っていましたから」

「一昔前ほど、貴族は身分にこだわらなくなってきたようですね。ああ、もしかして、今からお帰りですか? では、停留所まで、お荷物をお持ちしますよ」

 スターチアの手から嫌味にならないしぐさで荷物を取り上げ、青年が乗合馬車の停留所へと促す。

 これまでにも、町中で遭遇したアディスの部下たちは、さりげなくスターチアの荷物を引き受けていた。

 はじめのうちは申し訳なさから自分で持つと言っていたスターチアだったが、彼らは『女性に荷物を持たせるのは、軍の男性として恥ずかしいことですから』と言って、けして譲らなかったのである。

 今では「ありがとうございます」と素直に礼を告げ、スターチアは任せることにしていた。


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