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次から次へと果物や野菜が現れては消えるという不思議な現象を目の前で体験したスターチアは、珍しく興奮していた。
「なにもないところから急に現れて、それがすっかり消えてしまうなんて。さすが、魔界の貴族ね!」
彼女は本気で褒めているのだが、ジェンドからすると、方向違いの褒め言葉でしかないのである。
――俺をからかっている様子は、いっさい感じられないな。
他の者がスターチアと同じ反応だと皮肉としか思えないが、彼女の言葉は表情通りのものなのだ。
それを不快には思わないが、ジェンドにはどうにも落ち着かないと感じてしまう。
また、「褒めてくれてありがとう」と、素直に言えるわけもない。
「悪魔である俺の魔力を無駄遣いしやがって、本当にお前は変わっている」
呆れた調子で口にすると、スターチアが首を傾げた。
「なによ、それ。魔界の貴族様の魔力は、無尽蔵に近いのよね? 爪の先ほども減っていないんじゃないかしら」
先ほど、悪魔の青年は「子供だましの魔術」と自ら言っていた。
つまり、山を吹き飛ばしたり木製人形や泥製人形を操ることよりもはるかに容易いということなのだろう。
それは魔術の形式もさることながら、使用する魔力量もたいしたことはないのだと、スターチアなりに判断したのである。
そんな彼女の判断は外れておらず、ジェンドはフンと鼻を鳴らしながら「当然だ」と返してきた。
――だとしたら、『無駄遣い』って、どういうことなのよ。
言葉の意図が汲み取れないスターチアが改めて首を傾げていると、ジェンドが僅かに苦笑を浮かべる。
「使った魔力量のことを言っているのではない。使い方のことを言っているんだ」
彼の説明を聞いても、やはりスターチアにはピンと来なかった。
「使い方……?」
そこでいったん言葉を区切り、スターチアは考え込む。
そして、彼女なりの答えに辿り着いた。
「野菜や果物を出して消すということが、魔力の使い方として違っていたと言いたいのかしら?」
だが、それのなにが違っているのかまでは、彼女には理解できない。
自分で答えておきながらしきりに首を傾げているスターチアの様子に、ジェンドは「なにが、そんなに不思議なんだ?」と問いかけた。
「……だって、私には魔力の使い方の正解が分からないのよ。私は物が現れて消えるところが見たかっただけだもの。それのなにが間違いなのかしら?」
ブツブツと独り言のように呟く彼女の様子に、ジェンドはふたたび噴き出した。
「お前、正真正銘の馬鹿だな。……いや、他の人間どもが馬鹿と言うべきか」
最後の言葉はあまりに小さく、スターチアの耳には届かない。
「何度も何度も、馬鹿って言わないでよ。それで、正解はなんなの?」
むくれつつ尋ねる彼女に、ジェンドはヒョイと肩をすくめてみせた。
「これまで俺が人間どもから『出せ』と言われたのは、金や宝石だ。そして、『消せ』と言われたのは、ソイツにとって気に入らない相手だ。まぁ、これが正解かどうかは知らんが、俺はこれ以外のことを言われたことがない」
それを聞いたスターチアは、パチリと瞬きをする。
「ごめんなさい、私もそれが正解かは分からないわ」
「だが、金目のものがあれば生活が今よりも楽になるし、気に入らない者がいなくなれば快適だ。そのくらいは分かるだろ?」
改めて説明されても、やはりスターチアには理解できなかった。
「お金は必要だけど、生活に困らない程度で十分だわ。それに働かずにお金を得るのって、なんか卑怯だと思うの。そうやって楽をして手に入れたお金って、ありがたみが薄れるだろうし。気に入らない人を消してしまえという考え方は、あまりにも短絡的よ。まずは、歩み寄る努力をしないと」
スターチアが静かな口調で言い返すと、ジェンドはフッと口角を上げた。
あまりにおめでたい思考回路ではあるが、彼女は世間知らずでない。
多少、抜けているところはあるものの、自作したパンを売って生活費と稼いでいるという点では、『生きていく』ことを知っていた。
それゆえ、金のありがたみを実感しているのだ。
気に入らない相手云々については彼女の自論ではなく、一般的な意見といったところだろう。
積極的に人と関わろうとしていない彼女が、誰かに歩み寄る努力をするとは思えない。
しかしながら、「そうだ、そうだ。消してしまえ」と言わないところが、彼女らしくもある。
なんにせよ、スターチアの言葉が、ジェンドの中にある『愚かな人間像』とはかけ離れていたのである。
――なぜだろうな。コイツと話していると、単に面白いだけではなく、他の感情が湧いてくる。ここ最近は、特にそうだ。
とっくの昔に捨てたはずの感情が、ジェンドの中で静かに息を吹き返したようだ。
しかし、それがなんなのかは掴みきれないが、今は気にするほどでもないと判断した。
追究することをあっさりと放棄したジェンドは、漆黒の瞳で夜空を見上げる。
「月がだいぶ移動したな。さっさと寝たほうがいいぞ。睡眠不足は、愚かな思考に拍車をかける」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる悪魔の青年を、スターチアはジロリと睨んだ。
「うるさいわね」
一言放ち、彼女は梯子へと移動する。
そして、一段足を下ろしたところで、ふたたびジェンドを睨む。
「あなたに、とびきりの悪夢が訪れますように」
素っ気ない口調で言い捨てたスターチアは、それ以降、ジェンドに視線を向けることなく梯子を下りて行った。
「本当に、アイツは面白い」
呟いたジェンドの肩が、小刻みに揺れている。
彼女になにを言われても、なにをされても、ジェンドはこれといって不快ではなかった。
それどころか、ますます興味深い対象となっていく。
「俺が規格外の悪魔なら、アイツは規格外の人間ってところだな」
肩を揺らしていたジェンドは、ふたたび月を見上げた。
雲がないので、夜空に輝く月がよく見える。スターチアの髪色と同じ輝きを放つ月が。
その月を見上げていたジェンドが、ふいに囁く。
「ああいった人間ばかりなら、俺たち悪魔も生きやすかっただろうに」
彼の脳裏では、この世界の歴史がゆっくりと流れていた。
長い長い歴史の中、自分たちと同じ存在が人間たちからどのように扱われていたのか、文字、口伝、また己の目や耳で実際に得た知識が、風に吹かれた雲のように、ゆっくり、ゆっくりと流れていく。
その歴史を今さらひっくり返すつもりはないが、『もし、現状と違う歴史だったら』と、ほんの少しだけ考えなくもない。
「……それこそ、無意味だな」
ジェンドがまた小さな声で囁く。
人間たちの歴史は変わらない。
変える意義も感じない。
自分たちを見限った彼らと、深く関わる必要性も感じない。
暇つぶしとして人間界に訪れ、面白半分に人間の生活を眺め、時に召喚に応じた振りをして、馬鹿げた人間どもに絶望を与える。
これまで続いたことが、この先も続いていく。
それだけのことだ。
だが、ちっぽけで、愚かで、笑えるほどに無欲なたった一人の小娘によって、色々なものが揺らぎかけていた。
近頃、魔界の知人たちが、ジェンドの行動を怪しんでいる。
いや、面白がっていると言ったほうが正しいだろうか。
しかも、魔界の長である魔王も、ジェンドの行動を咎めるどころか、口出しすらしてこない。
それはつまり、その小娘の存在など、魔界にとって脅威ではないということだ。
「まぁ、それもそうか。あんな底なしの馬鹿は、恐れるどころか、暇つぶしの道具でしかないからな」
おそらくだが、知人も魔王もそう思っているからこそ、なにも言ってこないのだ。
彼らも、暇つぶしには苦労しているのである。
ジェンドはそう結論付けると、漆黒の翼を羽ばたかせ、その場から飛び去る。
この時のジェンドは、自分が暇つぶしの対象とされていることなど、まったく気付いていなかったのだった。




