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 スターチアがジェンドにとうもろこしのパンを渡してから六日が経った。

 いつもの朝の日課を済ませた彼女は、保存食を置いてある小部屋へと向かう。

「どんな感じかしらね」

 洋酒に漬けた果物と木の実が入っている瓶の蓋を開け、香りを嗅いだのちに木べらで静かに掻き混ぜる。

 そして中身をいくつか掬い上げた。

 それをじっくり眺め、彼女はフッと微笑む。 

「ちょうどいい具合だわ」

 満足気に頷いたスターチアはその瓶を両腕でしっかりと抱え、小部屋を後にした。


 販売用のパンを焼くのと同時に、パウンドケーキもいくつか焼いた。

 焼き色も風味も納得のいく仕上がりとなり、食べる前から美味しさが伝わってくる。

「我ながら、上出来ね。見た目も香りも最高だわ」

 スターチアは天板に並んだパウンドケーキを眺め、思わず満面の笑みを浮かべる。

 ケーキの粗熱が取れると、乾燥しないようにきっちりと薄紙で何重にも包み、陽が当たらない場所へと移動させた。

 その後、スターチアは籠に商品のパンを詰め、小屋を出て行った。




 翌日、商品のパンとパウンドケーキを籠に詰め、いつもの公園へと向かった。

 スターチアの姿が見えると、常連客が我先にと寄ってくる。

「昨日話していたパウンドケーキ、あるかい?」

 マールの問いかけに、スターチアが微笑みと共に頷く。

「ええ、もちろんです。これまでで一番の出来栄えかもしれません」

 そう言って彼女がパンの入った籠をベンチに置き、上にかけていた布を取り去った。

 常連客達は、いつも買っているお気に入りのパンに加え、パウンドケーキにも手を伸ばす。

 一本そのままだと大きいため、一人前用に切り分けられており、その断面にはぎっしり詰まっている果物や木の実がよく見える。

「今回は、ずいぶんと豪勢じゃないかい?」

 スターチアが作るパウンドケーキを何度も食べてきたマールが、断面をしげしげと眺めながら呟く。

 これまでに作られたパウンドケーキも、それなりに果物や木の実が混ぜ込まれていた。

 だが、今日のパウンドケーキは倍とまではいかないが、明らかに量が多い。

 マールの指摘に、スターチアが苦笑する。

「洋酒漬けが上手にできたので、思い切ってたっぷり使ってみたんです。私が作るパンは質素なものが多いから、たまにはこういう物もいいかと思って」

 すると、マールがスターチアの薄い肩をポンと叩く。

「なに、言ってるんだい。スターチアのパンは質素じゃなくて、素材の味を生かすために無駄なことをしてないってことさ。町のパン屋を見てごらんよ。無駄にゴタゴタと具を乗っけるから、パンの味がわかりゃしない」

 その言葉に、他の常連客たちも頷いていた。

「その点、スターチアはちゃんと分かって、具を詰めたり乗っけたりしているだろ」

「だから、どのパンも安心して食べられるってこと」

 それを聞いて、スターチアが照れくさそうにはにかむ。

「そう言っていただけると、すごく嬉しいです。これからも、美味しいパンをお届けしますね」

 そんな会話を交わしながら、今日もスターチアが焼いたパンは完売した。




 小屋に帰ってきたスターチアは、夕方の日課を済ませると、食卓に夕食を並べる。

 常連客の一人から塩漬けの豚肉をもらったので、細かく刻んた香草を揉み込み、こんがりと焼き上げた。

 それを適度な大きさに切って、胚芽パンに挟む。

 パン皿の横には、根菜たっぷりのスープもある。

 貴族の食事に比べたら『質素』を通り越して『粗末』と言われそうだが、肉もパンも野菜も抜群に美味しい。

 スターチアにとっては、十分すぎるほどのごちそうだった。

 それらを綺麗に平らげ、明日の準備をしているうちに、月が上空に姿を見せていた。

 ただし、雲がかかっているので、綺麗には見えない。

「まだ雨は降っていないから、大丈夫よね」

 スターチアは窓から外の様子を窺い、ポツリと呟く。

 それから彼女は肩掛けと薄紙に包んだ一本丸ごとのパウンドケーキを持ち、屋根に上るためのはしごへと向かった。


 屋根に腰を下ろした彼女は、改めてパウンドケーキをしっかりと抱える。

 食事を取る必要もなく、満腹感を求めない青年悪魔には、一本丸ごとは多いかもしれない。


――もしかして、『程度が分からない馬鹿か?』って言われたりするのかしら。


 そんなことを心の中で零すスターチアだが、これには一応理由があったのだ。

 彼女とジェンとのやり取りを知っているあの悪魔のことだから、切り分けたパウンドケーキを差し出した場合、「どうして、俺にはこれっぽっちしか寄越さないんだ!」大声を出しかねないと考えたのである。

 怒鳴られてから取りに行くのも面倒だし、少ないよりは多く渡しておいたほうが無難だろうと、スターチアは判断したのだ。

 そんなことを考えていたら、彼女の頬にポツ、と雨粒が当たった。

 空を見上げると、時折姿を現していた月は雨雲に隠れている。


――待っていたら、雲が切れるかしら?


 ところが、雨が上がる様子はない。

 肩掛けのおかげで寒さはそれほど感じないものの、さすがに足元は冷える。

 それでも、スターチアはその場所から動かなかった。


――そういえば、悪魔って雨でも空を飛べるのかしら?


 少々の雨ならともかく、そこそこ雨足が強い状況では、鳥やコウモリが飛んでいるところを見たことがない。

 だか、漆黒を纏うあの青年は悪魔なのだ。鳥やコウモリとは訳が違うだろう。

 それに、先日触らせてもらった彼の翼はとても丈夫かつしなやかで、雨風など物ともしない感じだった。


――鳥やコウモリを引き合いに出したら、機嫌が悪くなりそうよね。


 このことは自分の胸の内に秘めておこうと、スターチアはクスクスと小さく笑う。

 そして、足先を丸め、スカートの裾で包む。これで、多少は寒さを凌げそうだ。

 

 そこで、スターチアはハッと息を呑んだ。


「……どうして、私はあの悪魔を待っているの?」

 一週間後にパウンドケーキを渡すと言ったが、それを律儀に守る必要は彼女にはなかった。

 また、冬に差し掛かった夜の雨は、確実に体温を奪う。

 おまけに、彼女の青年の間に、ここで会う約束を交わしていない。

 そんな状況でわざわざ待っている自分は、それこそ馬鹿ではないのだろうかと、スターチアは己に問いかける。


 それでも、彼女の腰はなかなか上がらなかった。


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