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 どうにか笑いを噛み殺したスターチアは、静かに口を開く。

「別に、あなたが言ったことを忘れたわけじゃないし、意地悪しているわけでもないわ。パウンドケーキに混ぜ込む果物と木の実の洋酒付けを、今は切らしているのよ」

 すると、悪魔の青年がジロリと彼女を見遣った。

「本当だろうな?」

「ええ、本当よ。今朝、仕込んだから、一週間ぐらい時間をちょうだい。とびきり上等のパウンドケーキを、あなたにあげるわ」

 それを聞いて、ジェンドが偉そうに腕を体の前で組んだ。

「そういう事情があるなら、待ってやってもいい。俺の寿命は矮小な人間どもと違って、はるかな時を刻む。一週間など、瞬く間に過ぎるさ」

 そんな彼の態度に、スターチアはふたたび必死になって笑いを堪える。


――なによ。さっきはあんなにムキになっていたくせに。


 肩掛けを引き上げて口元を隠している彼女の耳に、ガサガサと乾いた音が聞こえた。

 どうやら、機嫌を直したジェンドがとうもろこしのパンを食べる気になったらしい。

 その様子を黙って見守っていると、ガブリと一口齧った青年がヒョイと片眉を上げた。

「俺が口にするには粗末なパンだが、悪くない。ほのかな甘みは、クセになる」

 余計な一言が付いていたが、これまでの彼の言動から察するに、だいぶ褒められているらしい。

「そう言ってもらえて光栄だわ。でも、あまり見栄えがしないパンを褒められると、なんだか申し訳ないわね」

 調子に乗るなと言い返されないように、スターチア一応謙遜してみる。

 普段なら、これでも「人間ごときが」と言われるのだが、珍しいことに悪魔の青年は静かにもう一口パンに噛り付いた。


 少しの間、沈黙が流れた後、ジェンドが感情を滲ませない声で話し出す。

「戦争ともなったら、戦場にいる軍人たちの食事はみじめなものだ。狩りができる余裕があるならマシだが、味もそっけもない硬いパンを、これまた味もそっけもない野菜スープで流し込むようになる。それも、一日、二日のことじゃない」

 その話に、スターチアは五年前の戦争を思い浮かべた。

 彼女が暮らす地域に戦争の気配はなかったが、前線に近い場所では、それはそれは悲惨だったという。

 戦っている軍人たちもそうだが、住むところを追われ、食べるものに苦労した住民が多かったという話は今でも時折耳にする。

「そうね。食べることも寝ることもままならない状態で戦うこともあったと、この前の慰霊祭で話を聞いたわ」

 スターチアがため息まじりに答えると、ジェンドは手にしているパンから彼女へとスッと視線を移した。


「領土や資源欲しさに、他国を侵略する人間はどうなんだ? 剣や弓矢で相手の命を奪う人間でも、悪魔より温厚だと言えるのか?」


 その問いかけに、スターチアはソッと顔を伏せる。

 ボンヤリと自分の膝を見つめながら、彼女が小さな声で呟く。

「……そう考えると、人間だって、相当タチが悪い生き物だわ。ただ、魔力が使えないだけで」

 五年前の戦争は、かなりひどいものだったそうだ。

 この国を狙った敵国の将軍は、あまりの残忍さから『悪魔将軍』とも呼ばれていたらしい。

 アディスはむやみに相手方の命を奪うことはなく、抵抗しない者は捕虜として捕らえただけだったが、その悪魔将軍は抵抗しない者でも容赦なく切り捨て、命を奪ったという。

 嬉々として長剣を振るうさまは、まさしく悪魔だったと。

 そこで、スターチアはふと首を傾げた。


――どうして、急にこんな話を?


 不思議に思った彼女は、なんとはなしに目の前に浮かぶ漆黒の青年に視線を向ける。

 無言で見つめてくるスターチアに、ジェンドはフンと鼻を鳴らした。

「たいした意味はない。黒い髪や瞳をその身に持たなくとも、悪魔のような人間がいるというだけの話だ」

 おそらくだが、これは昨夜の話と繋がっているのだろう。

 黒い瞳を持って生まれたために、悪魔として周囲から恐れられたスターチアを励ますという話と。

 

――変なところで優しいというか、気を使ってくれているというか。


 本当に不思議な悪魔だ。

 言い方も態度もかなり素っ気ないが、彼はけしてスターチアを「この悪魔め! いますぐ立ち去れ!」と騒ぎ立てることはない。

 まぁ、正真正銘悪魔であるこの青年が、そのようなことを言うはずもないのだが。

 今となっては、名前を教えてくれない美貌の悪魔との会話をスターチアは楽しむようになっていた。

 相手の視線を気にせず、言葉の裏に隠された恐怖心を探るようなことをしないで済むこの時間は、いつしか彼女の気晴らしとなっていたのである。


――意識していなかったけれど、今の生活に寂しさを感じていたということなのかしら?


 自分で誰かと深く親しくならないように決めたとはいえ、友人とお茶を飲みながら語らうことも流行りの服や小物を買いに行くこともなく、ただただ毎日、畑を手入れし、乳牛や鶏の世話をし、パンを焼くという生活が寂しかったのだろうか。

 その生活に不満はなかった。

 だが、「満足しているのか?」と問われると、「そうだ」と即答できないかもしれないとスターチアは考える。

 そんなことを取りとめもなく考えていると、「話し相手に悪魔がちょうどいい」と思っている自分がおかしくなってきた。


――これじゃ、変な女と言われても仕方がないわよね。


 ヒョイと肩をすくめたスターチアは、黙々とパンを齧っている青年の姿を眺めていた。




 あっという間にとうもろこしのパンを食べ終えたジェンドは、包んでいた薄紙をクシャリと丸めてポイッと宙に放った。

「あっ、ゴミを捨てないでよ」

 とっさに手を伸ばすが、届くはずもない。

「もう、なにするの」

 たとえ小さな紙ゴミであっても、やたらに捨てられては困る。

 とはいえ、悪魔に人間としての感覚や常識を求めても、まったく無意味だろう。


――あとで拾いに行かなくちゃ。


 やれやれと小さなため息を零すスターチアの視界に、先ほどの紙ゴミが宙にフワフワと浮いている光景が映り込む。

「……え?」

 彼女はパチクリと瞬きを繰り返した。

 紙ゴミはとても軽いものだが、風が吹いていない状況で宙を漂うはずはない。

 なにより、生き物のように上がったり下がったりという動きをするはずがないのだ。

 ポカンとしている彼女の表情を見て、ジェンドがニヤリと片頬を上げた。

 丸められた紙ゴミは滑らかな動きでスターチアの目の前までやってきて、手を伸ばせば簡単に届く位置でピタリと止まった。


――な、なに?


 ジッと見つめた次の瞬間、紙ゴミがボワッと炎を上げる。

「きゃっ」

 驚いたスターチアは、思わず悲鳴を上げて仰け反った。

 気付いた時には、炎も紙ゴミも、跡形もなく消えていたのである。

「あ、あの……」

 心臓をドキドキさせながら、スターチアは漆黒の青年に視線を向けた。

 すると彼は、ふたたびニヤリと片頬を上げる。

「パンの礼だ」

「……は?」


――今の、手品みたいなことがお礼?


 ポカンとしているスターチアを見て、ジェンドが軽く噴き出す。

「お前の間抜けな顔を見ると気分がいい」

「なによ、それ」

 スターチアはすかさず言い返したものの、不愉快ではなかった。



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