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 翌朝、すっかり体調が回復したスターチアはいつものように目を覚まし、いつものように野菜と卵を収穫し、牛の乳を搾った。

 その際、彼女の表情がこれまでよりも晴れやかに見えるのは、気のせいではないだろう。

「私が聞き役だったのに、なんだかんだで、こっちが話してばかりだったかも」

 スターチアは牛に餌用の枯れ草を与えながら、苦笑を浮かべる。

 ジェンドが変に口を挟むことなかったこともあり、スターチアはこれまで心の奥底にしまっていたものを、思うまま言葉にした。

 それはきっと、相手が人間ではなく、悪魔だったからできたのだろう。

 過去、彼女が村の人たちにされてきたことは、「スターチアが悪魔かもしれない」という彼らの恐怖心によるものだった。

 そんな話を、おいそれと人には話せない。

 なにかと面倒を見てくれている優しいマールでさえ、スターチアの村で起きたことを聞いたら、彼女の黒い瞳に対して怯えを抱く可能性がある。


 その点、ジェンドはスターチアの目から見て完全に悪魔だ。

 なにより魔力を使って、人にはできないことを軽く指を動かすだけでやってのける。

 悪魔以外の何者でもないあの青年に自分の過去を話したところで、爪の先ほども動じることはないだろう。


 実際、彼はスターチアの話を聞き終えても怯える様子はなかった。


 それどころか、彼女が持つ黒い瞳は、悪魔の証とは違うと否定した。

 否定というよりも、ただ怒鳴られただけかもしれないが、おかげでスターチアの心が軽くなったのは事実である。

「悪魔も、人の役に立つのねぇ」

 ジェンドが耳にしたら激怒しそうなことを苦笑まじりに呟いたスターチアは、搾りたての牛乳が入った金属製のバケツを持ち、小屋へと戻っていった。




 朝食を済ませたスターチアは、発酵を終えたパン生地を成形し、温めたオーブンへと入れる。

 パンが焼きあがるまでの間に、乾燥させた果物や木の実を瓶に入れ、そこに洋酒を注いだ。

 きっちり蓋を締めると、その瓶を日が当たらない場所へ移動させる。

「一週間ってところかしら」

 彼女はクスッと笑い、瓶を軽くポンと叩いた。

 

 その日も無事にパンは完売し、スターチアは離れたところにあるベンチで本を読んでいるジェンに歩み寄った。

「昨日はわざわざ送ってくださって、ありがとうございました」

 馬車に乗せてもらった礼を述べると、ジェンが僅かに微笑む。

「顔色もいいし、声も戻ったようだ。こちらのお節介が役に立ったようでなにより」

 その言葉に、スターチアが首を横に振った。

「お節介だなんて、とんでもないです。私のほうこそ恩着せがましいことをして、ご迷惑をかけてしまい、すみませんでした」

 頭を下げるスターチアの様子に、ジェンが首を傾げる。

「迷惑をかけられた覚えはないんだが……」

 不思議そうにしている彼に、スターチアはオズオズと話しかけた。

「お礼だと言って、無理にパウンドケーキを押し付けたことです。お礼どころか、ご迷惑だったのではありませんか?」

 すると、今度はジェンドが首を横に振る。

「迷惑だなんて、まさか。とても美味しいパウンドケーキだった。帰ったら、残りの分もお茶と一緒にいただくつもりだ」

 フッと目を細めた彼の表情は、お世辞であるとは思えない。


――本当に? 上流階級のジェンさんに、私が作ったパウンドケーキは口に合った?


 彼の言葉を聞いてもいまいち信じられないスターチアは、曖昧な笑みを浮かべている。

 そんな彼女に、ジェンは続けて話しかけた。

「町の人たちに喜ばれているのも納得だと、感心したほどだ。嘘ではないぞ」

「い、いえ、それほどでも……」


――平民の私にも気さくに話をしてくださる人だから、食べ物についてもそれほどこだわりがないのかもしれないわね。


 渡したパウンドケーキはどうやら捨てられずに済んだと分かり、スターチアはホッと安堵の息を吐いたのだった。




 残る日課は月を眺めるだけとなったスターチアは、小屋の屋根に続く梯子を登る。

 定位置に腰を下ろすと、どこからともなく羽ばたき音が聞こえてきた。

 耳なじみのあるその音に、彼女は細い肩をヒョイとすくめる。

 

――毎晩、毎晩、よく飽きないわねぇ。暇つぶしを探す旅に出たほうが、よほど有意義だと思うんだけど。


 そう思いながらも、彼女は目の前に浮かんでいる漆黒の青年には言わない。

 提案したところで、素直に聞き入れるはずもないと分かっているのだ。

 それに、青年が他の暇つぶしを求めているなら、ここに現れることもないだろう。

 クスクスと笑っているスターチアに、不機嫌そうな声がかかる。

「なにを笑っている?」

 こういったやり取りにはすっかり慣れたスターチアは、これまでと同じく平然と答える。

「あなたが気にするほどのことではないわよ」

 すると、ジェンドがフンと鼻を鳴らした。

「別に、人間の小娘のことなど気にしていない」

 

――だったら、訊いてこなければいいのに。


 心の呟きを言葉にすることなく、スターチアは懐から薄紙に包んだものを取り出す。

「はい、これ」

 差し出されたものに、ジェンドは眉根を寄せた。

「なんだ、それは」

「あなたが、これからも私のパンを食べたい……」

 彼がギロリと睨んできたので、スターチアは苦笑を浮かべつつ言い直す。

「暇つぶしに食べてやると言ったから、用意してきたのよ」

「そうか、そうか。よく覚えていたな」

 偉そうに頷くジェンドはスッと右人差し指を動かし、スターチアが差し出した包みを宙にフワリと浮かせた。

 その包みを自分の手元に引き寄せ、礼を述べることもなく薄紙を開く。


 次の瞬間、彼の眉根がグッと寄った。


「……なんだ、これは」

 先ほどより低い声を発するジェンドに、スターチアは臆した様子もなく答える。

「とうもろこしが入ったパンよ」

 昨日と同じ胚芽パンを持ってくるのは芸がないし、彼も喜ばないだろうと考えたスターチアは、食通のアディスが気に入っているパンを持参したのである。

「噛むほどに、とうもろこしの甘みが口いっぱいに広がるの。胚芽パンよりもしっかりと味が付いているから、きっと美味しいわよ」

 ニコリと笑う彼女に対し、ジェンドはふたたび鼻を鳴らす。

「お前は、やはり馬鹿だな」

 低い声を発した彼の様子に、スターチアはパチリと瞬きをした。

「どうして、そんなことを言うのよ。人の食べ物は、なんでも平気なんでしょう?」

 平気どころか、毒さえも無効化できると言ったのは、この青年本人である。

 不機嫌を露わにしている理由が分からず、スターチアはもう一度瞬きをする。

 そんな彼女に、ジェンドはビシリと人差し指を突き付けた。

「お前がどんなパンが食いたいのか訊いて、俺はパウンドケーキと答えた。なのに、どうしてそれを持ってこないんだ!?」


――もしかして、期待が外れたから怒っているの?


 想像もつかないほど長い時を生きているという悪魔の青年が、他愛もないことで子供のように癇癪を起している。

 それがとにかくおかしくて、スターチアは笑いを堪えるのに必死だった。


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