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 ジェンドが右人差し指でスッと小さな円を描くと、スターチアが手にしているパンがフワリと浮き上がった。


――どういうこと!?


 驚く彼女をよそに、パンはゆったりと宙を漂う。

 ほどなくして、薄紙に包まれたパンは青年の手に収まった。

「あ、あの……、今のは?」

 戸惑いの表情を張り付けたスターチアが、オズオズと問いかける。

 すると、ジェンドはニヤリと片頬を上げた。

「お前の間抜けな顔は、最高に面白い」

「……まさか、私を驚かせるために?」


――それで、わざわざ魔力を使ったっていうの?


 彼女の問いかけには答えないが、ジェンドはさらに片頬を上げる。

 その表情が、答えだとすぐに分かった。

 なんとも馬鹿馬鹿しい魔力の使い方だと、スターチアは呆れた。

 しかし、それが悪魔だ。

 気まぐれで、自分勝手で、特にここにいる漆黒の青年は、常に暇つぶしを探している。

 そんな青年に、スターチアは腹が立つよりもとにかく呆れた。


――驚かせて面白がるなんて、小さな子供みたい。


 聞いた話では、この青年は人間の寿命をはるかに超える年月を生きてきたということだ。

 なのに、中身はまるで子供ではないか。

 そんな相手に腹を立てるほうが余計に馬鹿馬鹿しく思え、スターチアはヒョイと肩をすくめる。


――まぁ、いいわ。タダで手品を見せてもらえたようなものよ。


 街中にある芝居小屋では、定期的に手品の見世物が行われていた。

 だが、見物料はけして安くない。

 それもそのはず。そのたぐいの見世物は、貴族の娯楽として披露されているるからだ。

 スターチアは生活に困っていないものの、パンの材料費に換算しておよそ十日分の金額を一時間程度の見世物のためには使えなかった。

 ひどく驚かされたが、目の前で珍しいものを見ることができたのは運がいい。

 スターチアはこれ以上考えることをやめた。


 一方、ジェンドは薄紙を開き、マジマジとパンを見つめていた。

「……なんだ、これは」

 形のいい眉を寄せ、不機嫌そうにボソリと呟く。

「なにって……、パンよ。私が焼いた、胚芽入りのパン。周りはパリッとしていて、中はフンワリしているの。胚芽の香ばしさが存分に味わえるわよ」

 彼女の手の平と比べ一回りほど小さい薄茶色のパンを、スターチアはそう説明した。


 すると、なぜかジェンドはパンを見つめたまま黙りこんでしまう。


 説明が足りなかったのかと思い、スターチアがふたたび話し始める。

「シチューに浸けて食べたり焼いた肉を挟んだりするものだから、中にはなにも入っていないわ。だけど、じっくり噛み締めたら、素朴な甘みが感じられるの。飽きが来なくて、私も気に入っているのよ。それにね、こういう簡素なパンほど、意外と手間がかかっているものなの。生地をこねる時は力がいるし、形を整えるにもコツがいるわ」

 丁寧な説明にもかかわらず、ジェンドは怪訝な表情で手の中のパンを見つめていた。


――ええと、どうしたのかしら?


 胚芽パンについて、これ以上は説明のしようがない。

 それに、いきなり『パンを食べさせろ』と言ってきたのは、漆黒をまとった青年である。

 なのにこのような反応を見せられ、スターチアのほうが不機嫌になりそうだ。

 若干ムッとしている彼女の耳に、青年の呟きが届く。


「…………なんでアイツには立派なパウンドケーキで、俺には質素極まりない胚芽パンなんだ?」


 ただ、その呟きはあまりに小さなものだったため、ほとんど聞き取れなかった。

「あ、あの、今……」

 スターチアが問い掛けようとした瞬間、漆黒の翼がバサリと音を立てる。

 ふいに風が巻き起こり、スターチアの髪が乱れた。


――いったい、なんなの?

 

 慌てて髪を整えながら、スターチアは口を開いた。

「ねえ、今、なにか言ったかしら?」

「なにも言ってない!」

 ジェンドは吠えるように答えると、胚芽パンにガブリと噛り付いたのだった。




――本当に、なんなのかしら。


 スターチアは首を傾げつつ、悪魔の青年の様子を窺っている。

 そんな彼女の前で、ジェンドはまた一口パンに噛り付く。

 数回咀嚼してゴクリと呑み込んだのち、フンと鼻を鳴らした。

「まぁ、悪くない」

 非常に素っ気ない言い方だが、罵詈雑言が飛び出さなかったということは、意外と気に入ったのかもしれないと、スターチアは判断する。


――悪魔って、そういうものなのよね。


 ズレた肩掛けの合わせ目に視線を落とし、ふたたび顔を上げた彼女の視線の先には、もう胚芽パンはなかった。

 捨てた様子もないので、綺麗に食べ切ったらしい。

 スターチアはなんとなく笑ってしまった。




 あっという間に胚芽パンを食べ終えたジェンドは、パンパンと両手を叩いている。

 それはスターチアに対する称賛ではなく、単に手に付いたパンくずを払っているだけなのだろう。

 特に気にした様子もない彼女は、月へと視線を動かした。

 そんなスターチアに、ジェンドが話しかけてくる。

「今後もお前のパンを食ってやる」

「……え?」

 意外なことを告げられ、スターチアは思わず視線を漆黒の青年へと戻した。

 二の句を告げないでいる彼女に、ジェンドはさらに言葉を続ける。

「この俺様が食ってやると言ったんだ、光栄に思え」

 

――そんな言い方をされると、少しも光栄に思えないんだけど。


 スターチアは敢えて言葉にしなかったが、表情に現れてしまったらしい。

 ジェンドは面白くなさそうに、フンと鼻を鳴らした。

「なんだ、その顔は」

「別に、なんでもないわ。空腹を感じないあなたがパンを食べたいって言ったから、少し驚いてしまっただけよ」

 スターチアの言葉に、ジェンドはまた鼻を鳴らす。

「俺は食べたいなんて言っていない。暇つぶしに食ってやると言っただけだ」

 青年がどんなに偉そうに言ってきても、スターチアには素直になれない子供が遠回しにねだっているようにしか聞こえない。


――やっぱり、中身が見た目と合ってないわ。


 スターチアはこっそり笑みを零した。


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