(39)
不本意ながらも、悪魔青年の話し相手をすることになってしまったスターチアは、深々とため息を吐く。
――いったい、どんな話をしたらいいのかしら?
スターチアは基本的に人付き合いを避けているので、世の中の流行り廃りに疎い。また、農村部では、広く深く知識を得る機会がなかった。
そんな自分に、興味を掻き立てるような話のネタを披露できるだろうか。
と、考えたところで、彼女はハッと我に返る。
――私は望んで相手をするわけじゃないもの。別に、つまらない話でもいいんだわ。それこそ、「馬鹿馬鹿しい」と言って、帰ってくれるかもしれない。
ある意味開き直ったスターチアは、静かに口を開く。
「ところで、あなたのお名前は?」
どうしても知りたいと思ってはいないが、この悪魔の名前を聞いていなかったことを、先ほど思い出したのである。
人の社会では、まず自分が名乗る、あるいは相手に名前を尋ねるといったところから、会話が始まる場合が多い。
悪魔と人間の感性や常識はかなり違うものの、他に適当な話題がスターチアには思いつかなかったのである。
――また、笑われるかしら?
『愚かな人間は、やはりその程度か』
そう言いながら、おかしそうに鼻を鳴らしそうである。
ところが、スターチアの予想に反して、ジェンドの顔が曇った。
それは不機嫌というよりは、気まずいと言った感じだろうか。
スターチアの目には、そのように見えた。
不思議に思っていると、悪魔の青年がボソリと答える。
「……訊いてどうする? ここには俺とお前しかいないんだ。わざわざ名前を呼んで、誰かと区別する必要はないだろ」
「そうなんだけど。あなたは私の名前を知っているのに、私はあなたの名前を知らないなんて、ちょっとずるいじゃない」
スターチアの言葉に、ジェンドがまたボソリと答える。
「……愚かな人間どもにおいそれと教えてやれないほど、俺の名前は高貴なものだからな」
どうやら答える気はなさそうだと、スターチアは察した。
ならば、こちらとしても追究するつもりはない。しょせん、会話のとっかかりにとして切り出しただけなのだ。
「あら、そう」
一言だけ返し、スターチアは名前を尋ねる素振りはそれ以上しなかった。
すると、そんな彼女の態度に、今度は明らかに不機嫌だと分かる表情を青年が浮かべる。
「なんだ、その気の抜けた返事は」
――なによ、その言いぐさは。私のほうが機嫌悪くなりそうよ。
話し相手になれと言われたから、スターチアなりに考えて切り出したのに、当の本人は会話を続けるつもりがなさそうではないか。
おまけにそんなことを言い返されては、少々腹が立つのも当然だろう。
「だって、田舎で育った私には、貴族ってものがよく分からないのよ。平民なんかより、よほど偉い地位だというくらいは分かるけど」
素っ気なく言い返すと、なぜかジェンドは深く頷いた。
「ああ、そうだとも。本来なら、俺のような魔界の貴族は、人間と話をすることさえしない。それほどまでに、魔界での俺の地位は高いからな」
青年の機嫌が、それとなく上向きになる。
その様子を見て、スターチアはこっそりため息を零す。
――本当に、悪魔って掴みにくい性格をしているわね。名前を訊かれるのは嫌がるのに、身分が高いことをちょっと褒めただけで機嫌が直るなんて。
正直なところ面倒で仕方がないが、ここで会話を終わらせると、変にこじれるだろう。
スターチアは呆れながらも口を開いた。
「なのに、愚かで矮小な礼儀知らずの人間である私とは話してくれるの? しかも、初めて会った日から、毎日」
彼女の問いかけに、ふたたび青年が気まずそうな表情を浮かべる。
「それは、だから……、暇つぶしだと言っただろ」
少し困ったようなその言い方は、スターチアにある人物を思い起こさせる。色彩も髪の長さもまったく違う貴族の青年を。
――似ていると思うのは、ジェンさんに失礼かしら。あの人も多少掴みにくいところがあるけど、この悪魔よりはきちんと会話になっているものね。ジェンさんのほうが、はるかにまともだわ。
そんなことを心の中で呟きながら、スターチアは次の話題を探すことにした。
しばらく悩んでいるうちに、スターチアはふと青年の背後に視線を移した。
「ねぇ、背中を見せてもらえないかしら」
すると、形のいい眉の片方がヒョイと上がる。
「なんのためだ?」
「あなたの翼がどうなっているのか、すごく気になって。その服には、翼を出す穴が開いていたりする?」
彼女の問に、改めて形のいい眉がヒョイと上がる。
「これは、俺の背中から直接生えているわけじゃない」
「……え?」
――どういうこと?
スターチアの頭の中では、疑問符が盛大に駆け巡った。
これまで悪魔の存在は絵本や小説の挿絵でしか見たことがなく、いくつもの挿絵には悪魔の後ろ姿を描いたものはなかった。
それに比べ、天使の挿絵は全身を描いたものが多く、正面や横からの視点はもちろん、背後からの視点のものもあった。
天使の衣服は背中にある翼を邪魔しない意匠のもので、おかげで翼の付け根を描いた挿絵も目にしたことがある。
スターチアが見た限りでは、天使の翼は肩甲骨の辺りから直接生えていた。
彼女だけではなく、人間にとって、悪魔も天使も想像上の生命体で、纏う色彩こそ違うものの、大まかな造りは同じだろうという認識だったのだ。
そのため、自在に動く漆黒の翼が背中からは生えていないと聞かされ、スターチアは盛大に首を傾げたのである。
唖然としている彼女に、ジェンドが数回、翼を動かしてみせる。
「魔力で具現化しているだけだ」
「具現化?」
聞き慣れない言葉に、スターチアはさらに首を傾げた。
そんな彼女の目の前で、ジェンドがクルリと向きを変え、自身の背後を見せる。
「俺の翼に興味を持つとは、小娘にしては目の付け所がいい。よし。特別に、近くで見ることを許してやる」
――別に、許してくれなくてもいいけど。
そう思うものの、気になっていたのは確かである。
スターチアは落ちない程度に、青年へと身を乗り出した。




