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(34)

 碧眼の青年自身が言った通り、翌日からさっそく公園でパンを売るスターチアの視界に入るベンチに座るようになった。

 顔見知りでもなんでもない人にそこまでしてもらうことがどうにも申し訳なくて、閉店作業を終えたスターチアは改めて断りを入れる。

 ところが青年は昨日と同様に、やんわりとした雰囲気ながらも自分の調子で話を進めていった。

 結局、今後も青年による見守りは続くことになったのである。


――本当に、不思議な人よね。


 乗合馬車の停留所へと向かいながら、スターチアは先ほどのことを振り返る。

 ちっとも偉ぶってないし、多少強引なところはあるものの、貴族――これは、あくまで予想だが――とは思えないほど気さくな青年だ。

 そこで、彼女はあることに気付く。


――そういえば、身分どころか、名前も伺ってなかったわ。


 そういったことを知らなくても、話が進んでいった――というより、言葉巧みな彼にいつの間にか進められてしまったという感じが強いけれど――ので、不都合はなかったのである。

 それでも、さすがに名前くらいは、尋ねておくべきだったかもしれないとスターチアは考える。

 明日顔を合わせることになったら、失礼にならない程度にいくつか訊いてみようと思っていたら、正面にアディスの姿があった。

「こんにちは、アディス様」

「やぁ、スターチア。元気かな?」

 穏やかな微笑みを浮かべるアディスに、彼女は大きく頷き返す。

「はい、おかげさまで」

 今のところ、三度目の被害には遭っていない。

 また、行きも帰りも無事に歩けているということは、保安部はもちろん、アディスがそれなりの警備をしてくれているからだろう。


――もしかして、あの人は保安部かアディス様の知り合い?


 だから、なんだかんだと言って、あのベンチで見守ってくれているのだろうか。

 それにしては、アディスからなんの説明もないのはおかしい。

 

――私が遠慮するから、アディス様はあえて説明をしてこないのかしら。


 それもありそうだとスターチアは納得し、青年についてアディスに尋ねることをやめた。 

 せっかくの配慮を、無駄にしては失礼だ。

 仮に、あの青年が保安部や軍と関係なかったとしても、スターチアにとってなにがあるということもない。

 そもそも、嫌な臭いをまき散らした犯人の関係者であるなら、アディスたち軍部が見逃すはずもないのだ。

 なんにせよ、パンを売る邪魔をしてこないなら、スターチアにとってそれほど気にする存在ではなかった。




 その翌日も、スターチアがパンの販売を始めて少し経った頃、青年が分厚い本を片手に現れた。

 彼はスターチアがいる二つ隣のベンチに腰を掛け、ゆっくりと本を読んでいる。

 女性客たちは目を奪うような美貌を持った青年の登場にうっすらと頬を染め、ヒソヒソと囁き合っていた。

 その様子に、スターチアがこっそり苦笑を零す。


――まぁ、あれだけ顔が整っていたら、気になるものよね。


 スターチアの目にも、彼は文句なしの美青年に映っている。

 だが、それだけだ。

 頬を染めることも、胸をときめかせることもなかった。


――こういうところも、私は普通じゃないのね。


 だからこそ、漆黒をまとった悪魔の青年に興味を持たれてしまうのかもしれない。

 自分は『人として普通ではない』からこそ、気まぐれな悪魔の暇つぶし相手にちょうどいいということか。


――それって、けっこう迷惑なことよね。


 スターチアは客に気付かれないよう、ため息を零した。

 家族や恋人、親友がいた頃の彼女は、今よりはるかに感情豊かであった。

 彼らを失った後は、確かに感情の起伏が乏しくなったとも言える。

 しかし、立て続けに大事な存在を失い、村での居場所を失った彼女にとって、それは仕方がないことだ。

 村を出てからのスターチアの言動や感覚は、意識して形成した性格ではない。

 そこが面白いと言われたら、彼女にはどうしようもなかった。


――どうしようもないなら、こちらが放っておくしかないわね。

 

 碧眼の青年以上に、漆黒の青年はスターチアの話を聞かないので、相手にしないことが一番の得策であるはず。

 向こうが勝手にこちらをからかってくるなら、自分が勝手に相手を無視すればいい。

 それに、自分は自宅の屋根に上って月を見ているだけであり、誰にも迷惑をかけていなかった。

 そこに突如として勝手に現れて、言いたい放題してくる悪魔を無視したところで、誰が彼女を責めるだろうか。


――ええ、そうよ。そうだわ。相手にするべきではないのよ。


 スターチアは改めて心の中で呟いた。




 本日分を無事に売りさばき、スターチアは使っていたベンチの上を片付ける。

 碧眼の青年はこちらをチラリとも見ることはなかったが、一度も移動することはなかった。

 彼女がパンを買いに来た客たちを相手にしている間、真剣な表情で本を読んでいた様子は、スターチアの視界の端にずっと映っていた。

 今もスターチアのことを特に気にしている様子もなく、彼は黙々と本を読んでいる。

 そんな青年を、スターチアはソッと窺っていた。

 いつ見ても彼の身なりはとても品がよく、物腰や服装から察するに、予想通り上層の身分だろう。

 たいていの人が労働に勤しむ日中でも、あのように数時間のんびりと本を読んでいられるのだから、

あくせく働く必要などない、お金に余裕のある貴族としか思えない。

 

――顔の広いマールさんでも知らないなんて、少し怪しい気もするけど。


 買い物を終えたマールにこっそり尋ねてみたものの、「この辺りじゃ、見ない顔だねぇ」という答えが返ってきたのだ。

 ただ、それ以上なにも言ってこないところを見ると、マールにはあの青年が危険人な物だと感じられなかったのだろう。

 それが分かっただけでも、スターチアはホッとしたのだった。

 





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