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 落ち着いたところで、スターチアは青年の言動を振り返る。

 彼は迷惑を掛けられていないと言ったが、用がないとは言っていなかった。

 事情が分からないまま視線を向けられるのは居心地が悪いため、スターチアとしてはいい加減はっきりさせたかった。

 ゴクリと息を呑み、彼女は口を開く。

「それなら、どうして私を見ていたのでしょうか? もしかして……」

 スターチアはわざと一呼吸置いて、率直に問いかけた。


「あなたは、私を恨んでいるのかしら?」


 そう問いかけたところ、すぐさま冷静な答えが返って来た。

「違う」

 いっさい動揺のないこの反応からして、彼の言葉は真実なのだろう。

 スターチアは自分の勘違いにうっすらと頬を染め、慌てて頭を下げた。

「それは、大変失礼いたしました。先日、知り合いから妙な噂を聞いたものですから、過敏になっておりまして」

 ふたたび頭を下げたスターチアは、そそくさと立ち去ろうと踵を返す。

 そこで、後ろから伸びてきた手が、彼女が持つ籠の持ち手をがっしり掴んだ。

 いきなり引き留められたことに驚いた彼女は、パッと振り返る。

 すると、自分を見つめている青い瞳と視線がぶつかった。

「物騒な話だな。少し聞かせてもらえないか」

「え? え?」

 唖然とするスターチアをよそに、青年は籠の持ち手をグッと引く。

 それにつられるようにして、スターチアは青年の隣に腰を下ろすことになった。




 初めて言葉を交わした貴族の青年の態度に、スターチアは困惑するばかりだ。

 彼女が知っている貴族は気位が高く、庶民など歯牙にもかけない者が多いからである。


――なんのために、話が聞きたいのかしら?


 それを聞いて、彼になんの得があるのか。

 そもそも、彼はいったい誰なのだろうか。


 聞きたいことは色々あるけれど、下手なことを口にして、貴族を怒らせたくはない。

 

――でも、貴族と決まったわけではないのよね。


 身なりが整っていること、漂う雰囲気が上品であることから、スターチアは勝手に彼のことを貴族だと思っているだけだ。

 あれこれと考えている彼女に、青年が声をかけてくる。

「では、話を聞かせてくれ」

「あの……、本当に訊きたいのですか?」

 オズオズと問いかけるスターチアに、青年は片眉を僅かに上げた。

「なにか、話せない理由でも?」

 あまりにも顔立ちが整っているので、傍からすると、たったそれだけのしぐさでも迫力がある。

 とはいえ、彼女はここ最近、何度も不機嫌さをありありとまき散らす美貌の悪魔青年と顔を合わせてきたのだ。

 それに見慣れているせいか、この貴族青年の表情に圧倒されることはない。

 小さく息を吸ったスターチアは、「あくまで、噂ですけど。くだらない話でも、怒らないでいただけるとありがたいです」と、前置きしてから話し出した。


 パンを販売している自分を妬んでいる人がいること。

 その人は、それなりに権力を持っているということ。

 どうやら、貴族らしいということ。


 状況はそれなりに深刻なのだが、スターチアは坦々としていた。

 考えれば考えるほど、自分のような田舎出身の小娘に、本気で嫌がらせをしてくる人がいるということは考えられない。

 アディスもマールも気を付けろと言ってくるけれど、嫌がらせは一過性のものだろう。

 また、これは誰にも言えないことだが、万が一にも事件に巻き込まれ、生命に関わる大怪我を負って……ということが、脳裏をかすめたのは一度や二度ではない。

 自ら命を絶つことができないスターチアにしてみたら、誰かに命を奪われでもしない限り、寿命よりも早く、あの世に行くことはできないのだ。

 そんな彼女だからこそ、開き直ってしまうと、恐怖を感じなくなっていた。 


 あまり深刻そうには見えないスターチアの様子に、青年はふたたび片眉を上げる。

「あなたのパンの評判は、自分で思っているよりもいいと考えるべきだ。そこかしこで、あなたの作るパンは美味しいと耳にする。それに、貴族だからこそ、タチの悪い企みを巡らせる厄介な者もいる」

 静かな口調の中に、心配している雰囲気が感じられた。 

 見ず知らずのパン売りを、なぜ、この人が心配するのかと、スターチアの中ではさらなる疑問が生まれた。


 ただ、訊いたところで、たいした意味はないだろう。

 心配していると言われても信用できないし、心配していないと言われたら、そうだろうと納得するだけである。


 スターチアは一言、「そうでしょうか」とだけ返した。

 相変わらず深刻そうには見えない彼女の様子に、青年の表情が曇る。

 それを見て、スターチアは少し慌てる。

 わざわざ心配してくれているのだ。無下にするような態度を見せたら、それこそ厄介な口出しが始まるかもしれない。

「ご忠告、ありがとうございます。十分、用心いたしますので」

 僅かに微笑む彼女を、青年がジッと見据える。

「用心で済む話か?」

「ですが、噂はあくまでも噂です。貴族にやっかまれるほど、私が作るパンは売り上げがありません。一般市民の私からパンを販売する場所を奪って、いったい、誰がどのように得をするのでしょうか。それと、私には用心する以外、対処のしようがありませんから」

 保安部と軍が見回りを強化していることは聞いている。

 この先にも同様のことが発生するかもしれないが、しょせん嫌がらせだ。連続殺人犯が逃走を続けているのではないのだ。

 苦笑を浮かべてゆったりと話すスターチアに、青年はなおも話しかける。

「今はいたずらで済んでいるが、今後もそうとは限らない。特にあなたは、店舗を持っていない。

店や機材を壊すことができないなら、あなた自身が狙われる可能性もあるのでは?」


――ずいぶんと、お節介な人ね。


 スターチアが作ったパンを買いに来る客でもないし、そもそも、話をしたのはこれが初めてだ。

 なのに、スターチアの身の安全を気に掛けている。

 いつもなら、そういったお節介に少々気が引けてしまう彼女だが、なぜかこの青年の気遣いはあまり負担に感じなかった。

 なんだかおかしくなって、スターチアはフフッと小さく笑ってしまう。

「その時は、運が悪かったと諦めるしかありませんね」


――私には、死を嘆いてくれる身内はいないもの。気楽なものだわ。


 常連客は悲しんでくれるだろうが、しょせん他人だ。

 家族、恋人、親友ほど、悲しみを引きずらないはずである。

 軽い調子で告げると、青年の眉間にグッと深いシワが刻まれた。

「そんな悲しい瞳で、笑わないでくれ」

 まるで懇願にも聞こえる口調に、スターチアはなにも言い返せなかった。


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