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 不安そうにしているスターチアには申し訳ないが、下手に安心させてしまうと、かえってあだになることがある。

 アディスは真面目な顔で話を続けた。

「犯人が一人ではないとしたら、今後もこの公園や他のパン屋が狙われると踏んでいる。それと、犯人たちの背後には、取りまとめている人物がいるだろう。一連の事件は、その辺のゴロツキたちが気まぐれにできるようなことではない」

 事件が解決していない上に、単純な事件ではないと聞かされ、密かに安堵していたスターチアの気持ちがシュルリと萎んだ。

「そうなんですね……」

 力なく俯く彼女の左肩に、アディスの右手が乗る。

「軍部もこれまで以上に犯人逮捕に力を入れるし、見回りも強化する。だから、やたらと怖がらなくていい」

 今や、軍内部にスターチアの作るパンを応援している者たちは多い。アディスがいちいち命令しなくとも、彼らは犯人逮捕のために動いてくれるだろう。

 ようやくアディスの表情が柔らかなものに変わると、スターチアも表情を緩めた。

 ただ、アディスの目だけは、いまだに真剣だ。

「今も取り調べを行っているが、どれだけ有力な情報を聞き出せるかは分からない。だから、完全に解決するまでは、念のために用心を怠らないでくれ」

 アディスは努めて落ち着いた声でスターチアに話しかけているものの、内心では焦っていた。

 あれから徹底的にホースキン男爵の周辺を探っているが、事件に繋がるそれらしい動きを一切見せないのである。

 また、怪し気な人物と接触しているという報告もない。

 これまでの調査結果と軍人としての勘から、ホースキン男爵が裏で動いていることは、ほぼ間違いないと分かっている。

 だが、いまだに決定打がないのだ。

 

――早いうちに、なんとかしなくては。一人を捕まえたことで、かえって事態が悪化しないといいのだが……。


 アディスは不安を顔に出さないように気を付け、心の中でそう呟く。

 これまでの傾向を見て、ホースキンがスターチアを狙っているのだと考えている。

 町中のパン屋を襲撃したのは、本来の目的を誤魔化すためだろう。

 その証拠に、二度も狙われたのは、スターチアが使っているベンチだけだ。

 また、慰霊祭でのホースキン男爵の行動――やたらにスターチアを睨んでいたこと、手紙のようなものを男爵の部下がスターチアの屋台に忍ばせたことだ――は、部下から報告を受けていた。 

 犯人逮捕を受け、ホースキン男爵こそ、焦っているかもしれない。それゆえ、今後、躍起になってスターチアを潰しにかかることも予想できる。

 それを回避するために、ホースキン男爵が出資しているパン屋にアディスが出向き、商品を褒めるというのは、有効な方法かもしれない。

 しかし、それでは根本の解決にはならないだろう。

 それに、アディスは自分の口に合わないものを、わざとらしく褒めることをしたくなかった。

 彼としては、かつての恩人の孫に被害が及ばないように十分気を配るつもりだ。

 とはいえ、年若い女性であるスターチアに軍人が張り付いての警護は非常に難しい。

 彼女の身の安全を図ることは重要だが、彼女に精神的な負担を与える訳にはいかないのだ。

 アディスはソッとため息を零し、 犯人逮捕に向けての決意を改めて固めた。




 部下が呼びに来たことで、アディスは公園を後にした。

 片付けを終えたスターチアもそろそろ帰ろうかと、出入り口へと向かって歩き出す。

 その時、なにかが彼女の視界の端に映った。

 スターチアはふいに足を止め、辺りを窺う。

 すると、見慣れない人物が目に入った。

 彼女がパンの販売で使用しているベンチからだいぶ離れたところに、男性が一人座っていた。

 そよ風に吹かれて柔らかく揺れている髪は、濃い金色。

 纏っている服はとても上品で、貴族を思わせる。

 座っていても長身だと分かるその人物は、スターチアよりいくぶん年上と思われる若い男性だった。


――初めて見る人だわ。


 この公園は出入りが自由で、見慣れない人がやってくることもよくあることだ。

 それでも、貴族らしき人物がこういった街中の小さな公園にやってくるのは、普通ではありえなかった。

 だからこそ、スターチアの目に留まったのである。

 その青年はゆったりとベンチの背に凭れ、膝の上に広げた本を読んでいた。

 彼は周りで子供たちが遊んでいようと気にしていないようで、不機嫌そうに本から視線を上げることはない。

 すべての貴族が庶民を見下しているのではないだろうし、青年はむしろ貴族が来ない場所で息抜きをしたいのかもしれないと、スターチアは考えた。


――人の迷惑になることさえしなかったら、誰が来てもいいものだし。


 風変わりな青年のことが少しばかり気になったものの、スターチアは特になにをするでもなく、公園を出ていった。




 それからというもの、スターチアは公園にやってくるたびに、必ずあの青年の姿を目にするようになっていた。

 青年は彼女が現れる前には、すでにベンチに腰を掛け、本を読んでいる。

 そして、スターチアがパンの販売を終えて公園を出ても、まだ座っているのだ。

 不思議に思いながらも、なにかをされたことも、されそうな様子もないため、スターチアはあまり気

にしないようにしていた。

 あれから四日経った今日も視界の端に青年の姿を捉えながら、スターチアはパンの販売を行う。


 しばらくして常連客が帰ったところで、アディスが現れた。

「アディス様、こんにちは」

 スターチアの呼びかけに、彼は目を細める。

「なにか、変わりはないかい?」

 アディスは彼女と顔を合わせるたび、こうやって様子を尋ねている。

「はい、今のところはなにも。嫌がらせも、収まっているようですし」

 スターチアは静かに微笑み、真新しいベンチの背をソッと手で撫でた。

 彼女が言うように、以前のような悪臭騒ぎは一切起こっていない。

 しかしながら、例のごとくアディスの表情は曇っている。

「そうか。だが、用心は続けるんだぞ。それと、少しでも異変に気付いたら、すぐに教えてくれ」

「いつもお気遣いくださいまして、ありがとうございます」

 それから他愛のない話をいくつか交わし、アディスはパンを購入して公園を後にした。


 公園を出たアディスに、スッと男性が歩み寄ってくる。スターチアを警護している部下のうちの一人だ。

「どうだ?」

 アディスが足を止めずに穏やかな口調で話しかけると、部下も調子を合わせ、まるで世間話でもしているような何気ない顔つきで口を開く。

「販売中に、不審な人物は見かけませんでした」

「そうか……」

 アディスは小さな呟きを返した。


――ホースキン男爵がスターチアへの嫌がらせをやめたのは、逮捕した男が口を割ることを恐れてのことか? 警戒して、ひとまず大人しくしているのだろうか。


 そこでアディスは、午前中に取り調べを受けていた男を脳裏に描く。

 本来なら、取り調べはアディスの仕事ではないのだが、いっこうに口を割らない犯人に対し、部下が彼に助けを求めたのである。

 アディスとしても強く事件解決を望んでいたため、取り調べに当たったのだが……。

 スターチアへの嫌がらせをしていた男は、自分がどうしてあの場所にいたのか、なにをしていたのか、まったく記憶がないという。

 見え透いた嘘を吐かずに真実を話せと厳しく追及するが、その男はなにも覚えていないの一点張りである。

 ホースキン男爵に繋がる糸口が掴めたと思いきや、事態はいっこうに進展していなかった。

 


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