(22)
翌日、焼き立てパンを籠いっぱいに詰めたスターチアが公園にやってくると、彼女が利用しているベンチの周辺に、やたらと人だかりができていた。
今まで以上に人が集まっていたので、彼女は不思議そうに首を傾げる。
――あのベンチに、なにかあったのかしら?
猫の親子がくつろいでいるのだろうか。
それとも、絵描きが似顔絵でも披露しているのだろうか。
しきりに首を傾げている彼女の姿に、集団の中の一人が気付いた。
「あっ」
その声に反応して、ベンチの周辺にいた人たちが一斉にスターチアに視線を向ける。
――な、なにかしら……。
突然いくつもの視線が集中したことでスターチアがビクリと肩を跳ね上げると、人だかりの中からマールがヒョコッと顔をのぞかせた。
「ああ、スターチア。待ってたよ」
人好きのする笑顔を浮かべて、マールが小走りでやってくる。
「こ、こんにちは、マールさん。あの、いったいなにが起きているんですか?」
戸惑いも露わに尋ねる彼女に、マールは肉の厚い手でバンバンとスターチアの細い肩を叩いた。
「みんな、あんたのパンを買いに来てくれたお客さんだよ」
「えっ? あんなにたくさんの方が?」
ザッと見ただけでも、普段の三倍はいるだろうか。
どうしてそんなことになったのか分からず、スターチアはさらに戸惑いを深めた。
すると、マールがふたたびスターチアの肩を叩く。
「慰霊祭で、大評判だったじゃないか。それで、スターチアがここでパンを売ってるって聞きつけた人たちが、こうして押し寄せたってわけさ」
「そうだったんですか?」
驚くスターチアだったが、同時に申し訳なさを感じる。
評判がよかったのは、焼いた牛肉があったからこそだ。
それに、軍関係者の後押しがあったのも大きいだろう。
けして、スターチアの手腕によるものではない。
スターチアは、マールにこっそり話しかける。
「用意してきたパンは慰霊祭でお出ししたものとは違いますので、がっかりされないといいのですが。こんなことになるなんて、思ってもいなかったものですから」
戸惑いがちに告げるスターチアに対し、マールはニカッと笑いかける。
「スターチアのパンの味は、アディス様のお墨付きじゃないか。常連客だって、しっかりついている。心配しなさんな。それより、お客さんをあまり待たせるんじゃないよ」
そう言ってマールはスターチアの後ろに回ると、彼女の背中をグイグイと押しやる。
戸惑いから立ち直っていないスターチアだが、押されるままに足を進めてベンチの前までやってきた。
「お、お待たせ、しました……」
スターチアが声をかけると、集団が二つに割れる。
その間をオズオズと進み、スターチアはいつもと同じく開店の準備を始めた。
そんな彼女の様子や籠の中のパンを、皆が興味津々で見ているのが伝わってくる。
――期待外れだって言われたら、どうしたらいいの?
食の好みは人それぞれだから、自信を持って作ったパンでも口に合わないと言われるのも仕方がないと思っている。
それでも、期待に満ちた視線を浴びると、スターチアの戸惑いはどんどん膨らんでいった。
程なくして準備が終わり、スターチアは人だかりに向き合う。
緊張しながら、彼女は口を開いた。
「あの……、今日、用意してきたパンは、慰霊祭でお出ししたものとはまったく違います。香ばしく焼けた牛肉もありません。それでも、よろしいでしょうか?」
恐る恐る切り出したスターチアに、集まった人たちはニッコリと笑う。
「たしかにあの肉も美味しかったけど、私はあの素朴なパンの味が気に入ったのよ」
「そうだ、そうだ。食べると、ホッとする味だった」
「飽きがこなくて、毎日でも食べたいって思ったわ」
がっかりされるのではないかと身構えていたスターチアだったが、予想外の温かい反応に目を丸くした。
すると、マールが彼女の肩にでっぷりとした腕を回す。
「ほら、私が言った通りじゃないか。スターチアのパンは、本当に美味しいからねぇ」
照れくさくなったスターチアははにかんだ笑みを浮かべ、「ありがとうございます」と、小さな声で返した。
その後、なんとか戸惑いから立ち直ったスターチアは、マールや常連客の手を借りて、パンを売りさばいていく。
こんなことになっているとは思っていなかったため、用意してきたパンの数はいつも通りだ。これでは、あっという間に売り切れてしまうだろう。
せっかく足を運んでくれた客たちを手ぶらで帰すのは忍びなく、今日に限り、一人二個までの購入とさせてもらった。
それでも、文句を言う客はおらず、口々に「美味しそうだ」と言って、笑顔で帰っていった。
普段よりもだいぶ早い時間に完売し、スターチアは手伝ってくれたマールたちに頭を下げる。
「お陰様で、無事に売れました」
「いやいや、大盛況でなによりだよ」
「スターチアが作ったパンを喜んでもらうと、自分のことのように嬉しいねぇ」
常連客達と言葉を交わしていたら、アディスがゆったりとした足取りでやってきた。
「おや? 今日はもう店じまいかな?」
「アディス様、すみません。一応、いつも買ってくださるとうもろこしのパンは確保してありますが……」
スターチアは頭を下げて事情を説明すると、アディスはフッと口角を上げる。
「パン屋としての腕前を認められて、なによりじゃないか。よかった、よかった。君の祖父殿も、さぞ誇らしいと思っているだろう」
「いえ、私なんて、まだまだ未熟者ですから」
アディスの言葉にはにかんでいたら、マールがスターチアの薄い背中をバンと肉厚な手の平で叩いた。
「まったく、なに言ってんだい。あれだけお客さんが喜んで買って行ったんだ、もっと自信を持っていいんだよ」
その言葉に、アディスや常連客達が頷いている。
スターチアはまたしても照れくさくなって、さらにはにかんだ笑みを浮かべた。
「今日は慰霊祭のこともあって足を運んでくださいましたけど、明日からはどうなることか分かりません。でも、一生懸命頑張ります」
規模を広げるつもりはないが、食べてくれた人に美味しいと言ってもらえることは、やはり嬉しい。
スターチアは自分ができる範囲で、誠実に商売をしていこうと思った。
そんなことがあった翌日。
大きめの籠を二つ手にしたスターチアがいつもの時間に公園へやってくると、昨日のようにベンチの周りに人だかりがあった。
ただ、その人だかりは一回りほど膨らんでいるように見える。どうやら、昨日よりもお客が多いようだ。
自分のパンが受け入れられたことにホッと安堵の息を漏らしたスターチアは、足早にベンチへと歩いて行った。
「お待たせいたしました。すぐに、準備をいたしますので」
集まった人たちはスターチアを急かすことなく、行儀よく待っていてくれている。
そのことにもありがたさを感じ、スターチアはできる限り手早く準備を進めていった。
今日もマールや常連たちの手伝いにより、順調にパンを売りさばいていく。
できる限り数を増やしてきたものの、やはり一人二個までの購入となってしまった。
それでも、誰一人文句を言うことなく、「また、来るよ」と、スターチアに笑顔で声をかけて帰っていった。
「やれやれ、今日も忙しかったねぇ」
マールが拳で肩を叩きながら、スターチアに声をかける。
「お疲れ様です、マールさん。皆さんも、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げたスターチアは、ベンチの端に置いていた布袋から、小ぶりな油紙の包みを取り出す。
「少しですけど、お礼です。乾燥させた木の実に、溶かした砂糖を絡めたお菓子なんです」
まだ母が生きていた頃によく作ってくれたもので、素朴な味わいだが、ついつい後を引くのだ。お茶うけにぴったりのおやつである。
包みを受け取ったマールたちは、満面の笑みを浮かべた。
「これは、楽しみだ」
「わざわざ、ありがとうね」
「いいえ、お礼を言うのはこちらのほうです。いつも皆さんに助けていただいて、本当に感謝しています」
人付き合いを極力避けているスターチアだが、人の温かみを素直に受けとらないほど捻くれているわけではない。
ただ、これ以上は距離感を縮めないよう、改めて自分に言い聞かせてはいたが。




