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「マールさん、このパンはこうするんですよ」

 そう言って、スターチアは持ってきた大振りの瓶を取り出す。

 彼女は手の平程度の大きさをした白い丸パンを籠から一枚取り出した。

 そこに届けられた牛肉を挟み、その上に瓶から掬い上げたとろみのあるソースをかける。さらに葉物野菜をたっぷり乗せ、もう一枚パンを重ねた。

「はい、味見してください」

 手早く二つ作った牛肉挟みのパンを、マールと牛肉を運んできた若い男性へと差し出した。

 二人とも初めて見るパンに恐る恐る噛り付いたが、次の瞬間、パッと大きく目を見開く。

「スターチア、これは見事だよ!」

「こんなに美味しいものは、初めて食べました!」

 声高に叫んだ二人は、夢中になってパンに噛り付いた。

 大きな声で感想を述べられ、スターチアは気恥ずかしそうに微笑む。

「気に入っていただけて安心しました」

 ホッと胸を撫で下ろすスターチアは、いつの間にか自分の屋台に何人かが集まっているいることに気付く。

 マールと青年が上げた歓声を聞きつけた人々が、興味津々で眺めているのだ。

「おっと、こうしちゃいられないね!」

 いち早く食べ終えたマールは腕まくりをすると、大きな声を出した。

「さぁ、さぁ、一列に並んでおくれよ! 美味しい美味しい牛肉挟みのパンは、いかがかねぇ!」

 その声を聞き、詰めかけていた人々が徐々に列をなす。 

「では、僕も」 

 アディスからこの屋台の手伝いを頼まれている若い軍人は、スターチアに倣い肉にソースをかけて野菜をパンに挟む。

 肉の残りが少なくなると彼は鉄板を手に焼き場へと駆けていき、大急ぎで山盛りの牛肉を持って屋台に戻ってきた。

 三人は次から次へと押し寄せる客たちに、肉挟みのパンを振舞い続ける。

 昼時ということもあり、どの屋台もそれなりに賑わっているが、立地的に不利なはずのスターチアの屋台は群を抜いていた。


 その様子を、面白くなさそうに睨み付けている人物がいる。ホースキン男爵だ。


「なんだ、あの田舎くさい食い物は。あんなもの、どこがうまいんだ? ウチのパンのほうが、何倍も美味いに決まっている」

 そうは言うものの、ホースキン男爵の屋台には、行列と呼べるほどは人がいない。

 顔見知りの貴族たちがお付きの者と共にちらほらと訪れ、たまに軍関係者もポツリポツリと現れる程度である。

 時間が経過しても人だかりが絶えないスターチアの屋台をホースキンがさらに睨み付けていると、アディスが数人の軍関係者と共に見回りも兼ねてやってきた。

 アディスが連れているのは、ホースキンからの賄賂を受け取って便宜を図るような姑息な者たちではなく、それなりの肩書きを戴いている。

 アディスと共に彼らの信用を得ることができたら、ホースキンはさらに己の地位が安泰だと考える。

 

――こういう時じゃないと、お偉いさんとは顔を合わせられないしな。ここは、目いっぱいゴマを擦って。 


 ホースキン男爵はすかさず笑顔を作り、揉み手をしながら歩み寄る。

「お疲れ様でございます、アディス様、皆様。今度こそ、新作をお召し上がりくださいませ!」

 売り子にサッと目配せをしたホースキンはとりわけ見栄えがいいものを皿に乗せ、恭しくアディスたちに差し出した。

 満面の笑みを浮かべる男爵に比べ、アディスの表情は変わらない。いかにも仕事中だと言わんばかりの、堅苦しい様相だ。

「ああ、いただこう」

 アディスがまず手を伸ばし、次いで、他の者たちも手を伸ばした。

「いかがでしょう? 食通でいらっしゃいますアディス様のお口に合いますでしょうか?」

 問いかけつつも、男爵は絶賛されることを信じて疑わない。材料の質と見栄えに自信があるのだ。

 しかしながら、食べ終えたアディスの表情は特に変わらなかった。

 薄手の布で口元と手を拭ったアディスは、おもむろにホースキンへと話しかける。

「日頃から、なにかと知恵を巡らせているようだな」

 それは味の感想にしてはおかしいが、経営努力を買ってくれたのだろうとホースキン男爵は都合よく解釈した。

「ええ、ええ、それはもう。毎日、毎日、頑張っておりますから」

 忙しなく揉み手を繰り返して笑みを深める男爵に、アディスは含みを持たせて片頬を上げる。

「これからも、国のため、民のため、心を尽くしてくれることを願っている」

 そう言って、彼はホースキン男爵の屋台を後にした。

「おおっ! アディス様が、激励の言葉をくださったぞ!」 

 裏でコソコソと悪事を働いている割に読みの浅い男爵は、アディスが放った言葉の意図を深読みすることなく受け取る。

 ご機嫌で彼らの背中を見送っていた男爵だが、ふいに表情が険しくなった。

「また、あの田舎者の屋台か。アディス様は、なにを考えていらっしゃるのか……」

 他の屋台に一言、二言、声をかけつつ、広場奥に向かっているアディスの様子に、ホースキンはあからさまに舌打ちする。

 この国の英雄で食通としても名高い彼が、最近になって、とあるパンをたびたび購入しているという話は聞いている。

 そのパンを販売しているのが、どうやらあの田舎くさい娘らしいということも突き止めた。

「どうせ、田舎者に同情して、目をかけてやっているだけだ。だが、腹立たしい」

 フンと鼻を鳴らし、ホースキンはスターチアを遠くから睨み付ける。

「……この街でパン屋として成功するのは、ウチだけでいいんだ」

 低い声でボソリ呟いた男爵だが、付き合いのある貴族が挨拶に訪れたとたんに、素早く愛想笑いを纏う。

「ようこそ、おいでくださいました! さぁ、さぁ、召し上がってくださいませ! 先ほど、アディス様よりお褒めの言葉を頂戴しましてね」

 アディスの言葉を都合よく解釈したホースキン男爵は、丸々とした顔に満面の笑みを浮かべて貴族たちの相手をしていた。




「ホースキン家はなにかときな臭かったが、案の定、怪しいな」

 信頼できる者だけを引きつれているアディスが、人混みを避けた場所でボソリと呟く。

 どこよりも条件のいい場所に出店している男爵の屋台について、単に運がよかったのだとは考えていなかった。

 その呟きを、彼の右腕とも言うべき者が拾う。

「そうですね。我々があえて見逃して泳がせていることも知らずに、小賢しい真似を繰り返しているとのこと。証拠も徐々に集まってきておりますし、間もなく年貢の納め時かと」

 その言葉に、他の部下たちも頷いた。

「ですが、裏にいる貴族たちも捕まえるためには、より決定的な証拠が必要でしょう。焦らず、もう少しだけ様子を見たほうが得策ではないでしょうか」

「そうだな」

 短く返したアディスは、ふたたび歩き出した。

 つい今まで堅苦しい話をしていたアディスだったが、スターチアが腕を振るっている屋台へ近付くにつれ、表情を和らげていった。

「ずいぶんと盛況のようだな」

 その声に、スターチアは手を止めてパッと顔を上げる。

「アディス様」

 後ろにまとめた月色の髪は、やや乱れていた。それほどまでに忙しかったということだ。

 客足が絶えないため、スターチアはもちろんのこと、マールも手伝いの青年もろくに休みが取れない状態のようだ。

 それでも、彼女は疲れた顔を見せず、柔らかな笑みを崩さない。

「焼いた牛肉を分けてくださったおかげで、とてもいいものが出せました。皆さんも、美味しいとおっしゃってくださっています。本当にありがとうございます」

 彼女の言葉に、アディスは優し気な微笑みを浮かべた。

「いや、それは君が作るパンが美味いからだ。肉は、ただ焼いただけだしな」

 スターチアは照れくさそうに小さく笑いながら、肉を挟んだパンをアディスたちに差し出す。

「どうぞ、お召し上がりください」

 木製の盆に並べられたパンを、まずはアディスが手に取った。

 ガブリと齧りつき、ゆっくりと咀嚼したのちに嚥下する。

「……これは美味い!」

 しみじみと、だがはっきりと感想を述べる様子を見た彼の部下たちは、次々に手を伸ばした。

 豪快に噛り付いた彼らは、アディスと同様の感想を笑顔で述べる。

 さらに恥ずかしくなったスターチアは、空になった盆を抱き締めた。

「お口に合って、よかったです」

「お世辞ではなく、本当に美味い。なるほど、行列が絶えないはずだ」

「いえ、物珍しさで、食べてくださっているのだと思います。こういったものは、この辺りでは売られていないようですから」

 謙遜しているが、スターチアは嬉しそうだ。

 牛の丸焼きが振舞われると知った彼女は、パンにその肉と野菜を挟み、数種類の野菜を煮込んで作ったソースを塗ったら、美味しいだろうと考えた。

 これは彼女の田舎で定番料理だ。手軽に作れ、持ち運びも簡単、農作業で忙しい彼らは、好んで食べていた。

 実際には牛のような高価な肉ではなく、簡単に手に入る山鳥の肉を使っていたのだが。

 話をしながらも、スターチアは作業を続けている。手を止めたのは、一瞬だけだ。

 そんな彼女の様子を見て、アディスは上着を脱ぐ。

「一通りの挨拶は済ませたから、私も手伝おう」

 その言葉に、スターチアとマールがギョッと目を瞠った。

「アディス様が、そのようなことをなさる必要はありません!」

「そうですよ。私たちで、なんとか頑張りますって。この子も頑張ってくれているしさ」

 マールはすぐそばでせっせと手を動かしている青年に視線を向ける。

 しかし、アディスは腕まくりをしてやる気満々だ。周りにいる関係者も上着を脱ぎ、手伝うつもりの様子が見て取れる。

「君たちはあれからろくに休憩も取れていないだろう、一息入れるといい」

 確かに、三人ともだいぶ疲れていた。

 目を見合わせ、マールが「じゃあ、お言葉に甘えさせていただこうかねえ」と言ったことで、三人は少しばかり休憩を取ることにした。


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