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 一通りの仕事を片付け、アディスは執務室を出る。

 供は付けず、いつものようにスターチアが働く公園へと向かった。 

 華奢な彼女が忙しく動き回っているのを微笑ましく眺めるのが常だが、今日に限っては彼女に対する罪悪感が先に立つ。

 それもあって、なかなか声が掛けられずにいた。

 客足がいったん引いたところで、そんな彼にスターチアが気付く。

「アディス様、こんにちは」

 にこやかに声をかけてきた彼女に、アディスは苦笑を浮かべて歩み寄った。

「慰霊祭について、すべての出店が取り揃ったよ。パン屋は、君の他に一店となっている」

 それを聞いて、スターチアは少しだけ変だと思った。

 この国ではパンがよく食べられていて、主食はもちろん、おやつ用の甘いものも多種多様だ。それもあって、定食屋や飲み屋に次いで多いのが、パン屋だったはず。

 お祭ともなったら、屋台で焼いたり揚げたりされたパンが飛ぶように売れていると、マールはよくスターチアに話していた。

 お祭もパンも好きなマールは、暇を見つけては各地の祭りに出向き、様々な味を存分に堪能しているそうだ。

 大規模な催し物でパン屋が自分も含めた二店しか出店しないことに、スターチアは妙な引っ掛かりを覚えたのである。 

 また、アディスが苦々しい表情を浮かべていることも気になる。 

「なにかありましたでしょうか?」

 心配そうに見上げる彼女に、アディスは肩を落として例の配置図を見せる。

「すまない、スターチア。私が最後の確認を怠ったせいだ」

「え?」

 なんのことか分からないスターチアは、とりあえず差し出された配置図を受け取った。

 自分の屋台が先日聞いた場所と違っていることに気付き、「あっ」と小さく声を上げる。

 そんな彼女に、アディスは頭を下げた。

「私の管理不行き届きだ」

 しかし、スターチアは首を横に振り、ソッと微笑む。

「いえ、アディス様。私はむしろよかったと思っています」

 それを聞いたアディスは、片方の眉をヒョイと上げた。

「どういうことだ?」

 スターチアは配置図のある場所を指で示す。

「私の屋台はこちらで、その近くが大掛かりに肉を焼く場所ですよね」

「ああ、そうだ。毎年、牛を丸焼きにして、皆に振舞っているが……」

 それがどうしたのかと、アディスは軽く首を捻った。

 そして彼を安心させるかのように、スターチアは笑みを深くする。

「実は、慰霊祭でどのパンを出そうかと、まだ迷っておりまして。ですが、この配置を見て、ピッタリのパンを思いついたんです」

 静かに微笑む彼女には、なにやら自信が感じられる。アディスはそれ以上なにも言わなかった。




 翌々日、スターチアはマールと一緒に、慰霊祭の会場へと向かう。

 荷物を持ち場に運ぶ途中、たくさんの人を目にした。

 やはり国を挙げての式典は参加者が多く、一般参列の席は八割方埋まっている。

 ざっと見回すと、女性の姿が目立った。一人であったり、子供連れであったりと、いずれも戦争で夫を亡くした女性たちだ。

 彼女たちがいる席の近くには、牧師や修道女に連れられた子供たちが大勢いる。親を亡くした孤児たちであることは、すぐに分かった。

 彼らの姿を見て、スターチアもマールも、胸が締め付けられる。

 二人は荷物を手にしたまま、いったん足を止めた。

「家族を亡くされた人を思うと、やりきれないものですね」

「本当に、戦争は嫌なもんだよ。勝っても負けても、誰かしらが傷つくからねぇ」

 天涯孤独となったスターチアは、ことさら彼らの姿に目頭が熱くなる。

 そんな彼女に、マールが軽く肘で突っついた。

「でも、もう戦争は終わったんだ。美味しいものを食べさせて、あの人たちを一時いっときでもいいから、元気にさせてやるんだよ」

 マールの言葉に、スターチアは小さく微笑む。

「そうですね、今日は頑張りましょう」

 二人は微笑みを交わし、屋台の場所へと足を進めた。


 人が集まりやすい中心部から徐々に離れていくことで、マールは不審そうにスターチアへと声をかける。

「ねぇ、スターチア。本当に、こっちかい?」

 迷いなく足を進める彼女に間違いはないと分かっていても、マールは尋ねずにいられなかった。

 しかし、スターチアは静かに笑みを浮かべる。

「ええ、本当ですよ。ちょっと離れていますけど、その分、いいこともありますので」

「……そうかい?」

 微笑みを返してくるスターチアの様子を見て、マールは大人しくついていくことにした。

 国の英雄であるアディスがスターチアを娘のように気遣っているのを、マールはここ数日で何度も目にしている。

 だから、彼女が理不尽な目に遭っているとしたら、それを見過ごすようなはずもないだろう。

 心配になりながらも出店場所に向かっていたのだが、マールはやはり怪訝そうにあたりを見回す。

 自分たち以外の出店がないわけではないが、どう見たってハズレの場所だ。

「スターチア……」

 力なく呼びかけたその時、アディスがこちらへやってきた。 

「おはようございます、アディス様」

 スターチアは荷物を足元に置くと、頭を下げた。

 マールも慌てて頭を下げる。

 そして、この配置に納得がいかないため、アディスに尋ねようと口を開きかけた時、スターチアが先に彼へと話しかける。

「先日のお話は、大丈夫でしょうか?」

 スターチアはアディスに相談していたことを確認すると、彼は切れ長の目を穏やかに細めて深く頷き返した。

「ああ、焼き場担当の者も協力してくれる。焼き立ての牛肉は美味いが、中には脂がしつこいという人もけっこういるそうだ。君の提案のおかげで、今年は多くの人に喜んでもらえるだろう」

 それを聞いて、スターチアはホッと息を吐く。

「ありがとうございます」

「いや、礼を言うのはこちらのほうだ。私も楽しみにしているよ」

 そう言って笑うアディスは、かっちりとした軍服がよく似合っている。胸にいくつも輝いている勲章たちは、彼の存在感をさらに上げていた。


――国の英雄だと分かっていたけれど、やはりアディス様は雲の上の人なんだわ。


 スターチアが輝かしい勲章たちをジッと眺めていたら、アディスがフッと頬を緩める。

「欲しかったら、いくつか差し上げよう」

「……は?」


――今、とんでもないことを聞いた気がするんだけど……。


 幻聴が聞えたのだろうかとスターチアは考えるが、それは幻聴ではなかった。

「この功績は、君の祖父殿の教えがあってこそだ。だから、孫である君に譲っても、まったく問題ない」

 そう言って、アディスは胸の勲章に手を伸ばす

 とはいえ、いくら彼の提案でも、それは頷けない。

 我に返ったスターチアは、ブンブンと首を横に振った。

「いけません、そんなこと! 問題だらけです!」

 慌てふためく彼女の様子に、アディスは「気にするな」と言って笑うばかり。

 そんなアディスの様子に、マールも恐れおののきつつ彼を止めにかかる。

「勲章は、アディス様がこれまでに努力なさった証ですって! いくらアディス様がよろしくても、周りがなんということやら……」

 女性二人がアワアワとうろたえている姿を見て、アディスは「ふむ」と小さく唸る。

「なら、代わりの物を……」

 アディスは上着のポケットに手を入れ、細い鎖が付いた懐中時計を取り出す。

 真鍮と思しき素材で作られた時計の表面は、柔らかい光を放っている。

 大きな手が蓋を開けると、上品な雰囲気の文字盤が現れた。

「親族に時計職人がいて、先日、新しい時計が届いたんだよ。これもまだ使えるが、年のせいか目が悪くなってきてね。それもあって、新しく文字盤が大きめの懐中時計を作ってもらったんだ。私の名前が入っているから、なにかの時に役立つかもしれない。まぁ、お守り代わりにもらってくれないか」

 アディスはスターチアへと差し出し、受け取るように促す。

 だが、いくら使わないとはいえ、おいそれと受け取ってしまうには恐れ多い。

 スターチアは時計とアディスの顔を交互に見遣りながら、オズオズと断りを口にする。

「あ、あの……、さすがに受け取れません。アディス様のお名前が入っているなら、とても貴重なものではありませんか。なおさら、いただけません。仮にこの時計が盗まれて悪用されたとしたら、私はどんなに償っても、償いきれませんから」

 隣で状況を見守っているマールも、うんうんと頷いた。

「盗んだ人がその時計を見せつけ、『自分の後ろ盾には、アディス様がいるんだぞ』と言い出す可能性もあるじゃありませんか。アディス様がスターチアを目にかけてくださっているのは私だってよく分かっていますが、この子にはちょっとばかり荷が重いんじゃないですかねぇ」

 二人の話を聞いたアディスは、フッと口角を上げる。

「それなら、心配はいらない。これは、君専用の時計としよう」

「……え?」

 告げられた言葉の意味が理解できないスターチアの前で、両手で時計を包み込んだアディスは低く穏やかな声でなにごとかを唱え始める。

『精霊の御霊よ、この者に加護を与えたまえ』

 歌うような口調で述べられた言葉はこの国のものではないようで、スターチアには理解できないものだった。


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