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 翌日、スターチアはいつものように焼き立てのパンを籠に詰め、販売許可を受けている公園へとやってきた。

 すると、彼女の登場を待ちかねていた人々が、あっという間に集まってくる。

「今日のおすすめはなんだい?」

 マールが尋ねると、スターチアははにかんだような笑みを浮かべる。

「生地に干しブドウをたっぷり練り込んだパンですね。あとは、バターで炒めたキノコを包んだパイも、上手にできたと思いますよ」

「なら、私はそれを一つずつもらおうかねぇ」

「私にはブドウパンを二つおくれ」

「俺はキノコのパイと、とうもろこしのパンだ」

 マールを皮切りに、客たちは次々に買い込んでいく。

 忙しくても、スターチアは一人一人丁寧に応対し、笑顔とお辞儀を忘れない。

「ありがとうございました。また、お待ちしていますね」

 ある程度の客をさばいたところで、アディスがゆったりとした足取りで近付いてきた。

「やぁ、スターチア。今日も繁盛しているようだね」

「いらっしゃいませ。アディス様のおかげで、お客様がだいぶ増えましたから」

 先ほども、軍の者と思しき体格のいい男性たちが、交代で何人もやってきた。

 彼らはアディスおすすめのとうもろこしのパンと自分好みのパンをそれぞれ買い込み、笑顔で帰っていったところである。

 スターチアの言葉に、アディスは「いやいや」と片手を振った。

「味がよくなかったら、彼らは何度も足を運ばないさ」

「そうおっしゃっていただけて、励みになります。ですが、やはりアディス様の存在はとても大きいと思いますよ。軍の方々が新たなお客様になってくださったこともそうですが、アディス様のおかげで、街の皆さんから信用を得ることができましたから」

 いくらマールをはじめとした常連客が付いているとはいえ、しょせん、スターチアは店も持たずに個人でパンを販売しているだけ。

 信用という点においては、残念ながら街のパン屋に数段劣る。

 それが、国の英雄であり食通としても知られているアディスが足しげく通うのだから、これまで遠巻きに見ていた街の者たちも、安心してスターチアのパンを買うようになっていたのだ。

 自分は自分、よそはよそと思って商売をしてきたスターチアではあったけれど、こうして新しい客がつくことは嬉しくあり、やりがいにも繋がるのである。

 アディスと楽しく話をしながら、その後もスターチアはパンの販売をこなしていった。




 やがてパンが完売すると、いつものように後始末をして公園を後にする。

 その時、なんとなく誰かに見られているような気がした。

 スターチアは不思議な気分で、周囲をソッと見回す。

 しかし、見た限りではこちらに視線を向けている人物は分からない。


――気のせいかしらね。夕べはあまり寝られなかったから、頭がぼんやりしているし。それで、勘違いしたのかも。


 スターチアは心の中で独り言を零し、ふたたび歩き出した。

 乗合馬車の停留所に向かっているスターチアは、一台の馬車がある店の前で停まっているのを目にする。

 その店とは、とある貴族が出資しているというパン屋の一つだ。

 貴族と言っても、男爵家は家格として一番低い。

 しかし、己の資産を使って孤児たちの就職口としてパン屋をあちこちに開いているという善行により、

顔と名前は広く知れ渡っているという。

 また、孤児を雇い入れる場所は少ないため、孤児院からはたいそう感謝され、おかげで王族や軍の覚えもいいという話である。

 その店の前には、乗合馬車よりも数段立派な馬車が停まっていた。

 いかにも貴族だという服を着た小太りの中年男性が、御者の開けた扉から馬車に乗り込む。

「バンディール様のお屋敷に向え。その後は、フィリノア様のお屋敷だ。急げ」

「かしこまりました」

 御者の男は深々と頭を下げ、馬車の扉を静かに締めた。

 このように、ホースキン男爵家を取り仕切る現当主は、焼き立てのパンを持って自ら貴族の屋敷に顔を出している。

 この街の一部の人間は、よく知っている話だ。

 噂に疎いスターチアの耳には、ホースキン家当主が顔繋ぎのためにわざわざ自分が出向いている話は届いていなかった。


 そして彼が慈善事業を始めたのは、生活に苦しむ孤児たちのためではない。

 世間の目を自分に向けさせるためだという噂も。


 貴族社会において、家格はある意味絶対的な指標だ。

 簡単に変えられない家格に縛られている貴族は意外と多く、ホースキン家当主もそのうちの一人だった。

 そのため、彼は自分がいかに善人であるかを知らしめることで、貴族社会に顔を売ろうと考えたのである。

 目論見は成功し、ホースキン家当主と彼が出資したパン屋は、貴族たちの間でそれなりに名が通るようになっていた。

 また、家格の低い彼を面通りさせている貴族たちは、慈善家であるホースキン家当主と知り合いであるということで、善良である印象を周囲に与えることを目的としている。

 それにより、不要な目が自分たちに向かないようにしているのだ。

 あくまで噂の域を出ないのだが、ホースキン家は孤児院等に寄付する名目で使った金を誤魔化し、脱税をしているとも囁かれている。 

 さらには、ホースキン家と繋がりがある貴族たちも、資金を援助するという名目で、同様に脱税しているという。

 そういった裏事情にまったく疎いスターチアは、ホースキン家当主は弱き者を助ける篤志家だと信じていた。

 

――世の中には、ご自身の資産で恵まれない人たちを助けていらっしゃる素晴らしい方がいるのね。


 自分の命に価値を見出せないスターチアだが、だからといって他の人たちの命を軽く考えたりはしない。

 滑らかに走り出した豪華な馬車を眺めながら、彼女はそんなことを思っていた。




 それから三日後。

 アディスは己の執務室にいた。

 軍の一線を退いたとはいえ、彼には後進を育てるという重要な役目があるため、軍舎に執務室が与えられていたのだ。

 体格に見合った立派な椅子に腰を掛けていた彼は、グッと眉根を寄せる。

「これは、いったい……。なんだ、この配置は? それに、パン屋の数が予定と違い過ぎるではないか」

 他の者がいない部屋に、苛立ちを含む呟きが響く。

 アディスは今しがた手元に届いた慰霊祭における配置図を見ていた。

 実は、慰霊祭出店を巡り、ホースキン家当主が親しい貴族と共に裏から手を回し、自分の店以外のパン屋が出店できないようにしていた。

 しかしスターチアに関しては、アディが直々に話を持ってきたことで、ホースキン家当主の息がかかった軍関係者は阻止できなかったのである。

 いまだに、軍部の中では、いや、国政においても、アディスの影響力は絶大であった。


 そんな国の英雄アディスをもってしても、場所取りに関して知らされることなく進められてしまったのだ。


 ホースキン家当主から少なくない心づけを受け取っている軍関係者は、アディスに偽りの配置図を提出した。

 よって、後日、最終案として知らされたのは、スターチア用の屋台が広場の中心からだいぶ離れた場所に割り振られたということだった。

 アディスは例年この行事に携わっているが、配置図については他の者たちに任せていた。

 今年は自分が誘ったスターチアが参加するため、配置についての会議にも参加していたのである。

 ところが、ほぼ確定していた配置図とアディスが手にしている配置図には、あまりにも不自然な点が多かった。

 それゆえ、彼は苛立ちを露わにしたのである。

「なぜ、このようなことに……」

 直前で変更があったという伝言と共に届いた最終決定版の配置図を大きな手でグシャリと握り潰し、アディスはさらに低く呟いた。

 しかし、もう遅い。

 慰霊祭は明後日に迫っていて、広場では準備が進められている。

 既に調理器具や燃料を持ち込んでいる出店者たちもおり、今さら当初の配置に戻すことは、おそらくできないだろう。

 それに、この件に関わった者たちを問い質したところで、『これまでにお見せした配置図はあくまでも予定であって、決定ではないものですから。都合が悪く、急きょ辞退した店舗もありますし』と、言い逃れをすることが予想できる。

 重厚な椅子の背に、アディスはドサリと凭れかかる。

 かねてよりいささか不平等に思えていたことは、どうやら彼の考え過ぎではなかったようだ。

「……こちらも、本格的に動く時期ということか」

 軍関係者が不正に関わっていることは、けして見過ごしてはならない。

「私が命懸けで守った国を、汚れた利権まみれにさせてたまるか」

 今回の件で貴族たちの悪しき習慣をすべて断ち切ることができないが、そのきっかけの一つにはなるだろう。

 このままでは、軍人としての志を確固たるものにしてくれた今は亡きスターチアの祖父に顔向けができない。

 スターチアが参加する慰霊祭で事が発覚したのも、きっと『もっと、しっかりせんかい!』と、彼が発破をかけているのかもしれない。

「ええ、お任せください。あなたの孫も、この国も、守ってみせますよ」

 ふたたび配置図をギリギリと握り締めたアディスは、ややおぼろげになった在りし日の恩人の顔を思い浮かべた。


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