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(12)

 その日の夜、いつものように丸太小屋の上でスターチアは月を眺めていた。

 そこへ、いつものようにジェンドが闇の中を飛んでくる。

 青年の背中にある翼は大きく動いているのに、羽ばたき音はとても静かだ。

 今のように音も立てない時もあれば、こちらを威嚇するようにバサバサと激しく音を立てて羽ばたくこともある。

 そのことがスターチアにとって、非常に不思議だった。


 とはいえ、むやみに尋ねることはしない。

 彼のことだから、きっと素直に答えてくれることはないだろう。

 また、誰かに少しでも興味を抱くことを、スターチアは避けていた。

 たとえ、相手が悪魔であっても、『興味を抱く』という心の動きそのものが、彼女にとって恐怖でもあったからだ。


――どういう仕組みで羽ばたき音が耳に届かないのかなんて、私には関係ないわ。知ったところで、死ねるわけでもないもの。


 こちらへと近付いてくる悪魔青年の姿を視界に端に収めつつ、スターチアは肩掛けの合わせ部分をしっかりと握り締めた。

 程なくして、ジェンドが彼女の隣に降り立つ。羽音同様、足音がいっさいない。

 思わず月から青年の足元へと視線を落としたスターチアの頭上に、面白くなさそうに鼻を鳴らす音が降ってきた。

 彼が不機嫌なのはいつものことだが、今夜は特に機嫌が悪そうである。

 スターチアが顔を上げると、ジェンドはふたたび鼻を鳴らした。

「なんだ、そのかっこうは」 

 彼の言葉に、スターチアは大きく首を傾げる。

 先日、肩掛け一枚では寒そうだと言ったジェンドは、どこからともなく上等な肩掛けを取り出した。

 そのことがあったから、今夜の彼女は肩掛けを二枚羽織っているのだ。

 しかし、二枚とも彼女の持ち物である。

 ジェンドが強引に掛けさせた一枚は、スターチアのすぐ脇にきちんと畳まれて置かれていた。

「なんだと言われても、寒くないように肩掛けを二枚重ねにしているのよ」

 おせっかいな悪魔に余計なことを言われないために、あらかじめ二枚用意してきたのだ。不機嫌さをぶつけられる理由がスターチアには分からない。

 首を傾げたままの彼女の様子に、ジェンドはまたしても鼻を鳴らす。

「俺がわざわざ取り出してやった肩掛けではなく、その粗末な肩掛けを使うとは。お前は愚かだな。どちらが温かいのか、容易に分かるだろうが。何枚重ねたところで、上物には敵わないんだぞ」


――相変わらず、変な悪魔ね。


 なんだかおかしなことで彼が腹を立てているなと、スターチアはコッソリ笑いを噛み殺す。

 整った美貌の持ち主で、スラリとした長身の立派な青年姿なのに、まるで駄々をこねている小さな子供のようだ。

 スターチアが昔話で聞かされていたのは、冷酷無比で恐ろしいほど頭の回転が速いとされる悪魔の姿だ。目の前にいる青年とは、だいぶ違う。

 だが、そのことを指摘したら、彼がいっそう不機嫌になるのだろう。

 悪魔らしくない一面を見せてくる様子は面白いが、そんな彼の反応を楽しむようになってはいけないと自身に制止をかける。


 相手をからかい、軽口を交わすようになっては、まるで友人同士みたいではないか。

 たとえ彼が人よりはるかに寿命が長い悪魔だとしても、自分の心の中にはけして誰も存在させてはならない。

 村を出ると決めた日の晩、スターチアは心に固く誓ったのだ。


 だからスターチアは彼が不機嫌であることには言及せず、傍らに置いていた肩掛けを手に取った。

「あなたはなにも言わなかったけれど、こんな上等な物をタダでもらっていいはずないもの。昨日はうっかり返しそびれたの、ごめんなさい」

 そう言って、丁寧に折りたたんだ肩掛けをジェンドへと差し出す。

 そんな彼女の態度に、ジェンドは形のいい眉をグッと中央へ寄せてみせた。

「その程度の物ならいくらでも用意できるから、返してもらわなくても結構だ。第一、考えてもみろ。悪魔の、しかも男の俺が、そんな上品ぶった肩掛けを使うと思うか?」

 不機嫌全開の様子に、スターチアは差し出した肩掛けを静かに引っ込めた。

 ずいぶんな言い方だが、聞きようによっては、自分のためにこれを用意したとも受け取れる。


――これも、気まぐれな暇つぶしの内に入るのかしら?


 かといって、そのことを彼に問い質したところで、スターチアに利があるわけではない。

 仮に暇つぶしではなく自分のためだと言われたら、かえって困ってしまう。

 与えられる好意は、限りなく少なく小さいほうがいい。

 好意を受け取ってしまったら、同じだけ返さなくては気が済まない性分の彼女としては、そこからなにかしらの付き合いが始まってしまうことが怖かった。

 それなら、あえて追究することなく、「悪魔の気まぐれ」と決めつけてしまったほうが、はるかに気が楽だ。


 とはいえ、これが窃盗品だとしたら、今すぐ突き返さなくてはならない。

 商品には見えないから、ある貴族の屋敷から盗んできた可能性も考えられる。


――そのことだけでも、確認しておいたほうがいいわね。


 盗品だとしたら、返す理由になる。『自分を、犯罪に巻き込むな』と。

 スターチアは再度肩掛けを差し出した。

「こんな立派な肩掛けを、あなたはどうやって手に入れたの? まさか、人間に姿を変えて、店で買ったとは言わないわよね? 買ったとしたら、私はあなたにいくら支払えばいいのかしら?」 

 あえてとぼけた風に問いかけると、ジェンドは呆れたように目を細めた。

「これは、織物が得意な知人に譲ってもらったものだから、金はいらない。お前は、本当に愚かだな。この俺が、わざわざ人間に姿を変えて、買い物に出かけるとでも?」

「……確かに、あなたが財布からお金を出す姿なんて、まったく想像がつかないわね」

 スターチアの言葉に、ジェンドは体の前で腕を組み、深々とため息を吐く。

「本当に、お前は下らないことばかりを考える女だ。ゴタゴタ言っている暇があるなら、さっさとその肩掛けを使え」

「そうね。ありがたく、使わせてもらうわ」

 ここで突っぱねても意味のない押し問答が展開しそうなので、スターチアはこれまで羽織っていた肩掛けを傍らに畳み、悪魔青年おすすめの肩掛けを羽織った。

 薄くて軽いのに、二枚分の肩掛けよりも断然温かい。


――いったい、どんな素材を使っているのかしら?


 一般的な肩掛けは、羊などの毛糸で編まれている。

 ところが、これは毛糸のようにごわついてはおらず、まるで絹織物のようだ。

 滑らかな感触を手で味わいながら、スターチアは興味深く肩掛けを眺める。

 そんな彼女の仕草を見て、ジェンドが声をかけてきた。

「なんか、言いたいことでもあるのか?」

「え? ああ、そうね。なにで編んであるのかしらって、気になっていたのよ。私、毛糸で編まれた肩掛けしか見たことがないんだもの」

 そこで、スターチアは小さく息を呑む。

「……まさか、人毛?」

 人間の髪を毟り取り、それを材料としたのではないだろうか。

 残虐な悪魔なら、そのくらい眉を動かすことなくやってのけそうだ。

 ギクリと顔を強張らせている彼女に、ジェンドは「馬鹿か……」と素っ気なく呟く。

「お前は、悪魔に対して、盛大な勘違いをしているな」

「勘違い?」

 スターチアが漏らした問いに、青年は僅かに視線を伏せた。

「……いや、なんでもない。とりあえず、それは人毛じゃないことは言っておく。魔界にのみ育つ植物から作られているから、余計な心配はするな」

「そう、分かったわ」

 彼が言わないと決めたことなら、こちらが聞くまでもないとスターチアは思い、それ以上はなにも言わなかった。

 肩掛けを静かに撫でながら、先ほど彼が発した言葉を改めて頭の中で繰り返す。

 彼の屋敷で使われなくなった物ではなく、知人に譲ってもらったと言っていた。

 それは、粗末な毛織の肩掛けしか持っていないスターチアのために、わざわざ譲ってもらったとも聞こえる。


――それこそ、なんのために?


 しかし、その疑問をスターチアは即座に打ち消す。

 問い質さないと決めたことは貫き通したほうがいいと、頭の片隅でもう一人の自分が訴えている。


――そうね。理由を聞いたところで、どうにもならないもの。


 スターチアは軽く口を引き結び、無言で肩掛けを撫で続けていた。


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