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 自宅に帰ったスターチアは、一通りのことを済ませて屋根に上る。

 いつもの場所でいつも通り粗末な肩掛けを羽織ってボンヤリと夜空を見上げながら、アディスの話を思い返していた。

 聞いたところでは、材料費は軍の厨房持ちだという。それゆえにパンの売上という形で収入は得られないものの、一定の金額が支払われるそうだ。

「とうもろこしのパンなら発酵も焼き時間もそれほどかからないから、引き受けてもよさそうだけど……」

 アディスの話では、どんなパンを焼いてもいいということだったが、とうもろこしのパンは必ず焼いてほしいとのことだった。

 大して手間がかかるパンではなく、また熱心にアディスが誘ってくれるので、スターチアの心は少しだけ揺れていた。


 しかし、彼女は悩んだ末に断ることを決めた。

 あとは、断る理由をどうするかである。


「どうしたら、アディス様に納得していただけるかしら?」

 視線を下ろしたスターチアは、抱えた膝の上にあご先を乗せて呟く。

 大事な人という存在を作り出さないために、できる限り周囲と関わり合いたくなかった。

 店を構えると近所の人との繋がりが生まれ、お客との距離が今以上に縮まるかもしれない。

 そして決まった仕事をこなすようになると、やはり同じようにそこで働く人たちとの関わりが密になるだろう。

 毎日公園でパンを売るのも似たようなものかもしれないが、いざとなったら場所を変えることも、商売をやめてしまうこともできる。

 そういった気楽さが、スターチアには合っていた。

 しかし、その理由でアディスが納得するかどうかと、彼女は不安になる。

「困ったわ……」

 スターチアはポツリと呟き、次いでため息を零した。

 とはいえ、取って付けたような理由では、なにもかも見通してしまうような英雄の目を誤魔化すことなどできないはずだ。

 それどころか、適当なことを口にしたら、アディスにうまく丸め込まれそうである。

「馬鹿馬鹿しい理由だけど、正直に話したほうがよさそうね」

 そう呟いた瞬間、「なにが馬鹿馬鹿しいんだ?」という低い声が彼女の耳に届いた。

 ふと右に視線を向けると、漆黒を纏う青年が立っている。

 突然、それこそいっさいの気配を感じさせずに現れたジェンドだが、スターチアには微塵も驚いた様子がない。

 そのことに、ジェンドは面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「ふん。相変わらず、つまらない女だ」

 彼は体の前で腕を組み、改めて鼻を鳴らす。

「俺がこうして姿を現してやったのだから、驚くなり、この美貌に頬を染めるなりしてみろ」

 そう言われて、スターチアは『キャー、怖い。悪魔よ。でも、素敵ね』という言葉を口にしてやろうかと、一瞬考えた。

 もちろん、思い切り棒読みにするつもりだが。


 とはいえ、行動に移すことはしなかった。


 この青年は人間ではないものの、言葉が通じる相手とのやり取りは、スターチアにとって危険な行為だった。

 彼女は悪魔と友好関係を築くつもりもないし、それは相手も同じことだろう。

 それでも、こうして軽口を叩き合っていたら、いつの日か、彼のことをほんの少しでも『友人』という目で見てしまうかもしれない。


 誰のことも自分の心に住まわせたくないスターチアにとって、それはとても危険なことなのだ。種族ではなく、存在そのものが。


 だからチラリと視線を向けただけで、彼女は無言を貫いた。 

 スターチアの態度に、ジェイドはますます面白くないと感じる。

「おい。この俺様を無視するとは、いい度胸だな」

 長い足で歩み寄り、威嚇するように彼女のすぐ横でバサリと背中の翼を動かした。

 月色の髪が僅かに揺れたことも、ジェンドの言葉も気にした様子もなく、スターチアはただただジッとしている。

 すると、偉そうにふんぞり返っていたジェンドの顔が、僅かに曇る。

「……もしや、具合が悪いのか?」

 そう呟いた彼は、右の人差し指を手早く振った。

 次の瞬間、スターチアの肩に軽くて温かい布が掛けられる。

 なにもないところからいきなり上等な肩掛けが現れたことに、さすがの彼女も驚いた。

 また、今までに味わったことがないほど滑らかな感触に、改めてスターチアの目が丸くなる。

「あの、これは……」

 珍しく戸惑う彼女の前にかがみ込んだジェンドは、肩掛けの合わせ部分をグッと引き寄せ、細い肩にしっかりと羽織らせた。

「人間は体の弱い生き物なんだから、自分で気を付けろ! いつも寒そうなかっこうをしているから、体調を崩すんだろうが!」

 不機嫌も露わな表情だが、ジェンドは確かにスターチアを心配している。 

 その様子にスターチアは呆気に取られ、しばらくしてからポツリと呟く。

「……どうして?」

 悪魔は冷酷無比で、彼らにとって人間は虫けら同様と聞く。

 それなのに、どうしてこの悪魔は自分の世話を焼くのだろうか。

「なにがだ?」

 彼女の呟きを耳にしたジェンドは、不機嫌そうな表情のまま片眉をヒョイと上げた。

 そんな彼にむけいぇ、スターチアは感情もなく呟く。

「……どうして、こんなことをするの? 私のことなんて、放っておいてくれたらいいのに」

 いや、放置などという生温いことをしないで、今すぐ殺してくれないだろうか。

 そうしたら、親しい人を亡くした悲しみから解放されるし、死にたくても死ねない苦しみからも解放される。

 自ら命を絶つことはあの世にいる彼らに怒られるだろうが、悪魔に殺されたのなら、『仕方がない』と言ってくれるだろう。


――彼を怒らせたら、私を殺してくれるかしら?


 そんなことを考えるものの、同時に自分の考えが馬鹿馬鹿しいものにも思えてくる。

 悪魔は気まぐれで、人間の言葉には耳を貸さないものだ。

 それに、彼は言っていたではないか。『死にたがりの人間を殺したところで、面白くもなんともない』と。

 つまり、スターチアがどんなに強く願っても、目の前の悪魔は自分を殺してくれないのだ。

 

――なかなか、人生ってうまくいかないのね。


 苦々しい思いで微笑み、スターチアは改めて「私のことは、放っておいて」と告げる。

 そんな彼女に、ジェンドは不機嫌な様子のまま口を開いた。

「いや、それは……、ああ、そうだ。これは、単なる暇潰しだ。暇潰しとして、お前の世話を焼いただけだ」

「……なに、それ」

 悪魔の言動は理不尽だと聞くものの、これはあまりにも意味不明である。

 暇の潰し方は色々あるだろうが、暇だから人間の世話を焼く悪魔がどこにいるだろうか。そんな話は、今まで一度も聞いたこともない。


――本当に、この悪魔って変わっているわね。


 驚きと呆れを半々にした顔をしているスターチアに、ジェンドは盛大に眉根を寄せた。

「なんだよ、文句あるのか? 殺すぞ」

 ボソリと低い声で脅したジェンドだが、次の瞬間、悔しそうに舌を打つ。

「しまった、お前には殺すと言っても無駄だったな。……くそっ、面倒な女だ」


――そう思うのなら、今すぐここから飛び去ったらいいの。


 スターチアは心の中で呟く。

 しかし、彼女が月を眺めている間、ジェンドが姿を消すことはなかった。


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