第一話 天使との出会い
今年の新入生でもっとも可愛いとまで言われている藤村夏樹が今、俺の目の前にいた。
瞳をうるうるとうるませ、こちらを上目遣いに見つめてくる。
「先輩、私と付き合ってくれませんか?」
甘えたような、媚を売ったような声は、思わずくらりと眩暈がしそうなほどに可愛い。
「なあ藤村」
「何ですか先輩」
「告白するときに胸倉掴むってある? 若干首しまってんだけど」
そう。
俺は今、学校一といっても過言ではない美少女に、胸倉をつかまれ告白されていた。
どうしてこうなった。
〇
私立鳩船高等学校。現在ではその学園の名を知らぬものはいないだろう。特に中学生の進学先としては、多くの学校で優先される場所だ。
その理由は簡単だ。
鳩船高校が、天才を育成するというのをうたい文句にしているからだ。
教師はどんなニッチなジャンルに関する人もいて、自分の将来なりたい職業に関する授業を徹底的に受けられる。
向上心さえあれば、うちの学校で学べないことはないとされている。
人工的に天才を作り上げる、それはふざけた話であったが、今は誰もバカにできないほどだった。
とはいえ、だ。
そんな高校でも、やはり問題児というのはいる。
それが、金剛寺恭介という男だ。
入学してから一年。
希望すればあらゆる分野の授業を受けられるのに、卒業に必要な最低限の単位しかとらず、どの教科も平均点をとるのがやっとなそいつは、落ちこぼれではなくとも、問題児だ。
というわけで教師たちからよく呼び出しを受けていた。
まあ、俺のことなんだが。
将来に向けての適性検査を受けさせられたり、教師たちからの個人面談は二桁を超えた。
ただ、それも二年になった今では、ほとんどない。
学校が出した結論。それは――。
本人がやる気を出さない限りどうしようもないということ。
ただし、二年になった以上、最低一つは専門教科の授業をとれと言われてしまっていた。
うちの授業形態は大学に似ていて、必要最低限の単位さえとれば卒業できるようになっている。必要最低限というのは、いわゆる高校卒業レベルに必要な程度だ。
その授業にしても、わかりやすく、かつ無駄な部分をそぎ落とした効率的なものとなっている。
うちの本質はそこではない。ホームページとか見ればわかるが、かなり幅広い科目に対応した先生がいる。
プログラミングを学びたかったら、それを行っている教師の授業をとるなど……。
俺はよくわからないが、もっとニッチなジャンルの授業も開かれているらしい。
そして、もう一つ。うちの高校には別の制度があった。
それは『優秀生』というものだ。
『優秀生』に選ばれたものは、学校推薦で自分の希望通りの進路を選べるとかなんとか。その数は各学年で40人。ちょうど、一クラス分だけとなっている。
うちは三学期制で、その学期末にその『優秀生』が選ばれる。
選考の条件は様々だ。単純に成績だけが良くてもダメらしい。
とにかく、そんな様々なうたい文句があるため、鳩船高校の在校生は非常に多い。
一学年で千人は確か超えていたのではないだろうか? それらを許容するだけの巨大な学園であり、同じ学年の生徒でも名前どころか顔さえ知らない人なんてわんさかいるのだ。俺なんてクラスの生徒にさえ名前を覚えてもらってないんだぜ。
そんな大人数でもやはり有名になる人物というのはいる。
いわゆる『優秀生』はもちろん、それ以外でもな。
それなりに秀才揃いの高校で成績トップをとる奴や、異常にかわいい、かっこいいやつとか。影が薄いランキングがあったらきっと俺が一位をとるだろう。
まあ、そんなランキングはきっと誰も投票できないだろうな。影が薄いやつって名前も覚えてもらえないから……。
俺が放課後の廊下をいつものように歩いていたら、びゅんっと何かが横を駆け抜けた。
誰だ、と彼女を見るより先に周囲が声をあげた。
「お、おい見ろよ。藤村さんだ」
「……ああ、相変わらずかわいいな……」
「また誰かに告白されるのかな?」
「はぁ、そいつはご愁傷様だな。まだだれ一人としてOKもらってないんだろ?」
「いや二人ももらってたら問題だろ」
「ああ、俺もあんなかわいい後輩の彼女がいたらなぁ……」
廊下を過ぎていった彼女の背中を眺めるようにして、男の二人組はそんなことを言いながら去っていった。
……藤村夏樹、だったか? 彼女はうちの高校で有名な後輩だ。
その天使のようなスマイルから、男子たちは裏では天使ちゃんなんて呼んでいるらしい。確かにさっきの無邪気さあふれる笑顔には、無条件で人を元気づける力があった。
そんなときだった。
「……なんだ?」
藤村が去っていったあとに、何かが落ちているのに気付いた。
キーホルダーだろうか? よくわからないが、何かのキャラクターのようだ。
俺は結構なオタクだが、このキャラクターは知らない。
……どこかのゆるキャラとかじゃなかろうか。だとすれば俺の管轄外だからな。
限定のキャラクターとかだったら結構な価値があるな。それをオークションに出せば金もうけができる、なんていう最低な発想が出てくるあたり、俺という人間はクズなのかもしれない。
それでも、相手は同じ高校の後輩だ。あとでばれたら面倒臭い。
善意で届けてやろうか。
職員室に届けるのと本人に渡すのはどちらが楽か、ざっと考えてみて俺は本人を選択した。
教員に会って、将来について小言を言われるのが面倒というのもあった。
しかし、生徒用玄関についたが、すでに彼女はいない。……確かに藤村は廊下を走るほど急いでいたからな。何か用事があったのだろう。
そこで、さっきちらと見た彼女の足を思い出す。綺麗な足だったな……ではなく、いま思いだすのは靴のサイズだ。
玄関を出てすぐに残っていた足跡にはいくつか走って移動したと思われる間隔のものがあった。
その中から一つ、藤村の足のサイズとぴったり合いそうな跡を見つけた。それが、校門に向かっているのなら諦めたが、どうやらそれは体育館のほうへと向かっていた。
こうなったら俺だってやけだぜ。
普段やる気を見せることのない俺だが、変なところでやる気が出てきてしまうのだ。
――絶対届けてやる。多少裏があったのも確かだ。
あの天使の笑顔を間近で見てやるのだっ! ではなく、体育館裏というのは告白スポットだ。
他人の恋愛話というのは楽しいものだ。告白して失敗したとか、この前喧嘩して別れたとかな。
体育館裏近くにたどりついた俺はそこでの印象深かったことを思い出していた。
体育館裏は人目に付きにくいため、昼休みとかカップルが過ごしている場所だ。一人になれると昼休みに行ったとき、カップルがいちゃついているのを見て、気まずくなったな。
とはいえ、だ。
藤村が告白されるとも限らない。もしかしたら、人目につかないのをいいことに呼び出した相手に殴られる可能性だってある。
いじめの現場とかかもしれないんだ。あの慌てっぷりから、誰かにいじめられているというのも可能性としては考えられる。それはいかんぞ。
俺だってクラスのみんなから無視されているのだ。入学から誰とも話したことなんてない。
いやあれはいじめじゃないか。ただ単にみんなが俺との距離を測りかねているだけだろう。
だからこそ、俺は藤村を助けたいという善意で覗くのだ。決して、告白してる場面を見るためではない!
ま、藤村がいじめられているということはないだろうけどな。
カースト上位にいそうな髪型、髪色、雰囲気をまとっていた。どちらかといえばさえない男子をいじめている側である。
十中八九、告白だろうな、とは思っていたが俺はもちろんばれないように覗くつもりだ。
まずは体育館裏入り口の木々の隙間で耳に意識を向ける。
「あなたのことが好きです付き合ってくれませんか!」
おそらくは男子生徒の声だ。
藤村への告白、ビンゴだ。
「ごめんなさい。あたし、今彼氏とか考えてないんだ」
ごめんね、という完璧な返答だ。見事に撃沈。
けれど俺は顔も名前も知らぬ男子生徒に陰ながらそっと肩をたたいた。
誰かに告白するなんてすごいよ。おまえは立派な奴だよ。次の恋に行けばいいさ、な? 盗み聞きしている奴のいうことじゃねぇな。
「……付き合ってる人がいるんですか?」
お、男子生徒くん、まだくらいつくか。
だが、それは悪手だろう。今付き合うつもりのない相手に悪い印象しか残さないはずだ。
「えーとそのそういうわけじゃないんだけど……けどやっぱりまだ入学したばかりで色々と考えたいんだ。学校のこととか、部活動のこと、友達のこととかね。だからまだ告白とか彼氏とかそういうのは考えられないんだ。……ごめんね」
「そ、そっか……変なこと聞いて、ごめんね。でも、僕はあきらめないから」
「……そ、そっか。うん、ありがとね」
告白はそれで終わりのようだ。
男のほうがこちらへとやってくる。気配を消して、木の陰に隠れていると、彼は過ぎていった。
少し時間をおいてから、藤村にキーホルダーを渡そうかね。
少し待つが、藤村に動く気配はない。なんだ?
ザッザッという足音が響いた。まるで、何かを踏みつけるような音だ。
そして、
「はー、めんどくさ」
そんなどすの聞いた声が体育館裏から響いた。
え、今の声って誰の? あの場にいるのは、藤村だけだ。
つまり、今のは藤村の発言というわけで…………こわっ、藤村こわっ! これは関わってはならぬ!
表があれば裏がある。綺麗なバラにも棘がある。綺麗なら多少の棘くらいいいんじゃね? と思っていたのだが、現実は違うようだ。
恐怖しかねぇ。
藤村は猫かぶり。そう心のメモに残して、俺はその場から立ち去ろうと歩き出し……カン、カラカラ。
空き缶を蹴り飛ばしてしまった。
「誰!?」
その声が聞こえてすぐ、駆け出したような音が聞こえた。