マッサと「すきまの向こう側」
隠れている、あの白い生き物をおどろかさないように、なるべく、足音をたてないように、気をつけた。
すぐそばまで来ると、ガサガサッ、ガサガサッと、たんすの向こうで小さな音がしているのがきこえた。
やっぱり、この向こうに、あの不思議な白い生き物がいるんだ。
マッサは、声をかけようかと思ったけど、急に、近くで声を出したら、相手が怖がって逃げてしまうかもしれないと思って、やめておいた。
懐中電灯も消して、リュックサックにしまった。
光で、相手が怖がるかもしれないだ。
そうして、マッサは、持っていたりんごを、そうっと、たんすと壁のすきまのところにおいた。
……マッサは、長いあいだ、待った。
すっごく長いあいだ、待った。
でも、やっぱり、あの不思議な白い生き物は、出てこなかった。
もしかして、もう、反対側から出て、どこかに行っちゃったのかな?
マッサは、心配になって、ほこりだらけの壁に、むりやり顔をくっつけて、壁とたんすのあいだの暗闇をのぞき込んだ。
すると、その暗闇の、いちばん奥――
たんすの後ろの、部屋のいちばんすみっこの角のところに、穴があいているのが、見えた。
いや、穴というより、壁と壁のさかいめにできた、縦にほそながい、すきまみたいだった。
そのすきまは、外とつながっているみたいで、すきまの向こうから、明るい光がさしこんでいた。
「あっ!」
と、マッサは、思わず叫んだ。
その、明るいすきまから、ひょいっと、あの不思議な白い生き物の顔がのぞいて、こっちを見たのだ。
青い、宝石みたいな目が、はっきり、マッサを見て、ぱちぱちっとまばたきをした。
それから、その生き物は、また、ヒュッと、すきまに引っ込んでしまった。
「あっ! 待って! ねえ、待ってよ!」
マッサは、もう、夢中だった。
ほこりがばらばら落ちてくるのも構わず、マッサは、たんすに両手をかけると、ぐいぐい、引っ張ったり、押したり、足を使ったりして、重いたんすを、ゴゴッ、ゴゴッ、ゴゴッと、動かしていった。
かなり時間がかかったけど、マッサは、何とか、自分だけの力で、すきまに近づくための通り道を作った。
マッサは、カニのように横向きに歩いて、ものすごく狭いところを、何とか、すきまのところまで進んでいった。
近くまでくると、そのすきまは、ちょうど、マッサのひざくらいの高さにあいていることが分かった。
すきまの横幅は、ちょうど、マッサのひざが、ぎりぎり、入るくらいだった。
こんな大きなすきまが、家の壁にあいていたら、だめなんじゃないのかなあ、と思いながら、マッサは狭いところで、無理やりしゃがんで、すきまに顔をおしつけて、外をのぞいた。
「……んっ?」
マッサは、最初、自分の目が、変になってしまったのかと思った。
なぜかというと、すきまの向こうに見える景色が、どう考えても、変だったからだ。
この部屋は、家の二階にある。
ということは、その壁のすきまからのぞけば、外には、もちろん、家の二階から見えるような景色が見えるはずだ。
でも、今、すきまの向こうにひろがっている景色は、そうじゃなかった。
手を伸ばせば届くほどの、すぐそこに、地面があった。
草が生えた地面だ。
まわりには、たくさんの木が生えていた。
上のほうは、木の葉が屋根みたいにかさなっていて、緑色に見えた。
どう見ても、何度見ても、そこは、森の中だった。
「…………んんっ!?」
マッサは、いったん、すきまから顔をはなして、両目をとじて、頭を、ぶるぶるっと振った。
夢を見ているのかもしれないと思って、目を閉じたまま、自分のほっぺたや、頭や、おでこを、手でパチパチと叩いてみた。
それから、目を開けて、もう一度、すきまに顔をおしつけて、むこうがわをのぞいた。
そこは、やっぱり、森の中だった。
息をすいこむと、ぬれた土と、葉っぱのにおいがした。
風がふいて、森の木の葉が、ざあああああっと鳴る音が聞こえた。
おそるおそる、手をのばして、すきまの向こう側に生えている草を、ちょん、と触ってみた。
草は、本物の草だった。
土にも、触ってみた。
ひんやりして、ちょっと湿った、本物の土が、指先についた。
マッサの心臓が、これまでにないくらい、ものすごいスピードでどきどきどきどき、打ちはじめた。
このすきまの向こうは……こっちとは、違う世界だ。
このすきまは、別の世界につながっているんだ!
マッサは、これまで、おじいちゃんがどんなに「くだらん!」と言っても、「そんなことは、本当にはおこらない!」と言っても、きっと、世界のどこかには、おはなしの世界みたいに、魔法があって、いつか、その魔法で、すてきなことが起こるにちがいないと信じていた。
今日、いま、このとき……とうとう、魔法が起こったんだ。
マッサの前に、こことは違う、不思議な世界への道がひらいたんだ!
すきまの向こうに見える森の、ずっと向こうのほうで、あの不思議な白い生き物が、飛び跳ねて遊んでいるのが見えた。
白い生き物は、ぴたっと止まると、マッサのほうを向いた。
そして、なんと、マッサのほうに手を振ったように見えた。
まるで、おいでおいでをするみたいに!
「うん、ぼく、今、行くよ!」
マッサは夢中になって叫んだ。
でも、すきまはめちゃくちゃ狭くて、マッサがどんなにがんばっても、足のつま先からひざくらいまでか、手の指先から肩くらいまでしか、入らなかった。
どうしよう……
どうやったら、このすきまを通り抜けられる!?