マッサの「家出しない」作戦
マッサが、いちもくさんに走っていった先は……おじいちゃんの部屋の前だった。
マッサは、おじいちゃんの部屋の、閉まったドアの取っ手を、そおーっとまわして、音をたてないように、ゆっくり、ドアをあけた。
おじいちゃんは、いつも、自分の部屋のドアには、鍵をかけないんだ。
おじいちゃんの部屋は、きちんとかたづけられていて、あんまり、ものがなくて、どことなく、おじいちゃんのにおいがした。
マッサはどきどきしながら、早歩きで、おじいちゃんの机に近づいていった。
はやくしないと、いつ、おじいちゃんが戻ってくるかわからない。
そうっと、手を伸ばして、おじいちゃんの机の、一番小さな引き出しをあけた。
そこには、いろんなものがごちゃごちゃ入っていたけど、探していたものは、すぐに見つかった。
それは、鍵だった。
さびたような色をした、金属の、古い、大きな鍵だ。
マッサはそれをつかむと、引き出しを元通りにしめて、いそいで部屋を出た。
しんちょうに、ドアを元通りにしめて、マッサは、玄関のほうに……
向かうんじゃなくて、二階へ上がる階段のほうに向かっていった。
実は、この家の二階には、マッサの部屋のほかに、もうひとつの部屋がある。
「あかずの間」だ。
つまり、ぜったいに開かない部屋、ってことだ。
マッサは、その部屋のドアがあいたところを、これまで、一度も見たことがない。
「これは、なんのお部屋?」
と、むかし、おじいちゃんに聞いたことがある。
「あかずの間だ。」
と、おじいちゃんは、なんだか怖い顔をして言った。
「あかずの間って、なに?」
「ぜったいに、あかない部屋、ということだ。」
「どうして、あかないの? 鍵をなくしちゃったの?」
「そうだ。ずっと前から、鍵は、ない。」
「じゃあ、鍵屋さんに来てもらったら?」
「いや、その必要はない。どうせ、中は、ただの物置きだ。中のものも、古くて、ぼろぼろになっとる。そんなもの、いらん。」
……そのときは、それだけで、話は終わった。
でも、マッサは知っている。
実は、おじいちゃんが、その部屋の鍵をもっている、ということを。
その鍵こそが、今、マッサがこっそり持ち出してきた鍵だ。
机の前に座ったおじいちゃんが、ときどき、この鍵を引き出しから出して、長いあいだ眺めているのを、マッサは、ときどき、ドアの隙間から見て、知っていた。
一度だけ、何してるの? ときいたとき、おじいちゃんは、飛び上がってあわてて、鍵をポケットにかくして、何だか知らないけど、マッサをめちゃくちゃ怒鳴ってしかりつけてきた。
そのときは、こわすぎて思わず泣いてしまったけど、同時にマッサは、ははあ、おじいちゃんは、鍵のことをぼくに隠しているんだな、と、ぴんと来た。
その鍵は、きっと、あの「あかずの間」の鍵だということも。
でも、別に、古くてぼろぼろになったものが入っている物置きなんか、あけてみたいと思わなかったから、マッサは、それっきり、鍵のことは気にしなくなった。
どうしておじいちゃんが、あの鍵を、あんなに大事に隠していたのかは、気になったけど、たぶん、銀行の書類とか、貯金とか、そういうのが、あの部屋に置いてあるんだろう。
おじいちゃんは、マッサがそれを誰かにしゃべって、泥棒に聞きつけられたりしたら困る、と思ったのかもしれない……
そんなこと、しないのにな、と思ったけど、まあ、それはどうでもいい。
とにかく、今こそ、マッサにとって、この鍵が必要になるときだった。
作戦は、こうだ。
つまり、これから、マッサは、家出を、しない。
家を出るんじゃなく、逆に、家の中の、見つからない場所に、隠れてしまうんだ!
おじいちゃんは、マッサが家出をしたと思って、外ばっかり探し回るだろう。
マッサの友達の家に連絡したり、近所の人たちに聞いてまわったり、警察にだって、電話をするかもしれない。
でも、みんながどんなに必死に探したって、たとえ、優秀な警察犬が、百頭来て、あたりを嗅ぎまわったって、マッサのゆくえは発見できない。
なぜなら、マッサは、家の中にいるんだから。
そう、ぼくは「あかずの間」の中に立てこもって、おじいちゃんが反省するまで、ぜったいに、何があっても、出ていかないんだ!
リュックサックを背負ったマッサは、どきどきしながら、「あかずの間」の前に立った。
自分も、このドアを開けたことがないけど、おじいちゃんがこのドアを開けたところも、一度も見たことがない。
ほとんど使われていない部屋だから、中は、クモや、コウモリや、ゴキブリなんかの巣になっているかもしれない。
それは、ちょっと、いや、かなり、いやだけど、あんなひどいことをしたおじいちゃんを、完全に反省させるためなんだから、それくらいのことは、がまんしないといけない。
きんちょうしながら、鍵を、鍵穴にさしこむと……
思った通り、鍵はぴったり鍵穴にはまって、ゆっくりひねると、カチャッ! と音がした。
「あかずの間」が、今、とうとう、あいたんだ!
マッサは、深呼吸した。
そうっと、ドアの取っ手を握って、回そうとして――
「あっ! しまった、忘れてた!」
マッサは急に叫んで、鍵穴に鍵をさしたまま、だだだだだーっと一階に駆け下りた。
忘れ物だ、忘れ物だ……
自分のスニーカーを、持ってくるのを忘れていた!
ほこりだらけで、クモや、コウモリや、ゴキブリのふんだらけかもしれない床を、はだしで踏むなんて、ぜったいに嫌だ。
それに、もっと、だいじなことがあった。
いくら、家出に見せかけようと思っても、マッサのくつが、ぜんぶ靴箱に残っていたら、マッサが、外じゃなくて、家の中にいるはずだってことは、すぐにばれてしまう。
「あぶない、あぶない!」
マッサは、大声でそう言いながら、自分のスニーカーを取って、もう一度階段を登って、あのドアの前に立った。
鍵は、もちろん、しっかりと鍵穴にささったままだ。
「よし!」
声を出して、気合いを入れて、マッサは、ドアの取っ手をつかみ、ゆっくりと、ひねって回した……