マッサたち、考える
《死の谷》を越えてからというもの、マッサたちは、一路、北へ、北へと進んでいった。
それまでは、晴れている日が多かったけど、だんだん、空に雲が広がってきて、昼間でも、太陽が見えない時間のほうが長くなってきた。
どんよりとした灰色の曇り空の下を、ずうっと歩いていると、なんだか、気分まで、重苦しくなってくる。
「まあ、雨が降ってこないだけ、ましだと思いましょう。」
ガーベラ隊長が、みんなを元気づけようとして、大きな声で、そう言った。
マッサたち一行は、名前のわからない草がぼうぼうにおいしげった野原や、低い丘が続いているところや、うねうねした小川をいくつも越えなきゃならないところなど、いろんな場所を通り抜けていった。
そのあいだ、敵には、一度も会わなかった。
「へんだな。」
《死の谷》を越えてから、三日目の夜、みんなでテントをはっているときに、マッサは言った。
「大魔王の手下が、ぜんぜん出てこないね。ぼくたちが、ここまで来てるっていうことに、大魔王は、気づいてないのかな。」
「そうかもしれねえぜ。まあ、こっちとしちゃ、そのほうが、ありがてえけどな。」
と、ディールが言って、
「いや、いや。」
と、フレイオが言った。
「そんなふうに思わせておいて、いきなり襲いかかる、という作戦かもしれませんよ。油断は、しないほうがいいと思います。」
「フレイオの言う通りだ。」
ガーベラ隊長が、はっきりと言った。
「ディール、忘れたのか? 魔法使いの塔から、大きなコウモリのような、黒い影が、北に向かって飛んでいったと言っただろう。あれは、ゲブルトが、我々がやってきたことを、大魔王に報告に行ったにちがいない。と、いうことは、少なくとも我々が《死の谷》まで来たという情報は、確実に、大魔王に伝わっているはずだ。」
「あーっ……そうでした。俺は、そのとき、捕まって牢屋に入れられてたんで、実際に見てねえから、すっかり忘れてましたぜ。」
「ぼくたちが、ゲブルトたちをやっつけて、塔を倒しちゃったこと、大魔王は、もう知ってると思う?」
マッサが言うと、ガーベラ隊長は、むずかしい顔をした。
「どうでしょうね。はっきり知っているかどうかは、分かりません。しかし、ゲブルトが『王子がやってきた』という報告だけして、その後、何も言いに来ないのを、大魔王のほうでも、あやしんでいる可能性はあります。」
「ここは、知られている、と考えて、行動したほうが、いいでしょうね。」
と、フレイオもうなずいた。
「とにかく、油断をせずに、あたりに注意しながら進みましょう。」
「うん、うん。……って、ちょっと! ブルー、きいてる? 油断しちゃ、だめなんだよ。」
『ぷっしゅううううう。』
ブルーは、マッサの足元で、まるで古いタオルみたいに、へなへなになっていた。
『おなか、すいた! おいしいもの、すくない!』
「ああ……なるほどね……」
ブルーがすっかり元気をなくしてしまっている理由が、マッサには、よくわかった。
それは、食事の量が、少しずつ、少なくなってきているということだった。
もちろん、みんなが食べるものが、まったくなくなってしまった、というわけではない。
でも、《死の谷》を越えてからというもの、小川には、メダカみたいな小さな魚しかいないし、食べられる実のなっている草や木も生えていないしで、食料をふやすことが、全然できなくなっている。
それでも、食事はしなくちゃならないから、みんなのリュックサックの中の食料は、少なくなるばかりだ。
次に、食べるものが手に入るまで、あと何日かかるか分からないから、みんなは、食事の量を少しへらして、節約することにしていた。
マッサも、前より、お腹がすいたなあ、と思うことが多くなったくらいだ。
ブルーは、もともと食いしん坊だから、マッサよりも、もっとお腹がすいちゃっているらしい。
「確かに、腹は減ったな。」
ディールも、ぽつりと言った。
「あーあ、いいよなあ! 火とか、岩とかが食えるやつは、どこでも、めしに困らなくてよ。……って、そうでもないか。」
『ガフーン……』
見ると、ボルドンも、ちょっと元気のない顔で、白っぽい石ころを、ぽりぽりかじっている。
ボルドンは、黒い岩が好きなのに、このあたりには、白っぽい、小さな石ころしか落ちていないんだ。
「私の食事の火だって、何でもいいわけではありません。」
と、フレイオが言った。
「人間だって、そのへんの土や砂を、口に入れて飲み込もうと思えば、できるでしょうが、そんなのは栄養にならないし、むしろ、体に悪いでしょう? 私の食べる火も、燃やす油がなくなってしまえば、手に入らないんですから。」
「なるほどな。おまえ、その油は、あとどれくらい残ってるんだ?」
「まあ……旅の最初から、ずっと節約してきましたから、あと、一か月分くらいは、なんとかなりそうです。」
「一か月かあ……」
フレイオとディールの話を聞いていたマッサは、思わずつぶやいた。
一か月は、だいたい30日か、31日だ。
それだけあれば、大魔王を倒す旅は、無事に終わっているんだろうか?
「まあ、とにかく、ばんごはんにしましょう!」
それぞれの理由で、なんとなく元気がなくなっている様子のみんなを励ますように、タータさんが大きな声で言った。
「そして、食べたら、お腹がすく前に、すぐに寝てしまいましょう。明日も、どんどん、歩かなくちゃならないんですから!」
『おいしいもの!』
急に元気になって、ブルーがしゃっきりと立ち上がった。
『おいしいもの、ある? おおい? すくない?』
「うーん……ちょっと、すくないけど、よくかんで食べたら、いっぱい食べたみたいな気持ちになるよ。はい、これ、ブルーのぶん。」
『すくない! ぼく、よく、かむ! モグモグモグ……』
「おいっ、ひとりだけ、先に食うなよっ!」
「まあ、まあ。」
タータさんが、みんなのぶんの木の実を、同じ数ずつ分けながら言った。
「これも、海に出るまでの、がまんです。海には、いっぱい、魚がいるんでしょう? みんなで、魚釣りをして、つった魚を、たき火で、焼き魚にすれば、お腹いっぱい食べられますよ。それに、食べられる貝や、海藻なんかもありますよ。」
「……あれっ?」
マッサは、ふと気になって、たずねてみた。
「タータさんの住んでたところって、近くに、海なんか、なかったよね? それなのに、どうして、海のこと、いろいろ知ってるの?」
「ええ、わたしたちの村の近くには、海は、ありません。でも、昔、海のほうから来た旅人たちに、いろんな話をきかせてもらったんです。
ああ、あのころは、いろんなところから、いろんな人たちが旅をしてきて、わたしたちに、たくさん、おはなしをしてくれたものですよ! わたしは、そのころからずっと、一度、海ってどんなところだか、見てみたいと思っていたんです。
この旅に出たおかげで、もうすぐ、本当に、海を見られるんですから、うれしいですねえ!」
「まったく、のんきなやつだぜ。この旅は、大魔王と戦って倒すための旅で、海水浴の旅行じゃねえんだぞ。」
と、ディールが、ぶつぶつ言って、
「いや、逆に、これくらい、ゆったりした気持ちでいたほうが、へたに緊張して、がちがちになっているよりも、いざというとき、すばやく動けて、いいかもしれないな。」
と、ガーベラ隊長が言った。
それを聞いていたマッサも、
(ぼくも、あんまり、緊張しすぎずに、少しだけ、力を抜いておこう。)
と思った。
今から、あんまり、がちがちに力を入れすぎていると、大魔王と戦う前に疲れてしまって、ちゃんと戦えないかもしれないからだ。
「とにかく、今は、食べることに集中して、よくかんで、栄養をつけて、力をためておきましょう。」
タータさんが、みんなに木の実をくばりながらそう言って、みんなは、少ない木の実を、できるだけ長く、もぐもぐかんで、少しずつ飲みこんだ。
ボルドンは、小さな白い石ころを、爪の先で地面から掘り返しては、ぽりぽりと、かじっている。
フレイオは、お皿の上に少しだけ垂らした油に火をつけて、ぽっと立ちのぼった煙を、ふうっと吹いた。
かすかにきらきら光る煙は、まるで小さな蝶か、小さな小さな小鳥のように、きらきらと空高くのぼって、消えていった。