ディール、震える
ぼくの《守り石》を貸してあげたんだから、ディールさんは、もう大丈夫だ。
マッサは、そう思っていたのに、
「ううっ……痛い、痛い! 死にそうだ! 助けてくれーっ……!」
ディールのようすは、《守り石》をかける前とまったく変わらず、苦しそうなままだった。
『ディール、いたい? まだ、いたい? かわいそう! がんばれ、がんばれ!』
ブルーが、叫びながら、ディールのまわりを、ぐるぐる走り回る。
「えっ……なんで!? 《守り石》を貸してあげたのに、なんで、治らないの!?」
「あっ、もしかして!」
と、タータさんが言った。
「《守り石》には、そんな力は、ないからじゃないですか?」
「えっ、タータさん、何、言ってるの? 《守り石》をかけている人は、絶対に、病気やけがで死なないんだよ! 実際に、ぼくだって、あんな高い空の上から落っこちたのに、どこにも、けがなんか、してないでしょ?」
「ええ、そうです、これをかけた人は、絶対に、病気やけがで死なないんですよね。だから、持ち主が大けがをしそうなときには、完璧に守ってくれる。きっと、病気にも、かからないように、防いでくれてるんでしょう。」
と、タータさんは言った。
「でも、もう、すでに、病気になっちゃっている人の場合は、どうでしょう?」
「えっ?」
「《守り石》にできるのは、これから病気になるのを、ふせぐことであって、もう、病気になっちゃっているのを、治すということは、できないんじゃないでしょうか?」
「ええっ!? て、いうことは……もう、手遅れで、ディールさんは、このまま死んじゃうってこと!? 嫌だよ、そんなのっ!」
「いや……」
横で真っ青な顔をしたまま聞いていたガーベラ隊長が、首を横に振った。
「《守り石》をかけている者は、絶対に、病気やけがで、死ぬことはない。それは、確かです。……ただ、《守り石》には、病気を治す力はない、というだけのこと。」
「えっ……死なないけど、病気は治らない……って、つまり、どういうこと!?」
「つまり、このままにしておいたら、ずっと『今のまま』ということだと、思いますよ。」
と、タータさんが言った。
「死なないけど、病気が治ることもない。病気が治らないまま、生き続ける、ということです。ディールさんの病気を治すためには、ちゃんと、別の手当てをしてあげなければ、ディールさんは、いつまでも、この状態のまま、苦しみ続けることになってしまうんじゃないでしょうか……」
「ええーっ!」
死にそうなほど痛い状態が、ずっとずっと続くなんて、最悪だ。
ここにいる誰も、心臓の病気を治せるようなわざや、薬は持っていない。
ディールを、一刻もはやく、心臓を治せるようなお医者さんか、そういう魔法を知っている魔法使いのところに、連れていってあげないと!
「あっ!」
必死に考えたマッサは、ひとつ、いいアイデアを思いついた。
「そうだ、ボルドンに頼もう! ディールさんを、ボルドンの背中に乗せて、《魔女たちの城》まで、連れて帰ってあげようよ! あそこなら、おばあちゃんだっているし、他にも、病気を治す魔法を知ってる魔法使いの人たちが、いっぱいいるはずだよ!」
「……確かに、それしか、ないと思います。」
ガーベラ隊長が、ぎゅっと拳を握りしめながら言った。
「感謝します、王子。せっかく、ここまで来たのに、ディールのために――」
「なに言ってるの、隊長! そんなの、当たり前だよ。友達が、苦しがってるのに、放っておくなんてできないよ。」
本当は、まず先に、お母さんを《魔女たちの城》に連れていってあげようかな? と思っていたけど、こうなってしまったからには、まず、苦しんでいるディールを助けてあげることのほうが先だ。
マッサは、みんなの顔を見回した。
「ブルー、お願い! ボルドンが、下の中庭にいるはずだから、走っていって、今の話を、ボルドンに教えてくれる? それで、この塔の入り口の前まで来て、待ってて、って、伝えて!」
『わかった! ……いまのはなしって、なに!?』
「えっ!? だから、それは、つまり……ディールさんが病気だから、《魔女たちの城》まで、急いで運んであげてほしい、ってこと! 分かった?」
『わかった! ぼく、つたえるっ!』
ブルーは、全身の白い毛を、ぶわわっ! とふくらませて飛び上がると、そのまま、だだだだだーっと、すごい速さで塔の階段をかけおりていった。
「今、ブルーが、ボルドンに知らせにいってくれたから、みんなで、ディールさんを、塔の下まで運びおろそう!」
「ええ!」
ガーベラ隊長が、さっそく、ディールのそばにかがみこむ。
「タータさん、悪いが、ディールの両わきの下から腕を回して、抱え上げてくれないか? 私は、こいつの足を持ち上げる。」
「いや、それよりも、わたしが、ディールさんをおんぶしたほうが、早いでしょう。」
「ああ、なるほど、それじゃあ……」
ガーベラ隊長とタータさんが、ディールの体を持ち上げようとしているあいだに、マッサは、急いで屋上の手すりに駆け寄った。
ブルーが、さっきの話を、ちゃんと間違いなくボルドンに伝えてくれているかどうか、塔の上から見下ろして、確かめようと思ったからだ。
ガーベラ隊長に支えられながら、タータさんにおんぶされようとしていたディールは、胸を押さえてうなりながら、薄く目をあけて、その様子を見ていた。
マッサが、ひとりで、みんなから離れて、屋上のはしに走っていくところを。
その瞬間に、ディールは、胸を押さえていた手をおろした。
うなり声をあげるのもやめた。
「お……」
もしかして、治ったのか? という顔で目を見開いたガーベラ隊長の、腰にさがっている短剣を、ディールは、さっと手を伸ばして引き抜いた。
そして、隊長がそのことに気づいて動くよりも一瞬はやく、マッサに向かって、突進した。
「え?」
いつまでたってもディールがおぶさってこないのを変に思ったタータさんが、ぽかんとして振り向くが、そこに、もうディールはいない。
マッサは、屋上の手すりに両手をついて、ボルドンとブルーが塔の下で話しているのを見下ろしていた。
自分の後ろから、短剣を構えたディールが走ってきていることなんて、まったく知らないまま――
「マッサ!」
急に、そんな声が聞こえて、どん! と、背中に何かが思いきりぶつかった。
「うわぁっ!?」
マッサは大きく前につんのめり、もうちょっとで手すりを乗り越えて、墜落するところだった。
今のマッサは《守り石》を身につけていないし、さっきのゲブルトとの空中戦で、空を飛ぶ魔法の力も、使い切っている。
ここから地面に落ちたりしたら、間違いなく死んでしまうだろう。
マッサは、とっさに背中をぐっと丸めて、足をふんばり、両手で、手すりをぎゅうっとつかんで、ぎりぎりのところで踏みとどまった。
「ちょっとっ!? 危ない――」
さすがにかっとして怒鳴りかけたマッサは、ばっと振り向いたところで、えっ、と目を見開き、凍りついた。
そこに、ディールと……フレイオが、いた。
マッサに寄りかかるような姿勢で、背中を向けて立っていたフレイオが、ゆっくりと、横向きに倒れていく。
そして、あらわれたディールは、ぼうっとした顔をして、マッサをじっと見つめていた。
その手には、真っ赤にきらめく血にぬれた短剣が握られていた。
倒れたフレイオの体から、きらきら光る赤い血が、どんどん流れ出して、広がっていく。
「えっ――」
マッサは、頭が真っ白になった。
どうして、フレイオは、血を流してるんだ。
どうして、ディールは、短剣なんか持ってるんだ。
まさか。嘘だ。
こんなの、嘘に決まってる。
だって、こんなこと、あるわけがない――
「ディールッ!」
すさまじい怒鳴り声とともに、誰かが、後ろからディールの肩をつかんだ。
振り向いたディールのほっぺたに、ガーベラ隊長の、手加減なしのパンチがぶち当たる。
「ぐあっ……」
殴られた衝撃で、ディールの耳の穴から、ぽーん! と、黒い芋虫のようなものが飛び出した。
黒い芋虫は、こそこそと這って、その場から逃げ出そうとしたが、大きくよろめいたディール自身の右足のかかとが、ぶちっ! と、そいつを、まともに踏みつぶした。
カツーンとかたい音を立てて、ディールの手から落ちた短剣が、屋上の床にぶつかる。
「い……いってえええええっ!?」
真っ赤にはれたほっぺたを押さえて、ディールは、信じられないという顔で叫んだ。
「なん……えっ!? はぁっ!? 意味がわからねえ! なんで、隊長、俺を殴ったんですかい!?」
「ばか者ぉっ! ディール、おまえっ……自分のっ、自分のしたことがっ、分かっているのかっ!」
「はあ?」
ディールは、怒りのあまりに言葉がすらすら出てこないでいるガーベラ隊長を、何のことだ、という顔で見た。
ゲブルトに操られていたあいだの出来事は、彼の記憶から、すっぽりと消えてしまっていたのだ。
でも、血を流して倒れているフレイオと、自分の足元に落ちた、血にぬれた短剣を見た途端、さっとディールの顔色が変わった。
「えっ……何だ、これ……えっ……えっ!?」
「ディールさん! なんで!?」
それまで、あまりのことに言葉もなく立ち尽くしていたマッサが、ようやく、しぼりだすように叫んだ。
「なんで、こんなことしたの!? 仲間なのに、なんで、フレイオにこんなこと……なんでっ!?」
「えっ!? ええっ!?」
いったい何が起きたのか、分かってくるにつれて、ディールの膝が、がくがくと震えはじめた。
「俺が……俺が、こいつを……!? 嘘だ、そんな……俺、何も知らねえ!」
「そんな言い訳が、通用すると思うのかっ!? おまえは、その手で、フレイオを――」
「いや、待ってください!」
怒りすぎて涙を流しながらディールに殴りかかろうとしたガーベラ隊長を、タータさんが止める。
「さっき……何か、黒いものが、ディールさんの耳から、飛び出すのが見えました! ひょっとすると、ディールさんは、魔法であやつられていたのでは!?」
全員が、はっとして、ゲブルトの死骸があるほうを見た。
翼と角のある蛇の姿は、今まさに、真っ黒な影のようにぼやけて、しゅうしゅうと音を立てて、消えていくところだった。
「フレイオ……フレイオっ!」
倒れたフレイオに駆け寄って、その体を揺さぶりながら、マッサは叫んだ。
「フレイオ、しっかりして! ねえ、目を開けてよっ!」
「マッ、サ……」
ささやくような、かすかな声が聞こえて、マッサは、はっとした。
フレイオが、閉じていた目を、薄く開いて、マッサを見ていた。
「これで……いいん、です……」
「何が、いいの!? よくないよ! ねえ、しっかりして!」
「――おい! ディール!」
ガーベラ隊長が、急に何かに気づいて、大声をあげた。
「それを、貸せっ! はやくっ!」
「……はっ……?」
呆然として、何を言われたのか分かっていないディールの目の前に、ガーベラ隊長は突進して、
「これだ!」
と、ディールが胸にかけている《守り石》を、ばんばん叩いた。
やっと気づいたディールが、慌てて、自分の首から《守り石》を外そうとする。
でも、あまりのショックに、指が震えていて、なかなか、うまく外すことができない。
「ああ、もう! 手をどけろ、私がやる!」
そのあいだにも、マッサと話しているフレイオの目の輝きは、少しずつ、薄れはじめていた。
「マッサ、あなたが、助かって……よかった、ですよ……」
「いやだ、いやだよ! ぼくを守ろうとして、フレイオが死んじゃうなんて嫌だよ! 元気になってよ!」
「はは……そういう、魔法……私が、使えれ、ば……」
フレイオの目の輝きが、どんどん薄れて、まぶたが、だんだん下がってくる。
「フレイオ! フレイオ!」
「マッサ、あなたの、旅……きっと……」
「王子っ!」
ガーベラ隊長が、ものすごい勢いで走ってきて、
「これを!」
と、マッサに《守り石》を渡した。
マッサは、目を見開いた。
これ以上ないほど急いで、フレイオの首に《守り石》をかけた。
でも、そのときには、もう、フレイオは両方の目を閉じて、何も言わなくなっていた。