マッサ、戦う
『分からないのね。』
女の人の声が答えた。
まるで、泣いているみたいな声だ。
『それも、無理はないわ。私だって、とても信じられない。でも、夢じゃないのね。本当に、あなたが来てくれた。何度も、諦めかけたの。あなたは、もう死んでしまったかもしれないって。……でも、私は、希望を捨てなかった。』
「えっ?」
相手が泣いているし、何を言っているか分からなくて、マッサは、どぎまぎした。
「何のこと? あなたは、いったい、誰ですか? ぼくのこと、知ってるんですか?」
『ええ。』
そう言った声は、泣いているのに、笑っているみたいな声だった。
『マッサファール。私は、ずっと、あなたを待っていた。十年前、あなたと別れたときから、ずっと、きっと生きていると信じていた。いつか、あなたともう一度、会える日が来るって。』
マッサは、柱に当てていた両手も、膝も、体全部が、ぶるぶる震え出すのを感じた。
この女の人は、ぼくの本当の名前を知ってる。
十年前に、ぼくと別れて、それから、ずっと、ぼくと会える日を待っていた――
「お、お……」
体だけじゃなくて、声も、ぶるぶる震えた。
目から勝手に涙があふれ出して、マッサは、冷たい柱にしがみついた。
「お母さん!? そうなの!? ぼくの、お母さん!?」
『そうよ。あなたに会えて、こんなに嬉しいことはない! 大きくなったわね、マッサファール。』
「お母さん! お母さん!」
マッサは、泣きながら抱き着いて、ほっぺたをぎゅーっとしようとしたけど、冷たい柱にぶつかって、跳ね返された。
「ぼく……今、お母さんを出してあげるからね! こんな柱、ぼくの剣で、真っ二つにしてやる!」
マッサは、すぐに剣を引き抜くと、野球のバットみたいに振りかぶり、柱の下の方に、真横から切りつけた。
下の方を狙ったのは、柱を切るつもりで、お母さんまで傷つけるようなことになったら、絶対にいけないからだ。
でも、
カィイイイイン!
「うわっ!?」
高く澄んだ音とともに、びいぃぃんと弾かれる手ごたえがあって、マッサは、剣を落として尻餅をついた。
見ると、透明な柱には、傷ひとつついていなかった。
石の隠し扉は真っ二つに切ったマッサの剣も、この柱には、まったく効かなかったのだ。
『無理よ。』
お母さんの声が響いた。
『私を閉じ込めている、この柱は、大魔王の魔法でできている。たとえ、どんな剣であっても、これを切ることはできないわ。』
「大魔王の、魔法!?」
『そうよ。十年前の戦争のとき、私は、ここで大魔王と戦って、魔法で閉じ込められてしまった。
この柱は《死の谷》の霧を固めてできたものなの。普通の魔法なら、私の力で破ることができたけど、《死の谷》の霧の力のせいで、私の魔法は弱められてしまった。もう少しで、谷底に落とされるところだったけど、何とか抵抗して、ここに踏みとどまり続けた。今は、こうして、心の声で、近くまで来たあなたに呼びかけるのが精一杯。』
マッサは、大魔王に腹が立つのと、お母さんを尊敬するのとで、胸がいっぱいになって、しばらくは、ものも言えずにその場に突っ立っていた。
あの霧の力で閉じ込められても、まだ、大魔王に抵抗したり、心の声を使ったりすることができるなんて、お母さんは、本当に偉大な魔法使いなんだ。
そんなお母さんを、十年も、こんな薄暗いところに一人で閉じ込めておくなんて、大魔王は、絶対、絶対、許せない!
「ねえ、どうすれば、お母さんをここから出してあげられるの!?」
『魔法を使うしかないわ。今、この魔法を解くことができるのは、大魔王本人をのぞけば、私のお母さん――つまり、あなたのおばあちゃんか、《東の賢者》ベルンデールくらいでしょう。お二人が、今も生きていればの話だけれど……』
「大丈夫!」
マッサは、お母さんを安心させようとして、元気よく言った。
「おばあちゃんは、元気だよ! ぼく、会ったんだ。お母さんのこと、心配してた。お母さんがここにいたって分かったら、おばあちゃん、すごく喜ぶよ!
それに、ベルンデールさんも、元気だよ。今は、ぎっくり腰らしいけど。……あっ、ぼく、今ちょうど、そのベルンデールさんの弟子の人と、いっしょに旅をしてるんだ。フレイオっていって、すごく強い魔法使いだよ。あっ、そうだ! 今すぐに、フレイオにここに来てもらって、なんとか魔法が解けないかどうか――」
『待って!』
急に、お母さんが鋭く言ったので、マッサは、はっとして口を閉じた。
まるで、暗闇の中で耳を澄ますみたいに、お母さんが集中しているのが伝わってくる――
『誰か、来るわ!』
「えっ!?」
マッサは、一瞬、頭の中が真っ白になりかけた。
そうだ、こんなふうに、のんびり喋ってる場合じゃない。
いつ、ここに魔法使いが来ても、おかしくないんだった!
「どっ、ど、ど……」
きょろきょろしながら、どうしよう、と言いかけて、マッサは、はっと思い付き、落とした剣をすばやく拾ってから、ベルトにはさんでおいた布を、頭から引っかぶった。
そして、ふわふわ、ふわふわと、幽霊マントの動きのまねをしはじめた。
「……こっ、これは!?」
らせん階段を、上から駆け下りてきて、割れた隠し扉から踏み込んできたのは、ドリアスだった。
目を見開き、お母さんが閉じ込められた柱に近寄っていく。
「ここは……父上しか入ってはならない、秘密の倉庫のはず……何だ、この柱は!?」
どうやら、ドリアスは、ここに魔女たちの女王が閉じ込められていることを、知らされていなかったらしい。
疑い深い父親のゲブルトは、息子にさえも、秘密を教えていなかったのだ。
「むっ!?」
ドリアスの目が、ぎろりと動き、そこに、ふわふわと漂っている、一体の幽霊マントを見た。
「何だ、貴様は……? 幽霊マントが、なぜ、ここにいる。妹の命令か?」
マッサは、何も答えず、マントの布の下で、ぎゅっと剣のつかを握りしめた。
その様子をにらみつけていたドリアスの顔色が、さっと変わった。
「貴様、……幽霊マントでは、ないな!? 何者だっ!?」
そのとき、
ガキィィィン! ガランガラン!
と、塔の下の方から、固いものがぶつかりあうような、激しい物音が響き渡った。
「何だ!?」
と、今にも魔法を放とうとしていたドリアスが、つい音に気をとられた、その瞬間!
「うおおおおぉっ!」
幽霊マントの布を振り払ったマッサが、剣を構えて飛び出し、ドリアスに切りつけた!
バサアッ!
「ぐわあぁっ!?」
真っ向から切られたドリアスの体から、真っ黒な煙が、ぶしゅううううっと噴き出し、あたりが一面、黒く染まる。
「お、お、おのれ、王子め……っ!」
「ゴホッ、ゴホッ!」
黒い煙をまともに吸い込みそうになって、むせたマッサが、慌てて見ると、ドリアスが立っていた床には、彼が着ていた服と、死んだ巨大なコウモリの体が落ちていた。
「わっ!?」
マッサは、びくっとして後ずさった。
人間の魔法使いだとばかり思っていたら、コウモリの化け物が、変身していたなんて。
「……そ、そうだ。ディールさんと、隊長……!」
ドリアスを倒した衝撃で、ぼうっとしかけていたマッサは、はっと我に返った。
さっきの激しい物音は、下の方から聞こえてきたような気がする。
もしかしたら、ディールとガーベラ隊長の身に、危険が迫っているのかもしれない!
「お母さん!」
柱に駆け寄り、両手を押し当てて、マッサは叫んだ。
「ごめん、ちょっとだけ、待ってて! ぼく、友達を助けに行かなくちゃ。また、すぐに戻ってくるからね。約束する!」
『分かったわ。どうか、気をつけて!』
お母さんの言葉に、大きくうなずき、マッサは隠し部屋から飛び出して、らせん階段を駆け降りていった。