ガーベラ隊長、決断する
* * *
ガーベラ隊長は、慎重な足取りで、らせん階段をくだり続けていた。
幽霊マントのような、ふわふわした動きをしながらも、マントの布地の下では、ずっと片手で剣のつかを握り続けている。
なにしろ、らせん階段は、二人の人間がすれ違うのがやっと、というくらいの狭さだ。
もしも、下から敵の魔法使いが上がってきたら……あるいは、上から降りてきたら、隠れる場所も、逃げる場所もない。
いつ、敵と出くわしても、すぐに戦えるという気構えをしておかなくてはだめだ。
慎重にくだり続けるうちに、やがて、らせん階段は終わりに近づき、一番下の床と、そこに漏れる部屋のあかりが見えてきた。
(あそこか!)
ガーベラ隊長は、後ろにいるはずのマッサに、動きで合図を出しながら、足音を立てずにぴたりと立ち止まった。
そして、今度は、これまでよりもさらに慎重に、時間をかけて階段を下りながら、様子をさぐる。
下に見えている部屋の入り口には、扉もなく、完全に開けっ放しの状態だった。
(妙だな。)
隊長は、幽霊マントの布の下で顔をしかめた。
最上階の部屋と同じで、牢屋にしては、開けっ放しすぎる。
本当に、あの部屋に、ディールが捕まっているのか?
捕まっていたとして、ディールは、一人なのか、それとも、部屋の中には、魔法使いもいるのか?
(まずは、私が、中をのぞいてみましょう。)
と合図を出そうとして、マッサのほうを振り向いたガーベラ隊長は、もうちょっとで、
(なっ!?)
と、声に出して叫んでしまいそうなくらいに驚いた。
さっきまで、確かに自分の後ろについてきていたはずのマッサの姿が、どこにもない!
(王子は、どこだ!?)
いつもは冷静なガーベラ隊長だが、この時ばかりは、さすがにパニックを起こしそうになった。
この、ほんの短いあいだに、一本道のらせん階段で、いったい、何が起きたのか?
まさか、魔法で、一瞬にしてさらわれてしまったとか、落とし穴に引っかかって、落ちてしまったとかいうことでは……!?
(いや、待て、待つんだ……落ち着け。)
ガーベラ隊長は、その場に立ち止まったまま、必死に自分に言い聞かせた。
(そんなはずはない。もしも、王子がさらわれたのなら、声や物音のひとつくらいは、必ず聞こえたはずだ。それに、落とし穴なんかの仕掛けがあったんだとしたら、先に進んでいた私が引っかかっていないのは、おかしいじゃないか。
らせん階段の進む先は、降りるか、のぼるかの、どちらかしかない。
そういえば、さっき、王子は『ディールさんは、どこに捕まってるんだろう?』と言っていた。私は、地下に間違いないと言って、こちらに来たが……もしかしたら、王子は、やっぱり上が怪しいと思って、階段をのぼっていったのかもしれない……)
ガーベラ隊長は、降りながら、後ろの様子をしっかり確認しなかったことを悔やんだ。
だが、いまさら悔やんだところで、どうなるものでもない。
(こうなったら、仕方がない! 急いで、この部屋の中を確認し、ディールがいれば助け出す。もし、いなければ、すぐに引き返して、王子と、ディールの両方を探さなくては!)
* * *
一方、その頃、
「はぁ……」
ディールは、牢屋の天井からぶら下げられたまま、ため息をついていた。
自分をぶら下げている魔法の糸を切ってやろうと、思いきり体を前後に振って、ぶらんこを漕ぐみたいにぶんぶん揺れてみたのだが、疲れただけで、まったく意味がなかった。
リアンナの魔法のクモの糸は、それほどまでに強力で、どんなに激しく、長く揺らしても、繊維のひとすじさえ、切れる気配もなかったのだ。
(まずいぜ……こんなふうに縛られていたんじゃ、文字通り、手も足も出ねえ。あの娘が帰ってきて、おかしな薬を飲まされちまったら、俺は、心を操られて、あいつの言いなりに、……ちくしょう! そんな成り行きは、絶対にごめんだぜ!)
ディールは、疲れ果ててあきらめそうになる自分を、何とか奮い立たせて、もう一度、体を揺さぶってみようと思った。
百回やっても駄目だったことが、百一回目に、急に成功する、ということも、よくあるからだ。
(よし!)
と、気合いを入れたとたんに、
「おっ!?」
と唸って、ディールは動きを止めた。
らせん階段から、牢屋の中に、ふわふわと、一体の「幽霊マント」が入ってきたからだ。
(なっ、何だ……? 俺を、見張りに来たのか? それとも、奴の気が変わって、俺を処刑するために、送り込んできたのか?)
ディールは緊張して幽霊マントを見つめたが、その幽霊マントのほうは、ゆっくりとあたりを見回すような動きをするばかりで、動こうとしない。
「おいっ!」
ディールは、幽霊マントに向かって怒鳴りつけた。
そんなことをしたって、相手が返事をしないこと、それどころか、たぶんこちらの声を聞いてすらいないことは分かっていたが、何か言わずにはいられなかったのだ。
「何だ、てめえは!? 何しに来やがった、この野郎!」
「何しに来やがった、とは、ずいぶんな挨拶だな。」
その声が聞こえた瞬間、ディールは、目を丸くした。
彼は、その声を、とてもよく知っていたからだ。
ディールの目の前で、幽霊マントの布が、ばさっ! と跳ね上がり、中からガーベラ隊長の姿があらわれた。
「おまえを助けにきたに決まっているだろう。まったく、世話のかかる奴だ。」
「隊長!?」
ディールは、信じられないという顔で言った。
「お一人で、ここまで、いらっしゃったんですかい!?」
「いや、王子がご一緒だったのだが……そこで、はぐれてしまってな。」
「えっ、はぐれ……えええっ!?」
「ばか者、大きな声を出すな!」
ガーベラ隊長に叱られて、ディールは、慌てて口を閉じた。
「とにかく、急いで、ここを出るんだ。それから、二人で王子を探すぞ。」
「ええ、そりゃ、もちろんですが……この糸が、どんなに揺さぶっても、思いっきり力を入れても、全然切れねえんです。」
ディールは、情けない顔で言った。
「ここで、ぐずぐずしてたら、魔法使いが戻ってくるかもしれねえ。そしたら、隊長までやられちまう。もし、どうしようもなけりゃ、俺のことは見捨てて――」
「ばか者、そう簡単に、あきらめるな。」
ガーベラ隊長は、ほんの短いあいだ、考えていたが、
「よし。」
と呟いて、すらりと剣を引き抜いた。
ディールは、ぎょっとした。
かなり高いところにぶら下げられているから、ガーベラ隊長が剣を振り回したら、剣の先は、自分の足に当たる。
「た、隊長! 何する気です?」
「動くなよ。」
ガーベラ隊長は、そう言って、大きく剣を振りかぶった――