崖の上の人々
* * *
「ブルー、フレイオ! あそこにいる魔法使いたちは、大魔王の手下だ。大変なことになった。王子がやられた。ディールが捕まった!」
「いや、こっちも、今、大変なことになってるんです! 助けてください!」
ボルドンに助け出されて、茂みのところまで戻ってきたガーベラ隊長とタータさんが見たものは、暴れるブルーを何とか捕まえて、ばりばり引っかかれて傷だらけになったフレイオの姿だった。
『はなして、はなして! マッサがおちた! ぼく、マッサたすける! はなして! はなしてくれないと、ぼく、かむ! ひっかく!』
ブルーは、マッサのことが心配すぎて、すっかり凶暴になってしまっている。
『グルルルル、ガオーン……』
ボルドンが、何か優しく言いながら、じたばたするブルーを、フレイオの手からそーっと受け取った。
そして、どすーんと地面に座り込むと、ブルーをおなかに抱っこして、優しくよしよしした。
「いたたたた……まったく、ひどい目に遭いました。」
腕や顔の傷をなでて顔をしかめながら、フレイオが言った。
「でも、ブルーが半狂乱になるのも、無理はない。マッサが落ちていくところは、ここからでも、はっきり見えました。あそこに住んでいる魔法使いは、大魔王の手下だったんですって? マッサは、そいつにやられたんですか?」
「ああ。」
ガーベラ隊長は、自分たちが罠にはまったときの様子を、フレイオに短く説明した。
そして、悔しそうに、だんっ! と地面を踏みつけた。
「うかつだった! みすみす、こんな罠にかかってしまうとは。ディールが話したと言っていた、リアンナという娘も、魔法使いだったんだ。」
「わたしたちは、ボルドンさんに助けだしてもらえたんですが、ディールさんは、逃げるときに、魔法で捕まえられてしまったんです。」
しょんぼりしながら、タータさんが言った。
「ああ、なんてことだろう。マッサは、《死の谷》に落ちてしまうし、ディールさんは、捕まってしまうし! わたしたちは、いったい、どうしたらいいんでしょう?」
「少なくとも、王子は、まだ生きていらっしゃるはずだ。」
ガーベラ隊長が、真剣すぎて怖いくらいの表情で言った。
「なぜなら、王子は《守り石》を持っていらっしゃるからだ。たとえ《死の谷》に落ちても、《守り石》の魔法の力で守られているかぎり、王子が亡くなる、ということだけは、絶対にない。」
「あっ!」
ガーベラ隊長の言葉を聞いていたタータさんが、急に、ぱあっと顔を輝かせた。
「なあんだ! 魔法! そうだ、そうですよ! よく考えたら、心配することは、ないじゃないですか。マッサは、空を飛ぶ魔法を使えるんですから、自分で、びゅーんと飛んで、ここまで上がってこられるじゃないですか!」
「おおっ!」
ガーベラ隊長の顔も、明るくなった。
「そうだ、そのことを忘れていた! では、王子については、我々は、ここで待っていれば大丈夫、ということだな。」
『――はっ!? マッサ、だいじょうぶ? マッサ、もうすぐ、かえってくる?』
ボルドンのおなかに抱っこされて、だいぶ落ち着いたブルーも、嬉しそうに叫んだ。
「しかし……あの塔には、大魔王の手下たちがいるんでしょう?」
フレイオが、複雑な表情になって言った。
「そいつらが、塔から出て、追いかけてきたらどうするんです? 今のうちに、私たちだけでも、いったん、離れたところまで逃げたほうがいいのではありませんか?」
「……いや。」
ちょっと考えて、ガーベラ隊長は、すぐにかぶりを振った。
「もしも、我々がここから移動してしまったら、王子が崖から上がってきたときに、合流することができなくなるかもしれない。もうしばらく、この場に残ろう。」
「しかし、もしも、敵が塔から出て、追撃してきたら――」
「いや……おそらくは、大丈夫だ。」
ガーベラ隊長は、塔のほうをにらみながら言った。
「なぜなら、もしも、敵に追撃する意思と力があるなら、今、もう、そうしているはずだからだ。今、それをしていない、ということは、する気がないか、できないか、のどちらかだろう。
敵は、中身のないマントを大量にあやつって、我々を襲ってきた。あれが、奴らの戦力なのだ。ものをあやつる魔法は、自分との距離があまりにも遠くなれば、効かなくなる。あの塔から、幽霊マントたちだけを送り出して、こちらを追いかけるということは、できないのだろう。」
『ぼく、マッサまってる! ここで、マッサ、まってる!』
「ああ、そうしよう。そして、王子が戻っていらっしゃったら、次は、みんなで、ディールのやつを助け出してやらなくては。」
* * *
一方、そのころ、魔法使いの塔では――
「まーったく、お兄さんったら、だらしがないんだから! 自分の魔法の火の玉で、王子と一緒に吹っ飛んじゃって気絶するなんて、いったい、どうなってるのーっ? あたしが、うまく空中でキャッチしてあげなかったら、お兄さん、今ごろ、地面に落っこちて、ぐしゃーって潰れてたわよ、ぐしゃーって!」
「ええい、うるさい!」
妹のリアンナを怒鳴りつけて、ドリアスは、いらいらと部屋の中を歩き回った。
彼は、爆発に巻き込まれて気絶したところを、リアンナに助けられて、ついさっき、目を覚ましたところだった。
「俺だって、自分で、失敗したと思っているんだ。それを、しつこく、ぎゃあぎゃあ言うな!」
「ふーんだ! 何よ、えらそうに! だいたい、あたしのおかげで命が助かったのに、お兄さんったら、まだ、あたしに、お礼も言ってないんですけどー? ちゃーんと、お礼を、言ってほしいんですけどー?」
「うるさい! その言い方が、いらいらすると言うんだ! 礼を言う気がなくなる!」
「はぁー? 何よ何よ、お兄さんなんか――」
「やめんか、二人とも。」
リアンナとドリアスのきょうだいげんかを、重々しく止めたのは、父親のゲブルトだ。
「ドリアスよ、確かに、おまえは大きな失敗をしたぞ。とんでもなく大きな失敗だ。王子を、みすみす逃がしてしまうとはな。……大魔王さまが、このことをお聞きになったら、いったい、何とおっしゃるか――」
「しかし、父上。」
と、ドリアスは、慌てて言った。
「王子は、逃げたのではありません。王子が気を失って《死の谷》に落ちていくのを、リアンナが、確かに見たと言っているのです。」
「ええ、そうよ! それは、あたし、確かに見たわ。」
ドリアスの横から、リアンナがうなずく。
それでも、ゲブルトは、しぶい顔のままだった。
「だが、落ちた先で、王子が生きているか、死んでいるか、それを確かめることは、できておらんだろうが。」
「それは……それは、確かにそうですが、どちらにせよ、王子は、もうおしまいです。」
ドリアスは、自分の失敗をとりかえそうとして、いっしょうけんめい言った。
「なぜなら、一度《死の谷》の霧の中に迷い込んだものは、二度と出てくることはできないからです。あの霧は、自分の姿も見えなくなるほど濃い上に、方向感覚を完全に麻痺させてしまう力を持っている。それだけではない。あの霧は、魔法の働きを弱める性質も持っているのです。
ほら、さっきから、私はずっとここの窓から見張っていますが、王子が魔法で飛び上がってくる様子は、まったくありません。もしも今――まあ、そんなことは、万に一つもないとは思いますが――王子が生きていたとしても、飛ぶ魔法を封じられては、もう、どうにもならない。王子は、あの霧の中をさまよい続け、やがて、力尽きて命を落とすことでしょう。」
「ふん。」
ドリアスの説明を聞いて、ゲブルトは、しぶい顔をほんの少しやわらげた。
「なるほどな。……しかし、油断をするな! なにしろ、あの女の息子なのだからな。どんな力を持っておるか分からん。しばらくのあいだは、目を離すことなく、《死の谷》の見張りを続けるのだ。……それから、リアンナ!」
「えーっ、なーにかしらーっ? お父さん。」
「とぼけるな。お前は、いったい、どういうつもりなのだ。あんな男を、生け捕りにしてきたりして。」
「えーっ? だって、魔女たちの予言があるんでしょう? お父さんが、前に、そう言ってたじゃないの。」
リアンナは、口をとがらせて言った。
「『王子と七人の仲間が、大魔王を倒して、世界を救う』だっけ? あいつ、その仲間のうちの一人なのよ。そいつを、あたしがずーっとここに捕まえておけば、予言は、永遠にかなわないってことじゃない! 大魔王さまも、これで安心だって、喜ぶわ。」
「だが、それならば、奴をさっさと殺してしまったほうが、確実ではないか。なぜ、生け捕りにしてきたのだ?」
「えっ? えーっとねー、それはねー……そう! ほら、人質よ、人質! 殺してしまったら、もうそれっきりだけど、生け捕りにしておけば、他の仲間の奴らが、助けに来るかもしれないでしょーっ? そうすれば、そいつらもまとめて、やっつけることができるじゃないの!」
「ふん。おまえは、年々、屁理屈がうまくなるな。」
ゲブルトは、呆れたように言った。
「だが、あんな者を、いつまでも生かしておいてはいかん。人質として使うのはいいが、そのうち、殺すのだぞ。分かったな?」
ゲブルトが念を押したが、リアンナは、あいまいににこにこ笑っただけで、返事をしなかった。
ゲブルトは、
「ふん。」
と鼻息を吹いてから、言った。
「では、子供たちよ。わしはこれから、大魔王さまに、この出来事を報告しに行ってくる。わしが留守のあいだは、ドリアスよ、おまえが幽霊マントや動く鎧をあやつって、この塔を守るのだぞ。」
「はい、父上。」
「リアンナは、ドリアスとけんかをせんようにな。……いいか、あの男は、さっさと殺しておくのだぞ。」
「うふふ。」
と、リアンナは、また、あいまいに笑ってごまかした。
ゲブルトは、ふん! と、もう一度、大きく鼻息を吹くと、黒いマントをばさりとひるがえして、大股に、部屋から出ていった。