熊と人間、話す
その晩、《ふたつ頭のヘビ》山脈の、一本杉の丘の下の、まるい広場には、異様な緊張感が漂っていた。
明るい月に照らされた広場の、一方のはしには、イワクイグマたちが、ずらりと並んでいる。
そして、反対側のはしには、よろいとかぶとに身をかため、剣と槍を持った《赤いオオカミ》隊の戦士たちが、ずらりと並んでいる。
広場の真ん中だけが、ぽっかりとあいていて、その、ど真ん中に、マッサと、ブルーが、ちょこんと立っている。
あたりは、しいんと、静まり返っていた。
ついさっき、熊と、人間が、広場のそれぞれの端から、この場所に入ってきて、並んで、それからというもの、誰も、一言も喋っていない。
「大丈夫なのかよ、これ……」
「しいっ、静かに。」
ディールが思わず呟いて、ガーベラ隊長に注意された。
ガーベラ隊長たちは、広場のはしっこの、イワクイグマたちからも、人間たちからも、ちょうど同じくらいのところに、話し合いの邪魔にならないよう、ひっそり立っている。
「いや、でも、隊長。この雰囲気は、まずいですって。」
ディールは、すぐ隣に立っているガーベラ隊長に、ひそひそ声で言った。
「さっきから、熊と人間、どっちも、うんともすんとも言ってねえ。黙って、にらみ合ってるだけじゃないですか。まるで、この場の空気まで、ぴりぴりしてきそうだ。」
「だが、この場では、私たちにできることは何もない。静かに、様子を――おっ、見ろ!」
ガーベラ隊長が呟いた。
広場の真ん中に立ったマッサが、一歩、前に出たのだ。
マッサは、すうううっ、と、思いきり息を吸い込み、
「みなさん!」
と、話しはじめた。
となりにいるブルーが、すぐに、熊たちに向かって、マッサの言葉を通訳する。
「今夜は、よくぞ、この場所に集まってくださいました。今から、イワクイグマと、人間が、これから平和に暮らすための話し合いを始めます!」
「おお、マッサのやつ、なかなか、堂々としてるな。」
「しいっ。」
ディールが、感心したように呟いて、また、ガーベラ隊長に注意される。
「えー、みなさん。まずは、もうちょっと、お互いに、近づきましょう! 離れすぎていては、なかなか、話し合いもできません。……さあ、どちらも、もう少し、前へ!」
マッサの言葉を聞いて、イワクイグマたちも、人間たちも、お互いに顔を見合わせた。
でも、なかなか、最初の一歩を踏み出そうとする者がいない。
「さあ、みなさん、こちらへどうぞ。思い切って、一歩、前へ!」
マッサに言われて、とうとう、ボルドンのお父さんが、のっそりと一歩、前に出た。
すると、イワクイグマたちが、みんな、ボルドンのお父さんに合わせて、ずいっと一歩、前に出た。
「さあ、さあ! 《赤いオオカミ》隊のみなさんも!」
マッサに言われて、《赤いオオカミ》隊の隊長が、勇気をふるって、一歩、前に出た。
他の戦士たちも、隊長に続いて、全員が一歩ずつ、前に出た。
「さあ、さあ、さあ! どちらも、もっと、もっと、前へ!」
マッサの言葉に合わせて、熊と、人間とが、一歩、また一歩と近づいていく。
とうとう、マッサとブルーをあいだにはさみこむようにして、熊と、人間とが、すぐ近くまで近づいた。
《赤いオオカミ》隊の戦士たちは、これほどまでに近くでイワクイグマたちを見たことがなかったので、その巨大な姿に圧倒されて、顔をひきつらせている。
よく見ると、指先が小さく震えている人や、剣の柄のそばに、手を持っていっている人もいた。
イワクイグマたちは、人間たちを見下ろし、ゴフーッ、ゴフーッ、と、大きな息の音を立てている。
毛皮におおわれたその顔の表情は、まじめなのか、怒っているのか、人間には、よく分からない。
「それでは、みなさん! 話し合いの前に、まずは、あいさつ!」
マッサが叫んだ、次の瞬間、
『グオオオオオオオオーッ!』
と、イワクイグマたちが一斉に後ろ脚で立ち上がり、前足を振り上げて吠えた。
「うっ!」
と、《赤いオオカミ》隊の戦士たちは、思わずひるんだ。
反射的に、剣の柄を握った人もいた。
槍を、熊たちに向けて構えそうになった人もいた。
そのとき、
『こんばんはーっ! て、いってる!』
と、ブルーが言って、
『ぐおおおおおおおおーっ!』
と、ちっちゃな両手を振り上げ、思いっきり、叫んだ。
それを見た《赤いオオカミ》隊の隊長が、
『ぐ……ぐおおおおおおおーっ!』
と、両手を振り上げて、やけくそのような大声で、思いっきり叫んだ。
他の戦士たちも、
『ぐおおおおおおーっ!』
『うおおおおおおーっ!』
『がおおおおおおーっ!』
と、それぞれに、両手を振り上げて、思いっきり叫んだ。
それを見たイワクイグマたちの顔が、ものすごく嬉しそうになった。
《赤いオオカミ》隊の戦士たちは、びっくりして、振り上げた両手をおろすのを、一瞬、忘れた。
笑う熊、というものを見たのは、みんな、生まれて初めてだったんだ。
『グオッ、グオッ。ガウガウ、ガーオ、グロロロロロ……』
『みんな、よろこんでる! にんげんが、おれたちのあいさつ、した! って、よろこんでる。みんな、いいやつ! って、いってる!』
「えっ……ほんとに、そんなふうに言ってるのか!?」
『ほんと!』
「じゃあ……悪いが、もじゃもじゃよ。俺のことばを、通訳してくれないか?」
「ぼく、もじゃもじゃじゃない! でも、いいよ!」
ブルーが、怒りながらもうなずいたので、《赤いオオカミ》隊の隊長は、イワクイグマたちに向かって、大きな声で言った。
「ここにいる、マッサファール王子と、もじゃもじゃから、俺たちは、あなたたちイワクイグマのことを聞いた。」
『ぼく、もじゃもじゃじゃない! ブループルルプシュプルー!』
怒りながらも、ブルーが、ちゃんと通訳をしてくれる。
イワクイグマたちは、大きな頭を傾けて、《赤いオオカミ》隊の隊長の言葉に耳を傾けた。
「俺たちは、あなたたちの言葉が分からず、あなたたちのことを、肉食の熊だとばかり、思いこんでいた。だから、初めて会ったとき、あなたたちがあいさつをしてくれたのに、攻撃してしまった。事情が分かった今となっては、勘違いをして、攻撃してしまったことを、申し訳なく思う。許してもらえるだろうか?」
ブルーが通訳すると、イワクイグマたちは、いっせいに、
『グオーン、グオーン!』
と吠えた。
ブルーが通訳する前に、もう、マッサには分かった。
「いいぞ、いいぞ!」という意味だ。
今度は、イワクイグマたちの列から、ボルドンのお父さんが、のっそりと前に出て、何か言い始めた。
『えーっと……くまは、にんげん、ゆるす! そして、くまも、にんげんに、あやまる。いきなり、ぐおおおおーっていったら、にんげんが、びっくりして、こわがること、しらなかった。びっくりさせて、こわがらせて、わるかった。』
「いいさ、そんなこと!」
《赤いオオカミ》隊の隊長や戦士たちは、口々に言った。
「お互いに言葉が通じなかったせいで、勘違いが起きたんだ。」
「そういうことだ。だが、もう大丈夫だ。」
「今夜、俺たちは、互いに知り合いになった。もしかしたら、これから、だんだん、友達にだって、なれるかもしれない。」
『グオッ、グオッ、ウオオオ!』
『うん、ともだちになろう! って、いってる!』
「えっ、もう!? ……そいつは、ありがたいな。」
「俺たち、友達だ!」
『グオーン、グオーン!』
「熊と人間は、友達だ!」
『グオーン、グオーン!』
「……やったね、ブルー。」
お祭りみたいな騒ぎの中で、マッサは、顔を輝かせ、静かに言った。
「とうとう、熊と人間が、仲直りできたんだ!」
――と、そのときだ。
あたりを明るく照らしていた月の光が、急に、暗くなったような気がした。