第九章
「はぁ〜」
また新しい一週間が始まる。
アヤカは大きな幸せのため息をもらした。
まだ開店前のカフェ・ヴェルデ。
お客様のいない静寂な雰囲気は
心を落ち着かせてくれる。
アヤカはこの厳かともいえる
一時の静けさが好きだ。
無人の店内はすでに暖房が入り、
ほどよい温かさが部屋中に広がり、
いつでもお客様をお迎えすることができる。
微かに聞こえてくるのは、
奥の厨房からの音。
カチャ、カチャ、カタン。
アヤカにとっては、
これから出来るであろう
ミナの素晴らしいスイーツの数々が
誕生する心地の良い音楽だ。
カウンターにヒジをつきながら、
視線を上げ、窓越しに見える庭へ目を向けた。
ここから見る冬のカフェ・ヴェルデの庭も
なかなかのもの。
柔らかいパステル色の春、
色鮮やかな夏、
煌めく秋の風景に比べ、
マットなグリーンや赤い実をつけた南天の木、
白い雪やなぎが、
静謐な凛とした表情を見せてくれる。
緑の窓枠がまるで絵画の額縁のようになり、
一枚の風景画のようだ。
もしかしたら、私は心を静めてくれる
冬のシンとした
雰囲気の庭が一番好きかもしれない。
この季節を問わず、
素晴らしい庭を造ってくれた、
千花大学の柏原教授と庄治准教授に
改めて感謝を捧げたい。
そうだ、今度久し振りにお菓子を持っていこう。
もちろんミナ自慢の最高のスイーツと
美味しい珈琲をね。
これに勝る贈り物はないわよね?
アヤカはもう一つため息をついた。
今度はさっきとは違うため息。
昨日、福井家を辞した後、
アヤカ、ミナ、チカはそのまま
ミナの家に直行した。
ミナの家は南香椎駅から徒歩5分程にある
4階建てのマンションの一角にある。
一階に居を構え、ささやかながら
小さな庭も付いている。
「女性一人で一階に住んで、
大丈夫なの?セキュリティとか。
庭から泥棒とか入られない?」
ミナがこの家を購入しようとしたとき、
アヤカは少し心配したものだ。
「防犯カメラが何ヶ所もあるし、
窓は針金入りのそう簡単には割れない
ガラスを使っているし。
エレベーターを使うほうが、
案外危ないと思ったのよ。
それに何より重い荷物を持ったとき、
一階のほうがいちいちエレベーターに
乗らなくて便利だわ」
う〜ん、合理的というか、なんと言うか。
ミナは自分の庭で
バジルやローズマリー
(このローズマリーは庄司准教授から
株分けしてもらったモノ)、
カモミールなど多種のハーブを育てている。
それを使ったローズマリーソルトや、
カモミールティは絶品だ。
時々、アヤカやチカにもお裾分けしてくれる。
単身者には珍しく2LDKと広い住まいだが、
離婚の慰謝料で買ったとのこと。
キッチンはプロ仕様のミナの使い勝手がいいように
リノベーションしている。
更に材料をストックしておく
パントリーも増設していた。
ミナ曰く、ココは実験場だそうな。
そう、カフェ・ヴェルデの
いくつもの作品はこのキッチンから
生まれているのだ。
普通の家庭では見ないような
大きな袋の小麦粉や強力粉が
キッチンにデンと置いてある。
ここはミナの城だ。
ミナの実家もこの南香椎にあるのだが、
ミナは自分のしたいようにするスタイルを選んだ。
しっかりと自分の足で立っているミナ。
美人でスタイルもよく、
パティシエとしても一流だし。
いつも冷静だし、友人思いでもある。
こうでありたいと思うようなミナの人生。
自分とはいうと、正直、ほぼ満足した
生活を送っていると思うが、
不安なことも多々ある。
他人と比べることはやめようと思うのだが、
隣の芝生は青い・・・ともいうし。
自分はどうありたいのか。
最近ますます迷う。
いつか自分でもマンションを購入して、
(ウチは賃貸)
自立したカフェ経営者として
堂々と胸を張れる日がくるのだろうか?
ミナにも不安なことがあるのだろうか?
・・・いつか聞いてみようか。
そんなことを考えながら、
ミナの家の広いリビングで
アヤカはぐったりとラグの上に転がっていた。
ウツウツと考えていたのは、
これからのこともあったから。
実は、福井家で一之瀬警部補に電話したとき、
改めて小田ハツエに事情聴取後、
アヤカ達に会いにくると言われたのだ。
「まったく・・・。
よくそこまで我々に情報を秘匿していたものです」
「すいません、一之瀬警部補」
「やり過ぎですよ、鈴井さん。
かなり危険な領域まで足を踏み入れてます」
「すいません」
「約束しましたよね?
何かわかったら、すぐに知らせてくれると」
「ハイ、スイマセン・・・」
返す言葉もない。
とにかく、ミナの家で一之瀬警部補と
会うことになったのだ。
大体、お昼ぐらいには着くとのこと。
顔を上げてテレビ上にある時計を見ると、
11時近く。
あと一時間くらいある・・・。
これからこってりお説教されるのかしら。
大人になってから、
叱られた覚えはあまりないケド。
ミナが淹れてくれた手製のカモミールティに
癒やされつつ、
ツラツラとそんなことを考えていた。
その時、アヤカの鼻が美味しそうな匂いを捉えた。
先ほどからミナが台所に立ち、
お玉で鍋をクルクル回しているのだ。
ヒクヒクと鼻を動かすと、えーとコレは・・・?
「イイ匂い!ミナちゃん。
コレ、ミネストローネね!」
ソファでスマホを見ながらのんびりしていた
チカがガバっと頭を上げた。
「正解」
ミナが首だけ振り返り、ニコっと笑う。
「クロワッサンも焼いているから、
もう少し待ってて」
ああ、ミナ様最高です!
アヤカ達は少し早いお昼ごはんを頂いた。
湯気のたつミネストローネは、
角切りの野菜がゴロゴロと入り、
トマトの柔らかい酸味が食欲をそそる。
ミニパスタも入り、
このスープだけでもお腹が満たされていく。
焼きたてのクロワッサンをつけて食べると、
何とも幸せな気分だ。
更にデザートにリンゴのコンポートと
挽きたて珈琲を頂くと、
さっきまでの鬱鬱とした気分が吹っ飛ぶようだ。
「ミナちゃん、すっごい美味しい!
このコンポートもシャキシャキしてて。
ねえコレ、このセットでカフェ・ヴェルデで
ランチとして出せば?」
チカが満足げな顔で言う。
「そうね・・・。
スープは朝作って温めるだけだから、
案外楽かもね。
クロワッサンの代わりに
その日のキッシュやマフィンとか
パイを添えてもいいし」
「ナイス!いいアイデア!
冬は寒いから、スープランチはウケるわよ」
「スープは日替わりにしてもいいかも」
「そしたら、私達もまかないで
毎日美味しいスープが食べれる?
ねえ、ミナちゃんはスープのレシピ、
何種類くらい持ってるの?」
「そうね・・・かなりあるかも。
温かいのと冷たいのを合わせれば・・・」
チカってば、ちゃっかりしてる。
ふーむ、、、でもいいかもね。
スープランチ。
スイーツメインのカフェ・ヴェルデだから、
ランチタイムには少しお客様の足が
鈍るのよね・・・。
キッシュやパイがランチタイムによく出てるけど、
スープがあれば更にいいかも。
スープとキッシュのコンビで、
それにこのコンポートも大量に作っておけば、
デザートとして、すぐ出せるし。
いいバランスよね?
「姉さん?聞いてる?」
横に座るチカがアヤカの顔を下から覗き込む。
「き、聞いてるわよ。
そうね、いいと思う。
スープの種類とパンやパイの組み合わせで
何パターンもできるし、
季節に合わせたスープとかもいいわね。
その代わり、ミナの負担が多くなるから、
少しスイーツの数を減らしたほうがいいかもね」
「私は別に・・・」
ミナが小さい声で言う。
「そうはいうけど、今でも充分過ぎるほどの
品数を出しているじゃない。
ミナちゃんの創作意欲はわかるけど、
オーバーワークは良くないよ?」
チカもアヤカの肩を持ってくれた。
「決まりね。
ミナ、善は急げよ。
来週さっそく仕入れ業者さんと相談しましょう。
こういうとき、ウチみたいな小さな店は
フットワークが軽くていいわね」
「わかったわ、オーナー」
ミナがニッコリと微笑んだ。
そうこうするうちに
12時を少し超え、
ミナの美味しいスープブランチを食べた
アヤカとチカは、
満腹感と最近の疲れもあって眠気が
ジワジワと襲ってきた。
ソファに身体を沈めていると
このまま夢の世界に誘われそう。
チカは隣でクッションを抱えながら、
すでに船を漕いでいる。
その時、インターホン音が部屋に鳴り響いた。
アヤカは弾かれたように頭を起こした。
キッチンにいたミナがタオルで手を拭きながら、
応答した。
「はい」
「平原さん?僕です、久保です」
久保さん!?
「え!?は、はい、今開けます!」
あれ、一之瀬さんが来るんじゃないの!?
ミナの肩越しからぼんやり
インターホンに映し出されていたのは、
確かにまだ若い男性。
急いでエプロンを外したミナが洗面所に消えた。
10秒で再び姿を現したが、
手早く鏡の前で身支度を整えていたに違いない。
アヤカはニヤリと笑った。
ミナが玄関ドアを開けると、
いつも通りに隙無くスーツを着こなした
久保刑事が立っていた。
「遅くなりました」
「い、いえ、お待ちしていました。
あの・・・一之瀬警部補が来られるん・・・」
「わ、イイ匂いがしますね」
ミナの言葉をスルーして
久保刑事の目が輝いた。
「あ、さっきまで、皆で軽いブランチを
食べていたものですから。
・・・あの、もし良ければ用意しましょうか?」
「いいんですか!?
お腹ペコペコですよ!
さっきまであちこち行っていたので!
・・・ちなみに何ですか?」
「スープです。ミネストローネ。
お好きですか?」
「もちろんです!外は寒くって。
そういえば、平原さんのお宅に伺うのは
初めてですね」
「あ、そ、そうですね。
いつもマンションの玄関までで・・・」
ウオッホン!!
大きな咳払いが聞こえた。
「君達、話が盛り上がっているところ悪いが、
いい加減、私を中に入れてくれないかね」
長身の久保刑事の背後から
玄関の外に立たされたままの一之瀬警部補の
クレームが聞こえた。
あ、やっぱりいたのね・・・。
「・・・というわけで、福井家で
再聴取をしてきたわけです。
現在小田ハツエは益戸警察署で詳しい
取り調べを受けています」
刑事二人はテーブルで
ミナお手製のスープランチに舌鼓を打っている。
専ら話すのは久保刑事だ。
一之瀬さんは無言で口をモグモグ動かしている。
アヤカとチカはソファに座りながら、
話を聞いている。
「それと、鈴井さん達が、僕の担当している
本郷寺の事件と益戸神社の事件の関連性を
示唆して頂いたのと、
小田ハツエの話から
二つの事件は早速、合同捜査になりました。
・・・しかし、まさか僕の担当している事件と、
警部補の事件の根っこが同じだったというのは、
思いもしませんでしたね」
久保刑事が眉を潜めて言う。
それはそうかも。
アヤカだって単なる閃きだったのだから。
まさか、益戸神社の巫女さんから聞いた
不審な音の正体から、
本郷寺の事件に行き着くなんて。
「・・・それで、検死官に確認したところ、
松田ユミの首跡と千田シュウジの掌紋を
合わせてみたところ、ほぼ一致したそうです」
「ほぼ?」
チカが聞き返す。
「松田ユミは水中にいたので、たいぶ・・・その、
確認しづらかったみたいですが、
手の大きさ、指の太さからいって、
まず間違いないだろうと」
ああ、やっぱり水中の遺体というのは、
色んな証拠が消えちゃうのね。
「益戸神社事件の千田のアリバイはどうなんですか?」
キッチンでおかわり用の珈琲を淹れながら
ミナが首だけ振り返る。
久保刑事が頷く。
「確認出来ました。
千田は当日夜中の午前1時から、
益戸神社近くの水道工事現場で働いていました。
千田が勤務する『株式会社タカハマ』が
請け負っている仕事です。
1月末から行われていたようです。
事件当日、作業が終了したのが朝7時過ぎ。
その後、千田は同僚と3人で
24時間営業の居酒屋で食事を取っています。
その店で朝食(?)を取るのは、
その現場で仕事するようになってからの
習慣だったみたいです。
同僚と別れた後、千田は益戸神社近くの
駐輪場に停めてあるバイクを取りに向かいました」
「そのバイクって、小田ハツエがお金を渡しに
来たときに乗っていたバイクなんですか?」
「そうです、千田のバイクと
駐輪場の防犯カメラで確認したナンバーが
一致しました。
千田がバイクを取りに来た時間は8時26分。
千田がいた居酒屋から駐輪場に向かう
途中に益戸神社があります。
どうやら、神社を突っ切って行くと、
道をショートカットできるみたいで、
いつもソコを通っていたのではないかと
思われます。
事件前後の何日かは監視カメラで
千田の姿が残っていました」
「じゃあその駐輪場に行く前に・・・」
アヤカが小さく呟いた。
久保刑事が首を縦に振る。
「確証はありませんが、恐らくそうですね。
益戸神社の防犯カメラは残念ながら、
神主さん達がいるところ、
・・・社務所というのでしたか?
そこ一か所しかありません。
松田ユミさんの事件発生時に
神社のカメラはチェックしましたが、
神主さんや巫女さんが出入りしているところしか
映っていませんでした。
残念ながら、千田の姿は捕らえられていません」
チカが小さく手を挙げた。
「あの、神社ってフツーはお賽銭箱のところとか、
入口にカメラがあるもんじゃないんですか?
ユミちゃんが小田ハツエと揉めたのは、
その辺りですよね?」
「そうですね。
多くの神社では、賽銭箱の近くに
監視カメラを設置しているようです。
賽銭ドロボー対策ですね。
しかし、益戸神社の本殿のお賽銭箱は、
大きくて重いので、もって行くことも出来ませんし、
隙間から手も入らないタイプです。
南京錠がかかっているので、
神社の方しか賽銭も取り出せないようですね。
・・・まあ、それも壊してしまえば
意味がありませんが。
あと、益戸神社は入口が何ヶ所もあるので、
金庫がある社務所にしかカメラを
設置していないようです。
神主さんの性善説を信じているところもあり、
警官も巡回しているルートなので、
安心していたみたいですが・・・。
しかし、今回の事件であの神社も
防犯カメラを増やすようですよ」
まあ、そうよね。
最近聞いてるニュースによれば、
防犯カメラで犯人がわかることが多いもんね。
うーん・・・カフェ・ヴェルデにも付けなきゃ
ダメかもね。
一度ウチでも事件があったことだし。
付けるとしたら裏口と入口、2つかな。
あ、窓ガラスが割られたこともあったっけ。
さすがに店内には設置したくないなぁ・・・。
お客様にはゆっくり寛いでほしいし。
それも甘いのかもしれないなぁ。
「次は私の番ですな」
一之瀬警部補がティッシュで口を拭き拭き、
おもむろに話しだした。
どうやら食事が終わったらしい。
「例の松田ユミのスマホに写っていた女の件、
皆さんは、憶えておられますかな?」
えっと、、、確か髪の長い女のことよね?
・・・正直、
色々ありすぎて、ちょっと忘れかけていたかも。
「も、もちろんです!」
アヤカが答えた。
「あの女性の身元が判明しました」
「え!?わかったんですか!?」
一之瀬警部補が大きく首を縦に動かした。
あんな遠目の写真から、判明するなんて。
さすが、警察ね。
「意外なところからでしたよ。
あの人物は、
高田ユリの父親が依頼した
探偵社の調査員だとわかりました」
高田ユリ!?
探偵!?
「千花市の貴生川探偵事務所という、
探し人調査や、浮気調査などを行う会社で、
そこの調査員、
名前は・・・田辺、うん、田辺アキホ」
黒い手帳をめくりながら、一人頷く一之瀬警部補。
「貴生川探偵事務所は、
昨年の7月に千花銀行の高田取締役から依頼され、
松田ユミの調査を始めたそうです。
娘のユリから福井タツヤの恋人の存在を聞き、
父親は秘かに調べようとしたそうです。
調査内容はまだ詳しく精査していませんが、
今朝、小田ハツエを尋問したところ、
松田ユミの行動を把握していたのは、
高田ユリからの情報だったとわかりました。
日頃の松田ユミの行動などを知っていたから、
あの事件の朝、松田ユミに接触できたわけです」
なるほどね。
ユミの朝の配達がルーティン化していて、
神社に寄るのを知っていれば、
待ち伏せすることができる。
「警部補、その高田ユリさんの父親というのは、どういう人物ですか?」
アヤカは千華銀行のHPで見た写真を
思い浮かべながら、質問した。
「報告によれば、温和な人物のようですな。
仕事上でも、人当たりの良さで評判で、
敵などもいないとのことです。
・・・まあ、千花銀行といえば大企業なので、
本当かどうかはわかりませんがね。
今回興信所に依頼したのも、娘可愛さ、
といったところでした」
それは親の心情としてかなり理解できる。
確か、高田ユリは一人娘だったはず。
ふらんす屋の息子という確かな身許があるとはいえ、
愛娘を幸せにしてくれる人物かどうかというのは、
気になったところだろう。
自分の義理息子になることだし、
そこは、さすがに抜け目ない
大企業の経営者といったところか。
「鈴井さん、もしかして高田ユリの父親を
疑っているんですか?」
心なしか、
一之瀬警部補の目がは光ったような気がする。
「い、いえ!そんなことは・・・。
確か、ユミちゃんが殺された日、
確かなアリバイがあるんですよね?
・・・ちなみに、ちなみにですけど、
高田ユリの父親は、
恰幅のいい人物ですか?」
そう、あの事件の朝、
高田家の家族全員にアリバイがあったはず。
でも、福井家も小田ハツエが出かけたことすら、
気づかなかったということもあった。
もしかして・・・と疑ってもしょうがないわよね?
「高田ユリの父、高田ヨウジは、
中肉中背、とちらかといえば、
小太りのタイプです。
普段から運動などはしていないようです。
ただし・・・」
「ただし?」
「ただし、学生時代、柔道でかなり強かった
ようです。
出身は山形ですが、大学は東京、
そこの柔道部の主将を務めたとか。
背は高くないものの、『柔よく剛を制す』を
地で行く人物だったようです」
「だとしたら、千田のようなガタイがいい
人物でも・・・」
「そうですな、あり得ますな。
・・・千田は、ガタイがいいとはいえ、
力仕事や筋トレで鍛えたのみのようです。
もし、柔道の猛者が相手なら、
・・・敵わないでしょうな」
あり得るの?
ここに来て、高田ユリの父親!?
犯人の条件には当てはまる。
松田ユミに敵意を抱く人物。
女性を川に投げ入れるような力、いや、技術か、
を持ちうる人物。
千田すらをねじ伏せる力もある。
高田ユリの父親、高田ヨウジ。
・・・調べてみようか。
うん、調べて関係ないとわかれば、
また解決に進む?かな。
やってみてもいい・・・と、思う。
「ああ、話が横道に逸れましたな。
続けますぞ。
で、その田辺という調査員が
松田ユミの調査担当でした。
調査期間は夏の約二ヶ月。
日頃の行動から、人間関係、
さらに家族関係なども調べ上げ、
役所などにも出向き、戸籍やらナニやらまで・・・」
するとチカが唸った。
「え〜〜、やだな〜。
知らないうちに誰かに調べられるなんて。
なんか気持ち悪い・・・」
「そうですな、気持ちはわかります。
我々も同じような職業ですからな。
知られたくないこと、隠したいことは、
誰にでもある。
それでも探り出さなければならない。
関係ないことでも。
・・・我々も十分注意を払って、
職務を遂行しているつもりですが、
不快に想われる人は多いでしょう」
すると、チカが慌てたように言った。
「すいません、そんなつもりじゃなくって。
・・・その、一之瀬さん達は、
事件のために色々調べたりしているけど、
その代わり、犯人を見つけたりして、
犯人と無実の人を、
ハッキリさせてくれたじゃないですか。
閉店のピンチだった私たちのお店を救ってくれたし、
・・・姉さんのことも危ないとこを助けてくれたし。
ホントに、感謝してます」
「・・・それが我々の仕事ですからな。
当然のことです。
・・・しかし、ありがとう、
と言っておきましょうかな」
そう言いつつ一之瀬警部補は顔をそむけた。
あれ、耳が赤いかも。
・・・ひょっとして照れてる?
久保刑事を見ると上司とは対称的に
ニコニコと笑顔を浮かべている。
「うん、それでは、と、続けますぞ。
・・・例の松田ユミのスマホにあった写真の女性は、
自分だと田辺アキホは認めました。
詳しい話は、今、警官が貴生川探偵事務所へ
話を聞きに行っています。
電話で話しただけですが、
今わかっていることをお話します。
まず、重要なことから。
田辺アキホいわく、
自分以外にも松田ユミを
調べていた人物がいたということです」
えーーー!!!
思わずアヤカは驚いて叫んだ。
ミナは大きく目を見張り、
持っていた珈琲ポットを落とすところだった。
チカはあんぐりと口を開けていた。
「田辺アキホに何か気づいたことはないかと
聞いてみると、
以前、話しておられましたな?
松田ユミのストーカー説。
誰かが松田ユミを付け狙っていると。
店の同僚の白井ケンゴから聞いたとか。
我々は松田ユミをつけていたとすれば、
写真の女性だとすっかり思い込んでいました。
しかし、田辺アキホは、
自分が松田ユミを尾行しているときに、
ある男性を時々見かけていたと証言しています」
ここで一度話を切り、
一之瀬警部補はミナが淹れてくれた
珈琲をグッと飲んだ。
アヤカは新しい新事実に頭をフル回転させていた。
ストーカー!?
またそこに戻るの?
ユミの人間関係がこの事件の動機かと思っていた。
仕事先のグリーンフラワーマーケット、
恋人の福井タツヤ、もしくはその家族。
その方向で考えていた。
千田シュウジはお金関係で派生したとして、、、
あ〜もう!
ストーカーなんて、雲をつかむような話だわ。
こんなに捜査範囲が広いと、
もう私たちの手には追えないわよ!
一之瀬警部補の話は続く。
「その男ですが、
中肉中背、身長は170センチほどの、
髪は黒、服装は派手でもなく、
Tシャツやパンツを身につけ、むしろ地味だったとか。
松田ユミの職場近くや、
よく通っていたスーパー、
福井タツヤとのデート中にも見かけたと
証言しました。
そして、田辺アキホは
その男の姿もカメラに納めたと言っています」
「えーー!?
じゃあ、もうわかっちゃったような
ものじゃないですか!
そいつですよね!?
ユミちゃんを殺した犯人!」
チカが叫んだ。
あまりの勢いに久保刑事が両手で制した。
「いやいや、落ち着いてください、チカさん。
まだ、そういう訳ではありません。
好みの女性を追いかける・・・
それは罪ではありません。
最近ではいわゆるストーカー法がありますが、
松田ユミは直接的な被害もなかったようですし、
警察で被害相談もありませんでした。
同僚の白井ケンゴに相談しただけです。
田辺アキホさんの話が真実であれば、
あくまでも一人、
捜査対象が増えたということです。
田辺さんはその男を
何度も見かけたと言っていますし、
プロの調査員です。
なので、我々もかなりの有望な情報だと
考えています。
しかし、田辺アキホは、調査対象が松田ユミの
人物調査というわけで、
そのストーカーらしき男のことは、
高田ユリの家族には
報告していなかったそうです。
・・・本来なら、調査会社が
依頼人や調査対象の情報を他者に話すことは
守秘義務があってはいけないことですが、
今回、二人の被害者がいることで、
貴生川探偵事務所には、
警察に協力して頂くことになりました。
・・・まあ、これから何かしらの
進展があるとは思いますよ」
久保刑事が話を終えると、
一之瀬警部補も大きなため息をついた。
「我々もここまでこの事件がこじれるとは思ってはいなかったんです。
・・・いろいろ複雑ですなぁ」
それは言える。
ユミが殺害された時は、
すぐ犯人が捕まるものだと思っていた。
だって神社という公共の場所なら、
誰かしらの目撃があり、
それが犯人逮捕に繋がるものだと。
しかし、その日、益戸の街は霧で閉ざされ、
防犯カメラなども役立たなかった。
ユミの周りの人物を詳しく調べても、
怪しい人物が増えていくだけ。
それが今度はストーカー説が有力になってきた。
そうなれば、もうアヤカ達シロウトの
手には負えない。
たけど、そのホンモノの探偵さんが、
ストーカーらしき男の写真を持っているという。
もうそれが犯人じゃないのかしら?
だとしたら、事件は一気に解決する。
私達が捕まえなくてもいい。
誰でもいい。
別に警察と争っているわけてはないのだから。
警察が事件を解決してくれれば、
ユミちゃんの無念を晴らせる。
その時、微かな振動音が部屋に響いた。
「お、失礼、私のようです」
一之瀬警部補がジャケットの内側から、
スマホを取り出した。
「・・・ああ、私だ。
うん、うん・・ん?何!?本当か!?」
え?
どうしたの!?
一之瀬警部補の慌てた様子に、
部屋に緊張が走った。
「・・・そんな、バカな!!
至急、現地の警察と連携を取れ!
そうだ、それと関係者の現在場所の確認、
安全を確保せよ!
・・・うん、久保と一緒だ。
我々も香椎にすぐ向かう。
どこの病院だ?・・・わかった」
捜査に何かしらのトラブルが
起きたに違いない。
一之瀬警部補の顔色が見たこともないくらい、
険しくなったからだ。
「久保、大変なことになった」
電話を切った一之瀬警部補の声は硬く、重い。
「はい、どうされたんですか?警部補。
何か・・・・」
久保刑事も一之瀬警部補の緊張感が移ったように、
緊張感が漂っている。
「田辺アキホが襲われた」
え、え!?
「車の中でぐったりしているところを、
通行人が発見したらしい。
重体だ、久保、今すぐ向かうぞ!」
「わかりました!」
荒々しく上着を掴むと、
一之瀬警部補を先頭に、二人の刑事は玄関に向かった。
一瞬、久保刑事が振り向いた。
「皆さん、すいません!
緊急事態が起こりました!
急ぎますので、これで!
ご飯、ご馳走さまでした、またご連絡します!」
風のように刑事たちは去っていった。
「・・・今の、聞いた?」
ゆっくり立ち上がり、
刑事たちが出ていった玄関を見ながら、
アヤカは呆然と呟いた。
「・・・聞いた。
田辺アキホが重体だとか・・・。
・・・香椎って言ってたわよね?この近く?」
ミナも唖然としている。
「それって、それって・・・・ええ!?
その、怪しいストーカーの写真を持ってる
探偵のこと!?
ええっと・・・教われたって、
殺されそうになったってこと!?」
「そうみたい、チカちゃん。
病院って言ってたわよね?
重体って・・・その女性、
命が危ないってことかしら・・・」
ミナはエプロンを取り、
椅子に力無くスッと腰を下ろした。
チカは怒りで顔が紅潮している。
「何で!?何でよ!!
あともう少し、もう少しで犯人がわかるって時に!
なんで今なのよ!」
一呼吸おいてチカはまくしたてた。
「偶然じゃないわよね?
田辺アキホが殺されそうになったなんて!
だって警察が今から、そのストーカーの話を
聞きに行くところだったんでしょ?
ひどいじゃない!!
ねえ、姉さんはどう思うの!?」
偶然?
まさか・・・そんなわけない。
このタイミングで。
でもなぜ今なのよ!?
突然のことで頭がグルグルする。
探偵・・・ストーカー・・・犯人かもしれない写真。
アヤカは自分を落ち着かせるために、
胸に手を当て、
一度大きく息を吸い込み、ゆっくり吐いた。
そしてお腹にぐっと力を入れた。
「チカ、私もこれから
警察が怪しいヤツの話を聞きにいこうって時に、
襲われるなんて、偶然じゃないと思う。
いくらなんでも、タイミングが良すぎる。
・・・確信はないけど、
この事件の犯人に、襲われたのよ。
そうよ、そうなんだわ」
一言、一言、自分に言い聞かせるように
言葉を吐いた。
「じゃあ、やっぱりそのストーカーが
この連続殺人事件の犯人なんだ!
じゃなきゃ、なんでその探偵さんが
襲われるのよ!?」
するとミナが口を挟んだ。
「でも待って。
その田辺アキホさんて探偵なんでしょ?
仕事柄、たくさん人の秘密や情報を
持っている。
いろんな人の恨みを買っていてもおかしくないわ。
だから、ユミちゃんの事件が原因とは限らない。
もしかしたら、全く別のことでかもしれない。
決めつけるのは早いわよ」
それはそうだけど、でも・・・。
「ミナの言ってることもわかる。
でも田辺アキホさんは調査員よね?プロの。
恐らく護身術も身につけてるし、
警戒心も日頃から、
人並み以上に気を使っているはずよ。
そんな人が襲われたのよね?
通りすがりの素人じゃない。
ユミちゃんと、千田シュウジの犯人が
同一人物だとすれば、
かなり暴力ごとに慣れている人物。
特に千田なんて、力も強く、
ガタイがいい男性だったみたいだし。
その千田を殺害するような犯人であれば、
プロの探偵の田辺アキホでも
敵わなかったのかもしれない。
よっぽど犯人は油断するような相手だったのかしら?
例えば、外見が優しそうな感じとか、
ひ弱そうに見えるとか、
あるいは女性とか・・・」
ミナとチカはうんうんと頷いている。
「・・・ホントに犯人は誰なのかしら?
真実に近づいた途端に、
重要な情報を持ってる人を襲うなんて。
タイミングが良すぎる。
なぜ、警察が田辺アキホに近づこうとしたのを
知ったの?
それも謎だわ。
・・・やっぱり、犯人は近くにいるのかしら」
あら、もう8時半!
ちょうどその時、
フロアに涼やかな声が響いた。
「今日のオススメ、出来たわよ」
昨日のことをツラツラと考えていた
アヤカが振り向くと、作業場の窓から、
まだ暖かな湯気をたてた焼き菓子と、
ミナの顔が覗いていた。
網の上に乗っているのは、
四角く切られたチョコレートケーキ。
あれ、でもマーブル模様になってる。
それに上にはドライオレンジの
薄切りが乗ってる。
「イイ匂い!これは・・・ブラウニーよね?
でも、ちょっと違う・・・かな?」
「よくわかったわね。
ブラウニーにキャラメルを少し混ぜ込んでみたの。
チョコレートの甘さと、
キャラメルのほろ苦さが珈琲に良く合うと思うわ。
それにオレンジを乗せて、柑橘系をプラス。
・・・切った端っこがあるから食べてみる?」
オフコース!!
もちろん、頂くわ!
ちなみにこんな試食のチャンスに
いつも飛び込んでくるチカは、
本日は午後出勤。
昨日も朝から付き合わせちゃったもんね。
だから、今日は家族とゆっくり過ごすように
してもらったのだ。
珈琲が合うって言ったわよね?
ミナと二人分、淹れようっと。
「あら?どうしたの?」
ミナの声が聞こえたので、
取り出したマグカップを台に置いて、
窓から厨房をのぞき込んだ。
そこには我が妹と可愛い姪っ子が、
お揃いの爽やかなブルーのダッフルコートを着て、
親子モデルのようにちょこんと立っていた。
「チカ!?なんで来たの?
今朝は来なくていいって・・・」
「わかってるわよ、姉さん。
でもね、アンがココに来たいって言うから。
ね、アン?」
娘がコートを脱ぐのを手伝いながら、
チカが言った。
すると姪は横に首を可愛らしく傾けた。
「そうだよ。
だって、アヤカちゃんとミナちゃんに
会いたかったの。
だって、前、アンの家に来たとき、
全然喋れなかったんだもん。
みんな、タンテイのお仕事で忙しかったでしょ?」
く〜〜っ!
可愛いこと言ってくれちゃって!
ミナもアンに笑顔を向けた。
「ちょうど新作のブラウニーの試食を
するところだったの。
アンちゃん、朝ごはんは食べたの?」
「食べた!」
「じゃあ、デザートを食べてもいいわよね。
チカちゃん、いい?
新しいケーキを焼いたのよ。
感想を聞かせてくれると嬉しいわ。
アヤカ、私が、みんなの珈琲を入れるから。
アンちゃんにはホットミルクね」
「ゴメン、ミナお願い出来る?
私はこのブラウニー・・・名前は?」
「キャラメルオレンジブラウニーよ」
「じゃあ、私はこのキャラメルオレンジブラウニーの
写真を撮って、
急いで店のホームページに載せるわ。
うん、コレは映えスイーツね!」
「チカ、アンはこのあと幼稚園?」
ホカホカと白い湯気が立つマグカップと、
焼きたてブラウニー。
この素敵なご馳走を前に、
四人は窓際のテーブルを囲んでいた。
柔らかい冬の日差しが入り込み、
開店の準備は整い、
このちょっとした休憩は
カフェ・ヴェルデの貴重な時間だ。
「・・・ちょっと待って・・・。
ううん、美味しい!
ブラウニーの甘さの中に、
ほろ苦いキャラメルが入って・・・、
それにこのオレンジの酸味が加わって、
もう一個って次も食べたくなっちゃう!
これ、見た目も華やかだし、
お持たせにもいいわね!」
「あら、すごい賛辞ね。嬉しいわ。
好評なら、春くらいまでの
シーズナルスイーツにしようかしら・・・」
ミナが宙に目を漂わせる。
「いいと思う!
三月とか四月は卒業式とか、入学式とか、
引っ越しとかで、贈り物とかお菓子の需要が
増えるじゃない?それにピッタリ!
私もママ友との会とかに持ってきたいもん!」
「箱に詰めて・・・」
「そうそう、保ちも良さそうだしね。
ちょっとキレイめな箱とか注文する?
サンプルとか取り寄せてみるね」
あらら、ミナとチカだけで新商品の話が進みそう。
まあ、いいことだけどね。
オーナーの私が考える間もなく、
カフェ・ヴェルデのことを考えてくれるなんて。
なんて頼もしいこと!
「あ、姉さん、アンのことね。
今日は思い切って幼稚園はお休みにしたの。
最近、なかなか一緒にいられなかったしね。
このあと、アンとそこのデパートに
遊びに行こうかと思って。
ビニールボールのプールで遊べる所が
できたのよ。
今日ミッキーは都内に出勤で、
午後は母さんが家に来てくれて、
アンのこと見ててくれるって。
そうそう・・・ミッキーに昨日のこと、
話したんたけどね、
田辺アキホとストーカー有力説。
そしたら、『ほら、俺の言った通りだろ?』って
得意になってた」
そういえば・・・そもそもストーカー説は、
チカの夫、ミッキーが初めに言ってたのよね。
「その後ね、もう一度、益戸や香椎の
ストーカー事件や、変質者の情報を調べてみたの。
ほら、よくわかんないけど、
ミッキーはそういうこと、得意じゃない?」
そうそう、チカの夫のミッキーは、
都内に勤めるIT会社のサラリーマンだ。
アヤカにはちんぷんかんぷんだが、
どうやら、色んな情報を精査?して?、
確率が高い情報とかを割り出してくれるらしい。
「あの探偵さんのことも調べてくれて、
出した答えが、犯人は真面目でお勤めしてる
人じゃないかって話よ?」
「なんで?」
「時間帯がフツーのストーカーと違うんだって。
フツーは、夕方とか、夜に犯行を行うんだって。
でも、ユミちゃんやあの探偵さんは、
朝や昼に襲われたでしょう?
規則的な生活をしてるけど、
ある程度自由がある職業の人じゃないかって。
フツーのストーカーは、一人暮らしで、
仕事してなかったりで、朝は大体寝てるみたいよ?
だから、この事件の犯人がストーカーだとすれば、
見た目、異常者には見えないで、
地味な真面目に見える人じゃないかって。
ほら、姉さんも言ってたじゃない。
警戒心が強い探偵さんが教われるなんて、
油断しそうな相手だって」
「確かにね。
あの田辺さんっていう探偵さんが
撮ったっていう怪しい男も、
地味だって言ってたし」
アヤカは相槌を打った。
「なるほどね・・・。
ミキヒコさんの分析、スゴイわね」
ミナも顎に手を当てながら頷く。
・・・様になってる。
美人はこういう仕草もキマるなぁ・・・・。
「ねえ、あれから久保さんから連絡は?
ミナちゃん」
「ないわ。
昨日のことを思うと、
こっちから連絡するのは憚れるし・・・ただ・・・」
「ただ?」
「福井さん・・・タツオミさんから電話があった」
「え!?そうなの!?」
「あれから警察が来てからのことを話してくれた」
「それだけ?」
「それだけよ」
ミナの頬が心なしか紅く色づいたのは
気のせいだろうか。
平静を装っているけど、
私もチカもミナとは長い付き合いだ。
・・・何かあったな?
アヤカとチカはこっそり目を合わせた。
「ふ〜ん?そっかぁ・・・じゃあ、一之瀬さんからは?
姉さん」
チカが矛先を急に変えた。
なんで私が一之瀬警部補担当なの?
何となくモヤモヤした疑問をグッと堪える。
「こっちも無いわよ。
もしかしたら、連絡が来るかと思ったんたけど。
でも、昨日のニュースには出てたわよね・・・」
そう。
昨日夕方のローカルニュースで、
田辺アキホの事件が報道されたのだ。
それによると、
昨日の日曜日、香椎駅前から南へ10分程の
香椎ふるさと公園の駐車場で、
白の軽自動車の中で、
女性がぐったりしているのを発見したと
いうことだった。
通報者は公園に遊びに来ていた家族とのこと。
救急車を呼び、病院に運ばれたそうな。
それ以外の情報は、まだない。
ニュースの続報も無いようだ。
香椎ふるさと公園は、
手賀沼という水辺のほとりにあり、
緑豊かな一帯の中に、
遊歩道や遊具などを有した広い公園だ。
沼にはコハクチョウや小鴨なども遊びにくる。
夏になると花火大会の会場にもなる。
市民の憩いの場として、
子供達の楽しげな声がが聞こえたり、
沼の周りの遊歩道をランニングや、
サイクリングを楽しむのが日常だ。
周辺には道の駅もあり、
旧水戸街道沿いには江戸時代からの
情緒が残る史跡などもある。
千花市からは国道16号線で繋がっている。
確か、駐車場はあった、
でも小さかったはず。
確か・・・無料駐車場だったから、
警備の人はいなかった気がする。
「・・・すると、またカメラは無し?」
チカが言った。
「そうかもしれないわね。
でも、公園に無くても
田辺アキホさんが千花市から車で来たのなら、
道路のカメラの映像はあるはずよ?
それで何かがわかるんじゃないかしら」
ミナが答えた。
「うん、昨日はさすがにお天気も良かったしね。
きっと警察が何か掴んでるよね!
まだ警察の人、いるのかなぁ。
香椎ふるさと公園か・・・行ってみようかな」
「ダメダメ!絶対ダメ!!」
チカが最後にポツリと呟いたのを、
アヤカは聞き逃さなかった。
「えーーダイジョーブだよ〜。
普通の公園でしょ?
もう犯人も逃げてるだろうし。
なんか手がかりがあればなぁ〜って。
・・・アンは?
ボールプールも楽しいかもだけど、
公園で鳥さん見るのは?どう?
お天気もいいし」
すると、両手でブラウニーを持って
口をモグモグしていたアンが顔を上げた。
「公園?
今、お話していた公園に行くの?
鳥さんも見たいけど・・・でも、ママ?
ホントはタンテイのお仕事したいんでしょ?」
「え、そっそれもあるけど・・・。
でもホントに今、白い白鳥さんが湖に来てるのよ?
車にお絵かきの道具もあるし・・・」
「うん、アンはいいよ。
白鳥さんも見たいし、
ママのタンテイのお仕事、付き合ってあげる」
困り顔のチカとは対称的に、
アンはビッグスマイルを浮かべていた。
賢い姪っ子なのだ。
口の端っこにブラウニーの欠片が
付いているのが、ご愛嬌。
「じゃあ、ピクニックセットが必要ね。
何か急いで詰めるわね」
ミナが小さく笑いながら立ち上がり、
厨房に消えた。
「ホントに行くの・・・?チカ」
「行くわよ。
・・・ホントに大丈夫だって、姉さん。
希望は全然無いだろうけど、
もし何か見つかれば目っけもんじゃない」
アヤカの心配を余所にチカの目は輝いていた。
「もう・・・私だって姉さん達と一緒に
調査してきたのよ?
危険なことはしないし・・・約束するってば。
アンもいるんだし。
ミナちゃんだって行って来い!
って言ってるじゃない。
ほら、外は明るいし、心配することないって!」
「なら、いいけど・・・」
そこまで言うなら、しょうがない。
でも、ユミちゃんも、田辺アキホも、
明るい空の下で襲われたのよ?
一抹の不安がよぎる。
「はい、これ、軽食セットよ。
珈琲とココア、それにキッシュとマフィンを
入れといたわ。
それとこっちはおばさんに渡して?
キャラメルオレンジブラウニーが入ってるから」
ミナが笑顔で緑色のカゴと、
小さな紙袋をチカに差し出した。
「ありがとうっ!ミナちゃん!」
その時、オーブンのチンという音が
厨房から聞こえた。
ミナが厨房に向かいながら、
顔だけをチカに向けた。
「あ、それと念のため、カゴに
護身用の小麦粉とナイフを入れといたわ」
ミナの完璧なピクニック&探偵セットに、
チカの顔が一瞬にして凍りついたのは
言うまでもない。
さすがだわ、ミナ。
午後2時。
カフェ・ヴェルデにとって、
閑散期の時間がきていた。
お昼とカフェタイムの間、
店内は自然とお客様が少なくなる。
アヤカ達は、この時間を使って、
明日の用意に取り掛かったり、休憩に入る。
すでにミナは二階の休憩室で遅いお昼ゴハンと、
休憩を取っている。
いや、次のアフタヌーンティに向けて、
策を練っているのかも。
フロアは今4つのテーブルが埋まっているだけで、
追加注文も無さそうだ。
「それで?何か見つかったの?」
アヤカは空いたテーブルをダスターで拭きながら、
13時から出勤のチカに小さく話しかけた。
「ぜ〜んぜん!
現場は警察の人がいたから、
あ、ココだってわかったんだけど、
あまりウロウロしてるのも変に見られるし・・・」
チカはカウンターでせっせと
お菓子の補充をしている。
「沼の辺りとかね、ぐるっと周ったりしてみたけど、
手がかり的なものはな〜んにも。
凶器とか、紙くずとかさ。あとタバコとか?」
タバコ?いや、古くない?
今吸う人も少ないし。
それに、もし怪しいものがあれば、
とっくに警察が見つけて回収しているはずだ。
「だから諦めて、結局のベンチで
アンとお絵かきしてた。
白鳥はいなかったけど、カモと亀がいたから。
天気も良かったし。
ミナちゃんから貰った珈琲を飲みながらね。
その後、散歩してる何人かに話を聞いて
みたんたけど、特には」
「まあ、そんな簡単にはね」
「・・・あ、そういえば、
その駐車場にいた警官の人、
前、一之瀬さんと一緒に来た人だったよ?」
「そうなの?」
え〜っとどんな人だったっけ?
名前も聞いたはずだけど・・・。
顔も名前も全く思い浮かばなかった。
「うん。
ユミちゃんが亡くなったって日だったし、
私が姉さんたちのテーブルに
珈琲を運んだから覚えてる。
向こうはこっちに気付かなかったみたいだけどね。
話しかけたら、びっくりしてた」
チカは観察観に優れてる。
人の顔や服装とか、こちらが驚くほど、
よく見ている。
「そりゃあそうよ。
仕事中だし、なかなか警官に話しかける人なんて、
いないだろうしね」
「ちょっと探りいれてみようかな〜と
思ったんだけど、ダメだった。
この辺りはまだ警戒しているから、
気をつけてくださいねって。
でも、ウチのお菓子のことは褒めてくれたよ?
あの時のショコラ・コロネも、
キッシュも一度食べたら美味しかったって言ってた」
「へ〜〜、やっぱりキッシュは男性にも好評なのね。
一之瀬さんも気に入ってくれたみたいだし。
甘いものが苦手な人でも、食べられるしね」
「ても、アンがね・・・」
そう言ってチカがクックっと小さく笑いをもらした。
「ほら、警察官の人の前だから、
緊張していたみたいで、
ずっとビシッと立ってるの。
悪いことしたら、おまわりさんに
連れてかれると思っているから。
迷子の迷子のおまわりさんって童謡あるでしょ?
あの歌のせいみたい」
なるほど。
小さい頃は悪いことしたら、
おまわりさんに連れて行かれるわよ、
って母さんがよく言ってたっけ。
それは今でも効くのね。
「じゃあ、田辺さんの事件は、
私達には御手上げね?」
アヤカは作業場でダスターを洗いながら、
背後にいるチカに言った。
「そうかもね〜。
なんかもう、ストーカー説で決まったみたいだし?」
チカは今度はカフェ・ヴェルデのロゴ入り袋や、
箱を補充していた。
「あ、ちょっと足りないかも・・・。
上に行って取って来なきゃ。
・・・で?姉さん、これからどうする?
カフェ調査団としては」
うう、ハッパかけるなぁ〜〜。
もうかなり行き詰まってるのよね。
あと私達に出来ることって?
科学捜査やら証拠集めは警察じゃないと
無理だしり
探偵さんの事件もまだよくわからないし・・・。
「姉さん?」
「・・・そうね、ストーカー説が有力なら、
もう一度、緑川さんや白石さんに
話を聞いてみてもいいかも。
もしかしたら、フッと
忘れてたことを思い出してくれるかもしれない」
「いいアイデアじゃない!
警察じゃなくて、
私達なら聞き出せることもあるかも。
あとで、仕事終わってから聞きに行こうか?
じゃ、姉さん、連絡しといてね!」
行動早っ!
「そういえば、ストーカー説は、
白井さんが発端なのよね。
なんか思い出してくれるといいんだけど。
あ、私、上に箱とか取りに行ってくるね!」
そう言ってチカはパタパタと二階への階段を、
駆け上がっていった。
早っ!!
ん〜・・・最近グリーンフラワーにも行ってないし。
様子を見に行くだけでも。
白石くんもいるといいけど。
じゃあ、今のうちにお菓子とか詰めとこうかな。
あ、美味しい珈琲もね。