第八章
「寒ーい!!
ねえ、いつまでこんなトコで立ってなきゃ
いけないのよ〜?
どっか入ろうよ〜!!」
チカの抗議が耳に痛い。
それでなくても吹き荒ぶ冷たい風で
耳が千切れるほど痛いのに。
お気に入りのブルーの大きなストールを
首にグルグルと巻いているにもかかわらず、
容赦なく冷気が入り込んでくる。
「でも、この辺りにはカフェとかないのよ、チカちゃん。
朝早いし・・・駅前に戻ればマ○クや
ド○ールはあるけど、あと少しだし。
でも、本当に今朝は寒いわね、参ったわ・・・」
そう言うミナも、
スエードのブラウンのローヒール靴に
包み込まれた足を、右、左と足踏みしている。
寒さのあまり少しでも足を動かして、
暖を取ろうとしているのだろう。
厚手のタイツを履いているようだが、
さすがに限界がある。
「あとちょっとで時間だから・・・
そぉねえ」
チラッと左の腕時計を見た。
「・・・あと10分くらいだから。
もうひょい我慢してよ、ひカ」
妹をなんとかなだめすかそうとしてみたが、
寒さでうまく歯が噛み合わない。
チカに伝わったのかは不明。
真っ白なハーフダウンに身を包んだチカは、
思いっ切りしかめっ面を浮かべていた。
ココは南香椎の住宅街の一角。
駅から20分ほど歩いた所にある福井家の近くに、
アヤカ、ミナ、チカの三人は佇んでいた。
時折通りかかる人が訝しげな視線を
アヤカ達に投げかけていく。
そりゃそうだ。
何をするわけでも無く、
ただその場で女性三人が壁を背に、
ガチガチ震えているだけなんだから。
更にこの辺りの住人でもないので、
余計怪しげに見えても致し方ない。
この近辺は大きなビルもなく、
低層のマンションやアパートが少しあるだけで、
ほとんど一軒家の家が立ち並ぶエリアだ。
小さな商店や喫茶店などはあるが、
車道から一歩路地に入ればコンビニなどもなく、
静けさを漂わせている。
ただ、近くには広大な敷地を持つ
幼稚園から大学までの一貫制教育の学校があり、
平日の早朝は学生の登校で賑やかになる。
しかし、今日は日曜日。
人通りは数えるほどだ。
なぜこんな所で寒さと戦いながら佇んでいるのかといえば、
青木弁護士と待ち合わせしているからだ。
「福井家からすぐ近くの路地に入ったところで
待ちあわせしましょう」
昨日、青木弁護士の事務所を辞するときに
彼がそう言ったのだ。
福井家に電撃的に乗り込み、
小田ハツエに話を聞く。
電話でアポを取ろうとしても、
逃げてしまうのではないか?
と青木弁護士が言うので、
こういう作戦に出たのだ。
アヤカとチカはそれぞれ電車で、
ミナは歩きで南香椎駅で一度集合した。
しかし早過ぎたようだ。
ここに立っているだけで寒さと身を切るような風で、
体温と体力が奪われていくのをヒシヒシと感じる。
コートのポケットに入れた携帯カイロ一個分の
暖かさだけが頼り。
こんなことなら、もっとカイロを仕込んでおくんだった。
寒さとの戦いもそうだが、
そろそろ本当に来てくれないと
不審者として通報されてしまう。
いつもの日曜日なら、
暖かい布団に包まってゆっくり朝寝坊して、
もしかしたら二度寝までして、
一日平和に過ごすのに・・・。
しかも今日は2月14日、
そう、バレンタインデー当日なのよ。
ホントだったら前日から手作りチョコを用意して、
ウチで庄司准教授と
チョコレートフォンデュとかしちゃって、
ハッピーなことになっていたかもしれないのに。
まあ、実際には准教授は大学の学会とやらで、
大阪に行っているらしいんですけど。
昨日は夜ふかししたのもあり、
眠気と疲れでアヤカの身体から悲鳴があがりそうだ。
お願いだから、早く来て〜〜!
「ねえ、信用していいと思う?」
熱々のコーヒーカップを両手で包み込みながら
アヤカが言った。
夜の9時過ぎ。
青木弁護士事務所を出た三人は、
香椎駅近くのファミレスに入った。
それは先程青木弁護士の事務所で聞いた話を
皆で検証するためだった。
アヤカは日中の仕事の疲れと、
青木弁護士事務所での話し合いで
次々と明らかになった真実の衝撃で、
頭がクラクラしていた。
すぐさま家のベッドに潜り込みたい気分なのだが、
明日の『突撃!福井家電撃訪問作戦(チカ命名)』
のこともあることだし、
三人で意見を合わせておいたほうがいいと
チカが提案したのだった。
「チカ、家のほうはいいの?」
チカ宅では、夫と可愛い娘が待っているはず。
姉として気をつかってみたのだが、
「だいじょーぶ!
さっき電話してみたら、
ミッキーがこっちは任せろ!って言ってくれたから。
最近、ご飯作るのも上手くなったし、
何よりチカに探偵業を頑張れって言ってくれてるし。
ホントは自分も参加したいみたいだけどね。
でも、事件の話は楽しそうに聞いてる」
・・・ありがとう、義弟よ。
お義姉さんは、嬉しくて涙出そう。
チカはこんな時間にもかかわらず、
まだまだテンションが高く、一人息巻いている。
ミナは私と同じで眠そう・・・。
眼鏡の奥の目が死にかけてるよ。
・・・これが年齢の差というものか。
いやいや、珈琲で、眠気を吹き飛ばそう。
熱い珈琲を一口すすった。
最近はファミレスの珈琲といえど、
クオリティが高く、香りも味も良いのよね。
お料理も美味しいし、
ウチに帰って何か作ったり、コンビニで買うよりも
ここでゴハンまで済ましてしまえば、ま、いいか。
「ミナは青木さんのこと、どれくらい知ってるの?」
「そうね・・・あの人は昔から福井家と
家族ぐるみで親しい人らしいわ。
タツオミさんの亡くなったお父様と
大学の同級生ってことは聞いたでしょ?
その頃から福井家に出入りしてて、
タツオミさんの父方のお祖父様、お祖母様にも
可愛がられていたらしいの。
どこか・・・地方から東京に出てきて、
大学生のころはよく家に遊びに来て、
ご飯を食べていったりしていたそうよ」
ミナが言った。
「なんか引っかかるの?姉さん」
大盛りのポテトフライにフォークを突き刺しながら、
チカが言う。
「そういう訳じゃないんだけど・・・。
青木さん、弁護士さんだし、真摯な感じはしたし、
本当のことを話していたと思う。
福井家のことも本当に心配していたみたいだし。
ただね・・・」
「ただ?」
今度は明太子ディップにポテトフライを付けたチカが
口をモグモグとさせながら聞いた。
「あの人、何もかも知っていたというのに、
警察にも相談していなかったわよね?
これは弁護士としての倫理に反するんじゃないの?
いくら親しい間柄だからって、
さすがに行き過ぎかなぁって思ったの。
青木さんが言ったこと、
全部鵜呑みにしてもいいのかな・・・」
「それだけ、福井家のことを
心配してるってことじゃないの?
何とか自分だけで解決したいとか」
「うーん・・・そうかもしれないけど。
ふらんす家のことだけじゃなく、
福井家の事情やお金の面まで
全て把握しているわけでしょう?
小田ハツエがお金を引き出したことも知ってる。
探偵も依頼して尾行までしてた。
もしかしたら、私達に話したこと以上のことも
知っているのかもしれない」
「考え過ぎなんじゃないの?姉さん。
・・・まさかだけど、
あの青木さんが犯人だとでも言う気じゃないよね?」
「それはないと思うけど・・・」
運転手の中村さんの話によれば、
神社の事件ことは青木さんには全く関係がないはず。
ユミを殺害する動機もないはずだし・・・。
それとも私達が知らないだけで何かあるの?
怪しいのは小田ハツエと会ったという神社の男。
しかし、もしかしたらその男も
別の事件で死んでいるかもしれないということに、
アヤカは底しれない恐怖を感じていた。
まだ、私達が知らないことがあるんじゃないのかしら。
もっと隠されたことが。
・・・もしかしたら、青木弁護士のアリバイも
調べたほうがいいのかも。
明日、一之瀬さんに聞いてみようかな・・・。
「まあ、今までもこの人が?っていう人が
犯人だったこともあったし。
アヤカが疑心暗鬼になるのも無理はないかもね」
ミナがクラブハウスサンドウィッチを取りながら言った。
ボリュームたっぷりのサンドウィッチは
チキン、タマゴ、レタス、
そして意外にも大葉がサンドされていて
ボリューミーながらも案外アッサリしている。
「考えすぎかな・・・。
なんかいいように操られている気がして。
青木さんの証人にされているような・・・
あ、ポテト全部食べないでよ、チカ!
・・・うん、、美味しい。
揚げ立てたし、このディップもなかなかね。
とにかく明日福井家で話を聞いたら、
もう一之瀬さんに連絡したほうがいいと思う。
というか、しなきゃいけないわよね。
・・・一之瀬さんとはそういう約束だったし。
それまで分かったこと、全部話そう。
これ以上は私達にも
対処できないんじゃないかと思うの。
あとは警察に任せるのがいいと思う。
・・・どお?二人とも」
「それがいいわね、アヤカと言う通りだと思う。
もし、アヤカが言った通りに久保さんが調べてる
もう一つの事件が関わっているとしたら、
もう私達の手には負えないわ」
「うーん・・・なんかここまで来たら、
私達だけで解決したかったけど・・・しょうがないよね。
とにかくユミちゃんの事件が解決できれば
いいんだから」
この後、三人は解散した。
家にもどり、
なんだかんだでアヤカがベッドに潜り込んだのは
夜中の2時。
そうして一夜明け、私たちはココにいる。
「あ、来た!
あれ青木さんじゃない?ココでーす!」
チカが笑顔で大きく手を振った。
回想から現実に戻されたアヤカは、
道の向こうから青木弁護士が
あちらも笑顔で片手を上げながら、
こちらに歩いてくる姿を確認した。
徒歩だったが、車をどこかへ置いてきたのだろうか。
「おはようございます。
皆様、寒い中、お待たせして申し訳ございません。
早朝からおいで頂き、ありがとうございます」
青木弁護士はグレーツイードの暖かそうな
ロングチェスターコートに身を包み、
頭にはお揃いのハットを被っていた。
首には千鳥柄のマフラーを巻き、革製の手袋をしていて、
完全防寒していた。
手には見るからにパンパンに膨らんだ
かなり年季のはいった革のバッグを下げていた。
「それでは参りましょうか。
先程タツオミくんに連絡し、
家族全員揃っているとのことです。
もちろんタツヤくんも」
青木弁護士を先頭にアヤカ達は福井家に向けて歩き出し、
ものの1分もせず、大きな門の前に到着した。
黒の錬鉄で作られた植物のレリーフが美しい
クラシカルな観音開きの門は、
ゆうに2メートルの高さがあり、威圧さえ感じる。
左右に白い壁紙が続き、右にローマ文字で書かれた
『福井』という表札が埋め込まれていた。
その下に控えめに『小田』という表札もある。
門の隙間から白い本宅が見える。
窓枠は黒で統一されていて、モダンシックな洋館だ。
「・・・時間ですね」
青木弁護士がコートの袖をめくり、
高級そうな革ベルトの腕時計に視線を落とした。
すると家の奥から誰かが近づいてくるのが分かった。
この家の長男、タツオミだった。
暖かそうなベージュのセーターに、
長い足はブラックジーンズとスニーカーに包まれていた。
静かな音をたてて門が開かれた。
「おはようございます、青木先生。
ミナも・・・皆さんもよく来てくれました。
さあ、こちらへ・・・」
緊張が張り付いたような硬い表情を浮かべた
タツオミの先導で、
茶色のレンガが敷き詰められた道を歩く。
右にはごく一般的なガレージがあった。
シャッターが全て開けられ、
大きなバン型や、外産のスポーツカータイプなどが、
並んでいるのがわかる。
左に目を向けると芝生が敷き詰められていたが、
冬枯れで稲わらのような黄色になっていた。
初夏になれば青芽が出てくるだろうが、
今は冬眠しているのだろう。
それ以外に潅木や草木の類は見当たらない。
アヤカはカフェ・ヴェルデの庭を思い浮かべた。
緑芽吹く春、色とりどりの花咲く夏、
実り豊かな秋、凛とした静けさの冬。
季節ごとに様々な顔を見せてくれる
自慢のガーデンだ。
カフェ・ヴェルデの庭を目当てで
来店してくれるお客様もかなりいた。
そうこうするうちに玄関に辿り着いた。
短い二段の階段を登り、
黒い木製のがっしりしたドアの前に立った。
ドアの左右にはフランスのアーティスト、
ルネ・ラリックのようなユリの花を模したような
美しいガラス細工の壁。
家の光がぼんやりと透けていた。
タツオミが無言のままドアを開けた。
キイっとドアが声を上げる。
タツオミ、青木弁護士、アヤカ、チカ、ミナの順に、
玄関に滑り込む。
中はほんのりとした暖かい空気に包まれていた。
玄関ホールは広く、目の前に二階に続く
真っ直ぐな幅広い階段があった。
どうやらこの家はこの階段を中心に
左右対称のシンメトリーな造りになっているらしい。
アヤカが見る限り、
鏡で合わせたように扉や部屋位置が同じだった。
床は全てグレーのカーペットが敷き詰められている。
アヤカ達は各々コートなどを脱ぎ、
ふかふかのスリッパに履き替えた。
タツオミの先導で左手の部屋に入っていくと、
すぐに珈琲の香りが漂っていた。
そこは大きなリビングだった。
アヤカの目に最初に飛び込んできたのは、
各々珈琲カップを手にした福井家の人々だった。
朝食後の珈琲タイムだろうか。
なんとも優雅である。
小田ハツエは三人は座れるソファの端に座り、
口元に珈琲カップを当てていた。
鮮やかなブルーのニットに同じくお揃いの
セットアップのスカートを合わせ、足を組んでいた。
穏やかな朝の雰囲気をぶち壊した
侵入者のアヤカ達を睨んでいる。
一人用のソファで片手に珈琲カップを、
もう片手には新聞を持っているのは
おそらく小田ソウイチだろう。
黒のタートルネックニットにベージュチェックの
パンツを合わせていた。
ア然とした表情を突然侵入してきたアヤカ達に向けている。
(この人が小田ハツエの二番目の旦那ね)
あの高飛車な小田ハツエの夫となる人だ、
きっと同じようなタイプの人だろうとアヤカは思っていた。
しかし、思ってたよりも温和な印象を受けた。
ふんわりセットされたミルクティーのような
軟らかいブラウンの髪に、
モミアゲから白いヒゲをたっぷり蓄えている。
四角いボストン型の眼鏡をかけ、
その奥に光る目はタツオミ、青木弁護士、
そしてアヤカ達を忙しく行き来している。
どういう心情なのかはよくわからないが、
短気な人ではなさそうだ。
少なくとも目は怒っていない。
タツヤは門を見渡せる高い窓の側に立っていた。
おそらくアヤカ達が来るのを見ていたのだろう。
つと窓を離れ、硬い表情のまま、
持っていた珈琲カップをテーブルに置き、
テレビの側のソファの肘掛けに軽く腰掛けた。
グレーのトレーナーに濃いインディゴのデニムを合わせて
かなりラフなスタイルだった。
確かタツヤはこの近くで家族とは別に住んでいるはず。
今朝はどういう理由でココに来たのか、
小田ハツエにはどう説明したのだろうか?
たまたま朝食を食べに来ましたとか?
それとも話があるからとか?
とにかく並々ならぬ決意で来たに違いないと、
硬い表情からも伺える。
タツヤは青木弁護士からあの日の神社のことを
聞いているのだろうか。
とにかくこれからこの福井家のリビングには
とてつもない嵐が吹くに違いない。
「・・・ということで、御宅に参上した次第です」
青木弁護士が今日ココに来た理由を
話し終えたところだった。
想定内というか、やはりといったところか、
それまで何とか堪えて話を聞いていた
小田ハツエの怒りが一気に爆発した。
まあ、当然だろう。
家族団らんの時間を邪魔され、
元嫁であるミナが家に来て、
一昨日、口論した青木弁護士がアポイントもなく
福井家を訪れた。
恐らく一昨日のパーティでアヤカに会っていることは
忘れているだろうが。
何より松田ユミの事件の話をしに来たことが、
小田ハツエの怒りの導火線に火をつけたことは
間違いない。
福井家のリビングルームは20畳以上はあるだろうか、
暖房が隅々まで行き届き、程よく温かい。
外の寒さと比べると天国と地獄のように感じる。
楕円形のガラス張りのテーブルを囲むように、
ツイード素材のソファが配置され、
三人座れる大きなソファが
テーブルを挟んで二台も置かれ、
四角い一人用が二つ、
背もたれのない丸いソファもあった。
アヤカ達は三人がけのソファに座ることになった。
ソファはふんわりと柔らかく、
部屋の暖かさと疲れも相まって、
思わず眠り込んでしまいたくなったが、
居心地悪いこと極まりない。
一応、曲がりなりにも『お客様』であるアヤカ達の前にも、
珈琲を置いてくれていた。
まあ、それもタツオミが別部屋の台所にいる
お手伝いさんに頼んでくれたおかげだが。
小田ハツエならアヤカ達に珈琲どころか
水だって出さないだろう。
それにしても広いリビングだ。
壁際には60インチ以上はありそうなテレビが置かれ、
両サイドには細身の背の高い花瓶が置かれている。
白い百合とグリーンのトルコキキョウ、
白い胡蝶蘭が生けてある。
(華やかね。
でもまた百合の花なのか・・・。
ユミの最期を縁取るように撒かれた花。
季節花とはいえ、ココでもまた百合だなんて)
天井も高く、頭上には摺りガラスの釣り型シャンデリアが
オレンジ色の優しい光を放っている。
マグノリアの花だろうか?
エミール・ガレのような雰囲気で、
とりあえず趣味はいい。
しかし、まるでモデルルームの部屋のようだ。
テレビのリモコンやティッシュなどの箱も見当たらず、
生活感を感じられない。
アヤカは少し寒気を覚えたが、
ゴミ箱を部屋の隅に見つけたことでなぜか安心した。
「そんなくだらないことで
あなた達は我が家に押しかけて来たのですか!?
青木さん、あなた・・・あなたが私を
こっそり調べていただなんて!
私の跡をつけていたなんて・・・あぁ、気持ち悪い!!
中村さん、あなたもよ!
コソコソと青木さんに告げ口するなんて!」
小田ハツエの凄まじい口撃は、
弁護士へ、そして運転手に切り替わっていった。
福井家には運転手の中村さんも来ていた。
中村さんは座らないで、
オドオドとした様子で壁際に立ち尽くしていた。
今にも泣き出しそうな表情から
今すぐにでも壁と同化したいと思っているに違いない。
「そんな、奥様!
私は奥様のことが、こちらの家のことが心配で・・・
それで青木先生に・・・」
「それが余計なことだってことがわからないの!?」
「しかし、しかし!
ここ何日かの奥様は、とてもお疲れの様子で、
車内でもずっと沈み込んでおられて、
とても見ていられませんでした。
・・・お怒りはごもっともでございます。
黙って青木先生にご相談させて頂いたことは、
申し訳なく思います。
しかし、私も長くこちらに務めさせて頂いております。
奥様のためにも・・・ご家族のためにも
このままでは・・・何とかしなければと・・・・」
運転手の真摯な言葉は小田ハツエには届いていないようだ。
「あなたは福井家の恥をさらしたのよ?
会社にも大きな影響があるわ。
これがどんな裏切りか、わからないのね!」
しかし、中村さんも意外と負けていない。
「ですが!
このままでは、恐らく警察の方々も
いつか奥様の嘘に気づいてしまいます。
警察は優秀ですから。
その前に何とかしなければと思ったのです。
今ならまだ・・・本当のことを言えば・・・」
「私が何を言うというの?
あなたは私が自首すればいいと思っているのね?
私が犯人ですって言えばいいというのね?」
「・・・それは・・・」
「中村さん、あなたの言いたいことはよくわかりました。
でも、私はそんなことをするつもりはありませんよ」
すると長男が話に割って入った。
「母さん!
せめて、オレ達には何か説明してくれてもいいじゃないか?
何にもなかったんだろ?
もし・・・もし母さんが本当にユミさんに
何かしたなら、正直に言ってくれ。
・・・もしかしたら、その、故意にじゃなく、
事故ってこともあるんだし・・・」
タツオミは母親に食い下がった。
それはない。
だってユミは絞殺、つまり首をしめられていたんだから。
タツオミの言葉を振り払うかのように、
ハツエがソファから立ち上がった。
「私はやってません、無関係よ!
だって!!・・・あの子、川で見つかったんでしょ?
私、私は・・・」
両こぶしを握り、ぶるぶると震えている。
「・・・こんな茶番、もう付き合うつもりはないわ。
青木さん、あなたには・・・失望しました。
夫の親友で、それ以来仕事でも長く信頼してきたのに。
・・・あなたとのお付き合いはやめます」
そして小田ハツエはいきなりアヤカ達を指差した。
「そこの人達も、いきなり朝早くから押しかけてきて!
無作法でしょう?
それに、ミナさん、
あなたはもうこの家の敷居をまたぐことは
許されないはずよ。
もうウチとは無関係なのだから。
さあ、もう、もうみんな出てって!!」
「逃げんのかよ!お袋!!」
構わず部屋を出ていこうとしていたハツエの前に
素早く立ち塞がった人がいた。
それまで沈黙を守っていた次男タツヤだった。
180cm近くはありそうな長身で、
小田ハツエも妙齢の女性としては高身長だが、
静かに怒りをたぎらせているタツヤは
もっと大きく見えた。
「・・・お袋、そろそろハッキリさせたらどうだ?
このままでいいのか?
自分に何も罪が無いというなら、俺たちを納得させろ。
本当に、ホントにユミに何かしたんなら、
潔く認めろよ!
そしてユミに謝れ!
俺に謝れ!
ユミの両親や、友人やみんなに謝れ!!」
タツヤは一気にまくし立てたが、
一転大きく息を吐いた。
「・・・なあ、お袋らしくないだろ!?
お袋、今まであんなに自分に自信を持って
やってきたんだろ?
親父が亡くなってから、
ずっと周りに弱みを見せず、突っ張って、強気で仕事して、
会社も家族も、オレ達を守ってきてくれたんだろ?
他人には冷たくて容赦ない人だと思われてるだろうけど、
俺は・・・そういうところ、少しは尊敬してきたんだ。
こんな中途半端なことして・・・お袋らしくない」
タツヤの真摯な言葉。
小田ハツエは
息子の心からの叫びに明らかに動揺していた。
タツヤを直視できず、目が泳いでいる。
アヤカは小田ハツエに、
同情や優しさをかけるつもりは無かった。
ユミを殺した犯人かもしれないし、
パーティーの時のアヤカの母に向けた
失礼な態度も忘れてはいない。
だけど・・・あの一瞬垣間見せた小田ハツエの弱さ。
一瞬だけど、怯みそうになってしまった。
子というのは、本能的に母親に弱いのかもしれない。
だけど・・・ユミのため、事件解明のためだ。
自分の気持ちを抑えて、とにかく攻めるしかない。
今大事なのは真実。
そう、事実と実際何が起きたのかということ。
それをあの冷徹な女傑から
なんとか真実を引き出さなくてはならない。
アヤカは意を決して立ち上がった。
「タツヤさん、ちょっと私に話させてもらっても
いいかしら?
大事なことなの。
・・・小田さん、コレを見て下さいませんか?」
アヤカは自分のブラウンのバッグから
タブレットを取り出し、
昨日検索して保存しておいた画面を
ハツエの顔面に出した。
「この男に見覚えはありませんか?」
「・・・何よ、それ。
それよりあなた達、
いい加減ここから出てってくださる?
もちろんあの元嫁も連れて」
タブレットから顔を背け、取り付く島もない。
「どうか・・・見て下さい、大事なことなんです」
「しつこいわね!何よ、こんなもの!」
「いいから、見て!!」
アヤカはつい声を荒げてしまった。
小田ハツエが目を見開く。
「・・・見て下さいませんか?
もしかしたら、あなたの無実を証明できるかも
しれないものなんです。
・・いいんですか?このままで。
警察どころか、
息子さんや家族にまで疑われたままだなんて。
そんなの・・・ツラいじゃないですか。
少しだけ私に時間を下さい・・・お願いします」
小田ハツエはアヤカの顔を数秒ジッと見つめてから、
やっとタブレットに視線を向けた。
画面にはある新聞の記事が表示されていた。
数日前のとある殺人事件だ。
白黒表示なれど、被害者の男の顔と
事件現場のアパートの外観の写真なのはわかる。
男は高校時代のものか、ブレザーに緩くネクタイを締め、
無邪気な、しかしすでにヤンチャそうな
笑顔をこちらに向けていた。
殺された男はまだ20代前半、
高校時代の写真とはいえ、面影はまだかなり残っている。
「これは・・・殺人事件の・・・?」
小田ハツエの口からかすれた声がした。
「そうです。
これは数日前の事件の記事です。
ハツエさん、この人物に見覚えがありますか?」
「強盗?・・・本郷寺のアパートで・・・
被害者は若い土木工事の男・・・。
えっ・・・この男・・・?
私を脅した・・・。
でもこの写真・・・いえ、この男だわ!
死んだの?
2月11日?
千田シュウジ?この人、そんな名前なの?」
そう、小田ハツエに見せたのは
久保刑事が担当している
本郷寺の強盗殺人事件の記事。
「やっぱりこの男なんですね?
あなたを脅していた人は。
この人の名前、あなたは知らなかったんですか?」
アヤカがなるべく優しい声をかけた。
ハツエは小刻みに首を横に振った。
「知らないわ、初めて聞いた。
名前も連絡先も知らないし、
どこに住んでいるのかも。
・・・私を脅迫してきた時、
自分のことは何も話さなかった。
この男が電話してくる時は『神社の』としか
名乗らなかった。
・・・これ、どういうこと?」
アヤカはタブレットをテーブルに置いた。
タツオミ、タツヤ、小田ソウイチ、青木弁護士、
中村運転手、ミナ、チカが食い入るように見つめる。
「この記事の事件は、10日の水曜日に起きたものです。
この被害者、千田シュウジは
本郷寺の自分のアパートで死体で発見されました。
犯人はまだ捕まっていません。
ハツエさん、あなたが千田シュウジに
公園でお金を渡したのが、えーと・・・」
「今週8日の月曜日です。そうですね?ハツエさん」
青木弁護士が助け舟を出した。
「え、ええ、そうよ」
自分を脅していた男が殺されたことがわかって、
小田ハツエは明らかにショックを受けていた。
どうやらお芝居ではないらしい。
「千田シュウジが殺されたのは、
その二日後の水曜日です。
自宅アパートで首を締めて殺され、
そして現金が盗まれています。
ゴミ箱に帯封が捨てられていたことから、
恐らく百万以上の現金が自宅にあったと
推測されています。
小田さん、あなたが千田シュウジに渡した金額は
いくらですか?」
「・・・百万」
「どうやって用意したんですか?」
「私の・・・銀行から下ろして・・・」
やっぱり!
銀行から引き出したお金は宝石を買うためじゃない。
千田シュウジにお金を渡すためだったのね。
青木弁護士とバチっと目が合った。
無言で弁護士はうなずいた。
「用意したお金はそれだけですか?」
「いえ、もっと・・・あと百万あるわ」
「もっと渡す気だったんですか?」
「・・・そうね、そうかもしれない。
わからない・・・もう全部わからないわ・・・」
「質問を変えます。
あなたは・・・千田シュウジを殺しましたか?」
アヤカはズバリと切り込んだ。
「まさか!!そんなこと!!
・・・だって、あの男、私よりもかなり身長が高かったし、
身体も大きくて力も強そうだった。
女の私に何とかできるわけないじゃないの!!」
小田ハツエの声が裏返った。
「でも殺意はあったでしょう?」
アヤカはワザと意地悪く聞いた。
小田ハツエの本心が聞きたかった。
「それは・・・それはそうよ。
あんなふうにこの私を、脅してきたのだから」
「月曜日に千田シュウジと公園で別れてから、
連絡はありましたか?」
「・・・ないわ。
どうせ、またお金をせびってくるとは
思っていたけど。
・・・またいつ連絡があるのかとビクビクしていたわ。
でも、まさか亡くなっているとはね・・・」
そう言って小田ハツエは考え込むように、
顎に指当てた。
・・・もしかしてこの人。
次にお金を渡す時、千田シュウジを・・・。
相手が男で力が強くても、一瞬のスキをつくことはできる。
例えばナイフなどの鋭い刃物とかなら、
殺害も可能かもしれない。
小田ハツエを尾行していた調査員によれば、
千田は小田ハツエを老女と見くびって
油断していたようだったから。
ううん、これはあくまで私の想像。
だけど、このプライドの高い女性なら、
実行していたのかもしれない。
何百人もの従業員を抱える企業の元社長であった
小田ハツエ。
それだけの決断力と行動力は持ち合わせている。
チラッとミナを見やると、
眼鏡の奥で冷静な視線を小田ハツエに向けていた。
男性陣にはわからないかもしれない。
女性の勘というか、女の事は同性のほうがよくわかる。
しかもミナは福井家の元嫁だ。
数年とはいえ、小田ハツエのことは
近くで散々見て来たはず。
アヤカと同じことを薄々感じているのかもしれない。
青木弁護士が唸った。
「しかし、これでは・・・。
あなたを脅していたとはいえ、
千田シュウジという唯一の目撃者を失ったわけです。
彼が生きていれば、あなたのことを
何とか証言してくれていたのかもしれません。
残念ですが・・・ハツエさんの無実を
これからどう証明していくのか。
もちろん、私はあなたを信じています。
あなたの今までの功績、地域への貢献、
それは確かなものです。
あなたの元夫であり、我が親友、小田マサカズのためにも、
何とか不起訴になるよう、全力を尽くす所存です」
「青木さん・・・」
小田ハツエの声が震えていた。
不起訴ですって?
無実を求めないの?
青木弁護士は小田ハツエの無実を信じていないの?
彼女を心から信用しているのなら、
そんなことは言わないんじゃないの?
「いえ、あなたはユミちゃんを殺していない」
突然、鋭い声がした。
え?
声の主、それはミナだった。
「無実は証明できるはずです」
小田ハツエはミナの顔をヒタと見つめた。
ミナと小田ハツエの視線がぶつかる。
「・・・なぜあなたにそんなことが言えるの?
青木さんが言ったように、
どう考えても私が一番疑われることはわかってます。
警察に聞かれたときも嘘をつき、
虚偽の発言をしました。
あの子、松田ユミさんに一番殺意を持っていたのは私。
あの神社にいたのも私。
いまさら・・・・警察は私が犯人じゃないと言っても
信じるわけない。
あの男・・・千田に話させることも出来なくなって、
私の話が本当かも証明できない。
・・・その私をあなたは信じると言うの?
無実だと言うの?」
小田ハツエはミナをジッと見つめた。
その視線をミナは怯むことなく堂々と受け止めていた。
「ハツエさん、あなたはユミちゃんを突き飛ばした。
ユミちゃんは神社の階段に倒れ込み、頭を打った。
頭から出血していたし、意識も無かった。
そうですね?」
「・・・そうよ。
私はあの子を突き飛ばして、
もう二度と息子に会わないでちょうだい!って
言ったわ。
その後、確か色々言ったと思うけど・・・・それはあまり
覚えていないわ。
私は怒っていたからその場を離れようとした。
でも、あの子は立ち上がらなかった。
声も出さなかった。
さすがに変だわって思って、
ねえって、立ちなさいよって、言った・・・と思うわ。
でも何も言わなかった。
最初はふざけてるのかと思ったわ。
私に当てつけて同情を誘ってるのかと。
でも全然動かないし、
さすがにおかしいってあの子の側に行ったの。
そしたら・・・階段に・・・あの子の頭の下から
赤い・・・血が・・・ジワジワ出てきたの・・・。
ケガしたのかと思って、
私は急いで屈み込んで彼女を起こそうとしたのよ。
そしたら・・・アイツが・・・」
「千田シュウジが現れた」
「・・・そうよ。男が急に灯籠の影から出てきたの。
しかもニヤニヤ笑いながら。
『あんた、殺っちゃったのか』って言いながら。
ベージュの土木工事するようなつなぎの格好した男で、
土であちこち汚れていたわ。
黒いゴツいブーツを履いて、
あれ、安全靴って言うのかしら?
大きなリュックのような重そうなバッグを
肩に掛けていた。
最初、この男は何を言ってるのかと思ったわ。
でも、段々状況を理解してきて・・・
目の前が・・真っ暗になったわ。
あの子の・・・ユミさんの顔を見たら、
青白い顔してて、身体も腕もだらんってしてて・・・。
私が!?
私が殺してしまったの!?ってパニックになった。
男に、『違う、殺したんじゃない、事故なの!!』
と何度も言っても聞いてくれなかった。
何度も説明したのに、
ただ、笑いながら『見たぞ』『あんた人殺しだ』って
繰り返し言ってるだけ。
あの・・・嫌な顔。
だけど、私はどうしたらいいのかわからなくなっていた。
このままじゃマズイことになってしまうと思って、
あの男の言うなりになってしまった。
私の連絡先を教えて、
携帯で私の顔とユミさんの写真も撮られてしまった。
さらにお金を渡すことを約束してしまった。
・・・あとは中村さんが話した通りよ」
「ハツエ・・・」
小田ソウイチがハツエの肩を抱き寄せ、
側のソファにそっと座らせた。
小田ハツエは糸を無くした人形のように、
ガックリと沈み込んだ。
「・・・すまない。
キミが何かおかしいとは気づいていたんだ。
上の空の時もあったし、突然喋りだしたり。
情緒が不安定だと感じていた。
仕事のことかと思っていたんだ。
私に会社のことを話してもしょうがないから
何も言わないのだと。
だが、そういうことなら、私には話して欲しかった・・・」
「・・・ごめんなさい」
「いや、責めてるんじゃないんだ。
事情が事情だったんだから・・・。
君はずっと苦しんでいたんだね。
実は・・・僕はあの日、君が部屋にいなかったのを
知っていたんだ」
小田ハツエが息を飲んだ音が聞こえた。
「親父さん?」
タツヤが小田ソウイチに顔を向けた。
「今だから言うが、ユミさんの事件の起きた朝、
僕はもっと早く7時半だったと思う、起きていたんだ。
そこで階下に降りる前に君の様子を見ようと、
君の部屋のドアを開けた。
君はベッドにはいなくて、もう起きているんだろうと
一階に降りたんだが、お手伝いさんがいただけだった。
僕はそっと二階に戻った。
二階の洗面所も確認したが、やはりいなかった。
それで、またパンを買いに行ったんだろうと思いついた。
ハツエも警察にはパン屋に行っていたと話していたし、
少々の時間のズレは勘違いだろうと思っていたんだ。
もう少し・・・僕が気づけば良かったね」
「あなた・・・」
夫は妻の手を取り優しくさすっていた。
・・・どうやら、小田ソウイチは心から
ハツエを愛しているらしい。
この気の強いこと、この上ない女帝を。
そしてなんと小田ハツエの目には
涙が光っていた。
鬼の目にも何とかというけど。
アヤカは小田ハツエを少し羨ましく思った。
私にもこんなに思ってくれる男性が現われるのだろうか。
辛いときも悲しみのときも寄り添ってくれる人が。
ミナはコホンと小さな咳をした。
「すいません、話を戻してもいいでしょうか?
実は、色々と検討した結果、
ハツエさん、あなたと千田が話している時、
ユミちゃんはまだ生きていた可能性があります」
「えっ!?」
ハツエだけじゃない、三者三様の驚きの声が部屋に響いた。
ミナ!?
何言ってるの!?
ミナ以外の全員が顔に驚きの表情を貼り付けているなか、
一人冷静にミナは続けてハツエに質問した。
「あなたはユミちゃんの首を絞めましたか?」
「え!?
・・・そんなことするはずないでしょう!
だってあの子が倒れた後、すぐあの男が現れたんだから」
「本当ですね?」
「本当よ!!」
「では、脈なども確認しなかったんですね?」
「・・・そうよ。
だってあんなに血が出てて・・・私、もう・・・
あの子が死んでしまったと思っていたんだもの。
その後、あの男にずっと責められて、
確認するときも無かったし・・・」
ミナは小田ハツエを10秒ほどヒタと見つめた後、
首を回してアヤカに話しかけた。
「ねえ、アヤカ。
確かユミちゃんの最終的な死因は絞殺・・・、
首を絞めたこと・・・よね?」
「う、うん。
頭の傷が致命傷じゃないって、一之瀬さんが言ってた。
首を絞めて・・・息が絶えたって。
だから水の中にいても肺に水が入ってなかったって」
タツヤが小さく唸った。
ユミの最後の姿を思い出したのだろうか。
「それ、本当なの!?
だったら私じゃないわ!
だって私は突き飛ばしただけだもの!!」
小田ハツエの顔がパッと明るくなった。
突き飛ばしただけ・・・だけ、ね。
アヤカの胸奥がムカムカとザワついた。
「だからと言ってそれを警察は信じてくれるのか?
あの新聞の男はもう死んでるんですよね?
おふくろがユミの首を絞めていないっていうのを
義姉さん、どうやって証明できるんですか?」
タツヤが苦虫を潰したような顔をしている。
母親が自分達にウソをついていたこと、
ユミの死に関係していたことがわかり、
複雑な面持ちだろう。
「タツヤさん、それは証明できると思う」
「え?」
「ユミちゃんの首を絞めたのは人の手だそうよ。
今の警察の科学では、その手の大きさや
残った人の皮脂から犯人を割り出すことが出来るの」
それはミナが読む推理小説からの知識?
それとも久保さんから聞いたのかしら。
「ユミちゃんは水中にいたから、
犯人の手の細胞は採取できないと思う。
ただ、強く肌に指を当てた場合、
皮下出血で跡が残るらしいの。
ましてその後、水に漬かっていた場合は特に、
赤黒く浮き出てくる。
首を絞めたのは男性か女性かということくらいは
手や指の大きさでわかると思うわ。
それに、神社の階段からユミちゃんが発見された川まで、
引きずられた痕跡が地面には無かった。
ユミちゃんの体重は軽いとはいえ、
ぐったりとした身体は重い。
同じ女性のハツエさんが持ち上げて運ぶというのは
難しいでしょう」
「じゃあ・・・じゃあ、ハツエがユミさんを、
犯人ではないというのは証明されるんですね?
捕まらないんですね?
大丈夫なんですね?」
小田ソウイチの顔がパッと明るくなった。
ミナはコクリと頷いた。
「ハツエさんが話したことが真実であれば」
「良かった!良かったな、ハツエ!!
キミじゃないと分かるんだ。
ありがとう、ミナさん!
良かった、本当に良かった!!
・・・いや?
しかし、じゃあ、そのユミさんという人は?
誰に・・・?」
喜びから一転して小田ソウイチは困惑していた。
ミナが更に話を続けた。
「ここからは仮定の話です。
中村さんのお話だと、ハツエさんと別れた男は、
反対側へ歩いて行ったようだとおっしゃいました。
ハツエさん、確かですか?」
「・・・ええ、そうよ。
あの男は、神社の裏口のほうへ歩いて行った」
「つまり、ユミちゃんが倒れている本殿の脇を通る。
もし・・・もしその時、
ユミちゃんが意識を取り戻していたら?」
ミナ!?
「千田シュウジは彼女を助けると思いますか?ハツエさん」
「あの男が!?とんでもない!
あの男は私を脅して、お金を引き出せるだけ
引き出そうとするような非道な男よ!
あの男が人助けなんかするわけない!」
小田ハツエが怒りの声を上げる。
「そうですか。
・・・残念ですが、今までの千田シュウジの言動や
刑事さんからの情報を合わせて考えても、
私も同意見です。
意識を取り戻したユミちゃんを介抱するどころか、
全く逆なことをしたと思います」
「まさか・・・ミナちゃん?」
チカがハッと口を押さえた。
「ユミちゃんが生きていては困るんですよ、
千田シュウジは。
だってユミちゃんが生き返ったら、
あなたを脅してお金を盗ることができないからです」
「なっ!?」
小田ソウイチがよろめいてソファの背を掴んだ。
「だから千田シュウジは意識を取り戻した
ユミちゃんの首を絞めた。
咄嗟だとは思いますが、躊躇しなかったでしょう。
きっと後悔もしなかったはずです。
彼は職業柄、力に自信があった。
ハツエさんと公園で会った時も
全く警戒していなかったみたいですから。
それが・・・真相だと思います」
ミナの言葉は皆に衝撃を与えた。
千田シュウジがユミを殺した真犯人!?
・・・ミナはいつからその推理を考えていたのだろうか。
昨日のファミレスの話し合いではそんな話、
全然出て来なかったじゃない!
・・・この仮説は、
ミナが昨日から考えていたことなのだろうか。
千田という人物が犯人だということを
頭で処理するのに、時間がかかりそうだ。
そんな中、今まで珍しく大人しくしていたチカが叫んだ。
「でも待って!
・・・だけど、ねえミナちゃん。
だったら、その千田って人じゃない可能性もあるんじゃ
ないの?
ミナちゃんの話だと、ユミちゃんは最初気絶してて、
ハツエさん以外の人に首を締められたのよね?
例えば、千田がそのまま神社を出ていった後に
偶然来た人が、その、ユミちゃんを殺したとか。
少ないけど、そういうのもあるんじゃない?」
「それも考えたわ。
千田は意識を失ったユミちゃんが、
すでに亡くなっていると思い込んで、
そのまま通り過ぎて神社を出ていった可能性も。
でもね、チカちゃん、一つ忘れているわよ。
アヤカが聞いてくれた
益戸神社の巫女さんが言ってたこと、覚えてる?」
「姉さんの話?巫女さんの?
えーと、ユミちゃんがお守りを買ったこと?」
「違う」
「じゃあ・・・うーん・・・何て言ってたっけ?」
「アヤカがずっと気にしてたこと」
「姉さんが?えー・・・」
「音よ」
「音?」
それを言われてもチカにはピンとこないようだった。
「ほら、巫女さんが事件があった時間、
ガシャンって大きな金属音を聞いたって言ってたでしょ?
その音で事件の時、土木工事か建設関係の人が
いたんじゃないかって話になったんじゃない」
チカがパチンと手の平を合わせた。
「ああ!そういえば!」
「ハツエさん、千田シュウジは大きなリュックを
持っていたと言ってましたね?」
「え?・・・そうね、黒の大きなリュックサックを
肩から担いでいたわね」
小田ハツエは指を顎に当てながら答えた。
「あなたと話していたとき、彼はそのバッグを
地面に下ろしましたか?」
「・・・覚えていないわ・・・・いえ、待って。
重そうだったけど・・・下ろしていない。
肩に掛けたまま、私と話してた。
・・・それがそんなに大事なことなの?」
「ええ。連絡先を教えた時もですが?」
「そうよ。片手でズボンのポケットから
スマホを取り出して私の電話番号を打ち込んでた」
すると中村さんも乗り出してきた。
「その通りです!私は霧で視界が見えなかった分、
耳をそばだてていましたから、
そんな大きな音がしていたら、気づいたはずです!」
「ありがとうございます、中村さん。
・・・これでハッキリしました。
事件の時、益戸神社の巫女さんは社務所にいて、
大きな金属音を聞いたそうです。
それはお賽銭箱の上の鈴を鳴らす音ではなかったと、
おっしゃっていました。
千田シュウジは土木工事の仕事帰りだった。
リュックの中には仕事に使う道具などが入っていたと
思います。
私はその音は千田シュウジがリュックを下ろした、
もしくは放り投げた音だと思っています。
それは何故か?」
その場面をアヤカは想像してみた。
あの場所は玉砂利と土の地面。
服装からして地面にリュックを下ろさなかったのは、
汚れが気になるからじゃない。
緊急のことが起きて思わず落としたか・・・
もしくは・・・。
「・・・意識を取り戻したユミちゃんの首を
両手で絞めるためね」
アヤカが言った。
「そう、それがアヤカが聞いた謎の音の答えだと思う。
それしか千田シュウジがリュックを下ろす理由が
見つからない。
だから、チカちゃん、私は千田がユミちゃんを
殺害した真犯人だと思うの。
・・・警察で、ユミちゃんの首の索条痕を調べれば、
ハッキリするとは思うけど・・・」
タツオミは何か言いかけて口を開けたが、
そのまま口を閉じた。
「そんな・・・そんなことが」
青木弁護士は唸っていた。
タツヤは明らかに怒りを見せていた。
ミナの考えは大胆だが、
そう、そうかもしれない。
「だからハツエさん、
警察を呼んで貴女が見たことを全て話すべきです。
あなたがユミちゃんのことを突き飛ばしたのは
事実ですが、致命傷ではありません。
真実を話せば、
そんな大きな罪に問われることはないと思います」
「・・・本当?本当ね?
あなた、私を騙そうとしてないわね?」
「ええ」
小田ハツエは夫の腕に手を置きながら
ミナの顔を見ていた。
その目にはまだ涙が残っていたが、
先程のような弱気な小田ハツエは身を潜めていた。
「この家に聴取に来ていた一之瀬警部補は
私達も親しくしている方なので、その方を呼びます。
今から電話しますが・・・いいですね?」
「わかったわ・・・ミナさん」
「・・・ありがとう、ミナ。
おかげで何とか家族がバラバラにならずに済みそうだ」
アヤカ達三人が福井家を辞するところだった。
リビングでは、小田ハツエ、夫のソウイチ、
それに青木弁護士が頭を突き合わせて
今後のことにむけて話し合っている。
タツヤは色々考えることがあるのだろう、
そのまま近所の自宅へと帰っていった。
タツオミは門の所まで送ってくれていた。
門に寄りかかり、緊張を解いた顔をしていた。
「・・・良かったわ、少しでも役に立てて」
「君が来てくれなかったら、
家族がバラバラになってしまうところだった。
ミナがここに来るのは勇気がいっただろうに。
本当に感謝してる。
・・・皆様も朝早くからありがとうございました」
タツオミは笑顔を浮かべていた。
しかし、その反対にミナの顔には
怪訝な表情が浮かんでいるのに、
アヤカは気づいていた。
「でもまだ事件は終わっていないわ」
言いにくそうにミナが言った。
「大丈夫だよ。
これからは家族団結して警察に対応していく。
青木先生だって、全力で母さんの弁護をしてくれると
言って下さってるし。
・・・タツヤはまだ気持ちの整理がつかないようだけど、
何とか協力してくれると思う」
「そうだけど・・・」
ミナが振り絞るように声を出した。
「・・・どうした?ミナ。
だって・・・あの千田ってヤツが犯人なんだろう?
強盗かなんかにあって亡くなったのは気の毒だが、
もう母さんが脅迫されることもないし」
「そうじゃない、まだ・・・これからなの。
アヤカ、アヤカならわかるわよね?
お願い、タツオミさんに説明してくれる?」
ミナがアヤカに助けを求めた。
わかってる。
ミナが言いたいことは。
私達、何度もこういう目に会ってるんだから。
アヤカが言った。
「タツオミさん。
落ち着いて聞いて欲しいんです。
・・・事件はまだ終わらないかもしれません」
「え!?」
「姉さん、どういうこと?」
タツオミとチカが同時に聞き返した。
「なんでよ、姉さん。
もう事件は終わったも同然じゃないの!?
確かに警察でハツエさんのことは
もう一度調べなきゃならないけど・・・。
あのヒト、もうウソついてるようには見えなかったよ?
その千田ってヒトだって、もう亡くなってるし、
あとは警察が何とかしてくれるわよ」
「チカ、そうじゃないのよ」
アヤカが言った。
「よく聞いて。
ミナがさっき話した通り、
最終的にユミちゃんを殺害したのは千田シュウジだと思う。
だけど、ユミちゃんはその後、川に遺棄されてる。
じゃあ、それは誰がしたと思う?」
「え!?・・・それは、千田でしょ?」
チカが答えた。
「・・・多分、違うと思う。
ハツエさんは自分が殺したと思い込んでいる。
なぜその場からユミちゃんの遺体を動かすの?
なぜ川に入れる必要が?」
「え!?
うーん・・・確かにそうよね。
ユミちゃんの首を絞めて、
その場に・・・その・・・放置?
したほうが楽だもんね。
ゴメン、こんな言い方で。
ワザワザ川に入れる必要ないもんね。
まさか、面白がってとか?
・・・そうか、
考えてみれば、今まで聞いた千田ってヤツの
性格とは違うよね。
その後ユリを撒いて、
花をユミちゃんに供えようなんて考えなさそうだし」
「そうなのよ。
どうしても千田が川へ遺棄した理由が見つからない。
ミナがさっき言ったように、
自分のDNAを消そうとして川に入れただけならまだ解る。
だけど、ユミちゃんにユリを手向けようなんて
考えそうもない人だわ。
・・・よく聞いてください、タツオミさん。
私達は恐らくもう一人、
第三の人物があの場にいたと考えています。
そうよね、ミナ」
「え!?・・・それは中村さんじゃなく?
また別の!?」
タツオミは目を見開いてアヤカを見、
続いてミナを見た。
ミナはゆっくりと頷いている。
「中村さんじゃありません。
ハツエさん、千田シュウジの一部始終の行為を
見ていた人物がもう一人、あの神社にいた。
そう考えると色々辻褄が合うんです。
なぜ、ユミちゃんのスクーターに花があったのを
知っていたか?
それはユミちゃんをが花屋さんで
あることを知っていたからではない
でしょうか?
千田が殺されたのは?
それは大金を持っていたからではないでしょうか?
二人のやり取りを立ち聞いていた人物が
もう一人いるはず。
・・・そして、その第三の人物は
千田シュウジを殺害しているのかも
しれないんです。
だから、ハツエさんに気を付けて欲しいんです」
「母さんに?」
「ええ。
ユミちゃんが勤めていたグリーンフラワーマーケットの
緑川さんが言っていたんです。
あのユミちゃんの最期の姿は、
シェイクスピアの戯曲『ハムレット』に出てくる
オフィーリアにそっくりだったって」
「オフィーリア・・・」
「私も調べてみました。
ハムレットの中のとても有名なシーンで、
悲劇的であるけれど、美しい絵でした。
小川に花と共に流されていく美しいオフィーリア。
『美しい人には美しい花を』
オフィーリアに向けたそんな言葉もありました。
それを模しているのなら、
第三の人物はユミちゃんに何らかの想いを寄せている
人物じゃないかと思います。
悲しみなのか、もしくは怒り、哀れみ・・・。
・・・そして、千田シュウジは死んだ」
ハッとタツオミは息を飲み、狼狽えている。
「その人物はハツエさんを狙うかもしれません。
直接ではないとはいえ、
ユミちゃんの復讐をするために。
どうか、ハツエさんの身の回りに気をつけて下さい。
これが私達の妄想ならいいのですが、
・・・これ以上の悲劇は
起きてほしくありませんから」