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第六章

コポコポコポ・・・。

聞き慣れたいつもの心地のいいメロディ。

アヤカは作業台にもたれながら、

新しい珈琲を落としていた。

イタリア製のコーヒーマシン、

"カリタ"から漂ってくるのは、

温かな湯気と香ばしい香り。

このシルバーに輝くカリタのコーヒーマシンは、

二口あり、一度に40杯もの珈琲を作ることが出来る。

それでも何度入れても追いつかないくらいの

珈琲の注文が入るのは、毎週末のことだ。

ちなみに作業台のスタッフ用のコーヒーを作る

小さめなマシンもカリタである。

湯気越しに、熱い珈琲で身体を温めようとするお客様で

席が埋まっているのが見える。

本日のオススメ珈琲は"丸山珈琲"のモカにしてみた。

アヤカもお気に入りの一つで、

少し酸味があり、すっきりとした味わいだ。

朝飲むのなら、これくらいの軽さのほうがいい。

オールマイティにパイ、ケーキ、キッシュなど何にでも合わせてくれるから。


アヤカは店内の様子を気にしながら、

手に持った予約リストでアフタヌーンティの

最終チェックをしていた。

今日、ようやくバレンタイン・アフタヌーンティの最終日を迎えることができる。

今回も大変評判良く、大成功のうちに終われそうだ。

昨日、一昨日にもまして今日が一番予約数が多い。

加えて週末の土曜日。

いつにもまして忙しくなりそうだけど、

その分お店の売上も期待できる。

なんせカフェ・ヴェルデのアフタヌーンティは

開催するたびに好評を呼んでいる。

SNSや口コミなどで評判が広がり、

一度体験してみたいというお客さまがあとを絶たないのだ。

さらにアフタヌーンティイベントのリピートのお客様も

増えている。

普段使いのカフェ・ヴェルデは

お客様を暖かく迎え、

誰にでも居心地のよい場所であって欲しいと

アヤカは思っている。

しかしそれ以外にも、

アフタヌーンティが持つ非日常のおもてなしや、

特別なメニューを楽しんで欲しいとアヤカは考えている。

本当はもっと多くのお客様にアフタヌーンティという文化を体験して頂きたいのだが、

テーマからメニューの試作までかなりの準備期間を要する。

それだけ熱を入れているのだけれど。

小規模経営のカフェ・ヴェルデでは

普段の営業に加えて行うアフタヌーンティは

せいぜい三日間が限界なのだ。

基本的にフロアはアヤカとチカの二人で担当するので、

1日20名様くらいが充分なおもてなしができる人数かなと考えている。

いっそのこと、1日まるごとアフタヌーンティの日にしたほうがいいのかと考えたこともあった。

しかしそれを知らずにカフェ・ヴェルデに来て頂いたお客様をお断りするのは申し訳ない。

そう、やはりこのくらいがウチのカフェらしくてちょうどいいんだわ。

無理をしてもアヤカたちスタッフもお客様も楽しくならないだろう。


ふう‥。

大きく息を吐いた。

えーと・・・今日の予約は22名ね。

リストを指で滑らせながら確認する。

ちょっと多いけど・・・まあ範囲内だわ。

お二人様が6組、三名様が2組・・・と、

あっ!

リストの中に知り合いの名前を見つけた。

秋元マチ様。

そうそう、今回初めて秋元さんが

ウチのアフタヌーンティに来てくれるのよね。

ずっと来てみたいと言ってくれていたから。

予約は三人・・・誰と一緒なのかしら?

秋元さんは益戸にある千花大学の園芸学部に秘書として在籍する品のいい女性だ。

おそらく50代かと思われるが、もしかしたらそれ以上かもしれない。

そこは女性同士の暗黙の了解で聞いたりはしないわよ?

秋元さんとはアヤカたちの最初の事件で知り合い、

それ以来のお付き合いだ。

時々店に来てくれたり、

大学で教授や生徒たちのためにと

大量の焼き菓子のテイクアウトもしてくれている。

いつも一人で来ているけど‥今日はお友達と一緒かしら。

‥まさか柏原教授とではないわよね。

アヤカは秋元さんが秘書をしている

千花大学園芸学部の柏原教授のクマのような姿を

ぼんやり思い浮かべた。

はっきりと聞いたことはないがおよそ60~70代、

白髪でのっそりとした風体の初老の男性だが、

動きは意外なほど素早く、

今でも海外の僻地に生徒たちを引き連れ出かけては、

植物研究に猛進しているらしい。

教授は悪い人ではないが・・

豪快で目立ちたがりで何事にも注目を浴びたがる人なので、もしこのアフタヌーンティに来たら優雅な雰囲気を壊しかねる可能性大だ。

いや、絶対そうなりそう。

アヤカの本能がそう告げている。

しかしカフェ・ヴェルデを開店する際、

この庭の造園をタダで快く引き受けてくれた

懐深い人なのだ。

事件の際にも度々貴重なアドバイスをしてくれ、

それが事件解決に結びついたこともある。

そして何よりウチの焼き菓子を気に入ってくれている。

話によれば、どうやら教授の奥様がカフェ・ヴェルデに

何度か足を運んでくれているようだけど、

未だにどのお客様だかは謎。

あの教授の奥様を務めているのだから、

よほど変わった方なのかしら?

教授、奥様と一緒に来たことがないのよね。

恥ずかしいのかしら・・・まさかね。

じゃあもう一人は庄司准教授?

千花大学に務める庄治マコト准教授は、

学生時代から柏原教授のもとで研究を続けており、

直弟子にあたるようだ。

柏原教授のことを心底尊敬している。

背がひょろりと高く、大抵ぼさぼさの髪で白衣を愛用し、

普段は千花大学園芸学部で講義の壇に立っている。

一見頼りなく見えるが優しく気遣いに溢れ、

以前事件でアヤカがピンチに陥った時、

すぐに駆けつけて助けてくれたという頼もしい一面もある。

そしてアヤカの現在進行中の片恋のお相手だ。

・・・そういえばここ一ヶ月ほど会っていないけど。

アヤカとは何度か映画や食事など

デートらしきことをしているが、

付き合っている・・・とは言い難い。

好意は持ってくれているとは思うけど・・・

だって、嫌っていたら一緒に出かけたりはしないわよね?

自分でももどかしいが、何しろ恋愛らしきものに

ここ数年縁遠いので臆病になっている。

しかも35才ともなると恋愛にもいろいろな事情が絡んでくる。

そう、アレやコレやね。

自分では気にしていないフリをしていても。

あーあ、純粋に恋愛していた頃が懐かしく思えてくるなぁ。

・・やめよう!

とにかく今日はアフタヌーンティの最終日なんだから、

気合を入れて最高のおもてなしをしなくっちゃ!

アヤカは朝イチのカフェ・ヴェルデのフロアをぐるりと見渡した。

土曜日の朝は休日のブランチとして来てくださるお客様が多い。

子供連れで来てくださるのも休日ならでは。

地元密着型のカフェならではで、

子供がはしゃいでいても

優しい目で見守ってくれるお客様が多い。

リストから目を上げると、

チカがカウンターとフロアを行ったり来たりで

奮闘していた。

今月のカフェ・ヴェルデのユニフォームは

赤いクルーネックニットにブラックのジーンズを合わせ、

そして店のカラーである深いグリーンのエプロンを

身につけている。

チカは更に赤いシュシュでポニーテールに髪をまとめている。

自分で作ったみたいで、娘のアンとお揃いらしい。

キビキビと動く姿は実年齢よりも若々しく見え、

一見女子大生のようだ。

そのチカは今カウンターで小さい子供を連れた3人連れの家族の接客をしていた。

「はい、カボチャのキッシュ一つですね。

お子様はカボチャはお好きですか?

じゃあ良かった。栄養も、甘さがありますから

きっと気に入ってくれると思いますよ。

あ、おふたつで。

それとこちらのバタースコーンも一緒にいかがですか?

コーヒーにも紅茶にもぴったりですし・・・」

商売上手だなあ・・・。

チカの巧妙な接客にアヤカは感心した。

パイ系やタルト系も人気だが、

最近は一番人気のキッシュとそれに合わせて

もう一つ甘いもの・・・

という組み合わせの注文が多かった。

要するに塩っけがあるものと甘いものね。

そして合わせるのは熱々の珈琲や紅茶に加えて

ココアやホットミルクもよく出ている。

うん、今日はずいぶんと冷え込むから。

アヤカが視線を上げると、窓から見える空は

まるでグレーの絵の具を流し込んだかのように

どんよりとしていた。

なんだか雪が降りそう・・・。

冬のイングリッシュガーデンは春夏に比べると

鮮やかな色合いには欠けるが、

しっとりしたグリーンの樹々や白いユキヤナギが

目を楽しませてくれる。

静寂な庭もまたいい。

振り返ると厨房の窓からは、

調理台とオーブンの間を忙しく往復しているミナが見える。

オーブンの中を険しい表情で覗きこんだと思えば、

横にスライドし巨大なお玉で鍋をぐるっと一回し、

かと思えば調理台でケーキの生地をあわ立てていた。

なんせ一番忙しい土曜日に加えて、

アフタヌーンティの最後の仕上げもあるのだ。

それでも有能なミナは、疲れ知らずにむしろ楽しそうに

厨房でダンスをしているかのようだった。

(厨房もしばらく大丈夫そうね)

アヤカはフロアをチカに任せて

アフタヌーンティ向けの用意をすることにした。

自分用に珈琲を入れ、

リストを見ながら席に置くリザーブカードに

お客様一人一人の名前を丁寧に書いていく。

準備万端、支障がないように整える。

その間を利用してアヤカは頭の中で今まで得た情報を整理しようと思った。

ただし手は動かしながらね。

アヤカの耳から店内のざわめきや

BGMがすーっと遠ざかっていった。


ユミの衝撃的な事件から10日が経った。

その間に得た情報によれば、

ユミが死んだのは事故ではなく殺人によるものということ。

警察によると、ユミは神社の賽銭箱の階段に頭をぶつけ、

頭部に裂傷を負った。

階段に出血の痕跡があったし、これは間違いないだろう。

しかし自分で体勢を崩し転んだか、

それとも誰かと争いになったかは不明らしい。

現場は土ではなく砂利石だったので、

足形は取れなかったらしい。

その後絞殺された。

頭の出血は少しで、

首を絞められたことが致命傷になったとのことだ。

ロープやベルトのなどの紐状のもので‥らしい。

そして神社のすぐ横に流れる坂戸川に無残にも放置された。

まるで壊れた人形を捨てるかのように。

川まで死体を引きずった跡は無かったそうだ。

つまりユミの死体を抱き上げたか、

背中に乗せて遺棄したということだろう。

とすれば、男が犯人か?

検死の結果、肺に水はなく、

溺死の可能性はないということが確認されている。

そしてアヤカが思う一番奇妙な点は、

ユミの体の上にユリの花が散乱していたことだ。

まるでユミのことを飾り立てるかのように。

そのユリは益戸神社に届けられる予定だったもので、

ユミの乗っていたスクーターの後部に積んであった。

賽銭箱の周りに百合の花や葉などは

落ちていなかったそうだ。

ということは、ユミが持ち出したということはないらしい。

すると犯人がスクーターから持ち出したということになる。

なぜわざわざそんなことを?

死への旅立ちの演出?

それは恨みからなのか、ユミへの哀れみか?

どのみち悪趣味・・・いや、不気味でしかない。


ではユミを殺したのは誰か?

今のところ我がカフェ調査団には

容疑者候補が何人か上がっている。

まずユミが働いていた

グリーンフラワーマーケットの関係者二人。

オーナーの緑川ユリカ。

アヤカとユリカは友人だし、

穏やかな性格で

殺人という行為に及ぶ人ではないと思っている。

でも彼女のアリバイは曖昧と言わざるをえない。

ユミが殺されたという朝8時半から9時頃、

店の二階でその日行われる

フラワーアレンジメント教室の準備をしていたという。

一人で作業していたというし、店と神社はすぐ近くだ。

店をそっと抜け出して殺人を行い、

戻ってくるには10分もあれば可能だ。

疑いたくはないが、

もしアヤカが知らないユミとユリカの個人的な事情があるのならば可能性はゼロではない。

ユリカであれば、不意に近づいてきても

ユミは警戒心を抱くことはなかっただろう。


アルバイトの白石ケンゴ。

千花大学園芸科の大学生だ。

一度会っただけだが、

今どきの若者らしい髪型や清潔感のある服装、

礼儀正しい花が好きな好青年という印象を持った。

しかし、どうやら白石ケンゴは

ユミに恋心を抱いていたらしい。

そしてユミに恋人がいることを知っていた。

恋愛感情は充分な動機になる。

他の男に取られるくらいなら、

と嫉妬と狂気に駆られたのかもしれない。

ただいつも身近にいる白石ケンゴだったら、

もっと計画的な犯行を考えるんじゃないだろうか?

もっと殺傷力ある刃物などを用意するとか。

それは緑川さんにも言えることだけど。

ユミの殺された状況を考えると、

アレは突発的犯行だと思われる。

白石ケンゴは一人暮らしで朝のアリバイはない。

しかし緑川ユイカや白石ケンゴは

ユミの立ち寄る場所を把握しているはず。

待ち伏せして‥という可能性はある。

ふーむ‥。


ではユミの婚約者である福井タツヤは?

事件があった時フランスにいたのでアリバイは完璧。

パスポートやスマホの発信地などで

警察が確認しただろうから、

現地にいたというのは信用していいだろう。

ユミのことを心から愛していたようだし、

あの悲しみに満ちた様子はアヤカも心が引き裂かれるようだった。

動機もないし。

大体推理小説だと被害者の一番身近な人、

つまり恋人や夫などが犯人というパターンが多いようだが、

今回は当てはまらないようだ。

とそこまで考えてからアヤカの思考がふと止まった。

カラトリーを整えていた手も思わず止まった。

・・・なんだかアリバイが完璧過ぎるような気がする。

まるであらかじめ用意したかのような。

例えば・・・例えばよ?

別の人にユミの殺害を依頼していたということはない?

つまり代理殺人。

お金で誰かを雇って‥?

いやまさかね。

そんなの小説の中だけだわ。

‥でも家族だったら・・・可能性はあり?

動機は・・・実はユミのことを裏切っていたとか?

別の女性、高田ユリもしくはあの謎の女性に乗り換えていたとか。

最初から容疑者圏外だったけど、もう少し調べた方がいいのかもしれない。


次に高田ユリ。

銀行頭取の令嬢で親が決めた福井タツヤの婚約者。

昨夜偶然会い、話してみただけだが、

おっとりとした雰囲気で、

とても殺人という暴力を奮うような女性とは思えなかった。

しかし、一瞬見せた引きつったようなあの表情。

しかもどうやらユミのことや、

グリーン・フラワーマーケットことも

知っているかのようだった。

あの大人しそうな女性が?

アリバイはどうなんだろうか…。


ユミのスマホに残されていたほっそりした髪の長い女性も

謎の人物だ。

あの女性は何者?

ユミはあの女性があやしいと思ったから写真を残してあったはず。

アレがユミが恐れていたストーカーなのかしら。

義弟ミッキーが言うには、女性のストーカーも稀にいるらしい。

でも秋ごろ撮った写真だし、

ストーカーしてユミを殺すチャンスを伺っていたとしても

随分時間がかかり過ぎている。

…ダメだ、こっちは調べようがないわ。

あの女性の正体が分かれば、

少しは調査が進みそうなんだけどな。


そしてミナには悪いけど、

福井家全体も怪しく思えてならない。

千葉有数の製菓チェーン店のふらんす屋の創業家で、

この益戸や香椎辺りの名家といっても過言ではない。

千葉のあちこちに店舗を展開し、

地元では大きな権力を持っている。

そのふらんす屋の現社長の福井タツオミ。

ミナの元夫でふらんす屋の若き社長、

青年実業家というところね。

アリバイは曖昧で、

ユミとタツヤの関係を応援していたとのことだが、

イマイチ信用していいものかどうか。

この人だったら女性一人をなんとかする力はあるし、

実行に移す判断力もあるだろう。

でもこれは自分がこの人にいい印象を持っていないってことも関係しているかも。

だってミナのことを裏切った・・・ではないかもしれないけど幸福にしてくれなかったから。

あまり面には出さなかったけど、

ミナはかなり傷ついていたに違いない。

それが先入観を生んでいるのかしら。


ふらんす屋の前社長で、

タツオミとタツヤの母親の小田ハツエ。

アヤカ達の容疑者リストの筆頭に上がっている。

なんといってもユミとタツヤの仲を裂こうとしていたのが

動機だ。

昨夜見せたようなあの激しい性格で、

カッとなってしまったということも考えられる。

でも年齢や体力的にユミの首を締めたり、

川まで運び力があるかしら?

これには大いに疑問がある。

ではアリバイは?

普段、車は運転しないとのことだが、

自宅から現場に行くのに徒歩は無理。

早朝電車に乗って・・・というのも違う気がする。

まさか自転車ではないわよね?

あとで一之瀬さんに小田ハツエが運転できるか確認しなきゃ。

動機は一番ありそうだが、

実際の犯行は無理かもしれない。


小田ハツエと再婚したという小田ソウイチ。

動機はないが、アリバイがこれまた曖昧。

んもう!

この家族はアリバイが全然ダメじゃないの!

義理の息子のために代理殺人をするというのはないと思う。

会ったことはないけれど、

タツヤ曰く”いい親父さん”ということだし、

犯人の可能性は低い・・・ただし妻であるハツエに頼まれたら?

愛する妻のために犯罪を犯す可能性はある。

車もあるし、力もまだまだあるだろう。

小田ソウイチとハツエの二人で共謀したという

可能性は高いかも。

うん、コレが一番有力かもしれない。


そして・・・・犯人Xエックス

いつの事件でも想定することだが、

もちろん関係者以外が犯人というのが一番可能性が高い。

今回の場合、未知の人物を犯人とすると、

益戸や香椎で最近起きているストーカー事件の犯人が

他の被害者と同じくユミを狙った可能性がある。

ユミは自分を付け回している人物がいると思い込んで、

実際部屋にバットを置いていた。

さらに益戸神社のお守りを買うほど怯えていた。

ても待って?

なぜそのことを婚約者のタツヤに相談しなかったの?

…ますますタツヤが怪しく思えてきた。

しかし白石ケンゴによれば、

ここ最近はその心配は去ったようだった。

以前と同じ明るさを取り戻していたらしいし。

それかアヤカたちの調査でも把握していない人物がいるのだろうか・・・もちろんこの可能性が一番大きいけど。

多い・・・容疑者が多すぎるわ。

アリバイも今のところタツヤ以外誰も証明できていない。

なんせ早朝の時間の犯行、

しかもあの日は3メートル先も見えなかったくらい霧が深く、すべてを隠していた。

まさに五里霧中。

それに‥。

アヤカはぬるくなってしまった珈琲をゴクリと

飲んだ。

気がかりなのがユミが持って帰ったミナ自慢のキッシュが消えてしまったこと。

本当に犯人が持っていったの?

それともウチから益戸神社に行く途中でユミがどこかへ寄って置いてきたのかしら。

その情報はまだ何も掴めていない。

‥もう一度ユミの朝の行動を確認してみたほうがいいわね。

あとでヨウコさんや神社で話を聞いてみよう。

青木弁護士からも、もっと情報を得られるといいんだけど。

今夜、店が終わってからミナとチカと

香椎にある青木弁護士の事務所へ行くことになっている。

ホントはミナと二人で行くつもりだったのだが、

朝のミーティングのときに昨日の出来事をチカに話すとチカが荒れたのだ。

「もう!また私を置いてったの!?前に言ったじゃない、そういう時は私も連れてってって!」

「・・・だって」

「だってじゃないじゃない!いつも面白いところは私はいないんだもん!凄い展開じゃない!

次々と容疑者が来てて。私も行きたかった・・・そうよ、それに母さんまでグルになるんだもん」

凄い剣幕でチカの言いたいこともわかる。

でも・・・

「面白いってことはないんじゃない?

ただ、そうなっちゃっただけで。

それにチカ、チカはね・・・」

するとチカはアヤカの目の前に人差し指を立てた。

「ストップ!!

・・・言いたいことはわかってるってば。

私には夫と娘がいて、

家庭があるからダメって言いたいんでしょ!

危ないことはしちゃダメだって。

でも今夜は弁護士さんに話を聞きに行くだけなんだから

大丈夫じゃない!

今度はぜっったいに!

付いていくんだからね!

ちゃんとミッキーには許可を取るし‥

ねえ、お願い!!」

うーむ‥

調査にノリノリのミッキーは多分、許可するだろうけど。

除け者にする気はないし、これ以上チカを怒らせたくない。

さらにこのままチカとの関係がこじれれば、

カフェ・ヴェルデの仕事にも支障をきたしかねない。

はー‥まあしょうがないか。

「あ、そうそう。

あのね、ちょっとママ友から気になることを聞いたのよ」

チカがコーヒーマグを両手で包み込みながら言った。

「・・・どういったこと?」

それまで姉妹ケンカを暖かい目で見守ってくれていたミナが聞き返す。

「うん、アンの幼稚園の友達のヒナちゃんのヒナちゃんママから聞いたんだけどね、

以前幼稚園帰りに"グリーン"に花を買いに行ったんだって。

旦那さんが誕生日で家に飾る花をユミちゃんに選んでもらってたらしいの。

ブルーメインの色合いで選んでもらって・・

ってここは関係ないわね。

とにかくヒナちゃんとヒナちゃんママが

花を包んでもらうのを待っているときに

男性が駆け込んで来たんだって。

それでね、いきなりユミちゃんに

『どういうことだっ!?』

って怒鳴ったらしいの。

ヒナちゃんママ、すごい剣幕で怖かったって言ってた。

で、『勝手なことはしないでくれ』って言ったらしいの」

「それで?誰なのその男は。

ユミちゃんはどうしたの?」とミナ。

「それがユミちゃん、恐怖の顔を浮かべて後ずさって…

ってヒナちゃんママの言葉だからね?

とにかく落ち着いて、お客様がいるからって言って、

その男をなだめたらしいの。

緑川さんも騒ぎを聞いて店の奥から出てきたらしいけど…

そしたらその男やっと落ち着いたみたいで、

ユミちゃんと少し話してから店を出て行ったんだって。

・・・ねえ、どう思う?

怪しいと思わない?」

「それは怪しいわね。

だってユミちゃん、怖がってたんでしょ?」

ミナが目を細める。

「うん、顔面蒼白で、

持っていたハサミも落としちゃったんだって。

ねえ、そいつが犯人じゃない?」

これは確かに怪しい。

この話は初めて聞いたし、

緑川さんからも何も聞かされていない。

ユミを脅しているようだし、どうやら顔見知りらしいし。

調べてみる価値がありそう。

「ねえチカ、そのヒナちゃんママ?

ともう一度話してみてくれない?

相手の人の容姿とかどんな感じだったかとか、

あと話の内容ももっと詳しく・・・覚えてればだけど」

アヤカが言った。

「いいけど・・・でも緑川さんに聞いたほうが早いんじゃない?」

「できれば関係者じゃない人から聞きたいのよ」

「関係者って‥それって‥姉さん、容疑者って意味?・・・もしかして疑ってるの?緑川さんのこと」

チカが難しい表情を浮かべた。

後ろめたい気持ちになる。

そうよね、普段親しくしている人だもの。

疑うなんてしたくないし、アヤカの言葉は

チカには思いもよらなかったのかもしれない。

「ゴメン、チカ。

こんなこと言いたくないけど・・

もちろん緑川さんから話を聞くのが一番簡単だわ。

私だって嫌だし疑いたくないけど、

こう事件がこんがらがってくると

緑川さんも容疑者の一人になってくるのよ。

残念だけど」


「・・・さん!姉さんってば!」

チカの声でハッと我に返った。

「な、何?」

気がつくとカウンターを挟んで、

腰に手を当てたチカが仁王立ちしていた。

「何、じゃないわよ、ぼーっとしちゃって。

新しいお客様がいないからいいけど・・・

ってほら、来てるわよ、一之瀬さん」

アヤカが入口に目を向けるとそこには白い息を吐きながら、

寒さのせいかマットの上で足踏みをしているベテランの刑事がいた。


「どうぞ、淹れたての珈琲です。それとよろしければ、キッシュをどうぞ試してみてください」

アヤカはトレーから珈琲マグ2つとキッシュの皿をテーブルに移して、

向かいのソファーに座った。

一之瀬警部補は着ていたベージュのトレンチ(刑事さんの定番なのかしら?)とネイビーチェックのバーバリーのマフラーを手持たれにかけ、手帳をめくっていた手を止めた。

目の前に置かれたキッシュを一之瀬警部補は渋い顔で見やる。

(まるで親の敵みたい・・・)

思わず笑い出しそうになったが、

ウチのキッシュが事件に絡んでいることだから印象が悪いらしい。

しかも初めてのモノは未知との遭遇だ。

偏見かもしれないけど、男性って食べ物に関して保守的だから。

「今日はかぼちゃのキッシュなんです。カボチャとひき肉でボリュームがあって、軽食代わりにもなるんですよ」

アヤカの説明に一之瀬さんがゆっくりフォークを手にとり、

ホカホカと温かなキッシュを一口大に切り分け、恐る恐る口に運ぶ。

一之瀬警部補は半信半疑だった顔から探るような目つきに、そして噛み締めるようにもぐもぐと租借した。

そして2切れ目、3切れ目と進んでいく。

「‥うん‥うまいモンですな、これは」

最後の一切れを珈琲でぐっと流し込みながら、満足げな表情を浮かべた。

良かった、気に入ってくれたようだ。

「肉も入っているし、ちょうど腹が減っていたんです。思っていたよりお腹にたまりそうですな。このあいだ一緒にいたあの警官もこちらのキッシュが美味いと言ってたんですよ。特にサーモンのが旨かったとか。キッシュは色んな味があるのですかな?」

ほっ、良かった。

キッシュの悪印象(?)は無くなったようね。

「ウチのキッシュは日替わりなんです。リピートしてくれるお客様も沢山いらっしゃるので、毎日違う具を入れて飽きないようにしているんです。

キッシュのバリエーションは無限ですし、ミナは優秀な料理人ですから。

キッシュは基本パイとタマゴで、

エネルギーもとれるし栄養バランスもとれて

朝にぴったりなんですよ」

「なるほど‥なるほど。

あとで二つほど購入させて頂きましょう。・・・まだありますかね?」

二つ?

もしかして奥様と一緒に食べるつもりなのかしら?

その姿を想像しようとしたがなんせ奥様の顔を知らないので、

あっという間にぼやけてしまった。

「ありがとうございます。警部補さんのために取っておきますね。

あ、チカ‥」

ちょうどテーブル横を通りかかったチカに

手を挙げ、キッシュのキープを頼んだ。

アヤカは改めて一之瀬警部補と向き合った。

「今日は一之瀬さんお一人なんですね。

久保さんもこのあいだの警官の方も一緒じゃないんですね」

「ああ、今日は一応非公式ですし、久保は別の事件を担当していてお互い忙しくて、

最近なかなか話す機会もないんですよ。

さて、昨夜の質問の回答ですが・・・」

そう言って黒手帳をパラパラとめくる。

アヤカは昨日のパーティの後、夜中でかなり気が引けたが帰宅してすぐに一之瀬警部補に連絡をとっていた。

なんせ昨夜は色んなことが一度に起きたから。

アヤカ達では手に入れられない警察による情報を求めて。

もちろん、アヤカ達が聞き慣知ったことも

話した。

夜11時にも関わらず、警部補はまだ警察署にいた。

アヤカの話を聞き、すばやく調べてくれたのだろう。

まさか、翌日すぐ来てくれるとは思っていなかったけど。

実は警部補には青木弁護士のことも、

今夜会うことも話していない。

自分たちだけ情報を教えてもらって、

隠し事があるというのは少し後ろめたい。

「・・・まずふらんす屋のことです。

小田ハツエが免許を持っているかどうかということですが・・・取得していますね。

ゴールドで。

ただここ数年自ら運転はしていないらしいです。

それとあの家には車は合計四台あります。

社長の福井タツオミが通勤で使う黒のベンツ、

これは時々小田ハツエが出かけるときにも

運転手が運転して使うようです。

タツオミが私用で使う白のプリウス、

それと小田ハツエの夫、

小田ソウイチが持っている黒のボルボがあります。

それと大きめのシルバーのワゴンカー‥これはあまり使わないということですが、

大きな荷物などがあった場合に使うそうです」

なるほど。

あ、そうだ‥。

「あの、一之瀬さん、

福井タツヤさんは車を持っていますか?」

「福井タツヤ‥ですか?‥ええ、持っていますが。

警察署にも車で来ましたし、

確か‥黒のアウトランダーでしたね。それが何か?」

「実は‥」

アヤカはタツヤに対する疑惑を打ち明けた。

アヤカが怪しく思っていることを、

それに伴う代理殺人の可能性を。

「なるほど‥う〜ん‥それはなんとも‥」

警部補は困惑したようにネクタイの結び目をいじっていた。

う〜〜ん‥そうよね。

突飛な話だし、

一之瀬警部補はタツヤを疑うことなんて無かったはず。

だって、タツヤには完璧なアリバイがあるのだから。

素人の、ミステリ小説の読みすぎだと思われたかな?

「‥確かに‥確かにその可能性はあります」

気を持ち直した警部補が言った。

「ふらんす屋はこれまで家族結束のもと、

事業を軌道に乗せ、

千葉有数な企業にまで上り詰めました。

もし、松田ユミが会社に何かしら危害があるとすれば‥

もしかしたら、恋人より家族を選ぶかもしれません。

しかし‥ノーマークでした、福井タツヤに関して。

アリバイがあるからと、タカを括っていました。

代理ですか‥そうですか‥」

良かった、笑われなかった。

「もしかしたら腹心の部下などがいるかもしれませんな。

会社の、ふらんす屋の為ならと」

一之瀬警部補は、福井タツヤの身辺を

もう一度調査してくれることを約束してくれた。

「一之瀬さん、

事件の朝、街やコンビニの監視カメラに

福井家の車は映ってなかったんですか?」

「福井家がある南香椎から益戸神社までの道沿いを順次チェックしているんですが‥

あの朝は濃い霧が発生していて

映像がぼやけてしまっているんですよ。

‥あの道路カメラはそんなに画質がいいものではなくてね」

いまにも舌打ちしそうな一之瀬警部補。

そうだった。

それでなくてもNシステムと呼ばれる監視カメラは

まだそれほど鮮明な画像が撮れるモノではない。

「そうでしたね‥あの日は霧が出てましたから。

この地方には時々あるんですよね。

ああいう霧が。

ちょうどユミちゃんがウチに来たときも

まだ霧が濃かったわ‥後ろが見えないくらいに」

「天が悪に味方したというか‥。

グチになってしまいますが。

福井家のアリバイは福井タツオミから聞いたそうですね。

今だにこちらもはっきりしません。

時間的にはやろうとすれば全員に可能性ありです」

むー‥やっぱりね。

誰もまだ容疑者から外せない。

「あ、そうだ。高田ユリのアリバイはどうなんですか?」

せめてコッチだけでも。

「高田ユリ・・・高田ユリ・・・と、

こちらは家族の証言であの朝は家にいたとのことです。

出掛けた様子もないと。

まあ、早朝なんて大抵の人が家にいるでしょうから」

「つまり、ほぼ全員のアリバイが曖昧ってことですね?」

一之瀬さんは返事ともうなっているとも言える声を出した。

「朝‥なんですよ、今回の犯行時間は。

それがネックになってます。

こういう犯罪は大体夜や未明に行われるんで、

以外と容疑者の行動はわかりやすいものなんです。

夜のほうが人は警戒して周りに目を配っていますからね。

以外と目撃者がいるものなんです。

しかし朝なんて大体家にいるので証明するのが難しい。

会社や学校などに出る人は忙しくて、

周りを見ている余裕がありません。

今は遺体に付着した繊維や髪の毛から犯人を

割り出すことが可能になりましたが、

この事件に関してはそれもダメです」

そっか‥ユミは川で発見されたから、

付着していたとしても水で流されたんだ。

犯人はソレを知っていて?

警部補に聞いてみると、

「‥どうですかな。

そうかも知れませんし、

ただのサイコな奴かもしれません。

意図してやっていたとしたら、頭がキレる奴か、

専門知識を持っているということです」

疲れたようにソファの背に身体を預けた警部補は、

大きな息を吐いた。

「捜査会議でも犯人像が全く浮かんできていないんです。

通り魔的なヤツか、被害者の近親者によるものなのか。

情報がまったく面白くたりないんです。

鈴井さん‥いいですか、

今回の犯人、計画性があるようで突発的な行動もあり、

さらに天候に味方されていて、

花を撒いたりと異常な面が多数見られます。

‥本当に気をつけてください。

何かわかったら、必ず私に連絡すること、

あと一人で行動しないこと、いいですね」

アヤカの頭に今夜の青木弁護士とのこれから行われる

会談が思い浮かんだ。

(青木弁護士のこと‥言ったほうがいいのかな。

ても、危険な関係ことはないし‥)

胸がチクリと傷んだ。


秋元さんと一緒に入ってきたのは・・・ヨウコさんとキクさんだった!

なんと益戸の三傑女が一緒のテーブルに座るとは。

秋元さんは深いグリーンのカシミヤタートルニットに

パールのネックレスを重ね、

千鳥柄のロングタイトスカートを合わせていた。

それに黒のタイツとショートブーツを履き、手には黒のロングダウンを持っていた。

いつも大学で見る秋元さんよりもずいぶんとカジュアルダウンしていた。

「あら、ビックリしているようですね」と秋元さん。

「ええ。まさかヨウコさん、キクさんと一緒にいらっしゃるとは思わなくって」

アヤカの動揺を見透かしていた。

「ふふ。一度こちらに来たいと思っていたけど、教授や庄治くんを誘っても日頃と変わらないでしょう?

ここはやっぱり女同士のおしゃべりが楽しいかしらと思ってお二方をお誘いしたんですのよ」

着席したヨウコさんがホホと上品に笑う。

今日のヨウコさんはパープルの小紋に銀色の帯を合わせ、濃いパープルの羽織を手に持っていた。

「私も一度体験してみたいと思っていたので、

お誘い頂いてもう嬉しくて。ねえキクさん」

キクさんはネイビーのタートルニットワンピースに耳元にパールをあしらっていて、とても上品に見えた。

キクさんには珍しくグレーのヒールパンプスを

合わせている。

「ええ、とても興奮していますわ!

私、チョコレートに目がありませんもの。

もうとっても楽しみにしていたんですのよ!

ほら、見てくださいな!アヤカさん。

たくさん食べられるように楽な格好にしてきましたの!」

そう言って胸を張るキクさん。

アヤカは思わず吹き出してしまった。

「ええ期待してて下さいね!

ミナの腕にヨリをかけた品ばかりですから。

きっとお気に召して頂けますよ」


「楽しんでいらっしゃいます?

セイロンティのお代わりはいかがですか?」

ティーポットを持って秋元さん達のテーブル横に

アヤカが立った。

ナイフを使ってスコーンを横に割っていたヨウコさんが

顔を上げた。

笑顔が浮かんでいる。

「ええ、ありがとう。

とっても楽しんでますわ。もう最高ね!

もっと早く来れば良かったわ、ねえキクさん?」

キクさんは海老とチーズのミニキッシュを口に入れている

最中だった。

「本当に!もうどれもこれも美味しゅうございますわ。

先ほどのお肉にチョコレートソースなんて、

すごいお料理ですわね!

もうびっくりしてしまったんですけど、

一口頂いたらもう止まらなくて!

ミナさんは天才ですわね!」

「ふふ、ミナに伝えますね。秋元さんはいかがでした?」

聖母のように微笑む秋元さんの顔を見れば

満足して頂けたことはわかったが、

ミナは秋元さんが大好きなのだ。

ぜひ感想を聞いてみたい。

「もちろん大満足ですわ。

こんなに色々頂けて‥あのチーズタルトは

とても美味しかったわ。

チーズがトロっとしていて‥あの焦げ目がサイコーね。

もっと早くコチラのアフタヌーンティに伺えば良かったわ。

今までのもきっと素晴らしいものだったんでしょうね。

惜しいことをしたわ‥」

そう言ってほぅっとため息をついた。

気にいってくれたみたい、良かった!


「あ、そういえばひとつお聞きし忘れていたんです。

ヨウコさんたち、

鉄板焼きの”炎”さんも調べて下さったんですよね?

そこはどうだったんですか?」

「あ、言い忘れてたかしら・・・。

”炎”の店長さんにも話を聞いてみたんですけど、

あちらは営業が11時半からなので朝9時は

まだお店の方は誰も来ていらっしゃらないのよ」

「あの事件のことですわね?

先ほどからヨウコさんとキクさんからお話を聞いていた

ところですの」

秋元さんが首を傾げた。

「ええ、そうなんです。

実は今、その事件を調べているんです」

アヤカはヨウコさんに視線を戻した。

「ヨウコさん、

つまり"炎さん"では誰もユミちゃんとは

会っていないということですか?」

キクさんがチョコレートタルトを頬張りながら頷いた。

「そうみたいですわ。

いつも配達のときは裏口にダンボールごと

花を置いてもらうようにしているようなんですの。

ちなみに裏口も表も監視カメラがあるようで、

警察の方が調べるのに持って行ったらしいですわ」

一之瀬警部補から炎さんのことについては

何も聞いていない。

じゃあそっちの線は全く消えたってことね。

キクさんがもぐもぐと口を動かしながら続ける。

「でも本当に最近物騒ですわね・・・。

モグ・・・こちらで事件があったと思えば

確か本郷寺でも事件があったじゃありませんか。

最近この辺りはどうしてしまったのかしら・・・」

秋元さんが頬に手を当てた。

「時代・・・ということですかしら。

最近この益戸でも随分国際化が進んで

生活が多様化していますから。

千花大学でもいろんな学生がおりますわ。

それに常磐線もずいぶん延線されたでしょう?

人の出入りがそれだけ激しいということですわね。

それだけが原因ではないにしても・・・

やはり変わってしまうんでしょうね・・・この益戸も」

「しょうがないですわね、そればっかりは。自分たちの時代がいいとは言いませんけど・・・最近時の流れが激しくて、ついていくのが大変ですわ」

ヨウコさんがため息をつく。

「でもね、ヨウコさん。

変わることが悪いことばかりではありませんわ。

千花大学でもいろんな変化がありますのよ。

例えば今留学生の受け入れを推進しているんですけど、

情報で知ってはいても

やはり自分の国と日本の文化の違いで

戸惑うことが多いようですわ。

たまにその違いで先生や生徒同士で

ぶつかることもあります。

でも今の学生は否定だけではなくうまくミックスして

取り入れるバイタリティがありますわ。

それがまた新しい時代を作る力になるんでしょう。

それにほら・・・」

秋元さんがフロアをぐるりと見渡した。

「この場所。コチラだって新しくなったじゃありませんか。

アヤカさんたちがおばあ様の家をリノベーションして

このカフェが出来たんでしょう?

リフォームしたところと、あの壁掛け時計は

以前からあるおばあ様のモノ。

昔と今のミックス、温故知新ですわね。

このカフェがまた新しい人の流れを作っている。

それに‥」

秋元さんがヨウコさんとキクさんに微笑みかけた。

「私たち、このカフェ・ヴェルデが、

アヤカさんたちがいなければこうして知り合うことも

ありませんでしたわね」

ヨウコさんがにっこりと笑う。

「そうですわね。

このお店が新しいことを運んできてくれたのね」

キクさんも大きく頷く。

「私もそう思います!

戸惑うことも多い世の中ですけど、

新しいことを始めるのは私、大好きですわ。

なんだか若返る気がしますもの!」

「そうね。

・・・でも私たちの調査だとここまでしか・・・。

でも大丈夫よ、

アヤカさんがいつもの名推理で今度も解決するわよ」


午後5時過ぎ。

アヤカは益戸神社の境内にいた。

2月のこの時間はもう夜闇がそこまで忍び寄り、

アヤカの影を長く伸ばしていた。

かすかに残る冬の弱々しい太陽も

やがて沈んでいくだろう。

普段は明るく神々しい益戸神社の白い拝殿や、

龍の彫刻が見事な手水舎も、

どことなく不気味な雰囲気を漂わせている。

なぜこんな時間にココにいのるかって?

実はカフェ・ヴェルデを早仕舞いしたのだ。

アフタヌーンティが終わり、全員ヘトヘトに疲れていた。

そこにはやり遂げた満足感もあったが、

カラダが悲鳴を上げていた。

そこで、ドアにクローズの札を掛け、

店内のお客様が全て帰られたあと、閉店にしたのだ。

それにカウンターのお菓子はほぼ完売していたので、

売り切れ御免状態。

充分なおもてなしは出来そうになかった。

チカはいつも通りに4時に帰りアンのお迎えに、

ミナはせっかく早く終わったからと、

以前から行ってみたかった店があるとかで

バイクで走り去ってしまった。

青木弁護士との会合は夜8時。

アヤカも家に真っ直ぐ帰り、

シャワーを浴びて少しでも身体を休めたかったけれど、

気になっていた益戸神社のことを

もう一度調べてみたかったのだ。

(一之瀬警部補には一人で行動するなと言われていたけれど‥)

まだ夜じゃないし、神社にもまだ人もいるから、

大丈夫よね?


アヤカはまずユミの行動と同じ順番を辿ろうと思った。

カフェ・ヴェルデから、

お隣のヨウコさん家に寄ったなら、

ユミはスクーターで益戸神社の裏道から入ってきたはず。

アヤカは裏道に立ち、この景色をスマホで撮った。

ここから入って‥拝殿の裏にスクーターを

停めたのよね。

アヤカは早足に拝殿の裏手に移動した。

ここまでは砂利が敷かれていないから、

ユミの背後から誰かが来たとしても気づかないわ…。

拝殿の裏側は建物の影になり、

すっぽりとアヤカの身体を隠した。

(ココにいるとまず他の人からは目撃されない。

スクーターがあるのもわからない。

しかもあの日は霧で、

スクーターが置いてあることはユミの跡をつけるか、

周囲をちゃんと調べないとわからないはず。

‥やっぱり通り魔なんかじゃないのかな・・)

ユミはまず花を持たず手ぶらで拝殿のお参りに行った‥と。

先にお参りしてからというのが

ユミのいつもの習慣だったのかしら。

アヤカも拝殿の横を通り、巨大な灯籠を曲がると

賽銭箱がある拝殿の正面に立った。

ユミが頭をぶつけた賽銭箱前の三段の階段をジッと

眺めた。

ここで何かがユミにあったんだ‥。

まだ赤黒く残っている血痕跡をまた撮影した。

頭上を見上げると拝殿に吊下げられている

鈍く光る金の鈴。

この鈴は正式には"本坪鈴"と言い、

益戸神社の本坪鈴には紅白の鈴緒が伸びている。

(確か、あの日は鈴の音は聞こえなかったと

言っていたっけ。

つまりユミはココでお参りをする前にトラブルに遭った‥)

拝殿の奥はぼんやりとした明かりが点っている。

神主様がいるのだろうか?

もう一度話を聞いてみようかな‥。

「あら〜〜!」

アヤカのすぐ横から大きな声がした。

ビクッとして一瞬身体が強張る。

恐る恐る首を向けると、

そこにはふくよかな女性が、こちらを見て笑っていた。


跳ね上がった心臓を抑えながら、

アヤカの脳内はフル回転した。

えーと…確か、

このあいだ、ここに来たときに社務所にいたヒト。

ここの巫女さんで、娘さんが埼玉にいて、

お守りをユミに渡したヒトね。

三上さん・・だっけ。

そうそう、思い出した。

ホッと胸を撫で下ろし、なんとか笑顔を作る。

「あの、この前は・・」

「あんた、こないだウチに来た探偵の娘さんね!

今日はどうしたの?!

神主様?今奥にいらっしゃるわ。

あ、あれね!よくドラマとかで見るヤツ?

現場百ぺんってやつ?ご苦労さま!」

アヤカが話しかける前に、

マシンガンの如く次々と言葉がアヤカにぶつかった。

「ええ、そうなんで…」

「まーー!!

でもこんな暗くなってからじゃダメじゃない!!

あなたもまだまだ若いむすめさんなのよ!

もう、ウチの娘もね!

周りには気をつけてよ!ってうるさいのよ〜〜。

ほら、行き帰りとかね!

だからアレから携帯を握ってすぐ110番出来るように

しているのよ、ホラ!」

そう言って赤いガラケーを見せてくれる。

「そ、そうですね、気をつけます」

「ホント、あの娘さんもねー、気の毒だわ。

まだ若いのに、ホント、ウチの娘と同じくらいでしょう?

あ、ウチの娘、29なんだけどね、もう可哀想で可哀想で…」

ダメだ、話が止まらない。

「いつもだとね、あの娘さん?

花を届けに来る前にココでお参りしてたのよ。

ホラ、鈴がガランガラン鳴るでしょう?

それからいつも、社務所のドアを開けて、

花を持ってきてくれるからわかるのよ。

たまにアタシも庭掃除しているから会うことも

あったんだけどね!

・・でもあの日は鳴らなかったのよ、鈴が。

・・・私がね、もっと気づいてあげられればね〜〜・・。

花が来る予定は知っていたから。

今日は遅いなって。

霧が凄かったから遅れてるんだとしか思わなくて。

ホント、私が気づいてたらね、

あの娘さん、もしかしたら助かったのかも

しれないのにねぇ・・・」

そう言うと涙ぐみ、

大きな手提げ袋からタオルを取り出し目元を抑えた。

アヤカも不意に涙がこぼれそうになり、

目をしばたたかせた。

「いつもだと朝の散歩でウチにお参りに来る人が

割といるのよ。

あの日は霧が濃かったから、

誰も来ないのかと思っていたのよ。

ホント、シーンとしていてね、

あんなことがあったのに、気づかなかったわ・・」

そうか、もし、あの日が霧じゃなければ、

気づく人がいたのかもしれない。

不運だったのか、それとも犯人がわざとそんな日を

狙っていたのか。

「いつも来る東さんのおじいちゃんとか、

あ、いつも犬と散歩に来ているヒトなのよ。

モカちゃんって言うダックスフンドと一緒なんだけどね。

キャンキャン言ってるから、

あ、東さんが来たなっていうのがわかるのよ。

小学生とかもね、ウチで朝お参りしてから学校に行く

子供達もいてね、走る足音とか、

ランドセルのガタガタした音とかするの。

あ、でも小学生は誰か来ていたみたいだったわね〜。

なんかガシャンって音してたし。

あんな霧の日でも来ていたコがいたのよね〜。

あの娘さんには気の毒だけど、

子供たちが犯人と出くわさなくて良かったわ‥」

「そうなんですか、いつもだと朝も人がいるんですね」

ん?

ガシャン?

アヤカの頭に雷が走った。

「あ、あの!」

「え!?なあに?」

鼻をすすりながら、三上さんがアヤカを見た。

「今、ガシャンって言いました?」

「ガシャン?え?アタシそんなこと言ったかしら?」

「言いました!」

思わず三上さんに詰め寄りそうになった。

「あら?ん〜〜でもね〜あの時は

何というかそんな感じだったのよ〜。

ホラ、ランドセルの中の教科書とか筆箱とかが

ガタガタ言う感じ」

「で、でも!三上さんはガシャンって感じたんですよね!?」

「そう言われれば・・・

なんていうか、金属が落ちたような・・・

とにかくモノが落ちたような、うるさかったような・・・」

「大きい音でした?」

「そうねぇ・・大きかったわね・・でも一回で、一瞬だったわ」

人の印象というのは得てして最初が一番正しい。

ガシャンというのは何の音だったのか。

ユミが転んだ音?

違う。

だったら砂利の、石の上を滑るような音になる。

賽銭箱に頭をぶつけた音?

それだったらゴツンとか。

ユミが川に入れられた音?

だったらドボンとか。

ユミはボディバッグを身に着けていた。

でも発見されたとき、バッグは身につけたままだったから、

バッグを落とした音でもない。

あ、スクーターの後ろの金属のボックスを閉める音とか。

でもさすがに拝殿の裏手から社務所までは聞えないはず。

本当に何の音なの〜〜!

しかも。

アヤカは最近そんな音というか、そんな話を聞いたような

覚えがあった。

あ〜〜!!

思い出せない!!

もしかしたらココが大事なポイントかもしれないのに!!

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