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第五章

金曜日の午前11時。

久保刑事がカフェ・ヴェルデにふらっと訪れた。

相変わらずピシッとスーツを着こなして、

ある意味刑事っぽくないのだが、

顔には疲れが滲んでいた。

またそれが涼やかなイケメンともなると、

魅力を増すというのだから羨ましい限り。

久保刑事は温かいダージリンとティーシフォンケーキ、

アーモンドチョコパイを注文。

席に着いた久保刑事にアヤカが品物を運んだ。

「ココに来られるの、随分と久しぶりじゃありません?」

注文した品をテーブルに置きながら話しかけると、

警察の黒い手帳に何やら書き込んでいた手を止め、

つと顔を上げた。

「そうですね、最近忙しくて・・・今、一之瀬警部補とは別の事件を担当しているんです。

なかなかこちらにも来られなくて。

今はちょっと署を抜け出して一休憩しに来たんです。

頭の整理もしたいですし、

こちらの美味しい紅茶とお菓子でまた頑張れますから」

そう言うと弱々しいながらも笑顔を見せてくれた。

「それは嬉しい褒め言葉です。

ミナも喜びます。

‥あの、別の事件とおっしゃってましたが、

ユミちゃんの事件のほうは今は担当されていないんですね。

久保さんのほうはどういった事件なんですか?

あ、おっしゃっていいのなら…」

アヤカが慌てて言うと、

久保刑事は苦笑しながら手で制した。

「大丈夫ですよ。もうニュースにもなって

テレビや新聞で流れていますから。

…先日、本郷寺のアパートで若い男性の遺体が

見つかりまして、

殺人事件として今調査しているところなんです」

「そうなんですか。ココからも近いですね」

本郷寺は益戸から少し離れた閑静な住宅地だ。

そんな場所で殺人事件?

「益戸神社の件と本郷寺の件で大きな事件が二つも起きて、今益戸署はてんやわんやですよ。

人員が割れちゃって、

捜査員がなかなか確保出来ないんです。

しかもどっちも捜査があまり進んでいないんですよね。

本郷寺のほうは被害者がガタイがいい土木作業員で、

自分のアパートで発見されました。

部屋には争った形跡があり、

首を絞められての窒息死です。

そういった状況から容疑者は男、

もしくは二人以上の複数犯には違いないと考えているんです。

ですが実はちょっとおかしなことがありまして…」

「おかしなこと・・・ですか?」

話が長くなりそうだとトレーを脇に置き、

久保刑事の正面のソファにアヤカは浅く腰を下ろした。

「その被害者、千田せんだシュウジと言うんですが、

部屋に現金が80万円以上あったんです。

大金ですよね。

お札をまとめる銀行の帯テープも

千切れてゴミ箱に残っていました。

ということは100万円、

もしくはそれ以上あったということになります。

しかし、被害者の銀行口座を調べたところ、

百万円も下ろした形跡が無かった。

ということはどこで現金を手に入れたのか‥。

被害者はパチンコや競馬などのギャンブルは

やるようですが、

そちらのほうは違うようです。

金融業者からも借りていないようです。

千田は殺される前に、

繁華街で随分と派手に遊んでいたという目撃情報も

上がっています。

25才の土木作業員が現金で100万円、

もしくはそれ以上を部屋に置いていた。

おかしいですよね。

鈴井さんはどう思いますか?

ぜひご意見を聞かせて頂きたいです」

え?

私に?

久保刑事は真剣な眼差しでアヤカを見つめている。

なんで?

今までの探偵活動によるアヤカへの信頼だろうか。

だとしたら嬉しいことだけど・・・しかし。

久保刑事には恋愛感情はないアヤカだが、

オトコマエなそんな顔で見つめられると

さすがに照れてウッと思わず身体が引いてしまった。

う〜ん、どこから来たかわからないお金ねぇ?

まさか銀行強盗とかしたんじゃないわよね。

それだったらもう調べてるはず。

アヤカはふと久保刑事とは違う視線に気づいた。

首を動かすと、

調理場からミナが心配そうな顔でこちらを見つめている。

えっなになに・・・!?

あっ・・・違う!違うからね!

あらぬ心配しないで!!

アヤカは細かに首を横に振ってノー!を表現して、

改めて久保刑事を見やった。

照れ隠しにコホンと小さく咳をする。

「そうですね・・・土木作業員がそんな大金を持っているイメージはあまりないですよね。

今はお給料も現金で渡すこともないですしね。

あ、やっぱりそうなんですね。

その人がなぜそんな大金を持っているかというのがまず謎ですよね。

その千田さんていう人のお金は取られたんですか?

犯人はお金が目的で殺されたのかしら」

「それもわからないんです。

残っていた80万円は千田シュウジの

ベッドマットの下から発見されました。

無造作に突っ込まれていたんです。

もしそれ以上あったら、

犯人が持っていったのかもしれません。

その場合、千田が大金を持っていたことを知る人物になるんですが・・・」

「怨恨の線はないんですか?」

アヤカが言った。

「その線もあるんです。

千田は相当ヤンチャな類の人物だったみたいで、

ケンカなども多いし、それでの逮捕歴もあります。

ただ、その場での酒がからんだケンカとかばかりで

わざわざ家まで押しかけてまでという

深い恨みを持つ人物は見当たりませんでした。

仲が悪かったという容疑者も何人かいて

アリバイも確認しましたが、該当者はいません。

仕事関係の仲間との間にも特にトラブルは

無かったようです。

結婚はしておらず、特定の恋人もいなかったようです」

「何か・・・部屋からは出なかったんですか?指紋とか足跡とか」

推理小説やドラマだと、そこから犯人を特定していく

手がかりが見つかったりするのだが。

すると久保刑事が渋い顔をした。

「うーん、それがですね、

被害者は滅多に掃除をしたことがなかったらしく、

部屋は散らかり放題、

テーブルや台所はペットボトルや、

コンビニで買った弁当の容器などで溢れていて、

ある意味、情報が多すぎるんです。

その上、部屋で仲間と飲んだり泊めていたりしたようで

髪の毛や繊維なども多くて」

なるほど・・・情報がありすぎるっていうのもダメなのね。

「ただ携帯電話が見つからなかったんです」

「携帯が?・・・じゃあ犯人が持って行った・・・?」

大きく頷く久保刑事。

「おそらくそうでしょう。

今の時代、携帯には個人情報がごっそり詰まっていますからね。犯人にとってまずい情報か写真などがあったのかもしれません」


2日目のバレンタイン・アフタヌーンティも盛況に終わり、

片付けと明日の準備を終えて

アヤカとミナが店を出たのは午後6時過ぎだった。

クタクタに疲れ切った身体を引きずるように

車に乗り込んだアヤカは、

バッグに突っ込んであるスマホがチカチカと

点滅しているのに気づいた。

誰だろう・・・と操作してみると、ゲッ!

思わずスマホから顔を遠ざけた。

液晶画面に表示されていたのは

‥アヤカの母である鈴井ショウコの名前。

5時過ぎ、それから10分後にもまた着信があったらしい。

それからまた30分後にも。

忙しさと疲れでスマホをチェックする暇もなかったのだ。

今すぐ電話すべきか‥でもどうせ掛けるのが遅い!

と言われるのが関の山だし、

だからといって家に帰ってから電話すれば、

なぜすぐ折り返さないの!

と言われることは目に見えている。

(どっちでも同じか・・・)

アヤカは大きなため息をついた。

母親ってそういうものよね。

さてどうしよう・・・。

その時助手席の窓ガラスがコンコンと叩かれた。

ミナが愛用のバイクに股がったままアヤカの顔を覗き込んでいる。

車に乗り込んだのにいつまでも発進しない

アヤカのことが気になってのことだろう。

アヤカはスルスルと窓ガラスを下ろした。

「どうしたの?」

「う・・・ん、母さんから電話があって・・・」

そう言いながら画面をミナに見せる。

「ああ・・・」

全てを悟ったかのようなミナの顔。

「すぐ掛けたほうがいい」

・・・それしかないよね。

しょうがない・・・電話するか。

・・・プルプル・・・プルプル・・・プルプル・・・。

あれ?出ないじゃない・・・ラッキー!

それで言い訳がたつじゃない。

折り返しても母さんが出なかったからって。

カチャッ。

「もしもし、アヤカ!?」

あちゃー出ちゃった!・・・しょうがない。

「あ、もしもし母さ・・・」

アヤカが何も話せないまま母の口激が始まった。

「もう、なんですぐ出ないのよ!!何回も掛けたのに!」

やっぱり・・・こういう風になるか。

「何回もって・・・3回だけじゃない」

恐る恐るでも一応抵抗をしてみる。

でもそれで納得されたこともないけど。

「もし、私に何かあったとしたらどうしてたの!

病気になったとか倒れたとかで‥。

とにかく、今すぐ家に帰ってらっしゃい!」

アヤカは急に心配になった。

「え!?家にって、香椎の家?

‥ホントに何かあったの?」

「そうよ!

これから香椎のホテルで寄付金のパーティーがあるから

それにあなたも行くのよ!」

えーー!!

そんなこと~~!?

アヤカはガックリと肩を落とした。

「・・・あのね、母さん、

私今仕事が終わって疲れててね

‥とてもそんな気分じゃ‥」

すると母がアヤカの言葉を遮る。

「そんなのわかってるわよ、いいから聞きなさい!

益戸神社の事件の話はミキヒコくんから聞いたわ。

全く‥そんなことになっていたなんて

‥あなたは相変わらず私には何も教えてくれないね!

まあ、いいわ。

とにかくパーティーにはふらんす屋の元社長が来るのよ。

ほら、ミナちゃんの元姑の。

いけすかない女だけどあなた、会いたいんでしょ?」

え!?

それってあの小田ハツエのこと!?

驚きで疲れがふっ飛びそうだった。

慌ててスマホの通話をスピーカーに切り替えて

ミナにも聞くように手招きした。

通話口からショウコの声が流れる。

「もうパーティーは始まってるわ。

大学の寄付金集めのパーティーで、

あのふらんす屋の元社長がその会の責任者なのよ。

私にも招待状は前に来てたんだけど、

行かないつもりだったから放っといたのよ。

でもミキヒコくんから事件の事を聞いて思い出して、

会場に連絡してみたらあの元社長、もう来ているみたい。

本当は私は行かないつもりだったけど、

あなたが行きたいんじゃないかと思って。

どう?行く?」

アヤカは瞬時に決断した。

「行く!」

「じゃあ、早く家に帰ってらっしゃい!

パーティーで着る衣装は用意しといたから。

‥そこにミナちゃんはいる?」

「います!」

ミナが電話口に叫んだ。

「ああミナちゃん?

あのね、あなたの衣装も一応用意してあるのよ。

でも‥行きたくないわよね?

元お姑さんだもの‥顔を合わせるのも嫌よね」

ミナが沈黙する。

すると母が困ったような声を出した。

「‥あのね、実はあなたの元お姑さん、

悪いけど、私は苦手であまり喋ったことがないのよ。

だから、会ったとしてもどうやって事件の話を

したらいいかわからなくて。

出来れば‥その、ミナちゃんにも来てもらえたら、

話が早いんじゃないかと思って。

ごめんなさいね、こんなこと言って」

珍しく母が弱気になっている。

社交的で誰彼かまわず打ち解けることができるあの母が。

ということはミナの元義母というのは、

相当な難敵なことは間違いない。

元嫁のミナだとしても話し掛けづらいのは同じだが、

会話のきっかけは掴めそうだ。

「・・・わかりました。私も行きます」

ミナの顔はまったく嬉しそうではない。

「・・・わかったわ。じゃ待ってるわね。でも急いでね」

ホッとしたような母の言葉で通話が切れた。

カフェ・ヴェルデの裏庭に静寂が戻る。

冷えきった冬の寒さが一層身に染みる。

アヤカがミナの顔を見上げると、

ミナは静かに目を(つむ)っていた。

これから起こる試練について考えているのだろうか。

昨日は元夫と、そして今夜は元姑と会うことになるなんて。

自分だったらこんな状況、

現実逃避して逃げ出していることだろう。

ふっとミナの目が開いた。

「・・・時間がない。行こう、アヤカ」

その顔は強張っていたが、決意に満ちていた。


「・・・ここの三階よ」

母ショウコがホテル入口の掲示板を指差した。

白い案内ボードには

"香椎ロータリークラブ 三階 ローズホール"

と書かれている。

ここは香椎駅からから徒歩2分にある

"香椎クレセントホテル"、

白亜の壁が眩しい12階建てのシティホテルだ。

ブライダルから同窓会、

ちょっとしたパーティーなどが行われる

香椎のランドマーク的な場所である。

一階の広いロビーに足を踏み入れると、

眩しさに一瞬目が眩んだ。

聞こえるかどうかというくらいの

静かなクラシック音楽が流れており、

床や壁は白い大理石で統一され、

ピカピカに磨き上げられている。

慣れないヒールパンプスのアヤカは転ばないように、

慎重に歩を進めなければならなかった。

外の寒気がウソのように館内は温かい。

アヤカ達は着ていたコートを

フロント横のクローゼット預け、

母を先頭にアヤカ、ミナが続きエレベーターに乗り込んだ。

三人は程なくエレベーター特有の

上昇時のふわっとした感覚に包まれた。


母の電話を切ったあと、

アヤカとミナは出来うる限りのスピードで香椎の母の家、

つまりアヤカの実家に駆けつけた。

家は香椎駅から徒歩15分ほどの閑静な住宅街にある。

三階建てでそれなりの庭もあるが、

ほぼコンクリートで固めてある。

それは母が全く家庭菜園や園芸に向いていないから、

である。

なぜだかわからないが、

母には植物を育てるという才能が欠落しているらしい。

(実はアヤカも人のことは言えないのだけれど)

「なぜなのかしらね・・・絶対枯れないって貰ったサボテンや多肉植物まで枯れるのよ」

母曰く水などはちゃんとあげていたらしいが・・・。

プールなどのゴージャスな設備はないが、まあ割と大きい家という部類である。

アヤカが10年ほど前に独り暮らしのために出ていき、

妹のチカが結婚と同時に益戸に引っ越したため、

家には両親のみが暮らしているわけだが、

父もほぼ一年中仕事先のスウェーデンにいるため、

実質母ショウコが一人でこの家に住んでいる。

ちなみにミナの実家もこの近くにあるので、

二人は幼なじみでありご近所だということだ。

母は二人が到着するなり急いで家に招き入れ、

応接間で用意しておいたという衣装を手渡す。

母はすでにシャネルのベージュのツイードスカートスーツに

身を包み、化粧も完璧に施していた。

猛スピードで母がアヤカ、ミナの順番に化粧をしていく。

元々ナチュラルメイクというより

最低限に近いメイクの二人に

母はファンデーションを重ね、

キラキラとした派手めのアイメイク、

濃いめのリップ、

マスカラなど諸々(もろもろ)を足していく。

「母さん髪は?どうすればいい?」

ちなみにアヤカの現在は低めのポニーテール、

ミナはサイドをゴムで結んでいるだけだ。

「そこまでの時間はないわ!

ほどいて適当にワックス付けて、

派手めの髪留めで留めちゃいなさい!!

ほら、そこに用意してあるから!」

というわけでアヤカとミナは言われたとおりに

結んであった髪をほどき、

母の指令通りになんとかサマになるようなまとめ髪にした。

二人して鏡の前に立ってみる。

・・・まあ、よくこんな短時間で出来上がったものだ。

でもなかなかじゃない?

アヤカはオーガンジーのような

柔らかいネイビーの袖がベルのように膨らんだ

膝下丈のフレアワンピースドレス。

シルバーのグリッターがきらびやかなハイヒールを履き

(普段なら絶対履いてない!!)、

大きなダイヤのドロップ型イヤリングを付け

(母さんはジルコニアよと言ってた)、

同じタイプのブレスレットも付けている。

黒のスパンコールの小さな、

本当に小さなクラッチバッグを持ち、アヤカは完了。

ちなみにスマホとハンカチだけは押し込んで

かろうじて入った。

ミナはワイン色のノースリーブのタイトなロングドレス。

背が高いミナが着るとスラッとしたスタイルを

余計に際立たせる。

胸元はデコルテを美しく見える絶妙なハートカットで

背中も大きくスリットが入り、セクシーに見える。

足元は黒のピンヒールのバックストラップサンダル、

ゴールドの揺れるラインストーンのイヤリング、

チョーカータイプのネックレスが首元を飾る。

最後に繊細なゴールドのチェーンが付いた

黒のフェンディの肩掛けバッグを持った。

ちなみにこの衣装は貸衣装の社長をしている

母の友人から急遽借りたものだという。

そう、以前母がある事件の調査で謎のチャイナマダムに

変装したときにお世話になったときのね。

お互い見慣れない格好になんて言っていいかわからない

アヤカとミナであったが、

それよりもパーティーはすでに始まっている。

アヤカの軽自動車とミナのバイクはここに置いて、

急いで家から香椎のホテルにまでの道を

母の運転で飛ばした。

もちろんちゃんと制限速度を守って・・・たかしら?


チン!

エレベーターが三階に停止し扉がゆっくりと開く。

ざわめきと華やかなクラシック音楽が

一気に押し寄せてきた。

メイン会場の入口の扉は開かれていて、

室内には上等な装いに着飾った大勢の人の姿が見えた。

三人はなぜか横一列に立った。

アヤカはゴクリと喉を鳴らした。

ここにミナの元姑がいる。

ミナにとっては二度会いたくないであろう相手。

母のショウコにとっては今まで避けてきた苦手な女性。

アヤカにとってはミナから見せてもらった

結婚記念写真で見ただけの親友の元義母、

そしてこの事件の有力容疑者。

ひょっとしたら、この人物が殺人者かもしれないのだ。

十分に用心してかからねば!

母が仁王立ちになり腰に手をあてて、戦闘態勢に入った。

緊張感が高まる。

「アヤカ、ミナちゃん、いいわね。行くわよ!」


香椎ロータリークラブは創立40年、

奨学生を後援するために創設されたクラブだそうだ。

主に香椎あたりの企業の経営者や、

地元の有力者などが会員で、

このようなパーティーなどを開き、

高校生や大学生の奨学金に賛同してくれる

新しい出資者を募っているらしい。

アヤカの両親も香椎で歯科医院を経営している。

しかも父が益戸にある千花歯科大学の教授をやっている関係で、このクラブの一員だという。

といっても父はほぼスウェーデンの大学に出向したっきりなので母が活動に参加しているらしい。

パーティー会場はホールの頭上にキラキラと輝く

豪華なシャンデリアの光と、

間接照明の仄暗い明かりに包まれていた。

暖房もよく効き、外の寒さとは別世界。

そして着飾った紳士淑女の囁き声や笑い声が

あちこちから聞こえる。

会場は立食式で壁に沿って長いテーブルが並べられている。その上にはたくさんの料理が並び、

ホテルスタッフにより次々とサーヴされていく。

大きな銀器の上にはカラフルなテリーヌや

脂の乗ったサーモンなどのきれいに並べられたオードブル、お行儀よく並べられたシュリンプカクテル、

一口サイズのサンドイッチなどのフィンガーフード、

銀の保温器から湯気が立ち上っているのは

暖かいお料理かしら。

あ、大きなローストビーフが切り分けられている!

したたる肉汁を見ているとアヤカのお腹がくぅと小さく悲鳴を上げた。

なんせ今日はバレンタイン・アフタヌーンティもあったので、忙しい仕事の合間に急いで口に物を詰めただけだったのだ。

それから6時間以上は経っている。

お腹が鳴るのは許してほしい。


「・・・といってもね、

私はいくつかの団体に所属してるけど

このクラブはあんまり来ていないのよ。

私の友人や知り合いもこの会にはあまり来ていないしね。

一部の偉ぶった人たちが上を占めていてね‥

ほら、あれを見て!」

母が首を向けた方向にアヤカとミナも視線を向ける。

その先には6~7人の女性の集団がいた。

一際ゴージャスな装いで何がそんなに楽しいのか、

大きなというかけたたましい笑い声をたてていた。

その中心に・・・いた!

ふらんす屋の元社長にして、ミナの元姑、

そして今回の重要容疑者の小田ハツエだ。

60代後半と聞いているが背筋をまっすぐに伸ばし、

細身の身体に銀の刺繍がきらびやかな

グレーのレースの2ピースのスーツを着こなした姿は

どうみても50代前半にしか見えない。

周りの話に合わせて口元を綻ばせていたが、

細面の顔に切れ長の目は周りに冷たい印象を与えていた。

自然のものとしか思えない黒い豊かな髪は後ろで複雑に結い上げられ、大きな真珠のネックレス(アレは本物かも)

が細い首をぐるりと飾っている。

指がキラキラとしているのは、

大きな宝石がはまった指輪が

照明に反射しているせいだろう。

まるでハートの女王様のようにこの場に君臨する様は

一筋縄ではいかない雰囲気を漂わせていた。

母が声を潜めて言った。

「あの方、ミナちゃんのもとお姑さんね、

このクラブの副会長なのよ。

いつも取り巻きを連れて

いろんなところへ顔を出しているの。

寄付金の高額出資者だから

あちこちで大きな顔をしていて・・・と、

ごめんなさいミナちゃん、あなたの元姑だけど・・・」

「いえ、大丈夫です。

私もこういうパーティーには一緒に来たことがありますから・・・というか、アヤカ、あれ!」

「え?」

バッグで隠しながらミナがこっそり指差した先に、

一人の女性がいた。

その人物は少しふくよかな身体を

薄いピンクのツイードの膝上ワンピースと、

同じくお揃いのボレロに包んでいた。

スエード調のこれまた同じピンクのヒールも履いている。

長い黒い髪をサイドアップにし、

白のバッグを腕にかけ、

あれはミハマかしら?

宝飾品は控えめに首にかけた一粒パールのネックレスだけ。

まさしく正統派のお嬢様という佇まい。

小田ハツエのすぐ後ろで微かに微笑んでいる女性はそう、

もっか福井タツヤの婚約者とされる高田ユリだった。


間違いない。

ネットとはいえ何回も見た顔だ。

「ねえ、どうする?」

「そうね・・・義母ははには私が行ったほうがいいわよね・・・あっちのほうは・・・」

アヤカとミナがコソコソと相談しているうちに、

高田ユリがご婦人方の輪から外れるのが見えた。

部屋の入り口に向かっている。

え、帰っちゃうの?どうしよう!

なんとか話をしたい。

母の姿を目で探すと知り合いだろうか、

二人の女性と話し込んでいた。

小田ハツエのことは気になるけど後回し。

まずは高田ユリのほうを。

アヤカとミナは高田ユリの後姿を追って

こっそりと会場を出た。

するとロビーので誰かと立ち話をしているのが見えた。

相手は初老の背の低い白髪の男性だった。

ブラウンのツイードのジャケット、パンツ、白いシャツにグリーンの蝶ネクタイ、お揃いのグリーンのポケットチーフを胸に差し、ピカピカに磨かれた茶色の革靴を履いている。

丸眼鏡を着用し、なかなか洒落て見える。

「あの人、誰かしら?」アヤカが言った。

「あれは・・・青木さんだわ」ミナが囁く。

「青木さん?それって誰?ミナの知り合い?」

「福井家の弁護士よ。

ふらんす屋の顧問弁護士を務めていた人なの。

事務所も香椎にあったと思う。

よくは知らないけど、

訴訟とかそういうのを担当しているみたい。

家族ぐるみでのお付き合いもあって、

私も何度かお会いしているし・・・感じのいい人よ。

・・・離婚するときも随分と私にも優しくしてくれたわ」

ふーん。確かに温厚そうな人ね。

人がいいオジサンって感じ。

(でも・・・何を話しているのかしら・・・。

なんとか聞こえないかしら)

ミナに視線を送ると頷き、

高田ユリと青木弁護士の目に留まらないように

近くの柱の影に移動した。

すると切れ切れに話している言葉が聞こえてきた。

「・・・お気の毒だわ・・・」

「問題が・・・でも・・・なんとかなります」

「でもこれで・・・」

「・・・しばらく・・・」

何?何の話なの?

もっと聞きたいけれど、

これ以上近づくここにいる存在がバレてしまう。

でも聞きたい!

アヤカとミナはアイコンタクトで確認し合うと、

さりげなさを装いながら二人のすぐ近くにあるソファに座った。

そしてできるだけ身体を沈めた。

「・・・守秘義務があるので情報は漏れないでしょう」

頭上から青木弁護士の声が降ってきた。

「いいですね、警察に何か聞かれても知らないとお答えください」

「でも、嘘をつくのは・・・」

戸惑ったような声は高田ユリだ。

「これはあなたの為でもあるんですよ。

変に疑われたくないでしょう?」

疑われる?何のこと?

2、3分よもやまな立ち話したあと、

青木弁護士は高田ユリに一礼して会場に入っていた。

高田ユリはその場で少しうつむいて考えこんだあと、

化粧室に向かって歩いて行った。

アヤカとミナも早足で後を追いかけたが、

ミナを手で制してアヤカだけが化粧室に入っていった。

もしかしたら、

高田ユリはミナの顔を知っているのかもしれない。

一応婚約者の兄の元妻だし、

写真か何かで見たことがあるかもしれない。

化粧室に入ってみるとトイレの扉がすべて開いていたので、

高田ユリ以外は誰もいないようだ。

彼女は化粧室の鏡の前で、

バッグからコンパクトを取り出したところだった。

アヤカはとっておきの笑顔を作り、近づいた。

「あの・・・もしかして高田さんのお嬢様じゃありません?以前パーティでお会いしましたよね?」

鏡越しにアヤカを見た高田ユリは驚きの表情を貼り付けながら振り返った。

「え?ええ・・・偶然ですわね」

少し戸惑ったような笑顔を返してきた。

無理はない、だって初対面なのだから。

「ユリさんでしたわよね?千花銀行の夏のパーティでお父様と一緒でしたわね。今日はこちらの香椎ロータリーのパーティにいらしたんですの?」

そう、あのネットに載っていた情報だと、高田ユリの父が頭取を勤める千花銀行の夏のパーティもこのホテルで行われたとのこと。

その時はたくさんの招待客がいたはずだから、

たぶん、高田ユリはすべての顔は覚えていないとアヤカは踏んだ。

今高田ユリの頭の中ではこの人は誰?というクエスチョンマークでいっぱいに違いない。

育ちがいい分、あなたのことは知りませんなどと失礼なことは言えないだろう。

「ええ・・・そうなんです。このパーティは初めてで今夜は義母のお供で参りましたの。

あの・・・失礼ですが・・・」

「まあ、そうでしたの?ご結婚されていたとは存じませんでしたわ。夏にお会いしたときには

そのようなお話は聞いていませんでしたから。

おめでとうございます。最近ですの?ご結婚されたのは・・・?」

高田ユリの話を遮るようにアヤカは大仰な身振りで話し続ける。

彼女にはおせっかいな話好きなアラフォーと見えているだろうか。

そうだとしたらしめたもの。

「ええ・・・いえ、まだ婚約中ですの。・・・あの・・・ふらんす屋のご子息とです」

「まあ!ふらんす屋さんのご子息と!じゃあこの香椎ロータリークラブの副会長さんのご子息ですのね?

ご長男?ご次男?まあご次男の方と・・・確かタツヤさんとおっしゃったかしら?

素敵な方じゃありませんか。いいご縁でしたのね」

婚約者を褒められた高田ユリはほんのり頬を染めた。

それと同時に今話している相手がどうやら小田ハツエや福井タツヤの知り合いらしいとわかり、

見も知らぬ目の前のアヤカにホッとしたようだ。

「ありがとうございます。本当に素敵なご縁でしたの・・・タツヤさんはとても優しい方ですし。

最初は父に薦められてお会いしたんですけど、お互い会った瞬間から惹かれあってしまったんです」

なんともロマンティックなストーリーではないか。

まるでおとぎ話のようだ。

高田ユリは心からそう思い込んでいるのだろうか。

高田ユリはアヤカが想像していた人物像とはかなり違うようだ。

人が話したことをそのまま好意的に受け止める性格なのか。

アヤカは高田ユリは恋人がいる男性を奪うような我がままなお嬢様だと考えていたのだが、どうやら箱入り娘のほうだったようだ。

好ましい人物のように思えるが、事件が頭にあるだけにアヤカには逆に怪しく思えてくる。

演技という可能性もあるし。

とにかく・・・これはチャンス。

なんとか事件に繋がる情報を引き出さなくては。

「そういえば、私この間もユリさんのことをお見かけた気がするんです。益戸の伊勢丹でお買いものしていませんでした?先週くらいなんですけど・・・」

アヤカが、そうそうという風に高田ユリを見た。

「伊勢丹ですか?益戸の?いえ、私は香椎の高島屋か伊勢丹なら新宿に参りますの。多分お人違いですわ」

「そうですか・・・福井タツヤさんが若い女性とお買いものしている姿を見かけたものですから・・・じゃあ私の勘違いですわね、きっと。確かはショートカットの女性でしたし・・・ってあら・・・」

慌てたようにワザと否定するアヤカは、にこやかな態度の高田ユリの表情がさ一瞬変わったのを見た。

先ほどまでにこやかな表情だったのに、目のあたりが少し引きつっている。

「ごめんなさい、本当に人違いでしたわ。だってタツヤさん、ジュエリーコーナーにいらっしゃったから。

でもあのショートカットの女性って・・・でも会社のスタッフの方だったかもしれませんわ。きっとあなたに贈るプレゼントを見てもらっていたのかもしれませんわね」

「・・・そうですわね。彼、仕事柄あちこちスタッフと一緒に行動していますもの」

「そのあとお友達に花を贈らないといけないことを忘れてて、慌てて近くにあったお花屋さんへも寄ったんですけど・・・グリーンフラワーマーケットという素敵なお店なんですけどそこにも二人でいらしたのを見かけましたの」

「ああ!じゃあその花屋の店員さんですわ・・・確かタツヤさんのふらんす屋とその花屋とは取引があるはずですもの。一緒にいてもおかしくないですわ」

グリーンフラワーマーケットのことを知っている?

じゃあユミのことも?

「まあそうなんですね・・・あ、もう行かないと。お友達が待っているので・・・」

「あ、あの、失礼ですがお名前を・・・」

高田ユリの言葉を最後まで聞かないうちにアヤカは急いで退散した。

知っていた・・・高田ユリはグリーンフラワーマーケットのことを。

そしてショートカットという女性と言っただけでそこのスタッフだということを。

ということは彼女にはあのあたりの地理も、店も、ユミのことも知っていたということだろうか。

あの大人しそうお嬢様が?殺人犯?


アヤカが急いで会場に戻るとミナと母ショウコが誰かと何やら話し込んでいた。

その相手は、あの小田ハツエだった。

部屋の隅で周りには三人以外誰もいなかったが、近づくにつれだんだんと声が聞こえてきた。

先ほどの青木弁護士の姿は見えなかった。

「・・・まあ・・・よくも私がいるこの場所に顔を見せたものね」

これが小田ハツエの声か。

細面の顔に似合わず低い声だった。

「あら、偶然ですわね。こちらのミナさんは私の娘の友人ですの。ここには私が誘ったんです。・・・福会長さん、ミナさんとお会いするのは久しぶりなんですの?」

しれっとした顔で母が言う。

「・・・まあいいわ。でもあなた、もう話しかけないで下さる?すでに家族の縁は切れているんですし・・なんだか気分が悪くなってくるわ」

「・・・・・・」

沈黙するミナ。

「私はね、あなたがタツオミにした仕打ちをまだ許していませんのよ。・・・そもそも私はあなたたちの結婚には反対だったのよ。でもタツオミがどうしてもというからしょうがなく認めたのに。それなのにあなたときたら・・・私たちの家のことも考えずに自分のことばかりでワガママばかり・・・離婚してタツオミの評判まで傷つけて」

ミナの顔が青ざめていく。

なんてことを言うのこのオバサン!

一時期とはいえ、ミナとは義理の親子だったのに!

いくらなんでも酷すぎるんじゃない?

アヤカが二人の間に割って入ろうとしたが、母の方が一歩早かった。

「まあ、なんてことをおっしゃるんです!?ミナちゃんが一方的に悪いとでも?そんなわけないでしょう!?結婚も離婚も当人たち、二人の問題でしょう!?

・・・うまくいかなくなったのは別の理由があるからじゃないですか?」

意味ありげに母が小田ハツエを見る。

「私はミナちゃんのご両親から二人の仲はむしろ良かったと聞いています。それぞれ自分の仕事に邁進まいしんしていてなかなか時間を合わせることは少なかったとはいえ、お互い気づかい、尊敬し合っていたそうですわ。ささやかかもしれませんが、ふたりはそれで幸せを築いていけたはずです。・・・うまくいかなくなってしまったのは他の、外野の問題だったんじゃないですか?・・・」

「・・・何が言いたいのかしら?私のせいだとでも?」

小田ハツエが母を鋭く睨んだ。

その顔はさすが地方とはいえ、千葉有数の企業を長年束ねてきただけのことはある。

ふらんす屋の若手社員相手だったらこの一睨みですくみ上がっていることだろう。

「あら、そんなことは言っていませんわ。でも、嫁姑が原因で・・・というのはよく聞きますものね」

しかし母もさるもの。

本来の気が強い気性もあり、さらに競争激しい歯科医療業界において医院を経営し続けているだけのことはある。

小田ハツエに全くひけを取らない。

更に激しい舌戦になるかとおもいきや、

ミナが拳を握ったまま、顔をぐっと上げた。

「やめてください。・・・いいんですおば様、今そんなことは。終わったことですし、私も彼も納得したうえで別れたんです。・・・お互いの家族に迷惑をかけてしまったことは・・・事実ですから。それよりも・・・」

ミナが小田ハツエと母の間に入る。

「今夜はあなたに聞きたいことがあってここに来ました。・・・質問に答えて頂けたらすぐに帰ります」

ミナが気丈にも真っ直ぐに小田ハツエを見据えた。

「・・・なんなの?私があなたの質問に答える必要はないわ」

「そうはいかないんです。・・・昨日タツオミさんと会いました」

「タツオミと?・・・あなたが?」

驚く小田ハツエにミナは首を縦に振った。

「はい。松田ユミさんの事件のことで話をしに私の店まで来たんです。

彼女と私の店のスタッフたちは知りあいで親しくしていました」

「・・・」

「・・・彼女が亡くなった朝、彼女は私たちの店に来ていました。そのあとすぐ・・・殺されたんです」

「・・・」

「タツヤさんもタツオミさんも色々なことを話してくれました。タツヤさんと付き合っていたこと、あなたが結婚に反対していたこと、福井の家に警察が来たこと・・・事件当日の福井家のこと・・・」

「・・・それで?」

「聞きたいのはあなたの当日の朝の行動です。警察に聞いたところ、あなたのアリバイは曖昧らしいですね。ですが、あなたが車を運転できなければ犯行は不可能です」

「・・・あなた・・・私を疑っているのね?

私があの娘を殺したと思ってるのね!?」

小田ハツエの声が大きくなっている。

とうとう周りの人たちもこちらの異変に気付きだした。

ミナは冷静を保っていた。

「それさえ聞ければもうあなたに迷惑をかけません。

・・・お義母さん、あなたは運転免許証は持っていますか?

運転は出来ますか?」

「なんであなたにそんなことに答えなきゃいけないの!?」

「お義母さん・・・それさえ分かればこれ以上あなたに迷惑はお掛けしません。タツオミさんは心配しているんです。もしや家族に何かあったらと・・・」

とうとう小田ハツエの感情が爆発した。

「なんて失礼な!

やっぱりあなたは冷たい人ね!

元姑とはいえわたしを犯人扱いするなんて。

私があの娘をなんとかしたとでも!?

・・・本当に良かったわ、タツオミと別れてくれて!

こんな人が家族にいたかと思うとゾッとするわ!」

そう言うと踵を返し、周りの驚きをよそに足早に会場を出て行った。


この一声で会場がますますザワついてしまった。

アヤカはアチコチからが視線が突き刺さってくるのを肌で感じていた。

このパーティーの女王が足音も激しく腹を立てて出て行ってしまったのだ。

その相手であるアヤカたちは衆目を一身に集めていた。

その視線に晒されながら、慌ててアヤカたち三人は小田ハツエの後を追う。

どうしても聞かなければならない。

一人でも容疑者を減らして事件の真相に一歩でも近づかなければならないのだ。

会場を出て周囲に目をやっても小田ハツエの姿は見当たらなかった。

相手はすでにエレベーターに乗り込んでしまったのか?

エレベーターを見上げると下へ降りるボタンが点滅している。

急いで隣のもう一台のエレベーターに乗り込もうとしたが、エレベーターは上を示していた。

上り中なの?待っていられない!

アヤカはエレベーター横の階段を急いで駆け下り始めた。

ミナと母が後に続く。

ちょうど階段を使う人がいなくて良かった。

もしいたら、上ってくる人を突き飛ばしていたかもしれない。

2階・・・1階と降りてエントランスホールを見渡すも、小田ハツエの姿は無かった。

「いないわよ!・・・見てアヤカ!」

ミナの声に振り向くとエレベーターのランプは地下2階で表示されていた。

そうか!地下駐車場ね!

カツカツという三人分のヒールの甲高い音が階段に響く。

普段ハイヒールに慣れていないアヤカとミナを追い越し、なんと母ショウコが追い抜いて行った。

母の背中にアヤカが息も切れ切れに叫ぶ。

「母さん!?いき、いきなり突入、しないでよ!?」

ヒールで足元が危うく、滑って転びそうになる。

やっと駐車場がある地下二階フロアにアヤカは足をドスンと着地させた。

胸に手を当てて激しい息を整える。

母はすでにキョロキョロと辺りを見回していた。

殺風景なグレーのコンクリートの駐車場は冷え冷えとしていた。

ノースリーブの身にはつらい。

駐車場はたくさんの車が停まっていたがその大半は高級車だった。

やっと息を整えたアヤカも頼りない蛍光灯を頼りに薄暗い駐車場を見渡す・・・いた!

小田ハツエがしっかりした足取りで奥に歩いていく。

アヤカたちは急ぎ足で追い掛けた。

小田ハツエはある車の横に立つと、ゴンゴン乱暴に後部窓を叩いた。

すると慌てたように運転席から初老の男性が降りてきた。

黒のスーツをキッチリ着て頭上には運転手らしい制帽を被っていた。

「お、お帰りなさいませ、奥様」

「帰るわよ」

急いで後部ドアを開けながら男性が言った。

「随分とお早いお帰りですね。パーティーはいかが・・・」

「いいから!すぐ出して!!」

「は、はい!かしこまりました!」

お台場が後部シートに身を沈めようとしたとき、

暗がりからアヤカたちより前に小田ハツエに近づく人物がいた。

青木弁護士!

アヤカたちは急ブレーキをかけて咄嗟に近くにある柱の影に隠れた。

「待ってください、奥様!」

「・・・」

「どうして私を避けようとするのですか!お電話してもお宅に伺っても出てくれないじゃないですか」

びっくりしている運転手は扉に手をかけたまま硬直していた。

・・・何あれ?

トーテムポールのように三人は柱から顔を出していた。

「・・・あれ、誰?」

一番上にいる母が言った。

「青木さんです。福井家の弁護士なんです」

真ん中のミナが見上げながら答えた。

「・・・なんか変な雰囲気よね」

アヤカは二人から目を離さずに言った。

さっきまで高田ユリと話していた青木弁護士。

その時は心配そうながらも穏やかそうな雰囲気を称えていたのに。

今は小田ハツエに対して苛立ちを全く隠していない。

「なんなの、青木さん・・・こんな所まで来るなんて」

「こうでもしなきゃ私と会ってくれないじゃあありませんか。奥様、なぜ私を避けているんです?なぜ私がの質問にお答えになって頂けないのです?・・・私はあのお金の用途をお聞きしたいだけです。・・・奥様、何のために200万も銀行から引き出したのです?」

300万!?

アヤカは思わず息を吸い込んだ。

大金じゃないの!

あ、でもふらんす屋の元社長だったら大したことことはないのかもしれない。

そうよ、きっと資産家だし。

小田ハツエがシートから立ち上がり、運転手に向かって言った。

「ちょっと外して」

「・・・えっ、ハッ、かしこまりました」

運転手が車を離れ出口に向かって歩きだした。

その後ろ姿を小田ハツエと青木弁護士が無言で見守る。

運転手が影のような小さなシルエットになると小田ハツエが重い口を開いた。

「・・・たかが200万でしょう?大したことないじゃないの」

「何に使われたんです?」

「・・・欲しいモノがあったのよ。・・・とてもステキな真珠が・・・」

すると青木弁護士が小田ハツエの声を途中で遮った。

「ならば、なぜカードではないのです?なぜキャッシュなのですか?いつもならばそうでしょう?・・・だから香椎銀行から連絡があってあなたが現金を引き出したと聞いてびっくりしているんです。しかも自ら銀行を訪れてとは・・・今までそんなことは無かったじゃありませんか」

「・・・」

「しかもそのあとまた100万引き出していらっしゃる。

奥様・・・何か面倒なことになっているのではありませんか?」

二人は無言で見つめ合っている。

ピリピリした空気が離れているアヤカたちにも伝わってくる。

「・・・奥様。私はまだふらんす屋がここまで大きくなる前からのお付き合いです。ふらんす屋の内情も表から裏まで、家族の中までかなり理解しているつもりです」

「・・・」

「ふらんす屋のことでもいろんなことも一緒に乗り越えてきたじゃありませんか。・・・会社の内情が苦しい時も、危険な取引のときも。・・・その私にも話せないことなのですか?」

青木弁護士の声が和らいだ。

「何か困っているのなら話してください。

このことはあなたのご子息たちにはまだ話していません。

私は福井家の弁護士であり・・・あなたの長年の友人です。秘密は守ります。どうか・・・」

黙って聞いていた小田ハツエは苦しそうな表情を浮かべていた。

「・・・私にも話せないことがあります。このことは・・・放っておいて頂戴。・・・中村!!」

「奥様・・・」

呼び掛けに答えて運転手が遠くから急いで戻ってきた。

「は、はい、奥様!」

「すぐに車を出して頂戴!」

小田ハツエはそのままサッと後部シートに収まり、車はすぐに出て行ってしまった。

静寂が戻り、そして無念に立ちすくむ紳士とアヤカたちが残された。


アヤカたちはノロノロと柱の影から出て青木弁護士に近づいた。

「あの、青木さん・・・」

ミナが声をかけると立ち去った車を見送っていた青木弁護士がビクッと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。

急に現れたアヤカたち三人に驚いている。

「あ・・・ああ。あの・・・あなたは・・・ミナさん?ミナさんですよね。どうしてここに?」

相手が福井家の元嫁だと分かり青木弁護士は困惑しているようだった。

「青木さん・・・実は今のを見ていたんです」

「・・・そうですか。いや、みっともないところを・・・」

「それだけじゃありません。今のお話もすべて聞いていました」

「それは・・・お恥ずかしい。いい歳をして大きな声で・・・」

「聞いてください、青木さん。私に今、ある事件について調査しているんです。青木さんはご存知ですか?益戸神社で起きた殺人事件を」

青木弁護士は黙っている。

「・・・事件で殺された女性は松田ユミさん・・・私達の親しい知り合いです。ユミさんはタツヤさんとお付きあいしていて婚約していました。犯人はまだ捕まっていません。・・・私達はその調査でここに来たんです」

「・・・」

「タツヤさんに話を聞きました。ユミさんとの結婚にお義母さんが反対していたことを。・・・タツオミさんにも会って話を聞いています。その朝の福井家のアリバイが全員無いことを」

ミナの話は余計なことを挟まず簡潔だった。

この間青木弁護士はずっと押し黙ったまんまだった。

しかしふと気づいたように青木弁護士がアヤカと母を見た。

「・・・ミナさん、この方たちは・・・?」

「こちらは私の友人の鈴井アヤカさんです。幼なじみで今私が働いている"カフェ・ヴェルデ"のオーナーでもあります。そしてこちらがアヤカのお母さんです。

・・・私達、皆でユミさんの事件を調査しているんです」

「・・・そうですか。・・・私も松田ユミさんのことは存じています。事件のことも」

「だったら、どうか教えて頂きたいんです。青木さんが知っていることを。私達、ユミさんの無念を晴らしたいんです。 それに・・・タツオミさんも心配しているんです。もし家族に何かあったら・・・と」

青木弁護士が小さく唸った。

「ここにいるアヤカはこういった事件を今まで何件も解決してきたんです。秘密は守ります。青木さんどうか・・・知っていることを話してくれませんか?私はもう福井家の人間じゃありませんが・・・心配なんです」

青木弁護士はミナをジッと見つめた後、アヤカ達に背を向けた。

後ろに手を組み、闇の先を見ていた。

その間アヤカ達は黙ってその場で立っていた。

相手は小田ハツエの友人であり、福井家の弁護士だ。

元嫁だったミナや、今ここで初めて会ったアヤカ達の質問に答える義理も好意もない。

話してくれるだろうか・・・答えてくれるだろうか。

青木弁護士は時々足を踏みかえながらウロウロとしていた。

どれだけの時間が経っただろう。

アヤカには3分にも10分にも感じられたが、

実際は1分くらいだろうか。

突然青木弁護士がくるっと振り返りミナの前に立った。

「ミナさん。明日、私の事務所に来てくださいませんか。・・・そこで私が知りうる限りの情報をお話ししましょう」

「青木さん・・・」

すると意外にも青木弁護士が笑顔を見せた。

「ミナさん。私も同じですよ。私も家族ではありませんが、福井家のことは家族同然だと思っています。もし何かあったとしても私も福井家のために全力で守るつもりです。でもそれには・・・事実・・・そう、真実を知らなくてはならない。例えそれが不利な事実でも。・・・私は弁護士ですから」

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