第二章
「・・・そういう訳なの」
その夜カフェ・ヴェルデが閉店してからのこと。
チカはアンの幼稚園のお迎えのためいつも通り4時にあがったが、
「今日、このあと集まりたいんだけどいい?」
というアヤカの提案の元、
カフェ・ヴェルデメンバーがチカの家に集合したのだ。
時刻は6時半。
チカはすでに夕飯の支度を済ませ、訪問客のために紅茶を入れてくれていた。
アヤカは店に残ったお菓子を2つの箱に詰めて持ってきていた。
一つはチカの家に、もうひとつはこれから行く処のために。
実は店を出る前に緑川さんにこれから家に行ってもいいかとアヤカは電話しておいたのだ。
もちろん、断られたら諦めるつもりだったが緑川さんは快く承知してくれた。
「大丈夫よ。じゃあ8時でいいかしら?」
緑川さんが事件でショックを受けているのはアヤカも重々承知だった。
普段だったらこういったことはしたくなかった。
しかしなるべく早く緑川さんの記憶が確かなうちに話を聞きたかった。
緑川さんの声が疲れていたのをアヤカは感じ取っていたが、
時間が経てばヒトの記憶というものは危うくなってしまう。
おそらくユミと一番親しかったのはきっと彼女だろう。
今朝も会っていたに違いないし、ユミの遺体と対面したのも彼女。
しかしこれから緑川さんの家を訪問する前に
アヤカはミナとチカにこれからのことを話しておきたかった。
アヤカは一之瀬さんから聞いた話を二人に話していなかった。
それでなくても、ユミが亡くなったと聞いて二人とも動揺していた。
二人はユミが事故で亡くなったと思っている。
だから、全員集合!とアヤカが言ったのは、
ユミが亡くなったことを話し合うだけだと2人は思っていたはずだ。
チカの家は益戸駅からほど近く、
当時新築で最新の設備を携えた11階建てのマンションで、
5年前に結婚と同時に入居した。
チカ一家の住む10階フロアからの眺望は素晴らしかった。
目の前には遮るものもなく、
夜は伊戸川向こうのスカイツリーが煌き、
天気がいいときには遠くに富士山も見ることができる。
毎年夏に開催される益戸花火大会もここなら特等席で眺められる最高のロケーションだった。
夫の神宮寺ミキヒコ、通称ミッキーは都内のIT企業に勤めている。
このマンションを購入したことから、けっこうなお給料を貰っているらしい。
義姉が言うのもなんだが、義弟はハンサムの部類に入り、
都会的な雰囲気を持っているが気さくな性格で人懐こい。
チカがカフェ・ヴェルデで働くときも快く賛成してくれ、
家事も手伝ってくれる。
しかも子煩悩で、家で仕事することもあるので、
アンの送り迎えなども時々してくれている。
非の打ち所がないように見えるが、
彼もこういう事件には興味津々だ。
今日はたまたま家で仕事していたようで、
カジュアルなスウェットとチノパンという格好で
出迎えてくれた。
そして気を利かせて、
リビングの窓近くでアンの相手をしてくれている。
出来た義弟なのだ。
しかし、やはりこちらの様子が気になるのかチラチラと視線を送ってくる。
彼もたぶんにもれず好奇心旺盛なのだ。
まあそんな訳で今安心して3人だけで顔を突き合わせていられる。
「・・・そんな。それであんなに一之瀬刑事と話し込んでいたのね」
チカが大きなショックを受けていた。
昼にアヤカから聞かされた以上に。
落ち着かないのだろう、何度も指をからめては動かし続けている。
「しかも怨恨の可能?・・・彼女が‥川に‥そんなところに・・・」
ミナは空中の1点を見つめ考え込んでいた。
アヤカが紅茶を一口飲んだ。
こんな時に、いやこんな時だからこそ、
フォションの美味しいアップルティーは
アヤカの心を癒やしてくれた。
「私も・・・一之瀬さんから聞いてショックだったわ。
それでなくても、亡くなっただけでも動揺してしていたのに。
それがまさか殺されたなんて。
だって、ユミちゃんが恨まれているとかそんな感じ全くなかったじゃない?
しかも最後に会った・・・ううん、正確には最後から2つ目ね、
言葉を交わしたのが私たちだなんて。
でも、あの時変わったことなんて無かったし。
ミナは・・・なんか気づいたことあった?」
「ううん・・・いつも通り。
彼女、いつも通りに元気だったし、
怯えているとかそういう様子もなかった。
今日変わっていたことといえば・・・霧だったことと、
ユミちゃんがキッシュを買っていったことね」
「うん。誰かにつけられていたとかもなかったと思う。
ねえ・・・キッシュだけど、なんで無くなっちゃったんだろ?
やっぱり犯人かなあ?
美味しそうだったからとか?・・・なんか不気味よね」
アヤカがそう言うと、チカが頷いた。
「ほんと。もし犯人が持っていったとすれば気持ち悪いよね」
アヤカとチカはミナの顔をこっそり見た。
ミナの顔が一瞬引きつったのをアヤカとチカは見逃さなかった。
ミナは自分の作ったモノに自信と誇りを持っている。
そのミナの自慢のキッシュを、もしかしたら殺人者が持って行ったかもしれないなんて。
ミナの犯人に対する怒りはヒートアップしているに違いない。
「アヤカ・・・もちろん調査するつもりでしょ?」
「え?う、うん。みんなに反対がなければだけど・・・」
ミナが怒っている・・・しかも無表情で。
ううん、無表情でうっすらと笑みを浮かべているときほど、最も怒っているときだ。
チカは拳を振り上げた。
「やるって・・当たり前じゃない!許せないわよ!
あんな・・・まだ若い女の子を・・絶対私たちの手で捕まえてやりましょ!
・・・ってまず何から始める?姉さん」
「そうね・・・まずは情報を集めなきゃ。緑川さんにまず話を聞こうと思う。
私たち、親しくしていたつもりだけど、ユミちゃんの苗字も知らなかったじゃない。
ご家族とか、友人とか・・・恋人の存在とかもね」
ミナが頷いた。
「そうね、私は明日の朝、ヨウコさんに相談しに行ってみる。
今朝のことを改めて聞きたいし、
ヨウコさんは顔が広いから、ご近所から情報を集めてくれるかもしれない」
「私もアンの迎えに行くとき、幼稚園のママ友に何か知ってるか聞いてみるね」
チカが言った。
「グリーンフラワーマーケットでヘンなウワサとかがあればいろいろ聞けるかも。
今日ね、チカちゃんの事故ね、幼稚園でも情報が入ったみたいで、
噂を聞いて途中でお迎えに来るママもいたみたい」
アヤカが顔をしかめた。
「そうなの?ううん、でもママ達も心配になるわよね。
でも、まさか殺人だとは知らないから・・・。
今は犯人が野放しってことなのよね。
チカもアンに気をつけてね。
じゃあ、その方面はお願いね、チカ。
・・・ただし、二人とも、今回は特に気をつけてほしいの」
チカが首を傾げた。
「どうして?大丈夫、いつも気をつけて調査しているわよ?」
アヤカは二人の目をひたと見つめた。
「今回の犯人、一之瀬さんは怨恨、つまり恨みや憎悪からユミちゃんが殺されたと思ってる。
ということは、犯人はユミちゃんの知り合いかもしれなくて、
遠い未知の人物じゃないかもしれないってこと。
ひょっとしたら私たちの身近にいる人かもしれないわ」
益戸駅から歩いて8分のところに『グリーン・フラワーマーケット』がある。
元百貨店がある通りの並びにある、およそ80年続く老舗の花屋だ。
以前は『緑川生花店』だったが、5年ほど前に緑川さんが両親から受け継ぎ、
店名を変え店も大規模な立替え工事を行ったそうだ。
今は5階建てビルとなり、1階が小売の店、2回は緑川さんが主催するフラワーアレンジメント教室、
そして、3階、4階は賃貸として部屋を貸し、5階が緑川さんの自宅になっている。
ご両親は娘の緑川さんにさっさと事業を引き渡し、今は山梨で悠々自適の生活を楽しんでいるそうだ。
午後8時。
アヤカがグリーン・フラワーマーケットの外階段を登り、
5階の緑川さんの自宅を訪れると温かく迎えてくれた。
出迎えてくれた緑川さんは顔色が悪く、疲れているのがありありと見受けられた。
「どうぞ上がって」
緑川さんが先頭に立って、リビングに案内してくれた。
「・・・今、お茶を入れるわね」
「あ、おかまいなく・・・・こんなときに本当にすいません」
アヤカが緑川さんの自宅に入るのは初めてだった。
通された部屋はベージュとブラウンを基調にした温かみのある部屋だった。
ベージュ色のカーテンとラグに、ブラウンのソファが溶け込むように調和していた。
ところどころに観葉植物が置かれ、緑がポイントになっている。
部屋は暖房が入っているにもかかわらず、少し寒く音もなくシンとしていた。
アヤカはブラウンのソファにそっと座った。
ベランダの外に目を向けると、益戸の繁華街のネオンがチラチラと見えた。
アヤカと緑川さんとの出会いは、
カフェ・ヴェルデをオープンするお披露目会の時だ。
ご近所の方々をお招きしたときに知り合い、歳が近いせいもあって、
それ以来、同じ女性企業家として経営や悩みなどを相談させてもらっていた。
女性としてもおっとりとした性格と、上品な容姿で魅力的な人だ。
彼女も独身なので、アヤカとしては心強い(?)同士と思っている。
緑川さんがお茶を乗せたトレーを持って戻ってくると、
アヤカは店の名前が入った箱をテーブルに滑らせた。
「これ・・・ウチの焼き菓子です・・・よかったら」
「・・・ありがとう。今、頂いてもいい?‥今日は食事をする時間が無くて」
テーブルに緑茶を置いてソファに座ると、
緑川さんは大きなため息をついた。
顔色が悪い、当然か。
いつも笑顔で生き生きとしている彼女からは、
想像もできない疲れた姿だった。
本当ならこういうことはしたくなかった・・・でも。
アヤカは意を決して話しかけた。
「あの緑川さん・・・こんな大変な時に本当にごめんなさい。話すの大丈夫ですか?」
「大丈夫・・・とは言い難いけど。
今日は何がなんだかわからないことばかりで混乱しちゃってて・・・。
朝、急に警察から連絡があって、
私と白石くんは警察から話を聞いて、信じられなくて。
ユミちゃんが‥死んだなんて。
それで益戸神社でユミちゃんに・・・対面して。
あんな姿で‥今も現実にものとは思えない。
朝も配達に行くのを見送ったのに・・・そのまま帰って来ないだなんて・・・」
苦しそうに緑川さんが額に手を当てると、つっと涙が頬を伝う。
ユミの遺体は驚くほどキレイだったという。
冷たい川に浸かっていたせいで顔は白く、髪が顔の周りでゆらゆら揺れて白い花が死体を縁取っていた。
まるで眠っているみたいだったそうだ。
「ねえアヤカさん‥オフィーリアって知ってる?
シェイクスピアの作品の『ハムレット』に出てくる主人公の悲劇の恋人なんだけど、
最後、川で溺れて亡くなってしまうの。
ミレーって人が描いた絵画とユミちゃんとまるでそっくり」
「緑川さん・・・」
アヤカが話を遮った。
「緑川さんの気持ちわかります。
いえ、ずっと一緒にいた緑川さんは私なんかよりもずっと辛いですよね。
私もショックです・・・ユミちゃん、今朝ウチにも配達に来てくれていましたから。
それからウチを出てからすぐ亡くなったなんて。
今でも信じられません。
・・・でもさっき電話でお話した通り、私、犯人を捕まえたいんです。
本当にできるかどうかわかりませんけど。
もちろん警察の方が全力を尽くしてくれるでしょうけど・・・じっとしていられないんです。
だからこんな時に失礼は承知で緑川さんにお話を伺いに来たんです。
まだ緑川さんの記憶が確かなうちに」
緑川さんはゆっくり頷く。
「・・・そうね。
まだ私が今朝のことをちゃんと正確に覚えているうちにね。
私だってユミちゃんをあんな目にあわせた犯人が許せない。
今朝だって階下からいつも通りに『いってきます』って声が聞こえていたのに・・・。
・・・鈴井さん、聞いていいかしら?
ウワサに聞いたんだけど、あなた、今まで何度か探偵みたいなことをしてるんでしょう?
それで事件が解決したとか。
この間・・・私にも何か聞いてきたわよね?」
そう、秋に起こった事件の時に、
緑川さんに証言を求め、協力してもらったことがあった。
そのおかげもあって事件が解決に繋がったのだが。
「たまたまいろんな偶然が重なってですけど・・・私だけの力じゃないんです。
ミナやチカや・・・いろんな人達が協力してくれて。
緑川さんにも話を聞いたでしょう?
私はただそれをまとめただけなんです。
警察の方がいないと証拠や事実確認はできないから
ホントに素人なんですけど・・・」
「それでもあなたは犯人を突き止めたのね?」
「そう・・・ですね。
だからって言うわけじゃありませんけど、
今回のユミちゃんの事件調べてみたいんです。
・・・遊び半分じゃありません。
刑事さんから話を・・・ユミちゃんの最後を聞きました。
私、ユミちゃんにあんな・・・川に・・・酷いことをした犯人が許せないんです」
アヤカが緑川さんの目を見ると涙の中に
焔が見えた気がした。
「・・・私もよ。許せない、ユミちゃんをあんな目に合わせたヤツがいるなんて。
そうね、今私にできることはユミちゃんの敵をとることよね。
悲しむことはいつでもできる。
だから犯人を捕まえることがことができるのなら・・・
私に出来ることがあるなら‥。
アヤカさん、何でも聞いて、大丈夫だから。
ああ、なんだかお腹が空いてきた!
この箱の中は何かしら?ちょっと待ってて、今お皿に出してくるから」
緑川さん勢いよく立ち上がり、再び台所に消えていった。
「じゃあ、まず今朝のことからお聞きします」
アヤカがバッグから手帳を取り出し、ペンを構えた。
「今朝ユミちゃんがお店に出勤したのは何時頃ですか?」
「下に・・・ユミちゃんが店の一階に降りてきたのは朝7時よ。
今日は生花市場に行くこともなかったから遅めだったのよ」
緑川さんは片手にショコラスティックパイを手にしながら答えた。
こういう話でなければ普通にお茶会をしているようだ。
「それから?」
「おはようって挨拶を交わして、今日の予定を確認して・・・、
それから私は二階で今日の午後やる予定だったフラワーアレンジメント教室の用意をしていたの。
ユミちゃんには一階でお店の開店準備や今朝の配達の用意をしてもらってたわ。
金曜日は大体いつもこういう流れだったの。
ユミちゃんにも、お店にも変わった様子はなかったわ」
「今朝、店の周りで不審者や見慣れない人を見かけました?それか最近でも」
アヤカが聞くと、緑川さんは首を横に振った。
「刑事さんにも聞かれたんだけど・・・残念だけど私は一階と二階を行き来していただけで、
店のシャッターを開けてくれたのはユミちゃんだったし、
外は見ていないの。
・・・ごめんね、参考にならなくて」
「じゃあ緑川さんが二階にいるその間、
ユミちゃんはウチに配達する『ネコヤナギ』や『ユリ』とかをスクーターに積んでいたんですね?
あの、ユリはどこへの配達だったんですか?」
「ユリ・・・正式にはテッポウユリね。
私も見たわ・・・ユミちゃんの周りに落ちてた。
配達リストには・・・ユリは長谷川様宅と益戸神社が書いてあった。
だからあのユリは益戸神社に納品するモノだったのね。
益戸神社には定期的に本殿に飾る花を注文して頂いているの」
「じゃあ、それでユミちゃんは益戸神社へ?」
「ええ、神社にはよく配達に行ってた。
今日の予定は・・・待ってね、思い出すから・・・刑事さんにも聞かれたの。
今朝は山古志様宅、鉄板焼き『炎』様、それからあなたのお店、
長谷川様宅、最後に益戸神社で終わりの予定だった」
そうか、だからスクーターにユリだけが残っていたのね。
ちゃんとスタンドを立てて駐車していたって一之瀬さんは言ってた。
ユミちゃんは益戸神社に花を届ける前に犯人に殺されたんだ。
アヤカが考えを言うと、緑川さんは頷いた。
「警察の方もそう考えているみたい」
これで今朝のユミちゃんの行動がわかった。
ここまではいつもと変わらない日常みたい。
「それじゃあ、今朝ユミちゃんに変わった様子はありました?不安そうとか、怯えていたとか・・・」
「それをずっと考えているんだけど・・・どっちかといえばウキウキしてたかな」
「ウキウキ?」
緑川さんが頷く。
「そう。たぶん恋人のことを考えていたからじゃないかしら」
「え!?じゃあユミちゃんには恋人がいたんですね?」
「そうなの。私は一度会ったことがあるの。
ユミちゃんが紹介してくれてね、好青年よ」
ユミには恋人がいた!
「その・・・ユミちゃんの彼ってどういう人なんですか?」
すると緑川さんが少し微笑んだ。
「そうね・・・実はユミちゃんが仕事で配達に行ったときに知り合ったらしいの。
ちょっとトラブルがあって・・・それをキッカケに親しくなったらしいわ。
一度ね、彼が車でユミちゃんを迎えに来たときにばったり顔を合わせちゃって・・・
それで紹介してくれたの」
「じゃあ、警察は今頃その人に話を聞いているんでしょうか」
「それはわからないけど・・・でもその彼氏は犯人じゃないわ」
緑川さんが言った。
「え!?そうなんですか?
でも・・・警察が・・・知り合いの刑事さんが、
犯人で一番疑われるのは身内か恋人だっておっしゃっていたので。
なんで緑川さんはその恋人が犯人じゃないと考えてるんですか?」
「その恋人、福井さんって言うんだけどね、
警察の方が教えてくれたんだけど、今海外にいるみたいなの」
「えーー!」
アヤカが驚きのあまり、ペンを落としそうになった。
「警察がユミちゃんのスマホを調べて連絡してみたら福井さん、今フランスらしいの。
本当は明日帰国予定だったみたいだけど、連絡を受けてすぐこっちに戻ってくるみたい」
「そうなんですか・・・あ、じゃあユミちゃんがウキウキしてたっていうのは・・・」
緑川さんが頷いた。
「たぶん、恋人が帰ってくるからだったのね」
ということは、恋人の線は完璧にバツってことね。
「でもね、ユミちゃんってちょっと秘密主義なところがあったの。
シャイっていうか・・・もし私が福井さんとばったり顔を合わせなかったら
紹介してくれないままだったのかもしれない」
そうなんだ・・・・あとは家族や友人の線か・・・仕事先関係か。
「ユミちゃんは、実家が花屋さんでしたよね?」
「そう。ユミちゃんの実家は小田原で生花店を経営してて、
ウチの両親とユミちゃんのご両親が友人同士なの。
私とユミちゃんは子供の頃から時々会っていたの。
なんか妹みたいにね。
その縁でここには2年前から勉強ということで来てくれていたの。
私がこの店を継いだとき、花の小売だけじゃなく、
フラワーアレンジメント教室も始めたんだけど、
ユミちゃんもいずれ実家のお店を継いで、
こういう風に色々やってみたいって言っていたのよ」
「じゃあ、こっちのほうに友人は?」
「うーん・・・いなかったんじゃないかしら。
少なくとも私は話を聞いていないわ。
月曜日から土曜日まで仕事だし、休みは日曜日と2週目と4週目の水曜日だけだものね。
私とはたまに一緒に出かけていたんだけど。
白石くんにも警察は話を聞いていたけど・・・何かわかったかしら?」
「あの、白石くんって?」
さっきから気になっていた名前だ。
「あ、ほら時々店に出てもらってるバイトの若い男の子よ。
アヤカさんは見たことなかったかしら?
白石くんっていって大学生なの。
バイトで時々入ってもらってるのよ。
そこの千花大学の園芸科だから花木に詳しいの」
ということは、庄治准教授のところの学生かしら。
庄治准教授とは、益戸にある千花大学園芸科の准教授で、
カフェ・ヴェルデのイングリッシュガーデンを監修してくれ、
その後も定期的に庭を見に来てくれている人物である。
アヤカが密かに恋心を抱いている相手であり、何度かデートのようなものもしている人だ。
そして事件のたびに助けてくれるカフェ探偵団(?)の一員でもある。
「どうしたの?鈴井さん。顔が赤いわよ?部屋が暑すぎる?
エアコンの温度を下げましょうか?」
准教授のことを考えていたら、知らず知らずのうちに顔が赤くなっていたようだ。
「あ、いえ大丈夫です。ほんと、大丈夫ですから」
顔の前でパタパタと手を振った。
ふー、まずい、まずい、
すぐ顔に出るクセを改めなきゃいけない。
じゃないと私の気持ち、准教授にバレちゃうじゃない。
あれ?いっそバレたほうがいいのかしら?
緑川さんが首を傾げる。
「?じゃあいいけど。
それとさっきまで警察がユミちゃんの部屋を調べていたのよ。
何か見つけたかしら・・・」
「あ、ユミちゃん家ってこの下なんですよね?」
「そうよ三階に・・・良かったら一緒に行ってみる?」
「え!?部屋に入れるんですか?でも警察が・・・」
アヤカが言うと緑川さんが首を横に振った。
「大丈夫ですって。・・・亡くなったのは部屋じゃないし、もう調べ終わったみたいだから。
私、大家として合鍵も預かってるの。
それに、もう少ししたらユミちゃんのご両親が来るから部屋の準備をしないといけないのよ。
・・・今夜はユミちゃんの部屋に泊まるんですって。
今は・・・警察で話をしているみたい。・・・辛いわよね」
緑川さんが顔を歪めた。
ユミちゃんのご両親のことを思うとアヤカも気分が沈んだ。
突然、娘の悲報を聞いてどんな気持ちだったか。
きっと取るものも取らずに慌てて益戸まで来たに違いない。
こんな寒い時期でも元気に配達に来てくれ、
明るくて可愛らしいコだったもの、
きっとご両親自慢の娘だったはず。
ここで勉強したあと実家の小田原に帰って、
ご両親と一緒に働くつもりだったのだろう。
ユミちゃんの遺体と対面したご両親の悲しみは計り知れない。
その大事な娘さんを無残に殺した犯人。
絶対許せない。
キーッと小さな音を立てて鉄扉が開いた。
緑川さん家から階段を降りて、三階の一室にあるユミちゃんの家に
アヤカは緑川さんと一緒にそっと入りこんだ。
勝手に入ってごめんね、と心の中で謝りつつアヤカは玄関から部屋を見渡した。
1Kのコンパクトな部屋だった。
左手前に小さいキッチン兼ダイニングがあり、
右にバストイレが別々にあった。
奥は10畳ほどの部屋で、独り暮らしには充分な広さだ。
このビルが出来て5年しか経っていないので、部屋はまだ新しく壁なども真っ白でキレイだった。
靴を脱いで部屋に上がってみる。
部屋はきちんと整頓されており、ユミはあまり物を置くタイプではないことがわかる。
奥の部屋のベッドとローテーブル、テレビ、カラーボックスがある以外、目につく大きなインテリアはない。
プライベートを探ることに抵抗はあったけど、なんでもいい、手がかりを見つけたかった。
目指しているものがあるわけではなかったので、
目につくモノやクローゼットを片っ端から開けるしかなかった。
園芸の雑誌や本が多く、フラワーアレンジメントの資格の本もある。
きっと勉強熱心だったのだろう。
以前アヤカが勤めていた『益戸シティリビング』もあったし、
若い女性らしく女性ファッション雑誌や情報誌もあった。
某遊園地の熊のぬいぐるみがベッドにあったり、花がローテーブルに飾ってあった。
窓近くには小さな多肉植物が何個もあった。
所々見える白い粉は警察が調べたあとだろう。
クローゼットには、ハンガーにきちんと服が掛けられ、
アヤカはほぼジーンズなどの動きやすい服装のユミしか見ていなかったが、花柄のワンピースなどもあった。
きっと恋人と出かけるときに着ていたのだろう。
不似合いなバッドが玄関の傘入れにあったのが気にかかったが、
女性の一人暮らしだし、用心していたのかもしれない。
台所には二口コンロがあり、下の棚には鍋やフライパン、食器がしまってあった。
冷蔵庫にはドレッシングや味噌などがあり、
タッパにトマト風味のロールキャベツがあった。
肉や魚などの生鮮食品は少なかった。
恋人が明日帰国する予定だったのを考えると、
今日、仕事が終わったら買い物に行き、
食料をたくさん買い込むつもりだったのかもしれない。
何も怪しいものはない。
部屋の探索はすぐに終わった。
特に目を惹くものは見つからなかった。
小説だとここで何か事件解決のヒントになる
謎の言葉が書いてある紙切れや、
怪しげなモノが見つかるはずなのだけど。
そんなうまい具合にいかないらしい。
それとももう警察が何かを発見して持っていったのだろうか。
「あ、これ・・・」
緑川さんの声にアヤカが振り返った。
テレビ前にいる緑川さんが一冊の小さなファイルを持っていた。
アヤカが近づいていった。
「テレビ台の下に何冊かあったんだけど、これアルバムみたい・・・」
二人で目を合わせ頷いてから、ゆっくりとページをめくる。
そこには、松田ユミとアヤカの知らない男性が一緒に写っていた。
二人ともこっちを見て笑っている。
次々とページをめくっていくと、その男性との写真ばかりだ。
もしくはユミ一人が写っている。
笑顔の表情ばかりなのは、
カメラのファインダー越しの人物に向けているからなのだろう。
この男性がユミちゃんの恋人に違いない。
「この人が福井さんよ・・・彼もきっと今辛い思いをしているんでしょうね」
緑川さんが小さく呟く。
男性は年の頃は、20代後半か30代前半だろうか、
小柄なユミと比べれば背は高いが、男性としては中背といったところ。
170センチくらいだった。
まあまあハンサムな顔立ちをして優しそうな顔をしている。
チェックシャツのようなカジュアルな服装のものもあれば、
スーツを着ているときもあった。
写真は何処かの店で食べ物を前にしている写真が多い。
二人とも食べ歩きが趣味なのだろうか。
一番最初の写真の日付を見ると、一昨年の秋、その頃からの付き合いなのかしら。
警察はこのアルバムは持っていかなったのだろうか。
恋人は捜査圏外だからだろうか。
「緑川さん、この福井さんてどんな方なんですか?」
アヤカが聞いた。
「ユミちゃん、この人のこと何か言ってました?
どんな人だとか・・・スーツ姿の写真もあるしサラリーマンなのかしら」
「ううん、この人も家が自営業らしいわよ?
優しくて、いろんなところに連れてってくれて、
その人と一緒にいると楽しいって言っていたけど、
将来のことわからないってちょっと寂しそうに言ってたわね・・・」
そうか、ユミちゃん家も彼の家も自営業なら、
跡を継がなきゃいけないのかもしれない。
うーん・・・一之瀬さんに聞いてみよう。
この彼は海外にいたらしいから、事件には全然関係ないけど。
結局、ユミの部屋を捜索しても何も見つからなかった。
がっかりしながら部屋を出た。
腕時計を見ると9時。
緑川さんにお礼を言ってアヤカは車で帰途に着いた。
部屋に入り、コートをソファの背に投げ出し、
身体も投げ出した。
朝から普段通りに仕事をこなし、突然の訃報、それから夜の調査。
時間が足りなさすぎる、体力も。
アヤカは疲れていた。
しかしユミの無残な死、緑川さんやご両親の嘆き悲しみに比べれば・・・。
きっと見つける、こんなことをした犯人を。
そうよ、みんなで協力して追いつめてやる!
翌日金曜日はカフェ・ヴェルデが忙しい日だ。
そう、アヤカ達がまず優先させなければならないのはカフェ・ヴェルデのこと。
ユミのことを優先したいのだけど、
事件の調査が二の次になるのは、カフェ探偵としてはツラいところだ。
朝早めに来たミナと一緒にアヤカも厨房に篭り、オーブンはフル回転していた。
今日はたくさんお菓子を焼かなきゃ間に合わなくなる。
するとミナがアヤカを見た。
「ねえアヤカ、今日キッシュは・・・やめる?」
「う・・・ん、そうね・・・・」
昨日ユミが殺されたことを考えると、
ミナが作る気が無くなるのもアヤカは分かる。
キッシュを見ると思い出すからだ。
ユミの死を、そして犯人が持っていったと思われることを。
「・・・でも材料はもう届いてるんでしょ?」
「うん・・・今日はエリンギとベーコンの予定だったから」
「・・・じゃあ作ろう!
ユミちゃんのことを考えると私もキッシュを見るの気がひけるけど、
キッシュに罪は無いもの。それはそれ、これはこれ。
キッシュは人気商品だからお店には出したい。
材料ももったいないし・・・私って冷たい?」
ミナがハッとしたように顔を上げ、そしてゆっくり首を振った。
「ううんごめん、私こそ変なこと言って。
そうね・・・やっぱり作るわ。
私、感傷的になり過ぎてた。
アヤカは正しいよ・・・店のオーナーとしてしっかりしてる」
そう言ってミナはキッシュの材料を集め始めた。
アヤカは自分の作業の続きをしながら、ずっと考え続けていた。
本当にキッシュはどこへ行ってしまったのか?
(あれ?こんな本があったわね?・・・あれはチーズだったかしら)
今の所、犯人持って行った説が高いようだが。
そんなことってある?
殺人まで犯した人が美味しそうなキッシュの匂いにつられて持っていってしまった?
そういえばユミちゃんは2つ買っていった。
もしかして自分と恋人の分だったのかしら?
そう、昨日もこれくらいの時間だったっけ。
アヤカはチラっと時計に目をやった。
ユミが配達に来るのは時々だったけど、いつも裏口からコンコンっていう音が聞こえてきて・・・
コンコンッ!
アヤカはギクッとして扉を見た。
え!まさか!?
ミナも眼鏡の奥で目を大きく見開いて扉を見つめていた。
デジャブっていうのかしら。
二人で目を合わせたけど、今度はさっきよりも強くドアを叩かれた。
意を決してアヤカがそろそろと扉を開けた。
後ろにはミナが大きなめん棒を構えている。
そこには男性が一人立っていた。
「お早うございます・・・あの、グリーン・フラワーマーケットです」
男性というよりはまだ男の子と言ってもいいくらいの若さだった。
不安そうな顔をしているが、もしかしてこのコが・・・
「あの、僕、白石と言います」
やっぱり、このコが白石クンっていう千花大学生。
「店長に言われてここに来たんですが・・・」
「え?緑川さんから?」
「はい・・・あの・・・こちらで話をしてきてって言われて・・・」
モジモジしながら足踏みしている。
「あ、ごめんなさい、えーと白石くん?寒いでしょ?入って」
慌ててアヤカが中に招じ入れた。
すでにミナは作りかけのキッシュ生地にふきんをかけ、カフェフロアで珈琲を準備していた。
「・・・ありがとうございます。あ・・砂糖は2つで、ミルクも・・・」
どうやら彼は甘党らしい。
某登山ブランドの青とグレーのダウンとスウェットパンツを履いた彼は白石ケンゴと名乗った。
緑川さんから大学生だと聞いていたが、まだまだ顔は幼く、
少年と青年の狭間にいるような感じだ。
その彼がどうしてここへ?
開店準備は整っていないが、今はそれどころじゃない。
アヤカもミナも好奇心ではち切れそうだった。
ソファに落ち着きつくとアヤカが口火を切った。
「そう、それで緑川さんはなんて?」
白石君はアヤカを見つめ、次にミナを見て、結局アヤカに向かって話し出した。
「はい・・・あの、ユミさんのことで・・・」
「ユミちゃんのこと?緑川さんから何か伝言?」
アヤカが聞いた。
「いえ・・・実は今朝出勤して店長に話したことをもう一度、
こちらに来てすぐ話してきてって言われたんです」
「話?」
「はい」
そう言うと、決意したように白石くんは背筋を伸ばし胸を張った。
「昨日、ユミさんのことを警察から聞かれたときは思い出せなかったんですけど、
夜眠れなくて、いろいろ考えているうちに思い出したことがあって。
それを今朝店長に話したんです。
実はユミさん・・・誰かに付きまとわれていたみたいなんです」
「付きまとわれて?・・・それって、つまりストーカーされてたってこと?」
白石くんは大きく二度も頷いた。
「そう、そうみたいです。
半年くらい前の夏頃、ユミさんが配達から帰ってきたあと変な顔をしていて。
僕がどうしたんですかって聞いたら、
なんか誰かに付けられているみたいって言っていて。
その後も何回かそう言ってたんですけど、最近はそういう話は無かったんです。
だから、その付けられているっていうのはユミさんの勘違いで、
ストーカーとかじゃなかったのかもしれないんですが・・・。
今回ユミさんがああいうことになったんで、もしかしたらって」
一気に話すと、白石くんは珈琲に口をつけた。
アヤカが顔をしかめた。
「つまり・・・ユミちゃんは誰かに後を付けられていると思っていて、
不安がっていたってことなのね?
あなたは、そのユミちゃんがいうストーカーを見たことがあるの?」
「いえ、僕は見ていません。
でもユミさんは気にしていました。
ユミさんの部屋は店の上だし、緑川さんも住んでいるから安全だったとは思うんですけど、
外に出たときとか誰かに見られてる気がするって・・・」
黙って話を聞いていたミナが顎に手をあてた。
「そうなの・・・女の子だし不安だったでしょうね。
・・・そういえばあなた、ユミさんって下の名前で呼んでるのね?」
白石くんの顔が朱色に染まった。
「あ、はい。
・・・最初は松田さんって言ってたんですけど、僕たち年も近くって名前でいいよって言われて・・・」
そう言うと白石くんは下を向いた。
そうか・・・もしかして・・・この子。
「あの、間違ってたらごめんね。もしかしてあなた・・・ユミちゃんのこと、その、好きだったの?」
アヤカが優しく聞いた。
白石くんの目から涙が伝う。
ミナが黙って彼の前にティッシュの箱を差し出した。
「僕はそんな・・・。ユミさん恋人がいたし・・・ただいつもユミさんは
明るくて僕にも優しくて・・・好きというか憧れていたくらいで・・・」
「恋人の話は聞いたの?」
シュッと音を立て、白石くんがティッシュを取った。
「少し・・・そのときのユミさん、ぱっといい笑顔になって。
それを見ると、ああ、彼氏はすごいいい人なんだなーって思いました。
僕はその・・・ユミさんに好意を持っていましたけど、
ユミさんが幸せならって、うまくいくように願っていました。
・・・僕なんかが出る幕は全然ありませんよ」
ティッシュで鼻を押さえながら彼は言った。
少し気が弱いかもしれないけど、いい人のようだ。
よく見ると・・・可愛らしい顔をしているし。
「彼氏の顔は見た?」
「一度見かけたことが。平日のユミさんが休みの日で、店の裏まで車で送ってきたみたいで。
遠くからでしたけど、イケメンに見えました。それと・・・いい車に乗ってました」
さすが男の子。
見ただけでいい車かどうかわかるなんて。
「そう・・・何か話しているのは聞こえた?」
「いえ、そこまでは・・・・でも、とにかくその彼と一緒にいるユミさんはずっと笑顔でしたね」
白石くんがしんみりと言った。
彼の表情からは悲しみが伝わってくる。
・・・この人が犯人という可能性はないかしら。
身近なヒトが犯人ということが多いって一之瀬さんが言っていたし。
その恋人に嫉妬してつい・・・ってことは?
しかし彼からは、あんな残虐なことをするような姿は想像できそうもなかった。
・・・もう少し彼のことを探ってみよう。
「そういえば緑川さんに聞いたんだけど、あなた、千花大学の園芸科なんですってね?
それって、柏原教授のところ?」
アヤカが話を変えてみた。
それを聞くと白石くんは震え上がった。
「とんでもない!あんなとこ・・・とても僕なんかじゃ生き残れません!」
生き残る?・・・大学ってそういうところだったかしら。
「あ、じゃあ別の教授のところなのね?」
「はい・・・僕のいるゼミは普通の園芸科ですので」
うーん・・柏原教授のところは一体。
そういうところに庄治准教授はずっといるのね。
のほほんと人当たりがいい見かけによらず、
准教授は以外と精神も身体も強靭なのかもしれない。
「あ、そうなの・・・・この店の庭ね、柏原教授のところでやってもらったのよ。
実際には庄治准教授指導で時々今も見に来てくれているの」
「そうなんですか・・・あの、柏原教授はめちゃくちゃな方ですけど、
その道では有名で、園芸界の風雲児って呼ばれている方なんです」
「それはいい意味で?」
アヤカが聞くと、白石くんがやっと少し笑った。
「どっちもです。破天荒な説を次々に説いて『学会荒らし』とも呼ばれていますけど、
それを実現させるために大変な努力をしている方ですから。
その点は僕も尊敬しますけど・・・やり方が型破りで。
あのゼミで生き残れる自信は僕は無いですね。
庄治准教授は僕も講義を受けています。
穏やかな人で授業も和気藹々(わきあいあい)と楽しいですよ」
「そうなの・・・あのゼミのサバイバル研修は知ってる?」
「ああそれって・・・あの名物の・・・」
白石くんは少し元気を取り戻したように帰っていった。
何かまた思い出したら知らせてくれるとまで言ってくれた。
ユミちゃんが亡くなったく今、なるべくバイトに出るようにするつもりだと言っていた。
頼りなさそうに見えるが一人になった緑川さんを支えてくれるだろうか。
これからグリーン・フラワーマーケットは大変だろう。
事件の渦中に巻き込まれ・・・ウチが昨年、被ったようなことにならなければいいが。
「・・・ふーんそうなんだ。ユミちゃんモテてたんだね」
チカが今日オススメの一品、『マシュマロチョコクッキー』を口に含みながら言った。
アメリカのようなざっくりしたビッグサイズのクッキーで、
甘さ控えめのチョコレート生地に甘いマシュマロがたっぷり入っている。
スッキリしたアメリカン珈琲とピッタリだ。
開店前、カフェ・ヴェルデスタッフ全員といっても、
アヤカ、ミナ、チカの3人だけだけど、テーブルでクッキーと珈琲を囲んでいた。
いつものミーティングをさっさと済ませてから(ホントは良くないんだけど)、
昨日の緑川さんとの話や、ユミの部屋の捜索報告、そしてさっきの白石くんの話していた。
チカが口をもぐもぐさせながら言う。
「幼稚園はもういつもの状態に戻ってるわよ。
つまり・・・近所で不幸があっただけってことで。
でも私たちは殺人で事故じゃないかもって考えてるじゃない?
だから心配して今朝はミッキーが車でアンを送って、ここまで私も送ってくれたのよ。
危ないからって帰りもまた迎えに来てくれる予定なの。
まだユミちゃんを殺した犯人がそこらへんをウロついているかもしれないからって」
アヤカが頷いた。
「そのほうがいいわ。他の人は事故だと思っているでしょうけど」
するとミナが考え込みながら言った。
「ねえアヤカ、さっき言ってた部屋にあったバットってもしかして・・・」
「うん、たぶん白石くんの話からすれば・・・ストーカー対策のためよね」
女性の一人暮らしなんだから、用心するに越したことはないけど、
上階に雇い主が住んでいて、下が職場なら割と安全なはず。
それでも玄関にバットを置くっていうのはかなり神経質になっていたに違いない。
「ストーカーね・・・幼稚園でもそういう不審者とかの情報は多いの。
それも聞いてみなきゃね。
そうそうママ友から少しだけ話を聞いてみたんだけど、
緑川さんのフラワーアレンジメントに行っている人がいたの。
お教室の評判はいいみたいよ?緑川さんの教え方もいいみたいだし、
お店にも悪いウワサはないみたい。
だけど、チカちゃんのことはあまりわからなかった。
お教室で緑川さんのアシスタントも時々していたみたい。
笑顔で感じのいいコだったとしか聞けなかったわ」
チカが残念そうに言った。
「怪しい人を見かけたって話は?」
「あ、それも聞いてみなきゃね。今日の夕方のお迎えのとき、もう一回聞いてみる。
でもさりげなく聞かないとね。
ねえ姉さん、ご家族は小田原にいらっしゃったのよね・・・恋人も外国にいた。
緑川さんは除外・・・その白石くんって人はどうなの?」
「うん・・・ミナはどう思った?」
アヤカだけの印象だけでは心許ない。
ミナの冷静な判断はいつも頼りになる。
「そうね・・・私はちょっと引っかかった。
彼、ユミちゃんのことが好きだったみたいだし。
愛情が憎悪に変わるって・・・あるでしょ?」
「ユミちゃんを独占したくてってこと?ミナちゃん」
チカが聞く。
「ええ。大人しそうなコだったけど、そういう人に限ってってこともあるし」
アヤカが立ち上がった。
「私もミナに賛成。じゃあ彼は私たちの容疑者1号ってことね。
とりあえず朝はここまで。
さて・・・そろそろ開店時間よ。みんな、いい?」
玄関外のプレートをクローズからオープンに替えた。
すぐ外に行って調査に取り掛かりたい気持ちだけど、まずは自分たちの仕事をしなきゃ。
・・・そこがカフェ探偵団としてはツラいところ。
午後2時。
アヤカは今焼きあがったばかりの焼き菓子を補充していた。
新作の『オレンジキャラメルマフィン』
甘酸っぱいオレンジと香ばしいキャラメルの甘い香りが漂う。
珈琲だったらこの前新しく仕入れた『にしむら珈琲』のオリジナルブレンドね。
『にしむら珈琲』とは。
兵庫県神戸にある創業昭和20年初めの老舗珈琲店だ。
ここのオリジナルブレンドは、酸味と苦味のバランスが取れた、
それでいてメリハリのある味わい深いものだ。
チョコレート系のしっかりとした焼菓子にはぴったりだ。
そんなことを考えていると、玄関のベルが音を立てた。
入ってきたのはヨウコさん、キクさんの烈女二人組だ。
「ああ・・・アヤカさん」
ヨウコさんの口から力ない声が漏れた。
どうしたのだろう、いつもアヤカ達よりパワフルな二人が疲れきっていた。
「大丈夫ですか?何だかお疲れみたい」
アヤカは取り合えず窓側のソファ席に大急ぎで案内し、
にしむらの珈琲を入れ席に取って返した。
「ああ・・・ありがとう」
「申し訳ありません、アヤカさん」
ヨウコさんとキクさんが落ち着くまで向かいのソファで座って待っていた。
チカが休憩をとっていてフロアはアヤカしかいないが、
幸いフロアのお客様はそれぞれの時間を楽しんでいた。
そこで厨房のミナも呼んで話を聞くことにした。
「さっき焼いたばかりのオレンジキャラメルマフィンです。よかったら・・・・」
ミナがお皿をそっと押しやった。
「あら、ありがとう。でもまずはお話を聞いて頂きたいの」
珈琲で力を取り戻したのか背筋をきちんと伸ばし、
先ほどとは違うしっかりした口調でヨウコさんが言った。
「朝、ミナさんから電話を頂いて、ご近所に聞いて回ってきたんですよ。
それでねあのお嬢さん、ユミさんね、昨日の朝の配達のことなんですけど、
山古志さんのお宅に伺ったって言ってたでしょ?
それで早速聞きに行ってきたんですよ。
もう警察は昨日来ていて、そのお嬢さんのことを聞かれたんですって。
来たときの時間、様子、それと怪しい人物を見かけなかったかって。
山古志の奥様はその時は7時半頃だったらしいわ、
彼女の様子は普通だったし、いつも通りに玄関まで配達してくれたって答えたらしいの。
いつもと変わらなかったって。
それと怪しい人も見かけなかったって答えたんですって。
でも・・・・」
そこにキクさんが口を挟んだ。
「でも奥様はこう聞いたんですよ!
『奥様、それでは誰か見かけた人はいませんでした?』って。
だってそんなのわかるわけないじゃありませんか!
怪しいって雰囲気な人なんてそういませんでしょ?
そうしたら、いろいろと教えてくださったんですよ!私、メモしてきましたから。ええと・・・」
キクさんが黒いバッグから手帳を取り出す。
「えーと・・・まず玄関でユミさんと応対していたときに、
ユミさんの肩越しに犬を散歩された方が通られたのをお見かけしたんですって。
霧が深くてあまりよく見えなかったらしいですけど、
懐中電灯かなにかを持っていたらしいです。
あとは自転車に乗ったサラリーマンらしき方、
この方も電灯を点けながらだったみたいですわね。
それと、土木作業の職人さん、今ご近所で真夜中に水道管工事をしているらしくって。
遠めでしたけど、あの、工事をする方特有の大きなあのズボンを履いていて、
リュックサックみたいな大きい袋を担いでいたらしいですわ。
あとは小学生が3人で賑やかに走っていったそうで、霧で大丈夫かしらと思ったみたいです」
うーん。
聞いてくれたのは嬉しいけど、あまり参考にならない気がする。
どうみても日常の風景。
ヨウコさんが目を輝かせてアヤカを見た。
「どうかしら、アヤカさん。何かお役に立ったかしら?」
ここでせっかく調べてくれたヨウコさんとキクさんをがっかりさせる気はなかった。
たとえ小さな情報でも。
アヤカは笑顔を作った。
「もちろん!ユミちゃんはその山古志さんのところでは変わった様子はなかったんですね!
ウチでも変わりはなかったし、ヨウコさんのお宅でも普通だった。
ということは、やっぱりヨウコさん家から益戸神社までの間で何かあったってことですよね」
キクさんが大きく頷いた。
「そうですよね!私たち、これから益戸神社に伺おうと思ってるんです。
神主様からもお話を伺おうと思って」
「神主様・・・ですか?」
そういえば、ユミちゃんの配達の終点は益戸神社だった。
結局配達する前に酷いことになってしまったが。
何か見たか・・・物音を聞いているかもしれない。
キクさんが続けて言う。
「私たち、益戸神社の神主様とは長く懇意にさせて頂いているんです。
もしかしたら何か気づいたことはないかと思って」
とっくに警察が話を聞いているとは思うけど、
親しくしているなら、ヨウコさん達には違う話をしてくれるかもしれない。
それに・・・・まだ事件現場をアヤカは見ていなかった。
アヤカが顔をあげた。
「あの、ヨウコさん、キクさん、私もご一緒していいでしょうか?」