第十章
用意は整った。
ミナが最後の戸締まりを申し出てくれたおかげで、
アヤカとチカは閉店後、
すぐグリーンフラワーマーケットに
出発できることになったのだ。
アヤカの車とチカのママチャリは、
裏庭に停めたまま。
緑川さん、白川さんと話した後、
取りに戻るつもりだ。
もちろんアヤカが行くことは、
すでに連絡済みだ。
「あれ?姉さん、大荷物じゃない」
制服から普段着に着換え終わったチカが、
二階からトントンと階段をリズミカルに
降りてきた。
チカの視線の先はアヤカの
両手に下げられた紙袋。
大きい袋と、小さな袋を2個下げていた。
大きな紙袋には、
グリーンフラワーマーケットに持っていく
お菓子とキッシュを詰めた箱と
珈琲ポットが入っている。
緑川さんの手を煩わせないように、
紙コップや紙皿やカトラリーも。
「ああ、これ?
グリーンフラワーマーケットのお土産。
あっちも仕事終わりだから、
話しながら軽く食べられるといいなって。
あと、コッチは益戸神社に持っていこうと思って」
「神社に?」
「通りすがりだし、いい?」
「いいけど・・・遅れない?」
「大丈夫、渡すだけだから。
ほら、ユミちゃんの事件の時、
あの金属音を聞いた巫女さんがいるでしょ?
改めてお礼を言いたくて。
きっとあれからまた警察に、
話を聞かれたりしたと思うから。
なんか申し訳ないなと思って。
あの巫女さんの証言があって、
千田の事件との繋がりがわかったんだし。
あの巫女さんと、別に益戸神社用」
「そっか!
私は神主さんに会ってみたいな。
おばあちゃんの知り合いなんでしょ?
私の小さい時も知ってるって言ってたよね?」
チカは首にマフラーを
しっかり巻きつけながら言った。
「そうそう。
私達、二人のこともバッチリ覚えてた。
ふふ、ちょっと恥ずかしかったけどね。
・・・用意はいい?
じゃ、行こう!
ミナ、あとヨロシクね!」
アヤカは奥に向かって声を張り上げた。
「わかった、いってらっしゃい」
ミナは窓から手だけを出して、
ヒラヒラと振ってくれた。
アヤカとチカは、ドアを開け、
まだ冬の柔らかな陽が残る極寒の外へと
足を踏み出した。
「姉さん、荷物一個持つよ。
おっきい袋のヤツ、寄こして?」
チカが親切にも申し出てくれた。
日が落ちるまでまだ少しあるが、
さすがに気温が下がってきた。
益戸神社までは、歩いて5分程。
他に誰も通る人はなく、
アヤカとチカの影だけが道路に伸びている。
今なら神社に寄っても、
明るいうちにグリーンフラワーに辿り着けそうだ。
アヤカのAラインのグレーの
ショートコートの裾が風ではためく。
今日のアヤカは、
黒のコーデュロイのロングスカートに、
足元はグレーのタイツと
ローヒールのサイドゴアブーツ。
パープルのザックリした丈の短かい
ハイネックニットを合わせていた。
コートの首から出るパープルが
コーデのポイントになっている・・・はずだ。
そして人気の"メゾンマルジェラ"に似た、
黒のミニショルダーバッグを斜め掛けしていた。
「姉さん、今日はシックに決めてるわね」
あ、やっぱり?
「何かあるの?」
それは余計なお世話なひと言。
「べ、別に無いわよ?」
はい、ホントに無いんです。
ただ、せっかく素適な紫色のニットを買ったのに、
着るタイミングを逃しているから。
庄司准教授とのデート(?)にいいかと思って、
セールで買ったのに。
当の本人は学会の準備で忙しいらしく、
最近はカフェにはもちろん、
会ってもいない。
でももう学会は昨日で終わったはず。
・・・誘ってみようかな?
ちょうど観たい映画もあるし、
気になるお店もあるし。
最近は准教授をお誘いするのも、
わざとらしく無く、
自然と出来るようになってきたと思う。
まだまだ緊張するけど、
大人の余裕って感じよね?
「そのパープルのニット、
姉さんの肌の色に合ってるみたい。
それ着て、先生とデートしてくれば?」
チカの感は鋭い。
なんで自分が考えていたこと、
わかっちゃうんだろう。
「えーー・・・そ、そうしよっかな?」
オシャレなチカが褒めてくれたことだし、
ホントにコレでデート、誘ってみようかな?
「うん。
それで、早く庄司先生に告白しなよ。
きっとうまくいくって!
私もだけど、アンも太鼓判押してるんだから!
お花の先生、あ、准教授のことね、
アンはそう呼んでるんだけど、
色々花のこと教えてくれるから好きなんだって。
でないと、ミナちゃんに先越されちゃうよ?」
「え?・・・ミナ?
え、え・・?
ミナ、准教授のことが好きなの?」
「違う違う!」
ノー!!と言わんばかりに
チカがアヤカの目の前で忙しく手を振る
「ミナちゃんと久保さんのことよ!
姉さんより先に、
そっちのほうが早くくっついちゃいそうなんだもん!
ほら、ミナちゃん、久保さんの前だと
かなり乙女になっちゃうじゃない?
あんなミナちゃん、今まで見たことないじゃない。
なんか可愛くなるっていうかさ。
いつもと違くなるよね?
久保さん、見かけカッコいいし、
誠実な感じするから私も賛成だけど。
なんか進展しないよねー、あの二人。
デートとかはしてるみたいだけど、
どっちかといえば、美味しいものを
食べに行く同士って感じで?
二人共仕事大好きだし、
誰かが押さないとこのままだよね。
それとは別に、姉さん、気づかない?
ほら、ミナちゃんの前の旦那さん、
あの人、まだミナちゃんの事、好きみたいよ?」
「え!?
だ、だって、何年も前に離婚したし、
性格の不一致で・・・」
ビックリしてアヤカは紙袋を落としそうになった。
「うーん・・・どっちかというと、
お姑さん問題でしょ」
「そうだけど・・・。
それに、ミナはもう結婚したいと
思ってないんじゃない?
自分の城も持ってるし・・・」
「もう、姉さんたら!
古いんじゃない?
今は結婚っていう契約がなくたっていいのよ?
別居婚だって増えてるし、
パートナーとして人生を共にする、
でもいいんじゃない?」
ま、まあそうだけど。
「カタチはどうあれ、ミナちゃんの元旦那さん、
あの人、絶対ミナちゃんに未練あるって!
見ててわかるもん!
ほら、ミナちゃんのお陰で、
自分のお母さんがまあ助かったんだし?
ミナちゃんの助言がなきゃ、
犯人として遅かれ捕まってたんじゃないかな?
今なら、あの怖いババ・・・お義母さんも、
反対しないんじゃない?
まあ、私とアンは久保さん推しだけどね。
ちなみにミッキーも」
うーん・・・。
ミナが再婚かぁ・・・・。
でもミナ、あの元旦那のせいで、
傷つけられて、辛い想いをしたし。
友達としては賛成できないかも。
久保さんなら・・・うーん、どうだろう?
あの二人、よくデートしてるみたいだし、
でも、こないだミナの家に来たのは
初めてだって言ってたから、
その、まだ深い仲ではないわよね?
多分、ミナに聞いても答えてくれないだろうし。
ミナ、こういう事にデリケートなのよね。
しかし、本当だとしたら、
ミナ、モテるなぁ・・・。
そうこうするうちに、
アヤカ達は益戸神社に到着していた。
夕暮れがすぐそこまで迫っている。
長くなった木々の影が物語っていた。
「私、ユミちゃんの事件があってから、
初めて来る」
チカが益戸神社の高々とそびえる
白い石でできた鳥居を見上げて
ポツリと呟いた。
「・・・何となくね、怖いのと、
ユミちゃんがいないんだって、
認めるのがイヤで避けてた。
アッチの橋の方?
ユミちゃんが倒れてたの。
・・・お参りしていい?姉さん」
「もちろん」
アヤカとチカはゆっくりと
参道を進んでいった。
凄惨な事件があったとは思えないほど、
境内の空気は厳かに、
清廉な空気が漂っていた。
キレイに掃除してあるのか、
落ち葉もほぼ落ちていない。
平らな石で出来た道の脇には、
桜の木と医長の木が植えてあった。
益戸神社は春になると桜が咲き誇り、
秋にはイチョウが鮮やかな黄色の色彩を添えて、
人々の目を楽しませていた。
今、木々の内側では、
陽の光指す春や秋を目指して、
寒い冬を忍んでいるのだろう。
そう、あんな事件があっても季節は変わる。
時は過ぎていく。
本殿近くになると、
静かなお囃子の調べが流れてきた。
誰かが奏でているのではなく、
どうやら、ラジオかCDをつかっているようだ。
誰かいるのだろうか?
薄暗い本殿のから、
障子を透してロウソクらしい
仄かな明かりが揺れている。
神主さんがいらっしゃるのだろうか。
耳を澄ませ、
気配を探ってみたが、誰もいないように思えた。
本殿前の手水舎は、
青銅で出来た龍の口から水がチョロチョロと流れ、
静謐な音を立てている。
犬を連れた年配の夫婦連れらしい二人が水をすくい、
元気いっぱいに尻尾を振るコーギーに与えていた。
それを微笑ましく横目に見ながら、
アヤカとチカは、
新坂川に掛かる紅い橋の真ん中に立った。
下を覗くと、
川の流れに青い水草がなびいていた。
最近雨も降っていないから、
川底まで透けて見える。
大きな魚が何匹も泳いでいた。
「・・・キレイね。
ココにユミちゃんが・・・倒れていたのね」
そう言うと、チカは無言で手を合わせた。
アヤカもチカに習ってソッと手を合わせた。
(忘れないから、ユミちゃんのこと。
きっと犯人を見つけて見せる。
・・・もう少し待ってて)
改めて誓う。
お参りを終え、
社務所に行こうとした時、
本殿の障子の観音扉の片方が音もなく
スッと開いた。
すると、出てきた神主さんと
顔を合わせることになった。
「おや・・・緑川さんのお嬢さん。お参りですか?」
「あ、神主さん。
良かった、いらっしゃって。
今、社務所に伺うところだったんです。
あ、そうだ!
こっちは、妹のチカです。
チカ、こちらは益戸神社の神主を
務めていらっしゃる、稲川さん」
するとチカは足を揃え、
身体を丁寧に折り曲げ、お辞儀をした。
「初めまして、神宮寺チカです。
泉川ミドリの孫です。
生前は祖母がお世話になっていたそうですね」
「ほお・・・いや、ご姉妹揃って、
しっかりしたお孫さん達ですな。
いやいや、こちらこそ泉川の奥様には
大変世話になったものです。
この間、お姉さんから話を伺い、
ぜひお会いしたいと思っておりました。
本当に大きくなられて・・・」
目を細め、トントンと本殿の階段を降りてきた。
「これからココを閉めるつもりだったのですが、
今日は何か・・・?」
そう言って、神主様はアヤカを見た。
「あ、今日はこのお菓子を届けに参りました。
こちらの巫女さん、ええと、三上さんという
お名前だったと思いますけど、
その方の証言のおかげで
ユミちゃんの事件、随分進展したんです。
それで、お礼を申し上げたくて。
あ、こちらは神社の皆さんで」
アヤカが紙袋を差し出した。
「ああ、そうですか。
おや、ありがとう。
この間のパイ菓子、大変美味しかったですな。
そう、この間、また警察の方々が来られて、
私と三上さんと、もう一度話をしました。
アヤカさん、あなただそうですね、
三上さんから話を引き出したのは。
お陰であの可哀そうな娘さんの、
事件のヒントになったとか」
「そうです。
おかげで警察は事件が随分進展したそうです。
でもそれで、三上さんがまた警察に話を聞かれたりして、
ご迷惑をお掛けしてしまったので。
申し訳ないと思ってコチラを持って、
お礼に来たんですが・・・、
それで、あの、三上さんはまだいらっしゃいますか?」
「はい、おりますよ。
先程本日のご奉仕が終わったので、
今、帰り支度をしていると・・・。
ああ、ちょうど・・・おーい、三上さん、
お客様ですよ」
本殿隣の社務所の扉がガラリと開き、
あの陽気な巫女さんが出てきた。
もちろんだが、袴ではなく普段着を着ていた。
黒のロングのダウンコートにジーンズ、
ピンクのスニーカーに
大きなナイロンバッグを腕から下げていた。
アヤカ達を見つけて、
三上さんが手を振りながら近づいて来る。
「あらぁ!あの時の娘さん!
きょうも寒いわね!
あ、そうそう!あんたと話した後ね、
警察がまた来たのよ!
またいろいろ事件のこと聞かれてね!
もう迷惑だったら!
ううん、お嬢さんのことを責めてるんじゃないのよ?
でもその話をしたら、またウチの娘が心配してね!
また警察なの!?って。
そう言われたら私も怖くなっちゃって!
もしかしたら、私が話したのがバレたら
犯人から狙われるんじゃないかって!
もう、そんな訳ないのにねえ・・・。
それに、やっぱりどんな恐ろしいことでも、
ちゃんと警察に協力しなきゃって思って!
人として、神様にお仕えする者として、
当然のことよね!」
一気にまくし立てる三上さんに、
初対面のチカは目を唖然としていた。
三上さんがふんっと鼻を鳴らす。
「でも私の言ったことは
お役に立ったみたいね。
ウチの娘がね、もしかして私が警察から
表彰されるんじゃないかって言うんですよ!
もう、大げさねって返したんですよ。
これは市民の義務だって!
でも、本当にそうかしらねぇ〜?
表彰とかされて、新聞とかに載るのかしら?
いやだわ、そんな目立つようなこと!
私はね、なるべく謙虚に生きてきたんだし。
そんなことはしたくないんですよ!
あ、でも謝礼金とかも出るのかしらねぇ・・・
そうしたら、貰ってもいいのかしらねぇ・・・」
三上さんは頬に手を当てて天を仰いだ。
アヤカは、三上さんのマシンガントークの
隙間を見つけて慌てて紙袋を差し出す。
「いえ、本当にありがとうございました!
ご迷惑をお掛けしましたが、
三上さんのお話がなければ、
まだ警察は困っていたと思います!
あの、これ、お店のお菓子です。
良かったら、召し上がって下さい」
「あら!いいの!?
これ、ワタシだけ?」
「あ、はい、ご迷惑をおかけしたお詫びと、
御礼を兼ねて。
あ、もう一つ益戸神社の皆さんで
召し上がって貰おうと思ってもう一つ
持ってきているのでコチラは三上さんに」
「まあ!嬉しいねえ!
この間貰ったお菓子、
すごく美味しかったのよ!」
三上さんが紙袋を覗き込む。
「まあ、イイ匂いね!
コレは何?フィナンシェ?
じゃあ娘と一緒に食べるわ!
・・・あら?
別の・・・お菓子というか、
何だか違うイイ匂いがするわね?」
三上さんが鼻をフガフガと動かした。
「あ、もしかしたら、コッチの紙袋からかも
しれません。
ウチのキッシュが入ってるんです」
「へーキッシュ?
どんなモノなの?」
「フランスの卵料理です。
軽食としても、
朝ごはんとしてもピッタリなんです。
ご存知ありませんか?」
「オタクで人気なの?美味しいのかしら?」
ラチが明かない。
「ええと、、、コレです」
しょうがない。
緑川さん達のだけど。
アヤカはガサガサと大きな紙袋から
キッシュが入った箱を取り出して開けて見せた。
「ああ!コレね!
前に警察に聞かれたんだけど、
私もわかんなくってねえ・・・。
いい匂いねぇ・・・よけいお腹が空いちゃうわ」
「あ、今日のキッシュはズッキーニとツナと
チェリートマトなんです。
ウチは日替わりで具を変えているんですよ。
姉さん、私達の分もあるんでしょ?
三上さんに食べてもらったら?いい?」
チカが三上さんにキッシュを渡す。
「あら、いいの?」
「もちろんです。
今度、お店にもいらして下さいね!」
まあ、いいか。
でも、三上さんもキッシュは知らなかったのかぁ。
もっとポピュラーになってもいいくらい、
美味しいのになぁ・・・。
って、ん!?
んん!?
警察?
キッシュ??
「あ、あの?三上さん?
警察に・・・キッシュのことを聞かれたって、
無くなったキッシュのことですか?」
アヤカがしどろもどろになりながら聞いた。
「無くなった?
ううん、私の目の前で見せてくれたから、
幻じゃあないわよ?」
目の前で!?
どういうこと!?
ああ、そうか。
「ええと・・・、刑事さん、
一之瀬警部補という警察官の方から
聞かれたんですか?」
自分で買ったキッシュを三上さんに見せて
こういうのを見なかったか聞いていたのかしら?
「ううん?違うわよ?
お巡りさんから。
あの事件の朝、お巡りさんがコレと同じ
モノを見せてくれてね、
何の食べ物かわかりますか?って聞かれたのよ」
ええーーー!!
朝?
一之瀬さんじゃない!?
だってウチに来て、買っていったのは、
夕方くらいなんだから。
・・・ユミちゃんが持って行ったキッシュは、
消えたのよね?
それが何でお巡りさんが?
落ち着け自分!
・・・お巡りさんが三上さんに
キッシュのことを聞いた。
じゃあ・・・そのお巡りさんは誰?
姉の慌てた様子に、
チカはキョトンとしていた。
「あの、そのお巡りさんって・・・」
アヤカの喉からかすれた声が出た。
「ああ!いつも、この辺をパトロールしてくれる
お巡りさんですよ!
ねえ、神主様!」
「あの、名前は・・・?」
「名前?名前ねえ・・・・」
三上さんが言い淀んでいると、
神主さんが替わりに答えてくれた。
「花沢さんと八幡さんです。
交代でこの益戸神社を含め、
いつも近所をパトロールして
見守って下さってますよ。
あの娘さんの事件の時も
一番に駆けつけてくれましたな。
あれは・・・八幡さんのほうでした」
!?
それ、それって・・・・!
確か、一之瀬さんが事件で最初に
カフェ・ヴェルデに来た時、
一緒にいた警察官がユミちゃんの遺体を
一番に確認したと言っていた。
そして、そしてその人の名前が・・・八幡さん!!
アヤカの頭上に雷のような衝撃が落ちた。
「チカ!」
「な、なあに!?急に大きな声出して!」
「あんた、今日公園で警官と話したって
言ってたわよね?
その人、事件の日に一之瀬さんと来た人と
同じだって言ってたわよね!?」
「え、え、そうだけど。・・・どしたの?」
急変した姉にチカがいぶかしげな顔で首を傾げた。
八幡さん。
益戸神社をいつもパトロールしている警官。
キッシュを持って
三上さんに聞いていたにもかかわらず、
一之瀬さんに報告していなかった。
・・・なぜ?
もしかして、
ウチのキッシュがあまりにも美味しそうだったので
黙って食べてしまったか、持って帰ったりして、
皆に言いづらくなってしまった?
・・・そんな馬鹿な!
警官ともあろう人がそんなこと
するわけないわよね?
落ち着くのよ、アヤカ。
冷静になれ!
・・・・・。
ユミちゃんを発見したといわれる
通報者を除けば、
八幡警官が第一発見者ということ。
通報を受けて一番に現場に来たという。
でも・・・通報者の正体は
未だにわかっていないのよね?
・・・・。
もし、もしもよ?
突拍子もない考えだけど、
通報者が実は八幡警官だったとしたら?
そして、一番に駆けつけた"お巡りさん"を
演じていたとしたら?
まだ警官が誰も到着しない間に、
現場を整理する警官として振る舞い、
犠牲者のユミに近づき、
堂々と証拠をもみ消すことも可能。
そうだ!
確か神主さんが、
ユミちゃんのスクーターの隣に、
警官の自転車が停まっていたと言っていた。
警官なら、被害者のスクーターは
すぐ調べるはず。
確か、警官の自転車の後ろに
荷物を入れる金属の箱みたいなものが
備えてあるわよね?
ユミの周りに撒かれたユリの花を見つけた時に、
キッシュも見つけることもできる。
そしてキッシュを自分の自転車に隠した?
なんで?
美味しそうだったから?
キッシュの正体が解らず、
世間話的な話で
三上さんにキッシュのことを聞いたの?
アヤカが一人、悶々と考えていると、
チカがパチンと両手を合わせた。
「そうそう、あのお巡りさん、
アンの幼稚園も見回ってくれてる人だわ!
あの人、丸顔で温和な感じだから、
小さい子達にも人気があるみたいね。
特に男の子にはお巡りさんは憧れのヒーローみたい。
・・・でもね〜、
あの人、アンはなぜか苦手みたい。
さっき公園で会った時もそうだけど、
緊張してるみたいで。
なぜかしらね?
お巡りさんが怖いのかしら?
あのお巡りさん、
人が良さそうな感じなのにね」
チカが首を傾げる。
それよ!
アンは時々カンが鋭い時がある。
子供特有の直感かもしれない。
八幡警官に怪しい雰囲気があると
直感的に感じていたとしたら?
・・・そうよ。
警官なら、証拠を残さない方法や、
証拠隠滅に精通しているはず。
プロだもの。
でも千田は?
関係ないのかしら?
だけど、警官なら柔道や護身術は
もちろん身につけているはずだ。
もし、八幡警官が千田も手に掛けていたとしたら?
・・・そうよ、あり得る。
物理的にはいくら千田のガタイが良くても、
力があっても、
警官相手には敵わないかもしれない。
それに警官なら、
街中にある監視カメラを掻い潜って、
千田のアパートに侵入することも可能なのかしら?
でも動機は?
千田が小田ハツエから脅して盗ったお金?
うーん・・・。
田辺アキホさんの殺害未遂は?
これは関係ないの?
彼女の存在、犯人の重要な証拠を握っていることは、
八幡警官は捜査チームの一員として、
共有した情報のはずだ。
いつ田辺アキホが益戸警察署に
来るかを知ることができた。
待ち伏せすることも可能だ。
でも、ユミちゃんとの接点は!?
ユミちゃんはこの神社に花を届けることは、
日課だったはずだ。
そして八幡警官もこの神社のパトロールを
している。
グリーンフラワーマーケットも範囲内だろう。
ユミを目撃したり、出会っていた可能性は大だ。
ユミとあの警官は知り合いなの?
でも、だったら、すぐ一之瀬警部補に
話しているはず。
・・まさか、ストーカー?
あの警官はストーカーなの!?
彼、幾つくらいだろう?
30歳くらいよね。
じゃあ、田辺アキホが持っていた写真には、
八幡警官が写ってるの?
だから、田辺アキホを襲ったの?
「姉さん?どうしたの?
さっきから変な顔ばっかしてるよ?」
失礼な!
ううん、そんなこと言っている場合じゃない!
あの警官、
考えれば考えるほど疑わしく思える。
・・ううん、考えるのは後!
自分の推理?は別にして、
消えたキッシュのことを隠していただけでも
あの警官は怪しい!
これは確かな証拠じゃない?
急いで一之瀬警部補に知らせなきゃ!
アヤカはスマホを取り出そうと、
コートのポケットに手を突っ込んだが、
ハタと手が止まる。
・・・こんな突拍子もない話、
一之瀬警部補は聞いてくれるだろうか?
警部補や久保刑事からすれば、
八幡警官は身内であり、仲間だ。
警察という仕事に一之瀬警部補も久保刑事も、
大変な誇りと使命を持っている。
それを同じ警官が悪用しているかも
しれないだなんて。
これを話したら即怒り出し、一蹴されるだろう。
下手するとアヤカのほうが逮捕されるかもしれない。
八幡警官が犯人だという証拠は、今のところ無い。
でも!
「おや、噂をすれば八幡さんが
いらっしゃいましたよ。
・・・お疲れ様でございます」
神主さんがアヤカの背後に向かって手を軽く振る。
アヤカの全身の毛が逆立った。
まずい!まずい!!まずい!!!
焦る気持ちとパニックに襲われ、
アヤカは振り返れずにいた。
徐々に自転車を牽く音が近づいてきた。
「御苦労様です」
「今晩は。お変わりありませんか?」
神主の労いに応える実直そうな声。
恐怖のあまりアヤカの心臓が跳ね上がった。
バクン、バクン、バクン。
ああ、この心臓の音、
周りの人達に聞こえていないだろうか?
ダメ!
いつもと同じにしなきゃ!
アヤカが八幡警官に対して、
不審に思ってることを悟られてはいけない。
相手は警官であり、
殺人者なのかもしれないのだから。
今はいつものように普通の態度で
やり過ごすのだ。
そうすれば、一之瀬警部補に電話できる。
アヤカは覚悟を決めて、
ゆっくり振り返った。
そこには満面の笑顔を浮かべた八幡警官が
自転車と共にいた。
今までだったら。
その笑みは市民の味方である
警官として、頼もしいものに映っていたはずだ。
でも今は、その笑顔は作り上げた仮面かもしれない。
その下に、
黒い本性が隠れているかもしれないと思うと、
そら恐ろしく感じるのだ。
まだ、アヤカの恐怖は
稲川さんと三上さん、チカには伝わっていない。
自分だけが緊張している。
アヤカ以外には和やかな雰囲気が
流れている。
よし、自分は冷静だ。
いつの間にか手水舎にいた
犬連れの二人はいなくなっていた。
巻き込まれずに良かったとホッと思う反面、
自分たちのピンチには変わらなかった。
この三人を危険なことに巻き込むわけには
いかない。
何とか、なんとか今は穏便にこの場を
やり過ごさなくては!
そうすれば、一之瀬さんに連絡出来る!
アヤカはそう決心し、
無理矢理、顔面の筋肉を動かし
笑顔を貼り付けた。
私、大丈夫?笑えてる?
気のせいか、顔が引きつっている気がする。
この寒空の下にもかかわらず、
襟足にフツフツと汗が浮かび、
背中に汗が一粒ツーーっと流れるのを感じた。
「今晩は。先ほどはどうも!」
チカがにこやかに八幡警官に挨拶していた。
「あ、今朝、公園にいらした方ですね。
お嬢さんと一緒にいらっしゃいましたね。
どうです?素敵な絵は描けましたか?」
「ええ!
沼にいたカモ達を描いたんです。
なかなかうまく描けたんですよ?
でも、お仕事大変ですね。
朝は香椎の公園で、
夕方はもうコッチで見回りされているんですね!
御苦労さまです!」
「いえ、それが本官の努めなので。
最近この辺りは色々事件で物騒なので、
見回りは欠かせません」
何を言っているの?
あなたが元凶なんじゃないの?
「ウチの娘の幼稚園にも見回ってくださっている
みたいで・・・」
「あら、お嬢ちゃん、どこの幼稚園なの?」
三上さんが話に割って入ってきた。
「あ、ウチの娘は益戸なか・・・」
ダメ!!
「チ、チカ!!」
「え!?」
まずい!
思わず話を遮ってしまった。
八幡警官に可愛い姪の幼稚園を知られるわけには
いかない。
悪人かもしれないのに、
アンを巻き込むようなことだけは
絶対避けなきゃ!
キョトンとするチカ。
「そ、そろそろグリーンフラワーマーケットに
行かない?遅くなるし!」
「あ〜・・・そうだね。お土産も渡せたことだし」
ホッ。
何とかここから離脱しなきゃ。
「じゃ、じゃあこれで失礼します。
行こう、チカ」
アヤカはチカのコートの袖を掴み、
引っ張った。
「ええ、それではお気をつけて」
神主さんがにこやかに言った。
「ホントにありがとね!
楽しみだわ!ウチの娘と一緒に食べようかしら?
あら、ねえ、このキッシュ?保つかしら?」
ギクッ!
「ほら、お巡りさん、こないだ聞いてきたじゃない!
キッシュってヤツを」
「・・・キッシュ・・・ですか?
いや、私は・・・・」
「いやねえ!忘れちゃったの?
ホラ、ケーキみたいな形の。
私もさっき貰ったんだけど、
食べるの楽しみだわあ!」
するとチカがニコニコと話に加わった。
「ウチの自慢のキッシュなので!
お巡りさんもお好きなんですね!」
「・・・ええ。美味しいですよね」
認めた!
「私はキノコのキッシュが好きなんですけど、
お巡りさんは?
どんなのが好きですか?
今後のウチのメニューの参考までに
お聴きしたいです」
「そうですね・・・何度か
お宅のキッシュを頂きましたが、
・・・サーモンのが美味しかったですね」
!?
「・・・サーモン?」
「はい!確かサーモンのほうれん草でした。
あと、玉ねぎも入っていたと思います」
「・・・・・・」
チカが目を大きく開き、八幡警官を凝視していた。
マズイ!
これ以上、ココにいたら危険だ。
「チカ!そろそろ・・・」
「でも、でも、サーモンは今まで・・・」
アヤカはチカの手を握り、
無理矢理引っ張った。
「すいません、約束がありますので、
これで失礼します!
行こ!チカ!!」
「で、でも姉さん、それあの日の・・・」
「いいから!!」
すると、何かを察したのか、
八幡警官の柔和な笑顔がいきなり消えた。
目がスーッと細くなり、
鋭い視線でアヤカとチカを見ている。
アヤカ以外の三人は気づいていないが、
すでに彼からドス黒い瘴気が立ち昇るのが、
アヤカにはわかった。
・・・もう確信した。
この人だ。
犯人は。
平穏な日常を送り、
愛する人との結婚を夢見ていたユミちゃんを、
無惨な姿に変えた犯人。
アヤカは無意識に八幡警官を
睨みつけていたに違いない。
警官はガチャンと音を立てて、
自転車のスタンドを立てた。
そしてアヤカを睨みながら、
腰に手を当てた。
警棒!?
まずい!
こっちは何も抵抗するものを持っていない。
そうだ、警官なんだから拳銃も
持っているはず。
まさか、つかうことはないだろうけど。
最悪だわ!
今ココで争うわけにはいかない。
「お巡りさん!」
アヤカが明るく話しかけた。
「お巡りさんもキッシュお好きなんですね!
ウチのサーモンキッシュ、大人気なんです!
先週もサーモンとえ〜と、コーン!
そう!この組み合わせで出したんですけど、
すぐ売り切れちゃったんですよ!」
「・・・・・・・」
チカは不安気な顔でアヤカと八幡警官を、
交互に見ていた。
「また今週の・・・え〜と、
水曜日!そう、あさっての水曜日に
サーモンのキッシュを出す予定なんです!
ぜひ、いらして下さいね!」
すると、八幡警官が少しだけ厳しい表情を緩めた。
「やあ、そうなんですか!
じゃあまた、伺おうかな?」
ホッ。
なんとか誤魔化せた!
「ではこれで!!」
アヤカは笑顔を貼り付けたまま、
チカの手を取り、踵を返した。
落ち着いて、落ち着いて。
早足にならないように歩くのよ!
頭の後ろにチクチクと八幡警官の
視線が刺さっている・・・気がする。
アヤカとチカは本殿裏の道に向かって歩き出した。
チカはさっきから無言のままだ。
チラと顔を見ると心なしか青ざめている。
(チカにもわかったのね)
「チカ」
アヤカが小声で話しかけた。
「慌てないで。
ゆっくりココから離れるの。
神社を出たら、一之瀬さんに電話するわよ?
いいわね?」
チカがアヤカを見て、
首をぎこちなくコクリと縦に動かした。
全てを悟ったようだった。
鉛のように重くなった足を懸命に動かし、
出口に向かって一歩、二歩・・・。
道に出れば!
こんなちょっとの距離なのに、
とんでもなく果てしない気がする。
ああ、誰か通りかからないの!?
そうすれば、すぐ助けを呼べるのに。
神様!どうか、守って!
あともう少し・・・もう少しで・・・!!
「何するんですか!!」
突然後ろから男性の叫び声が上がった。
悲鳴にも似た声にアヤカとチカは足を止め、
同時に振り向いた。
そこで見たのは、
八幡警官が三上さんの横に立ち、
頭に拳銃を当てる姿だった。
声を上げたのは稲川さん。
賽銭箱の横に立ち、
八幡警官と2メートル程の距離を空け、
袴姿の神主が対峙していた。
背中しか見えないが、
稲川さんの身体から怒気を発せられていた。
ザワザワと風が木々を揺らした。
三上さんはガタガタと震えながら、
渡した紙袋を胸に抱えていた。
顔は蒼白、
先程までの陽気なキャラは跡形もなく消えていた。
「そこの二人、こっちに戻れ」
アヤカとチカ見ながら、
静かな声で八幡警官が命令する。
最悪!!
アヤカとチカはソッと顔を合わせた。
(どうしよう!)
「早くしろ」
足に根が張ったみたいに
動けないでいた足をなんとか動かし、
ノロノロと来た道を戻る。
「・・・姉さん」
大丈夫よと、アヤカがチカの手を
もう一度ギュッと強く握る。
しかし、心の中ではどうしたらいいか、
フル回転で考えていた。
まずは八幡警官を落ち着かせ・・・
そこまで考えたが、
そもそも八幡警官は動揺した様子がない。
声も動きも淡々としている。
・・・これが訓練を受けた警官の落ち着きと
いうものか。
私が慌てちゃいけない。
相手は拳銃を握っているのよ?
でもどうやってこの窮地から脱出すればいいの?
落ち着け。
「どうしたんですか?そんなの持って」
アヤカはなるべく明るく声を掛けた。
冷静に話すのよ。
「あなたはわかっていたんですね」
「な、何をですか?」
「もう誤魔化すのはやめましょう。
・・・そうか、私もしくじりましたね。
まさか、あんなことでね」
すると、稲川さんが八幡警官に突進しようとした。
「何の話をしている!?
貴様、その手をどけろ!!」
「動くなと言っただろう」
八幡警官・・・いや、八幡が今度は三上さんの肩越しに、
稲川宮司に狙いを定めた。
神主はグッと足を踏ん張っていた。
膠着状態だ。
誰も動くことが出来なかった。
八幡はもう本性を現している。
良い人を演じることはやめて、
誤魔化す気も、
自首することなども考えていないようだ。
じゃあ、どうするの?
まさか、私達全員を殺そうとしているの?
そんなこと不可能だわ!!
どうやって言い訳するのよ?
・・・・ユミちゃんのように、
また通り魔説にするの?
どうする?どうする?
全員が助かるにはどうすればいい?
もの凄い勢いで頭の中で可能性を探る。
腕力では敵わない。
四人いるとはいえ、
コチラは70歳過ぎの神主様と、
50代であろう巫女さん、
そして、か弱いカフェの女性二人。
相手は護身術や武道を習得した警察官。
そして拳銃付き。
一瞬で全員を死に追いやることができるのだ。
・・・・・・・・・。
ん?待って、
そうだ。
ひょっとしたら・・・。
危険なカケだけど、まだ望みはある。
アヤカはチカの手を離し、背中に庇った。
「ええ、そうよ。
もうわかってるわ、あなたがやったこと」
アヤカが震えそうな身体に活を入れた。
「・・・・・・何のことです?さっきから」
稲川さんがアヤカをチラと見た。
「お巡りさん、犯人はあなたでしょ?
ユミちゃんを川に投げ捨て、
千田をアパートで殺したわね?」
「・・・・・・・・」
八幡は答えない。
こちらの反応を伺っているようだ。
「でなきゃ、こんなことしないでしょう?
いいお巡りさんを演じていたのに、
すっかり化けの皮が剥がれたわね」
「なっ!?」
稲川さんが八幡に向いたまま絶句する。
「この八幡警官、この人が
ユミちゃんをこの神社の横の
川に捨てた犯人です。
殺害したのは千田という男ですが・・・」
「へ〜〜・・・・やりますね。
素人探偵のわりには優秀だ。
一之瀬警部補が一目置くだけのことはあります。
その割に警部補は
私のことは全く気づかなかったようですが」
そう言うとクックッと小さく笑った。
認めた!
こんなに簡単に。
「とうです?
ほら、小説の探偵がよくやるように、
私が犯人だとココで立証してみては。
評価してあげますよ」
「その前に三上さんを離して!」
「それは出来ませんね。
・・・さあ、あなたも声を上げないで下さいね。
もし声をだしたら、間違って撃ってしまうかも
しれませんよ?」
八幡は三上さんをチラと見てから、
気持ち悪いくらい優しく声を掛けた。
三上さんは怯えながら、
コクコクと小刻みに首を縦に動かした。
この人・・・どういうつもり?
私に話をさせるなんて。
もしかしたら、
この間にも誰か来るかもしれないのに。
面白がってるみたい。
「どうしました?
こういう場合、探偵は語るものでしょう?」
・・・しょうがない。
今は大人しくするしかない。
話している途中で、
もしかしたら、誰かが通りかかるかもしれないし、
この状況を見て、助けを呼んでくれるかもしれない。
・・・一縷の望みはある。
「あなた、ユミちゃんをストーカーしてたわね?
ユミちゃん、かなり警戒してたみたい。
家の玄関にバットを置いておいたり、
この神社でお守りを買ったり。
でも、まさかお巡りさんがストーカーとは
気づいていなかった。
だって、あなたは勤務時間以外の時は
私服で付け回していたから。
制服の人が普通の服を着ていると、
案外気づかないものだし。
だから、たまにあなたに会うことがあっても、
あなただと気づかなかったかもしれないし、
わかってたとしても、
偶然だとユミちゃんは思っていた。
だってあなたはお巡りさんだもの。
たけど、あの朝・・・」
アヤカは小田ハツエがユミを突き飛ばし、
一時気絶して蘇生したユミを、
千田が殺したという推理を話した。
「・・・そしてあなたがユミちゃんを
川へ投げ捨てたのよ。
ユミちゃんのバイクから配達するはずだった
ユリを取り出し、川へ撒いた。
・・・あれは、あなたの弔いを表わしていたのね?」
すると八幡は構えた拳銃はそのままに、
アヤカにニッコリと笑いかけた。
「素晴らしいです。
手が塞がってなきゃ、拍手したいくらいですね」
「話したんだから、質問に答えて!」
アヤカは声を荒らげた。
「ほぼあなたの言う通りです。
私は、いつもこの辺りを
巡回していました。
朝のあの時間にユミさんがこの神社に
来ることはわかっていました。
真面目な女性でいつも明るく笑顔の絶えない
素晴らしい女性だ。
いつもキッチリ同じ時間に、
この神社に配達して、
お参りする姿も見ていました。
私はいつもお参りするのを本殿の裏側から
見守っていたんです」
見守る?
やっぱりコイツ、
ストーカーじゃないの!!
ムカムカする胸を抑えながら、
アヤカは聞いていた。
「あの日、あの女・・・小田ハツエが
ユミさんと揉み合って突き飛ばした後、
作業服を着た男、千田が通りかかりました。
私は咄嗟に屈んで隠れた。
すると、小田ハツエと千田がゴチャゴチャと
言い争いを始めました。
あの二人、ユミさんを殺した、殺さないで
揉めていた。
ユミさんが血を流しているのに、
助けようともしないで」
八幡は吐き捨てるように言った。
「でも、あなたも助けようとしなかったんでしょ?」
「・・・案外、犯罪現場に慣れていても、
その場になると動けないもので。
最愛の女性が倒れていて動揺していました。
助けなきゃと思いつつ、身体は動かなかった。
それから大通りのほうに向かって
二人が去った後、
ユミさんがピクッと身体を痙攣させたんです。
ゆっくり腕を動かし、
頭をおさえながら起き上がろうとしていた。
頭から出血していたので、
私もユミさんが死んだものと思い込んでいました。
ビックリしましたが、
私は喜んで助け起こそうと
物陰から出ようとしました。
けれどその時、あの男が舞い戻ってきた。
そうです、あなたの言った通りです。
ユミさんはまだ意識朦朧としていた。
それをアイツが・・・!!」
「千田がユミちゃんの首を絞めたのね」
アヤカが言葉を引き取った。
「そうだ!!
アイツも驚いていたみたいだが、
持っていたバッグを放り投げて、
ユミに馬乗りになって、
首を必死で両手で絞めていた。
アイツのあの顔!
私のいた場所からも顔が見えた。
・・・ユミさんは抵抗も出来ず、
ゆっくりと力が抜けていったようだった。
・・・そして、動かなくなった」
そこまで話すと八幡は怒りの形相に変わった。
「俺の!俺の女を!
アイツは殺した!
生きていたのに!改めて殺したんだ!!」
ハアハアと息を吐いた。
「でもあなたは止めなかったの?
ずっと見ていて、千田を止めようとしなかったの?
・・・あなた、警官でしょ!?」
「だって・・・」
八幡が恍惚とした表情を浮かべた。
「だってユミの顔が・・・
とても・・・キレイだったんだ」
何言ってるのコイツ!!
「放心したように空を見上げて、
顔が歪んで、美しかった。
今までずっと見てきたユミの中でも一番だった。
絵画のように素晴らしかった」
コイツ・・・狂ってる。
ヤバい、今までの丁寧な口調はどこかにいき、
もう一つの人格が出てきた。
このヒトは、
いわゆるサイコパスというヤツなの?
後ろにいるチカはカタカタと小刻みに震えていた。
それはアヤカにも伝わってきた。
怖い。
私だって怖いよ。
これ以上興奮させたら、
あの拳銃を使うかもしれない。
そうしたら、最悪の事態に。
・・・でも話を続けなきゃ。
冷静になるのよ、アヤカ。
「八幡さん、
・・・だから、だから花を、
あの白いユリを撒いたの?
あなたが好きなユミちゃんの最後を
美しく飾ってあげるために」
アヤカは静かに話しかけた。
「そうだ。綺麗だったろう?
白い花に囲まれて、髪が水に広がって、
可愛いユミの顔を縁取っていた。
何枚もスマホで写真を撮った。
見るか?お前たちも」
アヤカは吐きそうな想いだった。
「・・・千田は?」
「アイツか!
名前は後から知ったが、ここらをパトロール中、
水道工事しているところは何度か見かけていた。
オッサン達の中でも若くてガタイが良かったから、
工事現場でも目立っていた。
ココの後、
工事の請け負い会社を調べ、
ヤツの名前や住所を知った。
後は簡単だろ?
ヤツのアパートに行き、不意をついて首を絞めた。
そうだ、ユミと同じように、
首を絞めてやったんだ!!
後ろから羽交い締めにしてな!
コッチは普段着で行ったし、
俺はヤツよりも背は低い。
アイツ、俺のことなんて全然警戒もせずに、
ドアを開けたよ。
隣の者ですとか、何とか言ったっけ。
どうせ隣に誰が住んでいるなんて
アイツ、知らないだろうと思ってな。
でもまあ、あんなヤツなんてゴミだからな、
どうってことない」
「むぅ・・・」
稲川さんが唸った。
三上さんに至っては
話を聞いているのかすらわからない。
もう失神寸前だった。
「もういいだろ?
俺もそろそろ行かなきゃいけない。
パトロール中だしな。
さ、そろそろ終わらそうか。
まずはこのババァからか」
八幡はそう言って三上さんに向けていた
銃をアヤカ達三人に狙いを定めた。
「ま、待って!
お金、そう、お金はどうしたのよ!?」
「金?」
「そうよ!千田の持っていたお金よ!!」
「なんだ、そんなことか。
せっかくだし、もちろん頂いたよ。
あのババァを脅していたし、
部屋に無防備に置いてあったし。
アイツ、どこに斯くしていたと思う?
ベッドのマットの下に挟んでた。
わかりやすいだろ?」
「田辺アキホさんは?なぜ!?」
「田辺アキホ?
ああ、あの女探偵か。
昨日、捜査本部でその女の情報が
急にあがってきた。
この女が、ユミのことを調べていて、
しかも俺の写真を持ってるとか。
全くの寝耳に水だった。
だから田辺アキホに俺が連絡を取り、
別の容疑者が見つかった、
あなたの写真の人物は違うようだと話した。
益戸警察署に来るほどではない、
念のため確認したいから、
柏ふるさと公園で写真を受け取ると話し、
駐車場で待ち合わせした。
それで持っていた写真や資料も回収した。
確かに、俺が写っていたよ。
花屋の前にいた時や、
この神社にいる時もな。
だが・・・・チッ、しくじったな。
あの女、生きていた」
「そんな白昼堂々と殺そうとしたなんて・・・。
誰かに見られるとは思わなかったの?」
「警官は便利なモノを持っててね、お姉さん。
黄色いキープアウトと書かれた規制線テープを
持ってるんだよ。
それを駐車場に張れば、
まず、一般人は入ってこないね」
なるほど、そういうことか。
「で、でも田辺さんも女性とはいえ、
探偵のプロでしょう?
全くあなたに警戒しなかったの?」
「ん〜・・・まあ、してたかな?
でもこの制服を着てれば、
大抵の人間は油断するものだしな」
そう言うとクックッと笑い声を漏らした。
なんて奴!
警官であることを悪用するなんて!
「ふぅ〜〜、でもまあ、
彼女には悪いことをしたと思ってますよ。
悪い時、悪い場所にいたってことで。
タイミングが良くなかったですね」
・・・急に丁寧な口調が戻ってきた。
表情も穏やかになっている。
そう、まるで正義の味方、
庶民の味方のお巡りさんのように。
境内に四つの長い影を作り出し、
川の向こう側に陽が沈もうとしている。
更に寒さが増してきた。
アヤカの期待とは裏腹に、
誰も通りかからなかった。
そうか、事件のあった神社だ。
昼間はまだしも、
さすがに夕方に訪れようとする人は
すくないということか。
「・・・陽も暮れてきましたね。
私はそろそろ行かなければ。
・・・・話は終わりです」
八幡が拳銃の撃鉄を外す
無機質なガチッという音が、
無情にもこの世の最期の鐘のように
益戸神社に響いた。




