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*自由意志

一般的な聖書解釈とは大きくちがいます。

 昔話をします。

 これは昔に本当に起こったとされている話。


 私はその時代に生きていないので、実際に何が起こったのか、本当のところは知らない。そしてこの話は、あらゆる面で論理性に欠けている。だから私は信じることができない。


 なぜなら、誰も知らないなら、話す人はいくらでも嘘がつける。嘘をつかないまでも、話を大きくしたり、都合の悪い部分は隠したり、勘違いを真実のように話すかもしれない。記憶に残りやすいように、勝手に話をまとめたり、イメージを付け足したり、モチーフを置き換えたりするかもしれない。


 それらがすべて一度になされたとすると、人から聞いた話は、真実とは全くちがう出来事として記憶に残り、それがまた、勘違いや誇張や都合によって、どんどん人に広がっていくかもしれない。


 だから、私がこれから書くことも、私が人から聞いたときとは少し異なるかもしれない。私の勘違いと誇張と都合によって、私が聞いたときとは違う話になっているかもしれない。


 けど仕方ない。歴史というのはそういうものだから。

 では、話をします。




 昔、神様はひとりぼっちだった。この時点で神様は存在している。


 昔、神様を知らない人に、信者たちは力説した。人間や、地球や、宇宙の仕組みは完璧すぎる。明らかに何かの意思が加えられていて、偶然や進化によって形作られたはずはない、と。けど、こんなに論理的な彼らでさえ、神様が突然無の中に存在していることに関しては、何も説明はいらないそうです。


 なぜなら神様はすべてを超越した存在で、完璧だから。神様にとって千年は一日だし、一日は千年と同じだから。神様は人間なんかには到底理解できない存在だから。


 そんな完璧な神様でも、孤独は感じていたらしい。私なら、もしも完璧だけどひとりぼっちで寂しかったら、対等に話せる友達を創るけど、神様はそうしない。神様は自分を崇拝してくれて、命令に従ってくれて、ちやほやしてくれる天使をまず創り出した。それから、宇宙を創って、地球に植物と魚と動物を創った。そして自分に似せて人間を創りました。


 しかし天使たちも人間も、神様を崇拝して、命令に従って、ちやほやするかどうかは、自分で決めることができた。これを自由意志といいます。自由意志を使って、とある天使は神様に異を唱えました。そして彼は「サタン」と呼ばれ、悪魔になった。


 神様のくれた自由意志を自由に使ったので、天使は悪魔にされた。けど、人々は言いました。神様は、悪魔をすぐに殺すこともできたのに、しなかった。サタンが悔い改める可能性を信じて、神様は悪魔に自由を残した。


 だから神様は愛があります。



 人間もそうだった。自由意志を行使して、神様の命令に背きました。ここでは、それは「食べてはいけない果実を食べた罪」になっている。けど、これは論理的ではない。なぜなら食べてはいけないなら見えないところに隠しておくべきだから、そもそも食べることがそんなに悪いことのわけがないから、人は果実を食べるようにできているから、そう創ったのは神様だから。


 だからこの部分は真実ではない。話した人が、勝手にイメージとして加えた部分です。



 昔話というのは、人間が覚えやすいように、わかりやすいたとえ話でぬり固めてできている。だから昔話を言葉どおりに解釈してはいけない。人の話を言葉どおりに受け取って、揚げ足を取って批判してはいけない。


 なぜなら神様がこの世界を創ったのが、七日間であるはずがないから。人間の七日と神様の七日が同じ長さのはずがないから。ときどき、迷子が「七日で創ったなんておかしい。神様は嘘つきだ」と言う。だけどそれはお門違いなのです。神様の一日は千年かもしれないし、もしかしたら一億年かもしれないし、百億年でもおかしくないから。神様は人間にも天使にも理解できないから。


 それで、果実の話に戻ります。



「食べてはいけない果実を食べた罪」というのが、本当はなんの罪だったのか、人間が何をしでかしたのか、本当のところは知らない。けど、アダムとエバは神様を怒らせた。自由意志を使ったばっかりに。それで、二人はエデンの園を追い出され、完璧でなくなった。人間は死ぬようになった。その日のうちに死ぬと言われた。神様の一日は千年だから、聖書に千年以上長生きした人間の記録はない。


 人間は病や怪我で苦しむようになった。女は産みの苦しみを味わい、男は食べていくために働く苦しみを担わされた。動物は人間を襲い、ある植物は毒を持った。人間は恥を覚えて裸に気付き、知識を得たせいで、あらゆる悲しみが生まれた。


 けど、神様は優しい。

 愛がある。


 一人の男の命と引き換えに、またいつか、エデンの園を地上に与えると約束してくれた。辛いことがあっても、良いことが続いたとしても、変わらず神を愛し続け、信じ続けた人間にだけ、贈りものを用意した。


 困難の日、大かん難の日、終わりの日にも、善人であり続ける人だけが、ハルマゲドンを生き残って、エデンの園に行ける。ハルマゲドンというのは、天使と悪魔の戦争が行われた場所の名前です。


 悪魔は天の国から地に投げ落とされ、地上を闊歩していた。それで、終わりの日に傍若無人をふるい続けた。ときがくると、天の国から軍勢が降りてきて、悪魔と戦争をし、当たり前に神様が勝った。それは昔から決められていた。神様がそう決めた。


 だから、終わりの日は混乱が起きた。戦争が続き、病気が増え、地震がおこり、人々は愛を忘れて私欲を満たした。それは悪魔が怒り狂って地上をのたうち回っていたから。悪魔は神様の預言を知っていて、自分たちの終わりが近いことを知っていたから。最後に一人でも多くの人間を、神に背かせたかったから。


 その時代を、終わりの日、と呼びます。それは、世界戦争から二百年くらいのあいだをさす。そして預言どおりハルマゲドンが来た。その日は盗人のようにやってきた。


 そして地上は変わった。


 悪魔は地の底に幽閉され、神様を信じる、善人だけが生き残った。神様を信じない人や、悪魔に誘惑された悪い人は、ハルマゲドンで死んだ。神様を崇拝しないなら、生きていても仕方ないから。神様が創りたかったのは、愛のある正しい人間だけだったから。


 終わりの日に、悪魔は一生懸命、神様を信じない人を増やそうとがんばったので、ハルマゲドンを生き残ってエデンの園に暮らせる人はごく一部だった。それから、もっと昔に死んでいたけど、善人だった人も復活させてもらえた。彼らの数は全部で14万4千人だった。これも前から決まっていて、聖書にもちゃんとそう書かれています。



 ハルマゲドンで、人の世はすべて滅ぼされた。人が創った悪しき風習ーー偽物の宗教や、人間の政府、人が人を裁く制度、あらゆるカースト制度、ポルノ、愛のない思想、タバコ、暴力、資本主義は、すべて打ち砕かれ、なきものにされた。武器はスキやクワにとってかえられ、暴力的なスポーツや映画には誰も熱中しなくなった。ちりぢりにされた言葉はひとつになり、人は怪我をしない限り死ななくなった。壊された環境は回復に向かい、砂漠には緑が生え、怒りや憎しみは人々の意識から薄れていった。


 終わりの日、地上には70億もの人間がひしめき合って暮らしていたらしい。彼らは皆、堕落していたので、神様は彼らを滅ぼした。ノアの大洪水のように。ソドムとゴモラのように。


 けど、神様はもちろん、正しい人を生き残らせた。神様は優しいからです。優しくて愛がある。


 大洪水のときはノアの家族を8人助けたし、ソドムとゴモラの町からは、ロトと二人の娘を助けた。(ロトの妻は助けられなかった。彼女は振り返ってはいけないと天使に言われていたのに、振り返ったので塩の柱になった。しかしこれはもちろん覚えやすくするためのイメージで、なぜなら、振り返った妻が塩の柱になったことを、ロトと娘たちは知らないはずだから。家族は走って逃げていて、塩の塊になった妻を確認するには、立ち止まって振り返る必要があるから。何が起きたのか、真実を知っているのは神様と天使だけということになる。それなら、いくらでも、なんとでも言える)


 ハルマゲドンを生き残ったり、復活させてもらえた14万4千人の人々は、エデンの園で新しい生活を送れるようになった。彼らは正しく、愛があったので、神様は助けてくれた。ご褒美をくれた。それは永遠の命です。


 彼らの生きた時代、人の世を支配していたのは神様ではなくて悪魔だった。人々は堕落し、神様を愛することをやめ、悪いことも良いことだとうそぶいて、平気で推奨しました。それはたとえば、戦争とか、暴力的な楽しみとか、同性との性交とか、間違った神を信仰することなどです。


 彼らはそんな時代で生きることに苦痛を覚えた人たちでした。彼らは正しいのに、偏屈で排他的だと煙たがられた。人間の自由を奪っていると非難された。それで、彼らが人の世で生きるのは苦しいことだった。だから、彼らのことを今でも、厭世家と呼ぶ。厭世家というのは、「世間を忌み嫌う人」という意味だから。彼らはまったくそのとおりの人たちだったから。



 14万4千人のうち、半分くらいの人が、お互いに相手を見つけて夫婦になった。彼らは子を産み、その子どもはまた子どもを産んだ。夫婦にならなかった残りの厭世家たちも、その子どもや孫たちと、次々に夫婦になった。地上には人間が増えていき、神様のために生きた。地上は清くされて、全体がエデンの園になった。



 ただ、悪い人間は死なせることができても、悪魔を簡単に滅ぼすことはできない。


 人間を死ねる存在にしたのは、とても早い決断でした。「食べてはいけない果実を食べた罪」が本当は何を意味しているかはわからない。けど、この一回の過ちで、そしてそのあとアダムとエバが自分の罪をごまかそうとしたので、神様は人間を死ぬ存在にしました。とても怒っていたのです。


 それでも、悪魔を殺したことは、これまでに一回もない。天使や悪魔は、人間とはちがいます。体を持たない、霊者と呼ばれる存在だから。神様にとって、霊者は人間よりも特別。それは明らかです。



 霊者は人間よりも神様に近かった。神様はやすやすと彼らを殺すわけにはいかなかった。天使の中には、個人的に悪魔と仲良くしている者もいたから。人間はともかく、悪魔を殺したら、天使たちが神様の愛を疑うかもしれないから。霊者は人間よりも賢かったから。


 神様は天地創造から今に至るまで、一人も霊者を殺したことはない。だから霊者は一人も死んだことがありません。


 それで、神様はある作戦を立てて、霊者や人間に通達した。


 ハルマゲドンのあと、千年間の猶予を与える。正しく、愛のある、完璧な人間だけになったあとの千年間、政府は神の子が王となって取り仕切る。けど、悪魔を滅ぼしたりはしない。捕まえておくだけにする。


 その代わり、最後の百年間だけ、悪魔を自由の身とする。エデンの園を出歩いてもいいことにする。そこで人間を誘惑したり、天使といがみ合ってもかまわない。悔い改めるならそのときがチャンスだし、そこでもう一度、人間をふるいにかけることができる。



 これはいい方法です。なぜなら厭世家は選び抜かれた善人に違いないけど、彼らの子どもや孫や玄孫やその子どもたちが、本当に神様を愛しているのかは疑問だからです。


 そして、千年きっかりに、今度は確実に、悪の息の根を止める。そのときには、人間も悪魔も関係ない。霊者だろうと、神様はもう躊躇しない。そのあとで永遠に続く楽園のために、心を鬼にする。



 神様はこの千年間を、千年王国と名付けました。それで私たちもそう呼んでいる。

 



 これで昔話は終わりです。

 なぜなら、ここから先は現在の話になるから。私が書きたいのも、昔話ではなくて、現在と未来の話だから。

参考

マタイ 24:3−14

啓示  12:9、12。14:1−5。16:15、16。20:1−3

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