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◎ベールをかけたのは

 目を閉じて、静寂を待った。

 するどい痛みと、流血の後に来る死を。


「……え?」

 私の身体を、ざっくりと切り捨てたはずの刃。コバがふり下ろしたはずの、死の武器。それが、私の目と鼻の先でカタカタと震えていた。


 コバはぐっとそれに力を入れ続けている。なのに、日本刀はそこから一ミリも進まない。見えない空中に、壁があるかのように。コバが片眉を上げ、みるみる目を広げてーー。


「おいおい、なんてことしやがる」

 聞き慣れない男の声。うしろにいたコタローとはちがう、深い声がした。絹のようになめらかな、それでいて茶目っ気のある、わざとらしい声。


 コバがはっとして、私の前から飛び退いた。その瞬間、コバのいた場所が炎に包まれた。炎は一瞬だけ大きく燃え上がり、すぐにくすぶって青い炎に変わっていった。


「おや、さすがスメルんとこの厭世家だね。抜け目がないのは噂どおりか」

 なめらかな声がおかしそうに笑った。


 青い炎の中に、何者かが立っていた。純白のスーツを身にまとった、背の高い誰か。その誰かが、私をちらりとふりかえる。


 男だった。金色の髪、青空のようなすんだ瞳、ととのった目鼻立ち。イタズラっぽい目でウインクしたかと思うと、コバへ目を向けて片手をなでるように横へ振った。それに合わせて、コバのかまえた日本刀が地面へ刃を向けた。


「感心しないねえ。せっかくの知識を闇に葬り去ろうなんて、十字軍のころからやり方が変わってないじゃんか」

 ちっちっちっ、と舌打ちをして、男はにこやかに言った。

「もうちっと、学ばない? せっかく無知なんだからさあ。いくらでも吸い込めるでしょ。からっからのスポンジみたいな脳みそに」


 コバは眉間にぐっとしわを寄せ、男を嫌悪の目で見つめた。

「悪魔め」


 男はくすくす笑ったかと思うと、ぼう然と立ち尽くす私のとなりへさっと移動して、肩に手を回してきた。ぎょっとしている間に、ぐっと力をこめ、顔をのぞき込んでくる。

「ケガはない? あのこわーい厭世家に、いじめられてたでしょ」

「どう見ても、ケガをしているやつがここに一人、いんだけど」

 地面に座り込んだコタローがぼそっと言った。


 突然あらわれた悪魔は私の肩を抱いたまま「おれ、厭世家はきらいでさあ」とくすくす笑う。

「でも、しょーがないよねえ? 厭世家って天使といちゃついてんだもん。嫉妬しちゃうよ」

「厭世家と天使には職務以上の関係性はないわ」

 コバが切り捨てるように言った。


 悪魔は片手で「あいたたた」と頭をおさえ、首をふって笑った。

「冗談の通じないお人。言葉の揚げ足取ってないで、軸足取るのをおすすめするよ。そのほうが確実に相手をぐらつかせられるから。ああ、いやだな、そんな目でおれを見ないでってば。殺せるもんなら殺したいって目、しちゃってんですけど。見てよ、カヤちゃん。おーこわ。おれ、ちびりそう」

 けらけら笑って、肩に回した手で私の頭をぽんぽん叩く。


 怖くて、何も言えなかった。この悪魔は、たった今、私を助けてくれた。でも、冗談ばかり言っているこの悪魔は……私をがっちりと押さえ込んでいた。逃がさないように。


 悪魔の手に体温はなかった。感触は確かにあるのに、あたたかくもなければ、冷たくもない。空気かなにかに触れられているような、実体のなさを感じた。


「そんなに怖がらないでよ、カヤちゃん」

 悪魔が私の耳元でささやく。


 どうしてーー恐怖に震えながら、私は思ったーーどうしてこの悪魔は、私の名前を知っているんだろう。


「どうしてか、知りたい?」

 悪魔がにいっと笑顔を向ける。びくっとした。この悪魔はーー私の心を、のぞいている?


 コバが私たちをにらみつけ、事務的な声を出す。

「その子から離れなさい、罪深い悪魔。神の名の下に、ひれ伏しなさい」

「なにそれ。古っ。おばさん、もうちょっと時代遅れじゃない口上はできないの?」


 悪魔はからからと笑い出し、震える私の手をとってしげしげとながめた。

「きれいな手だね。ここ数時間で傷ついてるけど、平和に生きてきた『完璧な人間』の手だ。へえ、すてきだね。かわいいなあ。この手でノームを殺したの?」

「悪魔! その手を離すんです!」

 コバが叫んだ。悪魔はくすくす笑い、「ほら、見てよ」と言って私にうしろを示した。


 コバの怒りの目を無視するのは忍びなかったけれどーーそっとふりかえると、コタローが立ち上がっていた。コバと同じ、ぎらついた目で悪魔をにらみつけている。どきりとした。コタローって、こんな怖い目ができたんだ。


「カヤからどけ」

 コタローが静かに言った。

「コバも、どけ。ふたりとも邪魔だ。カヤはおれの人質だ」

「三つどもえってやつ? 君も大変だね、カヤちゃん。いろんなヒトに取り合いされて。モテモテだあ。うらやましいなあ」

「……」

「さっきから、頭が混乱しすぎてしゃべれてないね。大丈夫? ハローハロー、応答は?」

「おい、悪魔。いい加減にしろ」

 コタローが一歩、近づく。


 悪魔は私に手を回したまま横へ飛びのいて、3メートルもあいだを取った。コバとコタローが、私と悪魔に対峙する格好になった。


「おやおや、ごらんよカヤちゃん。こいつらさっきまで敵同士だったのに、今では一緒になって君を取り戻そうとしてるぜ。人間なんてそんなもんさ。共通の敵がいればあっちゅうまに同盟組んじまう。昨日の敵は今日の友ってね。一緒に悪口言う人とはすーぐ仲良くなれちまうのさ。霊者だって同じだよ? おれたち悪魔は神の悪口で盛り上がる、天使たちはおれたちの悪口で盛り上がる。ゲスいだろ。ゲンメツした?」


「……あなたは……」

 私はやっとのことで口を開いた。お、と、悪魔が目をきらめかせる。

「やっとなんかしゃべるぞ。おい、厭世家ども! この無垢な女の言葉を聞け! おれは耳をすまそう」

 にこっと笑うその顔は、まぶしいほどだった。


 天使とどうちがうんだろう。彼は完璧で、美しく、清らかだった。そう見えた。彼を悪魔だと知らなければ。


「あなたは……なんという名前なんですか……」

 やっと言葉にできたのは、そんな質問だった。


 コバが眉をひそめ、コタローが「はあ?」と拍子抜けして肩を落とす。そうだよね。なんでそんなアホみたいなこと、聞いちゃったんだろう。もっと他に知るべきことが、大事なことが、あったじゃない? たとえばーー私をどうするつもりなんですか、とか。


 悪魔はにっこり笑っていた。笑顔が、ひりつきすぎて、裂けてしまうかと思った。左右にびりびりと破れて、下から怪物があらわれる。そうなればいいのに。


「おれの名前はね」

 悪魔は私の耳に口を寄せ、ひひっとかすかな笑い声を立てて、私を震えさせた。

「パイモン」

 悪魔は言った。ぞっとした。こんなに近くまで口元を寄せているのに、まったく息がかからない。

「知識の悪魔、パイモンだ。よろしくねーーカヤちゃん」



「悪魔、今すぐその子を離しなさい。天使スメルの従者である私がーー」

「はいはい、君の噂は知ってるよ。霊者にも臆しない、孤高の厭世家」

 パイモンは私の耳元から顔を離し、背筋を伸ばしてコバとコタローに向き直った。


「おまえ、スメルの旦那を脅しつけた厭世家だろ。霊者に刃を向けるなんて、恐れ入るね。一介の人間ごときが」

 コバはあごをそらし、パイモンをにらんでいた。となりでコタローが、なにか悟ったように目を広げる。


「カヤちゃんに教えてあげよう。何も知らないみたいだから。この女の担当天使には、旦那がいてねーーいや、妻、と表現したほうがいいのかなあ。なにしろ霊者にはカタツムリみたく、性別がはっきり決まっちゃいないからさ。しかしそいつは、つい50年ほど前に、堕天しちゃったんだよ。この女のせいでね」

 私は口をぽかんとあけた。コバが顔をしかめて口をはさむ。

「私はスメルの命令に従ったまでです」


「そうそう、スメルが言ったんだ。妻が離縁を申し立てているのを引き止めてほしい、ってな。あいつはたしか、他の仕事で嫁さんのご機嫌を取りにいくことがかなわなかったんだ。それで厭世家に行かせた。カタブツだから家庭より仕事を選んじゃうタイプなんだな。この話、おまえも聞いたことがあるだろ? 日本人の厭世家」


 パイモンに名指しされ、コタローはコバを横目で見ながらうなずいた。

「……まさかこの女だったとは……どおりでえげつない……」

「人からどう思われようと結構よ」

 コバはふんと鼻を鳴らした。パイモンはにっこり笑って私を見た。


「こいつ、スメルの旦那にこう言ったんだ。離縁は認めない、今すぐスメルのところへ戻れ。でなけりゃおまえは悪魔にならざるをえなくなる、ってさ」

「……でも、そんなこと、いくら厭世家が言ったって……」

「そう、霊者が人間の脅しに屈するはずがないと思うだろ?」

 パイモンは額を押さえてからから笑った。


「ところがこいつはやりのけたのさ。スメルの旦那は、最初は丁重に送り返そうとした。あれこれ贈りものを用意してな。それをこいつは、呪いの言葉で返したんだ。聖書の言葉も織り交ぜて、卑猥な言葉もスパイスに入れて。なっ?」


 にこにこと訊くパイモンに、コバは顔色ひとつ変えずにまばたきを返した。

「見てきたように言うのね」

「おれはなんでもかんでも知りたいのさ」

 パイモンがニーッと笑う。


「こいつはスメルの旦那の世話している人間たちのところへ行って、あれこれ吹き込んだ。できるだけ真実で、あいつの評価を下げるようなことをな。それから、迷子の可能性がある者を試し切りしようとしたり。それで結局は旦那が根負けしたんだ。もっとも、やつが選んだのは悪魔に成り下がることだった」

 パイモンは私を見て、下唇を突き出し、しょぼくれた顔をした。

「ひどいだろ?」


「霊者のくせに、婚姻の誓いを破るほうがおかしいんだわ」

 コバがきっぱりと言った。パイモンがくつくつと笑う。

「『死がふたりを分かつまで』? おれたち霊者は死ねないのに、ずいぶんと厳しいことをおっしゃる」

「死ねないけれど、完璧でしょう」

「おいおい、完璧なんざ求めるなよ。大事なのは『遊び』だろ?」


 パイモンが私の両手をとり、くるくると回る。私は催眠術にかかったように、その場で回っていた。手に持っていたコタローの猟銃は、そのままだった。パイモンは私の手首をつかんで、あははと笑った。


「楽しいなあ。なあ、カヤちゃん、一緒に行こうよ。厭世家なんか放っといて、もっと楽しいことしよう。おれがなんでもやったげる。おれは霊者で、なんでもできるよ。今から地球の裏側にだって連れてったげるし、うまいもんいくらでも食わしてやるし、やりたいことなんだってさしたげる」


「だまされるなよ、カヤ。甘い言葉を並べても、しょせん悪魔だ」

 コタローの冷たい声が響いた。


 パイモンが足を止め、にこにこしながら私の頬をなでた。その手が首筋を沿ってうなじに向かい、ぐっと引き寄せられ、顔が近づく。私は固まったまま、動けない。パイモンの不自然に完璧すぎる顔が、目の前で笑いかけてくる。鼻と鼻が触れそうなほど、近い。


「離れなさい、知識の悪魔!」

 コバが叫んだ。パイモンは私のうなじにかけた指を、かき抱くようになで付ける。


「おれはなんでも知っている」

 パイモンがささやくように言った。

「でも、おれは知識を求めているーー矛盾してると思わないか。誰であろうと、求めるならば、手元に持ってないってことだ。欠けているからこそ、欲しくなっちまう。全知の神は知識を求めようとはしないし、知識のある者になろうとは思わない。すでに知っているからだーーなあ、カヤちゃん。君は知識を求め続ける悪魔が、知識を持っていると思うか? おれが知識の悪魔だと思えるか?」


 パイモンの顔は笑っていた。けれど、その顔はさっきまでとちがって見えた。この悪魔は、さっきまで人をからかって笑っていた。けれど、今はちがう。自分へ付けられた「知識の悪魔」という二つ名を、自虐的に笑っているんだ。


「おれは悲しい。ほんとだぜ、厭世家のお二方」

 パイモンはコバとコタローに目を向け、わざとらしくため息をついてみせた。


「知識を求め続けるかぎり、おれは知識の悪魔にはなれない。なのにおれは知識の悪魔と呼ばれ続ける。言葉だけが実態から離れて、一人歩きしてんだ。気持ち悪いとは思わないか? この世に言葉なんざなければよかったのにさ。他人に伝えるツールなんか、なければよかったんだ。ほんと、心底、気持ちが悪い……なあ、コバ」


 パイモンが笑いかける。コバはじっと、日本刀をかまえて油断なくパイモンをにらんでいる。


「おれは君の本気の言葉が好きだよ。君の過去、君の人生、君の環境、すべてがない交ぜになって君の言葉になる。コタロー、君もだ。バックボーンがあって、考え方があって、君の言葉の一つひとつが形成されていく。そこに嘘はない。本気しかない。なんて素晴らしいんだろう。これこそ『知』じゃないか? 誰が、どうして、何を思って、何を言ったか。大切なのはそこだろ? 言葉だけを取り出しても、そこにはなんにもない。からっぽだ。気持ちの悪い、形骸化した言葉の羅列。そんなものになんの価値がある?」


 パイモンは私の頬を両手で包み、じっと私をのぞき込んだ。私も、パイモンの目から視線が外せなくなった。うすくすんだ、淡い青の目。なのに……なんて、暗い目。


「気持ち悪いなあ、カヤちゃん」

 パイモンは私を見つめ、ぽつりと言った。

「君はなんて気持ちが悪いんだろう。なんにも、聞こえやしない。君の過去、君の人生、君の環境……いったいどうして、君はこんなにからっぽなんだろう」


 私はあとずさりした。地面の割れ目に足を取られ、転びかけるのをパイモンが支える。パイモンは私の背中に伸ばした手をぐっと引き寄せ、顔を近づけた。背筋に悪寒が走り、さっと顔を背ける。パイモンはひひっと笑い声を上げてーー私の耳をべろっとなめた。


 コバとコタローが一歩、こちらへにじり寄った。パイモンが私から片手を離し、ふたりに向き直って手を挙げる。


「おっと! 嫁入り前の子にはまだ早かった? しかし君も不思議な人だね、マグダレーナ」

 コバの顔がぴくりと動く。ひひっと笑って、パイモンは眉をつり上げた。


「さっきまで殺そうとしてたくせに、レイプされそうだと思ったら助けたくなっちゃうの? どこまでいっても厭世家はお人よしだな。それとも自分の過去とダブっちゃって、だまってられなくなっちゃった?」


「これ以上の問答は続けても意味がないわ」

 コバが小さな声で言った。コタローが「そうだな」と答える。

「パイモン、カヤを離せ。そいつは何も知らない。おまえの知りたがっていることはカヤを通しても知り得ないぞ」

「そいつはわからないぜ、コタロー」


 パイモンはにこにこ笑った。私のうしろに立ち、腰に手を当てて盾のようにしながら、私の肩の上にあごをのせ、ひひひと笑う。


「なあ、なんでおれがなんでもかんでも知ってるか、わかるか? おまえらの名前も、過去も人生も全部わかっちまうのはどうしてか、教えてやろうか?」

「わかった、きいてやるよ」

 コタローがつまらなそうに言った。額には相変わらず汗をかき、血に染まった肩をぐっと押さえている。


「三分ですませろよ」

「おれはさ、コタロー。おまえらの心をのぞいてるんだ」



 コタローと、コバ、それから私の時が止まった。パイモンはにいっと笑い、「別におかしなことじゃない」と言った。


「知識を得るにはそれしかないだろ? 人間の心も霊者の心もためらうことなくのぞいて回る。そうすりゃ、この世のありとあらゆる知識が自分の中に蓄積されるんだ。ひとりの心はたいしたことがなくても、何億と見ていけばどんな専門書よりも実際的で正確な情報が手に入る。しかも形骸化していない、本気の言葉で」


「ありえないわ」

 コバが冷たく否定した。

「霊者には人の心も、もちろん霊者の心も見すかせない。それは神だけの特権だわ」


「神の特権なんかじゃない。神が持ってるとすれば、それは『プライバシーを侵害しても許される特権』だ。いいか、霊者は人間の心を『見ないでやってる』んだ。霊者同士の心だって、のぞいたりせず遠慮してる。お互いのプライバシーを配慮してんのさ」

 パイモンはくくくと笑った。


「たとえばこうだ。友達とお買物に行ったとするな。終わりの日のたとえだぜ? しばらく遊んで、相手はかばんを置いてトイレに立つ。このあいだ、友達の財布の中身を確認するか、否か? 普通は見ない。相手を信用しているし、自分も信用されたいなら、そこは守るべきマナーだ。だが、神は別だ。神は何を知っていてもいい。どんなことをしても許される。おれは神と同じことをしているだけだ。マナーなんかくそくらえ! 神と同じことをして何が悪い、と思っているだけの、心優しい霊者なんだぜ?」


 コタローが首をふった。ありえない、というふうに。

「アリトンは秘密の悪魔だ。おまえにだって知らないことはあっただろ。霊者の心ものぞけるなんて、うそだ」

「そうとも、それが厄介だ。『エデンの外』にかけられたベールと一緒さ。霊者は人間とちがって、本当に見られたくない心の秘密にはベールをかけてしまえる」


 パイモンは私のお腹に手を回し、うしろからかかえこんで、悲嘆にくれるように頬を首筋にこすりつけた。パイモンの手が、ゆっくりと移動していくのに嫌でも気付く。右手が上に沿っていき、指が胸にあたる。左手が下に沿っていき……またの下に指が滑り込まれそうになって……。


 震えた。

 いやだ。

 でも、逃げられない。

 パイモンがくくくと忍び笑いをもらして、再び両手を私のお腹に這わせていった。


「なのに、ああ、なんてこった。おれに知らないことがある……人間のくせに、この女にベールがかけられている。こんなのってあるかよ。こんなことができるのって、人間じゃねえよ」

「……どういうこと?」

 コバが眉を上げる。コタローも不可解な顔で私を見た。


 私は息もできずに首をふった。意味が分からない。つまり、私は。


「そうだよ、カヤちゃん。おまえの過去、人生、環境。全部にベールがかかってる。君からは何も感じない。ノームを殺した方法、肝心の、霊者を殺す方法が、おれにはさっぱりわからない。おい、まじかよ。だれだよ、こんなことしたやつは。どこのどいつが、カヤちゃんの言葉を、からっぽで、形骸化した、無意味なもんにしちまったんだ?」


 気持ち悪い、とパイモンはつぶやいて、お腹に回した手を首に移した。

「おい!」

 コタローが叫ぶ。パイモンはからからと笑った。首に回した指に、力が入る。


「おまえにベールをかけておれに見えなくさせたのは……ノームだろうか?」

 息ができない。なんとか言葉をしぼり出す。

「……私は何も……」

「……それとも……神だろうか?」


 コバが日本刀をかまえ、我慢できないとばかりに歩き出した。

「彼女を離しなさい」

 コバは言った。

「あなたが知るべきことは何もない」

「へえ、そう?」


 パイモンの手がゆるまる。私は咳をした。喉に手を当て、涙目になるのをこらえた。コバはすぐそこまで来ている。

「私が終わらせてあげるわ」

 コバがカタナをふり上げる。標的はーー私。


 瞬間、パイモンが私の手から猟銃を奪った。パイモンは慣れた手つきで安全装置を解除し、さっとかまえて銃口をコバに向けた。コバが日本刀をふり下ろす、その瞬間。


 コタローの怒鳴り声とともに、銃声が響いた。



 悲鳴が止まらない。口に手を当てても、力が抜けて尻餅をついても、私は「それ」を見て叫び続けた。頭を撃ち抜かれた、コバを見て。


 パイモンは銃口をコバに向け、心臓、そしてみぞおちへ続けざまに弾を撃ち込んだ。猟銃を足元に捨て、コバを蹴って仰向けにする。そしてその顔に、鼻に、目に、しみひとつなかった革靴のかかとをガンガンと落とし続けた。


 血が飛び散る。音が、生々しく響く。コバの顔は、もう原型をとどめていない。赤黒く血に染まり、頭蓋骨は割れて、脳みそがあたりに散らばった。


「『知るべきことは何もない』、だと?」

 パイモンのイラついた声がぼそぼそと耳に届く。

「『知るべきことは何もない』? おれが? 誰に向かって言っている?」


 パイモンは笑った。狂気に満ちた声で。は、は、は、と、区切るように笑っていた。


「用がないのはおまえの脳みそだ。もう全部見た。おれ以外にはもう誰も知らない。誰も! 神は別だ。神だけは……ああ、くそっ!」

 最後にふり下ろされたパイモンのかかとは、コバのあごを粉砕して向きを変えた。


 つま先の方向はーー私。パイモンが私を見おろす。さっきまで純白だったスーツが、血の色に染まっている。その顔に、表情はひとつも浮かんでいない。その目に、感情はひとつも見えては来ない。


 口を閉ざす。恐怖が支配する。悪魔という名の恐怖が、私の心を握りつぶそうとしている。


「カヤちゃん。おれは知らなきゃ。君にかかってるベールの向こう側が知りたい。おれに隠された真実が知りたい。なあ、肝心なとこを教えてくれよ……こうはなりたくないだろう?」

 そう言って、コバだったモノに目を落とす。


 パイモンは、わあ、と声を上げた。

「キモチわり」

「パイモン……もしもカヤにベールをかけたやつがいるとしたら……誰なんだ?」


 コタローが小さな声で問いかけた。肉塊となったコバには、目を向けないようにしながら、必死で私に視線を送っている。落ち着けと、伝えようとしている。


「誰かって? そんなの神に決まってるだろ」

 パイモンはあっさりと言った。コタローは眉をひそめた。

「神が、どうして?」

「あたりまえだろ。知られたら困るからさ。『霊者を殺す方法』だぜ? でも、それだけじゃない。それだけで、『口に出せないほど恐ろしい秘密』にはならない……もうひとつ、踏み込んで考えてみな」


 応用だ、と言って、パイモンは私の目をのぞき込んだ。私を引っぱり上げ、立たせてあごをつかむ。逃げられない。私は悪魔の目を見つめ返した。


「『霊者を殺す方法』がわかれば、おのずとわかる……それはもちろん、『神を殺す方法』に決まってる」



 目の前がぐらついた。この悪魔はーーいったい何を言ってるの?

「さあ、神を殺そうぜ」

 口元が、三日月のように広がった。

「そうすりゃ、預言は全部チャラになる。千年王国はしまいだ。悪魔は滅びずにすむかもな」

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