◎謎
「何言ってんだおまえ。頭にウジ虫わいてんじゃねーの」
あっけらかんとコタローが言う。
私はハンドルを握ったまま、じっと前だけ見つめていた。となりの座席でくり広げられているやり取りを無視して、車のライトがてらす闇を見てた。
コバはスカートのポケットから折りたたまれた紙片を取り、コタローに差し出した。がさがさと、コタローがそれを広げる。
私はちらりと目を向けた。紙には、文字がびっしりと書き込まれていた。恐ろしいほど正確な人相書きと、大まかな服装が描かれている。赤のシャツと白のパンツ姿の女。
ーーちゃんとえりにあしらった金のボタンも再現してよ。そこがアクセントなのに。
「おまえ、カヤって言うのか?」
眉をつり上げ、ふんと息を吐きながら、コタローがつまらなそうに言った。私はだまっていた。
「で……ノームが殺されたってのは、まじなのかよ」
「事実よ」
コバの声は淡々と響いた。まるで、これっぽっちもショックをうけていないように。雨はふるものだ、とでも言っているように。
「ノームは本日未明、守護者の家で勤務中に信者に呼び止められた。そして手紙を受け取り、ほどなくして死にいたった。問題の信者というのが、あなたのとなりで今まさにアクセルを踏み抜こうかと迷っている、その女だという証言がそろっているわ」
震えをごまかすために、ますます強くハンドルを握りしめた。コタローの視線を感じる。心臓が悲鳴を上げているみたいだ。これ以上はげしく波打ったら、やぶけて死んでしまうといわんばかりに。
「おまえ、本気でそんなこと言ってるのか?」
コタローの声は、びっくりするほど軽かった。完全におちょくって、馬鹿にした響きでコバを笑っている。コバのほうでは、にこりともしなかったけれど。
「ノームが死んだ? で、人間が殺した? おいおい、厭世家様よ、終わりの日に変な漫画でも読みすぎたんじゃねえの。神が悪魔を殺したってんならわかるぜ? あるいは悪魔が天使を殺したってのも、まあぎりぎりわかる。だがな、人間に何ができるってんだよ。相手は霊者だぜ? かすり傷ひとつ作れるもんか」
「だから連行するのです」
コバの声は冷たく、感情がうかがいしれなかった。
「実際に何が起きたのか。カヤがどう関わり、どうして巻き込まれたかを明らかにするために」
コバの口調は淡々として変わらない。そりゃそうだ、事務的にもなるだろう。彼女は厭世家ーーつまり、守護者の家で働いている、特別な人間なんだ。
この世を統治しているのは、神の一人子と霊者たちの支えによる。人間は、そこに介入してはならない。しかし、政の一端を、人間の中で厭世家だけが、関わることを許されている。公務の執行を、一部あずけられている。
「……まじかよ」
コタローの声はそれまでの元気がなかった。どこかかすれて、私に向けた目も、覇気がない。
「ほんとに死んだのか? おまえ……ノームが死んだところを、見たのか?」
どうする。どうすればいい。コバの両手は下がっていて、車に乗っている私からは見えない。だけど、その右手にはまだ、しっかりと日本刀が握られているはずだ。
厭世家にのみ所持を許された、終わりの日の武器。人を傷つけるための道具。人を屈服させるための道具。人を殺すための道具。
「だからおまえ、こんなとこ出歩いてんだな」
コタローがぶっきらぼうに言った。
「天使が死んだから……」
「余計な事件が起きたせいで、休暇が台無しです」
コバは肩をすくめた。
「この区域を管轄している厭世家と連絡がつかなくて」
コタローは鼻で笑った。コバを見あげ、首をかたむける。
「勤め人は大変だね。もう辞めちまえば?」
「お気遣いどうも。余計なお世話よ」
「あはは、ごめんごめん」
調子の狂っていたコタローの声が、だんだんおちょくる響きを取り戻していた。それでも、やはりどこか気が抜けている。それくらい、ショッキングなニュースだ。
天使が死んだ。
一人の人間のせいで。
そして、その人間とは、この私。
「神はなんか言ってんのか?」
コタローの質問に、コバは首をふる。
「恐れ多くも神のみ言葉はそう聞けるものではありません。我々は自らの判断でーー」
「つまり、やっこさんはまた、だんまりを決め込んだってわけだ。はじめて霊者が死んだこの事態になっても」
くつくつと笑い出すコタローを、コバは冷たい目で見おろした。
「神は人間の罪に干渉しません。だからこそ、エデンの外で迷子たちが好き勝手をしても、我々はほうってきました。救えない人間にいくら言葉を投げたところで、意味がない。しかし、霊者が殺されたとあっては、さすがに天使たちも動かないわけにはいかないわ」
「じゃ、独断で行動してんだな。おまえと、おまえの担当してる天使は」
そういうことだろ? と、コタローはにやつきながら言った。
「神の命令でもないのに、いつもとちがう動きをしてる。それじゃあ、おれはおまえに従う義理はねえな。組織ってのはボスが決めたことを遵守するもんだろ? おまえのやってることは、暴挙と変わらん。捜査令状を取ってから出直しな」
私はとなりで目を丸くしていた。信じられない。この男、いくら迷子だからって、どうしてここまで言えるの? 相手は厭世家なのに。人間の中で、最も神に近く、あらゆる権限を与えられた、特別な人間なのに。なんでこいつは、物怖じせずに笑っていられる?
「私が付き従う守護者スメルは、トーキョーに向かうバスにカヤが乗っていたことを確認しました。バスジャックをした三人の迷子から、勇気ある行動で逃げのびた信者たちが証言したのです」
「へえ、あいつら無事だったのか」
コタローがけたけた笑う。コバは冷たくにらんだ。
「八人のうち、四人は亡くなりました」
「あらま、それはお気の毒」
私ははじめて、コバに顔を向けーーそれまでは、目でチラチラと見る勇気しかなかったーー訊いた。
「復活できたんですよね?」
「ええ、天使の祈りによって」
コバの顔は、相変わらずにこりともしない。
「一人をのぞいて、復活できたわ。残念ながら、乗り合わせていた二世はそのまま亡くなったけれど」
私は絶句した。そのまま亡くなったって……それはつまり……。
「人は見かけによらないねえ」
コタローの声が、どこか乾いた響きを持って聞こえた。
「ま、それがあの人の寿命だったんだろうねえ」
コバは私の目をとらえ、「ご安心を」と冷たく言った。
「あなたも天使の死に気が動転して、このような迷子についてきてしまったのかと思いますが、神はすべてを理解してくださいます。あなた一人の手でノームが殺されたなど、誰も考えてはいない。怖がることはありません。私に身をあずけてくださいませんか」
「へえ、じゃあ、この女はまだ『信者』認定されてんだな。ひやひやしたぜ。もしかしたら、あんなにがんばったのに、『迷子』を拉致したのかと思ったよ」
コタローの言葉に、コバは視線をおろした。そこではじめて、あるものに気がついたようだったーーコタローの持つ、猟銃に。
コタローはのんきに笑っている。この期に及んで、まだ笑っているのだ。まだ、自分の思いどおりにいくと信じている。私を「人質」として使うつもりでいる。
「もしかしたらおれ、超ラッキーかもな。だって普通の信者より、ノーム殺害の重要参考人の方が、はるかに人質としての価値があるってことだろ?」
コタローの言葉は、耳慣れないものだった。重要参考人? それって、私のこと?
いいや、コタローは最初から、どこか普通とはちがっていたんだ。終わりの日に使われていた言葉を、やたら知っている。オートマ車の使い方を知っていたり、看板の文字を読んだり……それに。コタローは、ノームの死は知らなかったようだけれど……ノームのことは、知っていた。
でも、どうして?
「カヤは私が責任を持ってあずかります。あなたは……」
コバはちらっと、コタローの足元につっこまれた猟銃を見た。
「お仲間のところへ戻ったらいかがです?」
「今、向かってるとこさ。この女……カヤを連れてな。残念だけど、あんたはお呼びでない。戻ったらいかがです? お仲間んとこへ」
私はヒヤヒヤしながらこのやり取りを見つめていた。
「なあ、神がアクションを起こしたのって、ハルマゲドン以降、一度もないよな」
コタローは重い空気など気にもとめずに、へらっと笑った。
「おれは心配してるんだ。やっこさんは風邪でも引いて寝込んでるんじゃないかってね。そう思わないか? あまりにも人間に無関心すぎるだろ」
「ママ、こっちを見て、ってとこかしら?」
コバの声は、背筋がこおりつくほど冷たく響いた。
「もっと僕を見て、もっと甘えさせて、もっとかまって……願ってばかりで、感謝なんてない。愛されることを望んでばかりで、自らは愛することを学ばない」
車の外で風が吹く。コバは顔にかかった前髪をかきあげ、汚物を見る目でコタローを見た。
そうか、と思った。この人にとって、コタローの言葉は、子どものわがままと同じ。愛してもらわなければ生きられない赤ん坊と、何一つ変わらない。いつまでも神をけなし続ける悪魔や迷子が、愚かな子どもに見えるんだ。
「吐き気がするわ。前時代と何も変わらない人間が楽園に住んでいるという事実が、不快でならない。祈りを願かけと見なし、神を一方的な愛に満ちた虚像ととらえる人間が、私たちのうちから生まれ出る。私の絶望があんたに想像できるかしら」
くくくと、コタローは笑う。
「いんや。おれはおまえじゃないから、わかんね」
こいつ、よくもまあ。
でも、と、コタローは首をかしげてみせた。
「おまえはおれについて、少しでも想像しようと努力したのか?」
どきっとした。
「おまえはおれの絶望を、想像したことあんのかよ?」
私はそっと唇を噛んだ。
コバだけじゃない。私だって、コタローの気持ちなんか、想像しようとすらしなかった。
だって、迷子だから。
だって、悪魔の側だから。
しかし、コバはコタローの言葉を切って捨てた。
「また、他人への要求ね」
コバはゆがんだ笑みを浮かべた。
「恥ずかしいとは思わないの? 与えられたことに感謝せず、与えられないことにばかり目を向けて、文句を言っている幼稚さに。あなたは反抗期の子どもと何一つ変わらない。少しは識別力をはたらかせなさい。神は愛があるけれど、人間に自立心をお望みでいらっしゃるわ」
「神の代理人は、みんな同じようなことをおっしゃる」
コタローは腰を落とし、ずりずりと座席に身をしずめて、遠くを見る目で笑った。
「何を言っても、『ああ言えばこう言う』で、終わりになる。正しいのはいつも神。矛盾点をいくらあげつらっても、悪いのはあら探しをしているおれたちだ。神はボスで、あんたらはイエスマン。神を持ちあげて、反対意見はすべて『悪』で片付けられる。悪魔の戯れ言、悪魔のささやき、悪魔の誘惑……おもしろいよな。神に言わせりゃ、悪魔は悪いことが好きだから、悪魔になったらしい。じゃあ、天使は善いことが好きだから、天使なのか?」
「天使は神に付き従うから、天使であり続ける」
コバは首をふった。
「でも、あなたの言うことはひとつ当たっているわ。私たちは悪魔の側についた人間が何を言おうとも、耳を貸さないことにしている。時間の無駄だからよ。さあ、カヤ、車から降りなさい」
「降りたら殺す」
私は動けなかった。そっとコタローを見て、ぎくりとした。コタローはいたずらに深く腰かけていたわけじゃない。腰を落として、猟銃の引き金に手をかけていた。銃口は天井を向いていたけれど、まばたき一回分の時間さえあれば、私かコバに向けることができる。
「この女を連れ出したいなら、天使でも呼ぶんだな。厭世家様よ」
コタローは口の端を上げて笑った。もう、おちょくるような調子ではなかった。半分寝ぼけたような、それでいて、怒りを抑えて表情がこわばったような。そんな笑い方。
「まあ、無理か。おまえを担当している卑怯者の天使は、自ら出向く度胸もないもんな」
その言葉に、初めてコバの眉がぴくりと動いた。
「何をもってして、天使スメルを卑怯者と呼称するのかは、さっぱり意味が分からないけれどーー」
「おいおい、わかってんだろ。どう考えてもおかしいだろ。霊者が一人死んだんだぞ?」
なあ? と、私に目を向ける。
身をよじって座り直し、手にはしっかり、猟銃を抱えている。
「霊者はそもそも、死すべき存在じゃない。なのになんで死ぬ? おかしいだろ。こんな大事件を、なんで一人の厭世家ごときに投げる? スメルってやつはボンクラなのか、それともこれは天使の間では予測されていた事態だったのか? もっと考えろよ。変だとは思わないのか? おまえ一人派遣して、自分は守護者の家でコーヒーでもすすってんのかよ?」
「……人の目に、神は理解できない」
コバがつぶやいた。
「霊者の心も同じことよ」
ダンっと、鈍い音が響いた。コタローが頭をダッシュボードに打ちつけたのだ。
「……都合が悪くなったら、それだ。便利な言葉だよな」
コタローは身を起こした。おでこがほんのり赤くなっている。私を見て、笑う。
「ごめんなあ。おまえ置いてけぼりで、議論に花咲かせちまって」
「……」
何も言えなかった。私はさっきからずっと、口をつぐんで、人形みたいに座っているだけだった。
あまりに恐れ多くて、さしはさめる言葉もない。会話に参加しただけで、罪悪感に押しつぶされてしまいそうだ。他の誰が聞いていなくても、神は必ず聞いている。行動に移すことがなくても、きっと聞こえてしまう。
私はどっちだろう。コバの言葉と、コタローの言葉と。どっちに心を動かされているの?
「……私は立場上、本来は迷子を導く役目があります」
コバが静かに言い、コタローはふり返って彼女をにらんだ。
「へえ?」
「しかし、今回はその余裕はない。私に下された命令は、カヤをエデンの園へ連れ戻すこと。あなたはこの地区を担当する厭世家と、心ゆくまで議論を重ねるといいわ。そのあとで自分が何を決めるかは、本人の自由よ」
コタローは笑った。
「自由意志、ね」
「わかったら、カヤを……」
「一個だけいいかな。ホントに一個だけ、訊いときたいことがあんだけど。マジで、意地悪とかあおりじゃなくて、長年の謎を、ハッキリさせときたいんだけど」
コバは片眉をつり上げ、うさんくさそうな表情を浮かべながらも、肩をすくめた。
「何かしら?」
「天使は善いことが好きだから、天使なのか?」
私は眉をひそめた。コバもそう見えた。いや、唇を引き結んだだけ?
「……さっき答えたでしょう」
コバは静かに答えた。
「天使は神に付き従うからこそ、天使であり続ける」
「そこに愛は必要かな?」
コタローは猟銃を抱え込み、つぶやくように言った。こいつは……何を言ってるの?
「善い心は必要なのか?」
「……質問の意味が分からないわ」
「いやいや、シンプルにさ」
コタローは目を上げ、コバを真正面から見すえた。
「神に忠実でいるのと、神を愛することはイコールじゃないはずだ。ちがうか?」
「愛しているからこそ、忠実であり続けるのであって……」
「ちがうだろ。ぜんっぜんちがう。社長の言うことを聞くのは給料がもらえるからだ。社長を尊敬して全幅の信頼をおくのは、一部のあつくるしい社員だけだ」
何を言ってるの。コタローの言葉の意味が、私にはわからない。社長? 社員? 給料? それって、終わりの日の文明の話でしょう?
「たとえがわかりにくいってんなら、神と霊者をひとつの家族に置き換えてもいい。それでも、全員が同じくらい仲良しでいられるもんか? 派閥が割れるとしても、たった二つに分かれるもんか? そうじゃないだろ。身内にだって、愛のないやつはまぎれてる。そんなの、確率でいったら不思議でもなんでもない。愛がないことと悪魔になることは、本来なんの関連もないはずだからな。悪いけどさ、コバっていったか。おれはおまえの担当する天使が、どうも信用できない。だから、正直に答えてくれ。あんたの目から見て、おまえをたった一人でここへよこしたその天使は、本当に愛にあふれた霊者なのか?」
コバはしばらく何も答えなかった。心臓が、脈打っている。コタローの言葉が、頭をかき乱す。
天使。
それは私たち人間の守護者。神に忠実で、愛にあふれ、悪を嫌い、人々を正しい道へいざなう。
誰もがそう信じていた。
誰もがそう言っていた。
人々のイメージする天使はどれも一定で、平均的で、文句の付けられない正しさの象徴だった。
だけど、もしも彼らに人格があるとしたら。いいや、人格はあるのだ。だって自由意志があるからこそ、悪魔が生まれたのだから。だったら、個性だってあるはずだ。個性があるなら、いろいろな霊者がいても、おかしくない。愛がないからといって、信仰がうすいからといって、神に反逆するまででもないような。そんな霊者が、いてもおかしくはない。
おかしくないのに、どうしてその可能性に思いをはせると、こんなにも背徳感におそわれてしまうんだろう。どうして、何かとんでもないことに気付いてしまった気に、なってしまうんだろう。
「あなたはつまり、こう言いたいのね」
長い沈黙のあとで、コバが口を開いた。
「霊者は人間と同じように、不完全で、悩みがあって、弱い存在であると」
「ああ」
コタローはあっさり答えた。
「実際、神だってそれほどメンタルが強いようには見えないしな。自分の息子をあがないの犠牲に立てておきながら、その時がくれば心を痛める。なんとも人間くさい、いい神じゃんか」
コバはまたしても口を閉ざした。
そんなふうにだまりこくられると、不安になる。だって、コバは厭世家でしょ? どうして、迷子なんかの言葉に、ゆれているの?
「悪魔はもともと、全員天使だった」
コタローは言った。
「だけど、今ではその半分が悪魔と呼ばれている。奴らは善い連中だったのに、いきなり悪くなったってのか? ちがうだろ。神を愛していても、やり方に我慢ができないやつだっていたはずだ。神を愛していないのに、特に不満もないから天使でい続けているやつだっているはずだ。そうじゃないか? どちらか一方でしかないと決めつけるなんて、霊者に対して失礼だろ。あいつらは人間よりももっと豊かで、理知的で、割り切ることも現実も知り尽くしているはずだ。そう思わないか?」
コバは何も言わない。
コバは私なんかよりも、天使と一緒にいる時間が長いはずだ。ときどき守護者の家に行って、祈る私とはちがう。霊者について、よく知っている。
厭世家は天使とともに働いている。でも、昔だったら考えられないようなことだったにちがいない。天使と一緒に働くなんて。
終わりの日。天使や悪魔は、神と同じように遠い存在だったと聞く。ハルマゲドンが来るまで、コバは現実を何も知らずに、ただ想像するだけで良かった。天使や悪魔はこういうものなんだと、人々と語り合うだけだった。
天使は善で、悪魔は悪。
わかりやすい二元論。
しかし、今は。
コバも、現実を嫌というほど知っているはずだ。
「……あなたはもう取り返しのつかないところまで、落ちているようね」
コバは静かに言った。
「神や霊者を、人間と同じように不完全で揺れ動くものだと信じているから、そのような下世話な考えにたどり着くのでしょう。心ある天使に導かれることを祈るわ」
「謎は謎のままか」
コタローはへらっと笑った。久しぶりに、軽い笑顔を見た気がした。
「おれのために祈ったりすんなよ。時間の無駄になる。それに、神のヤローにおれの名を思い出させるな」
最後の言葉は、吐き捨てるように言った。
コバは肩をすくめた。
「今のあなたに何を訴えかけても無駄でしょうね。おしゃべりはやめにしましょう。カヤを引き渡しなさい」
「ドアを開けたら、殺す」
コタローが私につぶやく。コバはため息をついた。
「こんなことを無垢な迷子に言っても、仕方がないのはわかっているんだけど」
そう言って、座っている私たちからも見えるように、日本刀をかまえた。
「大人げないわよ。目覚めなさい」
コタローはその刀を見て、こらえきれなくなったようにぶはっと笑った。
「なあ、どうでもいいけど、なんでおれが無垢な迷子だって決めつけてるわけ?」
「あら、自分は信者だとでも言うつもり?」
「ちげーよ」
コタローはコバよりも冷たい目をして、口元だけで笑った。
「迷子の厭世家がいたって、いいじゃねえかって言ってんだ」
コバが手元をゆるめた、その一瞬をコタローは見逃さなかった。
「出せ!」
そのとき、私は逃げ出したって良かった。車から降りて、コバに助けを求めたって良かった。
でも気付いたら、思いっきりアクセルを踏み込んでいたんだ。