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*音のない真実と心の嘘

 アリトンが私を作ったのは地の底が解き放たれたから。


 それで、自由になった悪魔たちがまた人間にちょっかいを出せるようになった。それで、アリトンは人間のパーツを集めて私を作った。


 アリトンは準備が整うと、さっそくエデンの園に歩いていって、「最も美しい顔」の持ち主を探した。それで、その人間を殺して頭をもらってきた。


 そのあと、アリトンは盗んできた頭をしげしげと眺めた。そして、耳が気に入らなかったので、エデンに出かけていって、気に入った耳を奪った。今度は耳だけだったので、殺す必要はなかった。


 アリトンはこうして、目玉と鼻と身体と胸と手と脚と爪と髪の毛を手に入れた。天使たちは怒って、アリトンがエデンに入ることを禁じた。


 これは神様の命令ではないので、アリトンはそうしようと思えばいつでもエデンに入っていけます。しかし、そうすると天使たちはすぐさまアリトンに気がついて、彼女を取り囲んで「外へ出ろ」と怖い顔をするそうです。


 それでアリトンはエデンの園には行かない。私もエデンの園には行ったことがありません。



 ハルマゲドンのあと、地上にはエデンの園が戻った。人間たちはまた、罪を犯す前のアダムとエバのように、幸せで心配のない生活に戻りました。そしてそれは、老いもしなければ死にもしないことを意味する。ただしこれは善い人間だけに限った話です。


 厭世家は数ある人間の中から「善い」と判断された選ばれし人たちなので、彼らは霊者と同じように完璧。けど、彼らの子どもたちは必ずしも善人とは限らなかった。


 ノアの時に善人だけ選んだはずが、すぐに悪い人間たちが増えておごりはじめ、バベルの塔を建ててしまったように。ソドムとゴモラの火を逃れて山地に逃げ込んだロトの二人の娘たちが、父親を酔わせて関係を持ち、子どもを作ったように。


 それで、人間は普通に暮らしていれば千年王国の終わりまでは生きていけるけど、運悪く事故が起きて怪我をすれば、死んでしまうことがある。彼らは信心がなければ復活することもできません。


 エデンの園では、「不老」だけど「不死」ではない。



 地上にはエデンの外がたくさんある。それはたいてい、終わりの日に人間たちが大勢集まって暮らしていた大都市です。


 アリトンは私や他の迷子たちが暮らせるようにしてくれた。私が住んでいるエデンの外は、トーキョーと呼ばれている廃墟です。悪魔たちはここに、ベッドや服や食べ物なんかを用意してくれた。


 悪魔にそそのかされて、やっぱり神様を愛せないと気がついた無垢な迷子たちは、エデンを捨てて外へ逃げてきた。なので、ここトーキョーにもそうした人間がたくさん住んでいます。そしてイトナやガズラもそうした迷子たちです。


 悪魔の手助けは気まぐれなので、迷子たちはいつでも仕事をしていなければ生きていけない。それは終わりの日と同じ。


 終わりの日には人々は貧しかったので、働かなければ生きるのが難しかった。それは神様が人間に与えた罰だったのに、働くことが善いことで、働かない人間は善くないと思い込む人々もたくさんいました。


 迷子は悪い人間なので、当然働かなくてはならない。なぜなら、働くことは罰だから。神様がアダムに与えた苦しみであるから。神様に背く人間は苦しまなくてはならないから。



 イトナは私が命を得る前から、この家にいました。彼は厭世家の息子で、二世とも呼ばれている。つまり本来であれば、彼は厭世家の次に善人に近いはずだけど、彼はアリトンを慕ってここにいる。なぜならアリトンは彼の恩人だから。彼はアリトンに感謝しているから。


 イトナはエデンの園にいるとき、ちゃんと耳が聞こえていた。しかし彼は厭世家の両親や兄弟姉妹や他の人間たちや天使たちに関わるうちに、あることに気付いたそうです。それは、どんな善人であっても、思ったとおりのことを話しているわけではない、ということ。


 たとえば厭世家は無垢な人々を導こうとする、そして時には叱り、時には褒める。しかし思いどおりに導こうと思ったら、普通は嘘をまぜたり、大袈裟に言ったり、わかりやすいイメージに置き換えて話す必要がある。


 アダムとエバは木の実を食べたせいで罪を犯したのではなく、何か罪を犯したことでもって、イメージとして木の実がシンボルに使われたのと同じように。


 けど、イトナはこの、「イメージの置き換え」に我慢ができなかったのです。彼にとって、それはエバに知恵の実をすすめるヘビの嘘と同じだった。イトナは、すべての嘘は悪だと信じていた。


 彼は兄弟姉妹や知人や天使をつかまえて、あれこれ質問した。その質問とはこうだった。

「神を愛しているか?」

 それでたいていの人は答えて言った。

「私は神を愛している」

 それでイトナは言った。

「あなたは隣人を愛しているか?」

 人々は言った。

「私は人々も愛している」

 イトナは言った。

「神と人々と、どちらをより愛しているか?」

 そしたら人々はほとんどこう答えた。

「とても比べられないよ、イトナ。愛に上下をつけることはできない。神の愛はもっと大きくて底がないのだから。神のことも人々のことも、もちろんあなたのことも、同じくらいに愛しているよ」


 この答えにイトナは納得しなかった。ちっとも納得できなかった。なぜならそれは、イトナの目に論理的でなかったからです。


 イトナは両親に同じ質問をして、両親が同じような答えを返すと、こう言った。

「私は愛に上下をつけている。例えば私には18人の兄と弟と姉と妹がいるが、私は全員を同じだけ愛しているとは言えない。私が一番愛しているのは歳が16離れた弟で、二番目は母だ。そして次に神を愛し、四番目には28離れた兄を愛している。その次が父で、そのあとは昔なじみの友人となる。人は神ほどに完璧ではないから、こうした「愛の上下」が存在すると私は思う。それで、もう一度訊く。あなたたちが本当に愛するのは誰か」


 厭世家の父と母は、イトナの言葉を聞いて、ひどく動揺したそうです。父親は天使に相談し、母親は愛が足りなかったのか、と、泣いて自分を責めた。そして結局、二人はイトナの質問には答えなかった。


 イトナは正直な言葉が欲しかっただけだった。論理的な答えが聞きたかっただけです。彼は神を愛していたし、家族や周りの人々も愛していた。ただ、彼は自分の考えていること、思っていることを正確に伝えることこそが、正しいと思い込んでいたのです。


 これはあとでイトナが気付いて私に教えてくれたことだけど、人生は物語ではない。誰かに読ませて感動させるための小説や映画や歌とはちがう。


 物語であれば、因果関係は守らなければならない。たとえば愛する妻が死んだ男は、因果関係を守るなら、そのまま悲しみに暮れて酒浸りとなる。たとえばいじめられた人間は、因果関係を守るなら、そのまま家に引きこもる性格となる。


 しかし、因果関係を守る必要は、本当はどこにもありません。妻が死んでも気を取り直して新しいことをはじめてもいいはずだから。いじめられても何くわぬ顔をして遊び回ってもいいはずだから。

 

 物語であれば、謎は解き明かされねばならない。たとえば人を殺した犯人は名指しされ、殺人の動機を人々に語らねばならない。たとえば嘘を言った人間は糾弾され、真実が日の目を浴びることにならねばならない。


 しかし、現実はちがう。殺人の現場はそのまま迷宮入りとなってもおかしくない。嘘はそのまま歴史となってもおかしくない。


 人生とはそのようになっています。


 人が心の奥底で考えていることを明らかにする必要などないし、何が真実で誰が間違っているのかを推理したり追求したりすることは物語の中だけで行えばいい。現実でそれらをするのは、馬鹿だけです。


 それでイトナは馬鹿でした。


 彼は真実を知りたかった。しかし厭世家も天使も、彼の望みの役には立たなかったので、イトナはエデンの外へ行って、悪魔に会いました。


 悪魔は嘘つきです。そして悪いことが大好き。


 しかし悪魔は、人を傷つけるのに一番役に立つ言葉が、その人が目を背けている真実だということを知っていた。だから、アリトンはイトナの願いを聞き入れた。


 イトナはアリトンにお願いした。どうか人の心の真実を教えてくださいと。アリトンは悪魔なので、イトナの願いが彼自身を不幸にするとわかって、承知した。


 アリトンはイトナに言った。人の心の真実が聞こえるようになる代わりに、おまえの世界から音を奪おう、と。イトナはかまわなかったので承諾した。


 彼は馬鹿だった。今なら彼は賢いから、きっと拒否してそのままエデンの園の自分の家に戻って、二度と迷子にならなかったと思う。なぜならイトナは、後悔しているはずだから。


 アリトンはイトナから聴力を取り上げて、作りかけの人形にそれを移し替えた。その人形とは私のことで、つまり私の聴力はイトナから奪ったものです。イトナはそれで、耳が聞こえなくなった。代わりに、イトナは人の心がみんな聞こえるようになりました。


 イトナはアリトンと取引をしてすぐに、またエデンの園に戻って、厭世家の父と母に会いに行った。すると彼らはイトナが迷子になったのを知っていて、「どうか考え直してほしい」と言って、優しく息子を抱きしめた。


 彼らの心はきれいだったの、と私が訊くと、イトナはいつも少しだまってから、こっくりとうなずきます。


 彼らはイトナを叱ったり、怒鳴りつけたり、おどしたり、洗脳したりはしなかった。ただ、愛する息子も自分たちと同じように、神の愛で守られてほしいと願っていた。彼らは善意からそう思っていた。イトナにはそれがわかった。


 きっとそのとき、イトナは初めて気がついたのです。自分が知ろうとしていた「真実」が、とても些細で、ちっぽけで、どうでも良くて、悪魔に聴力を売る価値もないことに。


 しかし、彼は同時に、両親の心の真実も知ることになった。彼らの心が、イトナにはすべてわかってしまった。それで、彼はここにはいられない、と思ったそうです。


 何故そう思ったのか、イトナは具体的に教えてくれない。人の心を盗み聞きすることに、罪悪感を抱いたのかもしれないし、両親が愛するリストの順番で、自分が思ったよりも下の順位だったからかもしれない。悪魔に願いを叶えてもらった自分が、裏切り者のユダのように感じられたのかもしれないし、両親が心の片隅で、イトナを諦めかけていたからかもしれない。


 イトナは私に教えてくれない。けど、そのあとイトナがどうしたかは、私は知っている。


 イトナは父と母の元を去り、一番仲の良かった弟にさよならを告げに行った。彼は声に出して、謝罪の言葉を弟に言った。それが、イトナが声を出した最後でした。


 彼はちゃんと言ったつもりだったけど、自分の声がまったく聞こえなかったので、きちんと弟が自分の声を聞き取れているかどうか不安だった。すると弟の心の声が聞こえてきて、それはこう言っていた。


「イトナ、この馬鹿兄貴め。おまえのことを本当に愛していたのに、ダメなのか。あんなに仲が良かったのに、敵なのか。もう神を愛してはいないのか。おれはどうしたらいい。敵になってしまうなんて、いやだ。イトナ、たのむ。おれは迷子にはなれないのに」


 弟は悩んでいた。弟もイトナも、お互いに強い兄弟愛で結ばれていた。それでも、イトナが迷子になってしまえば、関わりを断たねばならなくなる。神も兄も愛する弟にしてみれば、これは身を引き裂かれるような苦しみだった。


 イトナは弟の苦しみを取り除こうとした。弟と憎み合わずにすむようにした。イトナは弟を殺した。


 それで、これがイトナの罪です。



 彼は今でも、弟のことを思い出すのか、ひとりぼっちで泣いているのをときどき見かける。泣いているイトナは、私が何も言わなくとも私に抱きつく。それは彼も心が欠けていて、人と肌を重ねていたいからだろうと思う。


 イトナは何も聞こえなくなった代わりに、人が何を考えているか、全部聞こえてしまうようになった。なので、彼は無音の世界で生きているわけではない。


 彼が聞こえているのは人間が心の中で考えていることであって、すっかり忘れていることや、考えないようにしていることは聞こえないらしい。それでも、イトナが聞こえることはたくさんある。


 人間はだまっていても四六時中何かを考えている。それで、イトナは人ごみが嫌いになった。人がたくさんいればいるほど、心の声が増えて、わんわんとこだまするので、うるさくて気が散るらしい。


 けど、彼にも心の声が聞こえない相手がいます。それは人ではない者。

 具体的に、霊者と私。


 私の声は聞こえない、とイトナは手話で私に示した。それはもったいない、とガズラは笑った。なぜなら、カエラは声も素敵だから、アリトンが選び抜いた、美しい声をしているから、と。


 けど、イトナは私の心の声が聞こえないことが嬉しいのだそうです。なぜなら、心の声が聞こえないのは普通のことだから。私と一緒にいるときは、イトナは普通だったころの自分に戻れたような気持ちになるから。弟を殺してしまう前の、信者だった自分でいるように錯覚するから。


 しかしもちろん、昔のようには戻れない。時間は「在る」もので、過去の出来事は動かないし、罪は決して消えない。


 イトナの罪が消えないように。イトナの弟が生き返らなかったように。


 神を愛する善人は、たとえ死んでも、「守護者の家」で復活することができるそうです。死者を運んで行き、天使とともに祈ることで、信者は再び目を覚ます。そして、彼らは死んだ前のことをすっかり忘れた状態で、再び生きることになる。


 イトナが弟を殺したのはこのためです。



 死んだ人間は記憶を失う。自分の名前だけでなく、家族や愛した人や神のことまですっかり忘れ、新しい人生を一からはじめることになる。


 だから、弟が復活したあと、イトナはそっと離れるだけで良かった。何もかもを忘れた人間は、守護者である天使や、周りの優しい人間が導いてくれる。エデンの園に住む信者たちは必ず、一度死んだ善人をあたたかく迎え入れてくれる。


 そうすれば、イトナは弟をときどき思い出すだけで良かった。どこかで幸せに生きていると信じていけた。自分のことを忘れて、新しい愛を見いだしていると確信できた。


 しかし、イトナの弟は、いくら祈っても、生き返ることはなかった。



 弟は、心の中では「神を愛している」と言っていた。なのに、神は弟を生き返らせてはくれませんでした。神を愛する人間であれば、死者は復活するはずです。


 もしかしたら、弟は自分の心にも、知らずに嘘をついていたのだろう、とイトナは手話で示した。


 本当はそう思ってはいないのに、なんとなく、みんなと同じように自分も神を愛していると、思い込んでいたのかもしれない。自分で自分に暗示をかけ続けていたのかもしれない。だから、イトナは弟の心を聞き間違えてしまったのかもしれない。


 そうだとすると、イトナは憎み合う必要のない弟を殺してしまったことになる。イトナが神を愛するのをやめて、弟も神を愛していなかったのなら、二人は一緒にエデンの外へ行けば良かったのです。なのに、イトナは弟を殺してしまったことになる。


 それはあんまり悲しいので、神様が悪いことにしよう、と私は言った。


 イトナの弟は本当に心の底から神様を愛していたのに、生き返らせてくれなかった。神様は意地悪で、ひどいね。


 そう言ったら、イトナは私の頭をぽんぽんなでて、口を動かして「ありがとう」の形を作った。それで私はにっこり笑った。

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