93 油地獄
こんな話をしていると、嫌でも思い出すのは自分自身が生まれる前の記憶。
僕がヤマダ=ユキムラとしてでなく、百年前を生きた戦国の猛将――、雷公ユキムラだった時の頃の記憶。
あの頃はまだシンマ王国はなく、その前身となる風林火山影雷の六州が天下の覇権を巡って争っていた。
僕の前世、雷公ユキムラは雷州の主として他五州と戦った。
そんな僕が来世でまた雷領と名を改めた同じ土地を統治することになるとは、数奇な運命としか言いようがないんだけれども。
とにかく、前世の雷公ユキムラが戦った五州の長の一人に、火公モウカがいた。
モウリ=カエンの先祖となる者だ。
モウリ姓は、シンマ王国が成立してから初代シンマ王によって与えられた屈服の証で、当時は火公モウカは火公家の長としか呼びようがなかったけれど。
アイツもまた滅茶苦茶厄介なヤツで、いざ戦うとなったら本当にげんなりさせられたものだった。
『侵略すること火の如し』
それがモウカ率いる火州のモットーだった。
振るう『天下六剣』は火剣。
燃え栄る炎の剣。
火公モウカは、その烈火の剣と、炎のように狂暴な軍勢を率いて、常に向こうから襲い来る凶兵だった。
戦う時はいつも必ず攻めいくさ。
守るということを知らない。
一度は火州の本拠地を襲撃して救援に戻らざるを得なくなる策を講じたが、モウカのヤツかまわず目前の村や町を焼いて回り、結局一兵も救援に割かなかった。
以後は本拠地を作らず遊兵となって現れては襲う。
非常に厄介極まりない相手と化してしまった。
そんな狂猛者も、後の初代シンマ王となる影公ヤスユキによる徹底した焦土戦術によって敵地で食むことができず、補給を断たれたところを虱潰しの山狩りを受けて追い込まれ、最後には降伏。
火領と改められた旧火州から一歩も出ることを許されず、荒れ果てた領地の再建に努めさせられたという。
以上は、僕自身の前世での記憶と、生まれ変わってから学んだ歴史の知識を総合した経緯であるが……。
* * *
「……モウリ家は、というか火公家はだいぶ変わったな」
そんな感想を漏らさざるを得なかった。
「以前は目に付くものを片っ端から焼き尽くすだけの狂人であったのが、百年かけて代替わりすることによって。その性質を根本的に変えた」
今回、火公モウカの子孫であるモウリ=カエンが仕掛けてきた侵略――、そう、これはまさしく『侵略』と定義していいだろう――、は完全な搦め手だ。
物質的にではなく、思想、経済、心理において他者を自分の色に塗り替えようとしている。
「侵略とは征服の過程を指す言葉であり、征服とは相手の歴史、文化、思想をまったく別のものに塗り替えることだ」
以前の火公家は、その器である肉体ごと焼き尽くすことでそれを成そうとしたが、火公家がモウリ家と改まってから様相がガラリと変わった。
ヤツらは女という液体を使って、器を壊すことなく染み込み、脳中を内側から焼き尽くす。
そういう搦め手を取るようになった。
「百年という時を退化にしか費やさなかったヤマウチ家とはえらい違いじゃないか。お前ら本当に負けているぞ」
「その主張については声を涸らして反論したいところではあるが……ッ!」
カエン嬢と同じく四天王家の一角であり、風公カゼトヨの子孫であるところのタチカゼは苦々しげに言った。
「たまに思うのだが、何故お前はそんな言い方をするのだユキムラ?」
「そんな言い方? って?」
「シンマ王国成立以前の戦乱時代を、まるで実際見てきたかのような言い方だ。それがしと戦った時とか、まるで我が祖先――、風公カゼトヨ様に実際会ったことがあるかのような口ぶりだった」
あー。
「極度の歴史オタクなのかとも思ったが、そういう風でもないし。なんだか気味が悪いぞ」
「まあ、そこは置いとこうじゃないか。今重要なのは、モウリ=カエンがどう出てくるか、だ」
遊郭の建設を許可して、実際建てられてしまった今となって、遅きに失した簿かも知れないが。
「凡人であれば、色に惑わされて明確に外堀を埋められてからでないと慌てぬだろうよ。今から警戒できているのは、充分に早期の対処だ」
「タチカゼくん優しいー」
実際、こんな案件じゃクロユリ姫やルクレシェアに相談することもできないし、タチカゼの存在が心強すぎる。
「さっきも言った通り、雷領の行きすぎた男女比を補強するためにも遊郭は必要だった。さらに新領として同じ格の火領との付き合いを疎かにするわけにもいくまい。ここまででお前に選択権などなかったのだ」
「そう言ってくれると慰められる気分だが……、実際これは、火領から僕たち雷領への侵略だと思うか?」
「充分に侵略だな」
タチカゼの見解は明快だった。
「刀槍を使わぬ極めて厄介な侵略だ。女という、社会に絶対欠かせぬ構成素を使って相手の内に染み込み、充分な発言権を確保してから相手の思想を統一していく」
水のように染み込む炎。
それがシンマ王国の時代から新生した火のモウリ家、か。
「問題は、ヤツらが我々を侵略して、何を目指そうとしているかだが……?」
「普通に考えれば、反交流派の一角として雷領の切り崩しを図ろうとするところだが。そんな単純な相手とも思えないのがモウリ家の恐ろしいところだ」
「それがしも同感だな。モウリ家が……、いや少なくともあのカエンのヤツが、四天王家の使いっ走りに収まるなど考えづらい。シンマ王家に反抗しようとする四天王家の総意すら手玉に取って、何かしでかそうとしているやも……!?」
カエン嬢に対するタチカゼの怯えっぷりは尋常ではなかった。
コイツは、あのカエン嬢のことをそこまでの政治的怪物と見なしているのか? 二人は幼馴染だというが、過去何があったのか想像もつかない。
「ともかく急務は、カエン当人の真意を探ることだ。ここ雷領に食い込んで、何を画策しているのか? 何を成し遂げれば彼女にとってゴールなのか?」
「案外本当に火領単体の安泰を願っているのかもしれんしな! その程度なら単純に保障してやればいいのだ! 厄介なカエンをそれで大人しくさせられるなら安いもの!」
僕もタチカゼも、あのカエン嬢に対して猛獣に対するがごとしだった。
「そんなわけでタチカゼ! 頼む!」
「それがしが探ってくるのか!? ヤツの目的を! それこそ領主たるお前の役割だろう!?」
「幼馴染のお前の方が聞きにくいことも聞きやすいだろう!? 助けると思ってどうか!」
と役割の押し付け合い。
僕もタチカゼも、カエン嬢のことが怖くてたまらない。
それが何故かというと……!
「見苦しいものだな、この童貞どもめ」
「「!?」」
唐突に核心を突いた声に、僕もタチカゼも動揺した。
誰だ!? 触れてほしくない本当のことを指摘したのは!?
「それならば、この余が直々に出張ってやろうではないか。ユキムラは妹のことで散々世話になったからな。ここで一つ貸しを作ってやるのもよい」
「ああッ!? お前は!?」
フェニーチェ国立軍司令官。
レーザ=ボルジア=フェニーチェ。