91 花街
マルヤマ遊郭。
そう名付けられた新遊興地が、今日からまさに始まらんとしていた。
「また急ピッチで建てたもんだな……!?」
領主の僕が建設の許可をおろしてから、まだ一ヶ月と経っていないんだが。
「商機を逃したくありませんでしたので、大急ぎでやらせていただきましたでありんす」
案内役として隣に寄り添うモウリ=カエン嬢が言う。
まあ、一応僕も雷領領主として、領内にできた新歓楽街を視察する義務があるというか、けっして下心があるわけじゃない、けっして。
普段だったらどこへ行こうとも寄り添っていくクロユリ姫やルクレシェアも、今回ばかりはお留守番。
出がけの時にはプリプリしながら見送っていたので、ご機嫌取りにお土産でも買って帰らねばなるまい。
「しかし……」
出来上がったマルヤマ遊郭を眺めて、僕は感慨を込めて言った。
「想像以上に大きいな」
出来上がった遊郭が、広くて大きい。
無論一軒が物凄く大きいというわけではなく、何軒もの遊女屋が軒を連ねて、まるで一大都市を形成しているという感じだった。
「そりゃそうでありんす」
カエン嬢の口調から、今までにない自慢気な感情が匂ってきた。
普段は思わせぶりな雰囲気ばかり出して本心を巧みに隠す彼女でも、今回ばかりは仕事を誇りたいのであろう。
「たかだか一軒の女郎屋を建てた程度ではみすぼらしさが先に立ち、路頭に迷って体を売る困窮女のように思われてしまうでありんす」
そう思われてはならないからこそ。
「力の限り豪華に、華美に飾ってこそ、体を売るのではなく春花を売る。本来悲痛な行為に華麗さが加わり、文化となるのでありんす。ここケチケチしては野暮の極みでありんすから」
「しかし、それでもこの規模は……」
何と言うかもう、一つの街と言っていい。
「正規の遊女屋が百八十九軒。お客さんとの仲介を行う引手茶屋が百二十一軒。それらへ最終的に三千人の遊女を住まわせる予定でありんす」
「ちょっと多過ぎくない!?」
「将来この土地が、フェニーチェからお越しの異人のお客さんでごった返すと思えば、まだまだ足りんと思えるぐらいでありんす。無論、遊女だけ住まわせても生活が成り立ちはしませんので、身の回りの世話をする若衆や、髪結い師、裁縫師、中働きに下働き。全部合わせれば一万には達するでありんしょうか?」
「いちまんにん……ッ!?」
雷領の人口がグンと上がったなあ。
元々領として成立するために人口増加は必須の急務だったんだけど、こういう形で爆増してよかったものか?
結局アレでしょう?
何のかんの言って、遊女だってフェニーチェ的な言い方をするとサービス業でしょう?
いわば第三次産業。
農耕牧畜漁業などの第一次産業より先にそっちを増加させていいものか?
「まあ、そう堅苦しく考えなされないで……」
カエン嬢がごく自然に、その細い腕を僕の上腕に絡めてきた。
「ヒッ!?」
「この雷領は、成り立ちの経緯が特殊でありんす。やがて必ずやって来る大儲けに、先行投資するのも悪い判断ではありんせん」
極めて冷静かつ理論的な判断なのに、妖しさが漂ってくるのは何なの!?
「また治安の面でも安心してほしいでありんす。遊郭へ送られてくる大半の遊女は、我が火領で徹底的に教育してきた者のみでありんすゆえ」
「教育?」
「あい、我が火領には遊女の作法を学ぶ学校がありんす」
そんなものがあるんですか!?
「シンマ各地の農家で口減らしのために売られてきた娘、みずから花柳界の頂点にのし上がろうとする野心家。様々な女が門を叩くでありんすが、皆が苦界とも言われる遊女の社会でしっかり生き抜けるようにと最大限に気を使っておるでありんす」
「はあ……」
「だからこそ我が火領は、英才教育を施した遊女たちをシンマ各地に輸出し、大きな利益を上げているのでありんす。体を開けばそれだけで金が取れると勘違いしている、その辺の素人女とは違うのでござんすゆえ」
口のある商品、か。
世界でもっとも古い職業と言われる娼婦は、自分の身一つを売り物に、人間にもっとも根差した欲望に直結しているからこそ今日まで生き残ってこれた。
それを組織化して、安定して儲けられる構図を作り上げた火領は、それこそどれだけの富を吸い上げているのだろう?
まして、これから異国フェニーチェとの交流の中心地となり、まったく新しい顧客層の見込める雷領へ真っ先に進出を決めた。
この目の付け所と行動力。
火領の――、いや、かつて火州と呼ばれた連中の行動の峻烈さは、時代を越えても衰えないのか?
『侵略すること火の如し』
今再び僕は、前世である雷公ユキムラの記憶から数えて二度目の火の侵略を受けているのではないか?
「どうしたでござんす? そんな恐ろし気な御顔をして?」
小動物のように覗き込むカエン嬢の顔に、僕はドギマギするより先に何故かゾッとした。
「キミのことが怖くてね」
「あらご無体な。シンマ王国の新英雄様に怖いと思われるようなおばけではあらしません。私は」
と言いつつ身をくねらせる動作は、まるでヘビの身がのたうつかのようだった。
「それよりもどうでありんす? せっかくお越しいただいたのでありんすから、領主様に我が遊郭の出来栄えを一つご確認いただくというのは?」
「い?」
「先ほど、このマルヤマ遊郭には百八十九の遊女屋があると説明いたしんしたが、すべてが同じもの……、というほどつまらん作りはしていません。遊女屋には厳格とした等級がありんす」
「等級?」
「遊女屋の中でもっとも格が高いものを大見世、その次が中見世、最下等が小見世と、大きく三つに分かれているでありんす。中でも最上級の大見世となると、抱えている遊女ももっとも高貴な太夫のみ」
よほどの大金持ちしか手を出せない高嶺の花と言うわけか。
「領主様には無論、その大見世の太夫を提供いたしたく思っているでありんす。ぬしさまの領に建たせていただいた廓の品質を確認し、合わせて心ばかりの饗応と思って受けて下しまし」
「いや! そういうわけにもですね……!?」
「ただ、生憎と我が遊郭も始まったばかりゆえ、太夫の資格がある者がまだ一人しか当地におらぬのでありんす。いずれは火領からどんどん渡ってくる予定でありんすが。今はその一人を気に入ってくれればよろしいのでありんすが……」
「それって……!?」
「私でありんす」
おぉいッ!?
「このモウリ=カエン。四天王家モウリの一員にして、遊女の中で最上級の太夫の格も持ち合わせているでありんす。それらの才覚をもって、これからマルヤマ遊郭の女主として切り盛りしていく所存」
カエン嬢の白蛇のような指が、僕の手に絡み付いてきた。
「どうか私をマルヤマ遊郭の主人と認めるためにも、私を領主様の相方としてほしいでありんす」