73 兄の想い
「だってさあ!!」
『だってさあ』って……。
もう既に管を巻く様相に入っているじゃないですか。既に屋敷から運んできた酒瓶が何本も空になって浜辺に転がっている。
ほとんどレーザさんが一人で飲んでしまわれたこのザマだった。
妹に拒絶された辛さを、酒で紛らわせたいのだろうか。
図らずも雷領領主――、僕とフェニーチェ軍総司令官のレーザさん差し向かいの会談となったため、他の連中は気を使って遠巻きに眺めている。
それでも観察自体をやめないのは、やはりこの会談がそれだけ興味深いということだろうが……。
「余はね。……本当にね、妹のことを思って結婚しろって言ったのだ。わかるでしょう、それは?」
「ま、まあ……!」
「『まあ』!? なんだその曖昧な返事は!? わかるのかわからないのかどっちなんだ!?」
「わかります! その気持ち痛いほどわかります!!」
既に酔っぱらいをなだめる若輩の気分だ僕。
というか実際そのものなんだけど。
「女の幸せと言うのはな。身元のしっかりした男の下に嫁いで、子どもをたくさん生み、幸せな家庭を築く。それだろう。それ以外に何がある?」
「いや、もうまったくそうです……!」
「血を分けた妹にも、そんな幸せに浸ってもらいたい。そう願うことの何がいけないと言うのだ? だからこそ余はルクレシェアに幾度となく結婚話を勧めてきたのだ」
と胸の内を吐露するレーザさん。
「ただでさえウチのルクレシェアは……。美しく賢いが、その反面活発すぎるところもあるからな。そのじゃじゃ馬っぷりをあげつらわれて行き遅れるんじゃないかと兄としては気を揉むのだ!」
……正直正論のように聞こえて困る。
あのルクレシェアの普段の行いを見ている僕としては。
「……まあな。ちょこっとはな。ルクレシェアを結婚させることで、その嫁ぎ先との結びつきを強めて味方を増やしたいという気持ちも、ちょこっとはあるけれども……!」
「ちょこっとはあるんかい!?」
「そりゃあるだろう! 余だってルクレシェアの兄としてだけではいられんのだ! ボルジア家の男として、フェニーチェを守る軍人としても頭を巡らせなければならんのだ!!」
その主張、痛いほどによくわかる……!
何故かって言うと……! 僕だって前世では雷公ユキムラとして雷州を守るため、汚いこと残虐なことも一度ならずしてきた。
まあ途中で色々どうでもよくなって国が亡びるまで影州に対抗したけれど……!
「そういう気持ちを、妹は目ざとく見抜いたのかもしれん。それで駒扱いにされていると……!」
そう呟くレーザさんの態度は、真実胸を痛めているかのような感じだった。
少なくとも演技には見えない。
「そういえば……、ルクレシェアは他にも言っていたな」
「まだ何かあるのか!? やめろ聞きたくない! 何て言ってたの!?」
レーザさんの中で、これ以上心に傷を負いたくない気持ちと、妹の心情を知りたい気持ちがぶつかり合って葛藤している。
「政略結婚させたい割には、あまりパッとしない相手ばかりを紹介してくるって……」
「あ? それはしょうがないだろう。妹の幸せな結婚を思えばな」
ん?
「それまで完全敵対していた家に嫁がせて、ルクレシェアとの結婚を機に関係改善させればボルジア家としては万々歳だ。しかしその分ルクレシェアの負担は大きくなる。考えてもみろ。つい昨日まで敵だった家でこれから過ごしていくなど、想像しただけで針の筵ではないか」
「たしかに……」
「それに比べれば、多少利用価値は落ちても小勢力の家に嫁がせれば、我らボルジア家の威勢を恐れてルクレシェアを大事にしてくれるだろう? あとは法王庁の近くにいることが大事だな。何かあればすぐ会うことができる!」
何と言う兄バカな配慮……!
そんな理由で、ルクレシェアをあんまりパッとしない相手に嫁がせたかったのか。
「……それなのにルクレシェアは、こんな遠い異国の男と結婚したいなどと言う」
あ。
また管を巻き始めた。
「こんな遠くに嫁に行かれたら、よほどのことがない限り会うことができないじゃないか……! 父上だって、自分が生きている間あと何回娘に会えるのだろうと号泣しているのだぞ」
号泣してるんですか。
「慟哭しているんだぞ!」
慟哭しているんですか!?
「そりゃな、アイツの意図は事前に書状で確認していたから、父上も気を揉んでいるわ。ルクレシェアは勝手に結婚したいなどと言っているが、その相手の人となりもわからんでは不安すぎる」
だからこそ。
「父上は勅命によって、艦隊を率いて余をシンマへ向かわせた。すべてはルクレシェアが可愛いゆえだ。こんな遠く離れた客地で、我らのルクレシェアが寂しい、辛い気持ちを味わっているかと思うと、気が気でおれぬ!」
レーザの叫びには、駆け引きの気配は一切感じなかった。
心から妹のことを心配し、気遣っているという証拠だろう。
その気持ちに……。
「……わかる」
理解を示さずにはいられなかった。
「僕にも兄弟はいるので」
「何ッ!? そうなのか!?」
はい。弟と妹が一人ずつ。
「弟がまた若いくせに生意気なヤツで……。自分の実力も弁えず突っ走るヤツなんですよ。……世話が焼けるけどだからこそ放っておけなくてねえ……!」
「弟などどうでもいい! 妹は? 今何歳なのだ!?」
「きゅ、九歳です……!」
「九歳か! それは可愛い盛りだなあ……! ルクレシェアもその頃はとても可愛くてなあ。今は成長して、美しくなった!」
「そんな妹もね……。シラエって言うんですけどね。大きくなったら誰とも知らん男と出会って……。恋愛して……。嫁に行くんだろうなあ……!」
「そう思うとどうよ?」
「相手の男を殺したくなりますね!」
まだ顔も見てもいないのに。
「だろう!? ……なあ、こんな言葉を知っているか? 『娘とは、すべての男に対する天罰である』って」
「その心は?」
「自分自身誰かの娘を奪い取って結婚する男は、自分もいつか可愛い娘をどこかにの男に奪われて報いを受ける、という意味なんだが。余ら兄としてはどうよ?」
「……僕たち、何も悪いことしてませんよね?」
「そうなんだよ! 兄はな、特に何もしていないのに妹という宝を与えられて、ある日突然奪い去られるんだよ! 何この理不尽!? 神はなんで余たち兄にこんな厳しい仕打ちを与えるの!?」
「うあああああ……、やめてください、やめてください! 想像するだけで泣いてしまいそうだ! シラエ、シラエ……!!」
「ただ、嬉しいなあ。こうして気持ちを共有できる相手がいるとは。妹を大切にする兄の心を汲んでくれるとは……!」
「兄の妹を想う気もちに国境はないんですね……!」
「友よ!」
「兄よ!」
兄たちはわかり合うのだった。
がっしりと互いの肩を抱き合う。
「気持ち悪い!!」
いつの間にか戻ってきていたルクレシェアから吐き捨てるように言われた。