72 ボルジア家の事情
「と、とにかくルクレシェアはわたくしが追うから!」
とクロユリ姫、咄嗟に場を治める役に回ろうとする。
ていうか今回、僕らシンマ陣営そんなのばっかりだ。
「ユキムラはお兄さんの方をお願いね! じゃ、とにかく行くわ!!」
そう言ってクロユリ姫は駆け出していった。ルクレシェアの差って言った方向へ向けて。
「……あの人も随分な世話焼き体質だよなあ」
自分から苦労を背負いこむタイプなんじゃないだろうか?
お姫様なのに。
それは僕も同じなのか、とにかくも。
「…………」
この白く燃え尽きている一人の男を放置するわけにはいかなかった。
レーザ=ボルジア。
まったくもう、こんな遠くの国まで来て何をしておるのか。
「ルクレシェアが……、余を拒絶。拒絶……!」
ブツブツ唸っておられるばかり。
心ここにあらずと言った心境だ。
「……あの、その、お兄さん?」
元気出してくださいよ? と言おうとした瞬間。虚ろだったその瞳に憎しみの光が輝く。
「貴様だ!! 貴様がルクレシェアを誑かしたんだろう! あんなに可愛くて純真な妹に、邪悪なことを吹き込んだんだー!!」
「ぎゃああああーーーッ!?」
もはやモナド・クリスタルに魔力も残っていないのに、激情のままに僕に掴みかかってくるお兄さん。
何なの!?
もうさっきからずっと強烈に感じているけど、兄バカすぎるでしょう。妹を溺愛しすぎだろう!?
『冷酷で、妹のことなど政略の駒としか思っていない』という評価は誰が言ったのか?
ルクレシェアか。
この兄妹。互いに認識の違いが大きすぎやしないか?
ここは一つ、彼からも詳しく話を聞かなければならないように感じた。
* * *
そして僕は余さず説明した。
ルクレシェアの口から聞かされた、兄レーザへの認識を。
「ルクレシェアが……! そんなことを……!?」
彼女の口から僕を経て伝えられた自分評に、レーザは呆然とするのみだった。
「アイツは……、そんな風に余のことを見ていたのか……? 血も涙もない、肉親すら駒の一つとしか見ていない冷血漢だと……!?」
はい、そのようです。
ルクレシェアが、法王令嬢という身分にありながら志願してシンマ使節団の指揮を執ったのは、何よりまず、そんな兄への反発ゆえと思われる。
シンマとの交渉を成功させ実績を作り、それを基にして兄への反論を試みる。
その目論見が大失敗であったのは、何度も語る通りだが。
「………………そう思われるのも仕方ないかもしれん」
自問自答するかのような少しの間を置いて、レーザは搾り出すかのように聞いた。
「実際余は冷酷な男だ。自分で自分をそう思う。余はボルジア家の男として、父上をお援けする者として、冷酷であらねばならなかった」
「と、言うと……」
僕らが向かい合っているのはまだ浜辺だったが、僕の部下に当たるシンマ人が、折よく都市部の方から酒を持って駆けてきたので、早速杯に注いで渡す。
レーザさんは、躊躇することなくシンマ酒を一煽ぎで飲み干した。
「ぶはッ……! ワインとはまた違うトロリとした甘みの酒だな。……まあいい、それよりも我がボルジア家のことだ」
「はあ」
「我が父アレクサンドは、フェニーチェにおいても名だたる名家ボルジア家に生まれ、そしてフェニーチェ法王庁に入った。法王庁とはフェニーチェにおいてもっとも高位の組織。フェニーチェの頂点と言っていい」
「……シンマ王国におけるシンマ王家のようなものですか?」
「少し違うな。王家というのは王が保持する血統に、高貴の在処を見出す。それをもって王者の証明をするのだろう? フェニーチェ法国のもっとも特徴的な点は、法国を支配するのは魔法神と言うことだ」
魔法神……?
「魔法神を崇め、また魔法神を管理するのがフェニーチェ法王庁の務め。魔法神を独占させぬためにも、法王庁へ仕える資格は血統に寄らず、誰もが魔法神への祭事を担えるようにした。フェニーチェ法王が世襲されない理由もそこだ」
「はあ……!」
わかるような、わからないような?
「そんなフェニーチェの頂点法王庁の、そのまた頂点である法王まで伸し上がるには、それはもう並外れた知恵と力が必要だ。実際法王となった我が父アレクサンドも、悠々とその階段を上ったわけではない」
「わかります。何となく……!」
努力しても成功しなかった人間はたくさんいるが、努力しないで成功した人間は一人だっていないのだ。
「父上が法王に登り詰めた陰には、一夜程度では語り尽せぬ権謀術策があった。時には剣戟も飛び交ったものだ。その実行を担ったのがこの余だ」
法王の息子、フェニーチェ軍の総司令官は堂々と告白した。
「余が権謀を巡らし、あるいは実際我が手で政敵を凍結死させてきたからこそ、今の法王アレクサンドはあるのだ。……事実、我が決断で首に縄を掛けられた貴族、僻地へと幽閉されたその家族は、両手の指ではとても足りん」
『凛冽の獅子』。
彼を指すというそのあだ名も、けっして冷凍魔法を得意とする戦闘スタイルだけを語源とするのでもなかろう。
必要ならば政敵を何人も襲い、亡き者としてきた決断の冷徹さ。
それゆえ厳しい寒さを意味する『凛冽』をまとった獅子と周囲から評されるのだ。
「……血を分けた妹すらも、余のことをそう見ていたというわけだな」
レーザさんは寂しげに言った。
「巷間に流れる噂……。このレーザが誰を殺し、誰を陥れたという噂を耳に入れ、『我が兄は何と冷たい男なのだろう』と恐れたのだろうな。申し開きは出来ん。噂は大抵が事実なのだから」
何かを守るためには、血を流して戦わなければならない。
それはいわば究極の現実主義だ。
その現実に臆さず戦う者のことをあちらの国ではリアリストと言い。このレーザさんこそ究極のリアリストと言うべきだろう。
「たしかに余は、ルクレシェアに対して一度ならず言った。『女は速やかに他家に嫁に行くものだ』『嫁に行って、他家と自家を繋ぐことこそ女の最大の役割だ』と。余が冷血な男なら、たしかに妹を駒扱いするようなセリフでしかないだろう。……しかし!!」
「はあ!?」
「それも妹の幸せを思えばこそと! そう言えなくもないだろうか!?」