71 兄妹の諍い
僕たちはひとしきり海中で溺れたあと、救出されて浜辺に放り上げられた。
領主に対する扱いとは思えない乱雑さ。
「何と言う雑な扱いだ! フェニーチェ軍総司令官への扱いとは思えん!!」
溺れたもう一人も同じ感想を持ったらしい。
フェニーチェ法国、国立軍総司令官。
レーザ=ボルジア=フェニーチェ。
現在は海水で冷え切った体を暖めるために、ガタガタ震えながら焚き火に当たっていた。
「……で、レーザ兄上」
そんなレーザに、実の妹であるはずのルクレシェアが、これまた大層冷たい視線を送る。
まるで養豚場のブタでも見るかのような……。
「改めて聞くが、何しにシンマ王国まで来たのだ?」
「決まっているだろう! お前を救出するためだ! 可愛いルクレシェア!」
奮い立つがごとく言うレーザさん。
ただ立ったせいで焚き火から離れたせいか、即座にハクションとクシャミする。
「この兄が、お前のことをどれだけ心配したか! わかるだろう!?」
「わからん」
「ルクレシェア!?」
彼女の兄への拒絶感が極まっている!?
今までこの異国兄妹の関係性は、ルクレシェア一方からのみ伝わってきたが、これは別の角度から捉え直してみる必要がありそうだ。
「……異国シンマへの使節派遣。その必要性は余も納得していたし、むしろ余こそが率先して推進していた。……しかし当の使節団を率いて行くのが我が妹たるお前であったとは!」
なんか兄さんが切々と語り出した。
「何故!? 何故前もってこの兄に相談してくれなかったのだ!? 余がそのことを知ったのは、既にお前が旅立ったあと! 余が僭主討伐の遠征に出て、帰ってきた時にはもうお前はいなかった!!」
「止めるだろう、兄上に相談したら」
「当たり前だ! お前のように可憐で、少しの力でも手折れてしまうような繊細な花を、どうして黙って蛮国などに送れよう!?」
諤々と言い合うコイツら兄妹だけど……。
「……ねえ、今の『蛮国』ってところ、怒っていいのかしら?」
「気持ちはわかりますが、今僕らまで絡むと話がややこしくなりますんで、アイツらが全部吐き出したあとで」
外野でクロユリ姫をなだめる僕だった。
「その! 兄上の我への侮りが嫌なのだ!!」
ついにルクレシェアの方まで声を荒げだした。
「ことあるごとに我のことを繊細だのか弱いだの、無能扱い!! その兄上の認識を覆すためにも我はシンマ王国へとやって来たのだ!! 我の実力を、兄上を含めた多くの者どもへ見せつけるために!!」
「その結果が大失敗なんですが」
「うぐッ!?」
静かに見守っていようと言った直後ながら、あまりにもツッコミどころだったためツッコまずにはいられなかった。
何にしろルクレシェアは、ここシンマ王国の『命剣』を求めるフェニーチェ法国を代表し、当国に掛け合って交渉をまとめようとした。
それなのに痺れを切らして王都を攻撃、そのあとの交渉でハッタリ攻勢に出て見事自爆。
『実力を示す』と言うことがルクレシェア個人の目的だとすれば、大失敗もいいところだ。
「ユキムラ殿! アナタは一体どちらの味方なのだ!?」
「僕は客観的に事実を述べたのみです」
というかアナタたち兄弟のケンカに関しては、我がシンマ王国は完全に縁もゆかりもありませんので。
できれば国に帰ってやってほしい。
他国まで来て争うなや。
「いいのだ、いいのだ……! 所詮ルクレシェアには政略や戦争など、最初から性に合わないのだ……! あとはすべてこの兄に任せ、お前はフェニーチェに戻り父上や母上を安心させてやるがいい。あとはすべてこの兄に任せよ」
「嫌だ!!」
ルクレシェアの熱い拒絶。
「たしかに……! 当初のプロセスで我が実力を示すプランは崩れ去った。しかし今の我には、それに代わる第二のプランがある! それをもって我はフェニーチェ法国の、いや、フェニーチェだけでなくシンマ王国の役にも立ち、我が価値を証明してみせるのだ!!」
「第二のプラン?」
プランって、計画とか目論見とか、そういう意味だったよな?
一体ルクレシェアに、どんな腹案があると?
「ユキムラ殿の子どもを生むことだ!!」
――クラッ。
一瞬気が遠くなった、僕が。
「キェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!?」
そしてお兄さんが衝撃のあまり奇声を発した。
もう一体何なのこの兄妹?
「何を言い出す!? 何を言い出すのだルクレシェア!?」
「ずっと以前から兄上が言っていたことではないか。我には女としての価値しかない。ボルジア家に利ある男に嫁いで、ボルジア家に役立つ男子女子を生めと」
「うッ!?」
たしかにそう言う心当たりがあるのか、レーザお兄さんは呻き一つで押し黙った。
「その点、ここにいるユキムラ殿ほど、それに相応しい殿方はいない! ユキムラ殿の強さは、たった今兄上も身をもって知ったはずだ」
「だが、しかし……!」
「駄菓子もスイーツもない! 現状フェニーチェがシンマ王国の『命剣』を何より求める以上。最高の『命剣』を持つユキムラ殿に、法王令嬢を妻として与えるのは礼としても当然のこと!」
そうだろうか?
そうかも?
「尚且つ、我とユキムラ殿の間に子が生まれれば、その子にも『命剣』を操る可能性が出てくる。『命剣』は血統によって継承されると言うしな! ユキムラ殿が父となる我が子は、歴史上最初の『命剣』を使えるフェニーチェ人になれるかも知れないのだ!!」
「そ、それは……!?」
「それほどの利を、迷って実行しない理由がどこにある!? 我はその旨、書状にしたためてしっかり伝えたはずなのに、何を曲解すればこんなに騒ぎを大きくするのか! まったく兄上は、我のことをまったく理解していない! 信頼もしていない!!」
「待ってくれルクレシェア! 余は……!!」
「煩い! 兄上などもうフェニーチェに帰ってくれ! そして改めてちゃんとした使者を出して、ソイツとしか我はもう話さない!!」
ルクレシェアはそれだけ言い切ると。
踵を返して去って行ってしまった。
向かう先は、陸の方。僕らが寝起きしている領主邸宅のある方だ。
「る、ルクレシェア……!」
そしてお兄さんの方は、全身真っ白になって枯れ果てていた。
妹に『帰れ』と言われたのがよほど堪えたのだろうか?
どっちにしろ、ヒトの国で揉めるのはやめてほしいと思う。