67 剣の国の人
「死ねッ!!」
レーザは当然のように、僕への殺意を明確に表した。
彼の押し出す手の動きに合わせて、液体窒素とやらも津波の様相を呈して僕を襲う。
氷より遥かに冷たい液体を頭から被れば、凍死どころじゃない惨劇が僕にもたらさせるだろう。
体が粉々に砕け散るか? それとも皮膚が火傷に近い凍傷になってベロリと皮が剥けるか?
そんなことを思っているこの最中も、液体窒素は僕に迫る。
狭い甲板の上、逃げ場はない。
できるとすれば防ぐことだけ。
「無駄だ! 液体窒素は、水を遥かに超える電導性を持った超電導物質! 貴様の唯一の能力である雷はすべて吸い取られて拡散する! 貴様には防御も回避も不可能だ!!」
ザン、と。
我が雷剣が液体窒素の塊を両断した。
「はッ!?」
左右に斬り分けられた津波は、一滴の飛沫すら僕に触れることはなかった。
レーザは、信じられないものを見たとばかりの表情。
それもあろう、彼の想像の中では液体窒素に触れた雷剣は即座に、その高すぎる電導性によって吸収拡散されて消し去られるはずだったのだから。
想像と現実は、まったく違う様相を見せたのだ。
「たしかに吸収されるだろう……、雷ならな」
「な……!?」
「お前の失敗は、雷と雷剣を同じものだと見誤ったことだ」
シンマのサムライが、その命を刃と変えて物質化したものが『命剣』。
その『命剣』が自然と交わり、異様の姿を呈したのが『天下六剣』。雷剣もその一振りだ。
「この雷剣は、自然の雷が人の手に宿ったものであると同時に、僕の命でもある。我が命が、よくわからんが液体窒素とやらの中に溶けて消えると思ったか?」
「シンマの『命剣』は……、ただ単純に自然現象を模したものではなく、他の要素が複合して構成されているというのか? それが原因で自然法則に従うことを阻害している……!?」
大まかながらも理解できたようだ。
さすがにフェニーチェ法国の軍総司令官は賢しくいらっしゃる。
「無論、自然に交わりし『天下六剣』はある程度自然の理に従う。だからこそ最初は我が雷剣も液体窒素とやらに流された」
しかし一度タネが割れてしまえば、意識して雷剣を収束し、自然を我が命でしっかり制御すれば、低きに流れてしまうこともない。
「……だがそれでも、あまり野放図な変形は出来そうにないな」
雷の性質を利用して、鉄なり水なり、雷の流れやすいもので我が雷剣を逸らそうと考えついた者は前世にも星の数ほどいた。
その程度の浅知恵しか働かないヤツは残らず黒焦げにしてきたが、あのレーザの操る液体窒素とやらは、これまでの中で一番、それもダントツに扱いづらい。
通常の刃渡り。
それが液体窒素の電導性に影響されず刀身を安定できる限界だ。
それ以上は少しでも伸ばしたら、液体窒素に持っていかれてしまう。
「……どうやら液体窒素の超電導性を無視するために、さっきまでのような派手な変形は出来なくなったようだな」
しかもレーザは即座に見抜いてきやがった。
能力だけでなく当人も相当扱いづらい。
「ならばやはり、我が勝利は揺るがない。余と貴様の間には、レテ川よりも厳然と隔たる液体窒素の領域がある!」
レーザの言うことに詳しい補足を加えると、僕たちの立っている甲板の上は、今でも水溜り程度に液体窒素が張っているのだ。
しかもそれが広範囲。
甲板の約半分以上は既に液体窒素が覆っていて、その上を踏まずに僕がレーザの至近まで到達することは不可能になっていた。
「繰り返すが、液体窒素はマイナス二百度の超低温液体。踏もうものなら靴底ごと足の裏が凍り、皮が剥げて血塗れになろう。その痛みにバランスを崩し、転倒でもしたらどうなるか……!?」
想像もしたくないな……。
「しかし今のお前は、そのサンダーソードを長く伸ばすことはできない。今の長さで斬れる範囲にまで接近しなければ余は斬れないということだ。しかしそれは、地表を覆う液体窒素を越えないことには不可能!」
それもヤバいが、そもそも周囲の空気も限界以上に冷たくなって、口の中の唾液すら今にも凍りそうだ。
早めに勝負をつけないと次の瞬間にも寒さに耐えかね失神しかねない。
「余は、動けぬ貴様に遠距離攻撃魔法を飛ばし続けるだけでいい。それだけで勝てる! やはりシンマの未開人が、魔法技術で先進したフェニーチェの勇者に勝てるわけがないのだ!!」
「それはご苦労なことで」
「は?」
レーザは、またしても「信じられない」とばかりの素っ頓狂な声を上げた。
僕がすぐ傍まで接近したいたので。
我が雷剣が、レーザの喉首にピタリと添われた。
「王手。アンタの国ではチェックメイトと言うんだったか?」
「……どうして? 液体窒素の結界をどうやって避けて接近してきた」
「いや普通に。歩いて」
液体窒素とやらの上を。
「バカな!? そんなことをすれば凍傷どころでは済まないはずだ! 貴様は掠り傷一つないではないか!!」
お前な。
僕がどうやって岸辺からこの船まで移動したのか、見ていなかったのか?
水の上に足を置き、沈む前にもう一方の足を前に出せば、沈むことなく水の上を走ることができる。
今は無き雷州において『天狗走り』と呼ばれた特殊な歩法だが、それを応用すれば氷より冷たい液体の上を、低温が伝わるより前にもう一方の足を前に出し、そのまま走り去るなど造作もないこと。
「お前の敗因は、僕の力を雷剣だけだと見誤ったことだ」
シンマ王国の成立以前、六州が争う戦乱時代より、シンマ最高の武器たる『命剣』を余すことなく使いこなすため、シンマ人がどれだけの工夫をしてきたのか想像できなかったのか。
『命剣』を収束する術も然り。
『天狗走り』など数多の体術も然り。
シンマ人は『命剣』の扱い方だけではない。何より戦い方を何百年にも渡って研究し続けてきた。
その歴史を、フェニーチェの作り上げた理屈は打倒できなかったらしいな。
「異国の人よ覚えておけ。この……」
雷公、もとい。
「……雷領領主ユキムラを理屈で倒すことなどできないとな」