66 雷vs氷
「……はっ」
雷剣を柔らかく床に突き立てる。
電流は凍り付いた床を全体に渡って駆け広がり、覆う氷盤を消し飛ばすようにして溶かした。
「我がアイス・レイクをいとも容易く……!?」
巻き添えで凍結領域に囚われていたフェニーチェの船員たちも解放される。
足が壊死みたいな憂き目に会わずには済んだようだが、駆け巡る電流にも関係なしではいられず、感電して気絶してしまった。
「……おい」
マストにしがみついていたり、船内から顔だけ出して覗いている生き残り船員に告げる。
「さっさと救助してやれ。……と言うか、連れて海にでも飛び込んだ方がいいぞ。ここから先は巻き添えになって死んでも知らん」
僕は言い終わるとすぐに雷剣を下に向け、そのまま船体を貫いた。
ズドン! と。
幾層もの鋼鉄を貫く手応え。
「船底までしっかり穴を開けたぞ。そこから水が流れ込み、時を置いてこの船は沈むだろう」
それまでの間遊んでやる。
「ヒィィーーーーーーーーッッ!?」
「脱出! 気絶した船員を連れて脱出艇に乗り込めーッ!?」
「シンマ人恐ろしすぎデース!!」
船員たちは我先にと浮き輪をもって飛び込んだり、脱出用に備えていたのだろう小さな船に乗り込む。
その中で一向に動かないのが二人。
僕と。
レーザだった。
互いに互いの動きを封じるように睨み合う。
「躊躇いもなく船を沈めるか。シンマの鬼人、フェニーチェの常識では計れぬ」
「シンマ人もフェニーチェ人も考えていることはほぼ変わらん」
死にたくはないし。金や地位は欲しいし。家族は大切だ。
「この僕が、シンマの常識でもフェニーチェでの常識でも計りきれんだけさ」
そしてフェニーチェの俊英レーザ=ボルジア。
「アンタもまた常識の枠に囚われない者と見た」
「当然だ。余は天才。そんじょそこらの凡人と同じにはできぬ」
たしかに計り知れないヤツだ。
こうして会ったのっけから斬り合いになるところが特に。
何と言うか、なんでコイツは僕のことを殺そうとしているんだ?
むしろ彼が『命剣』を求めるフェニーチェの代表としてやってきたなら、『命剣』の中でも特に秀でた『天下六剣』を所持する僕は、意地でも生け捕りにしないといけないんじゃない?
……とか言っているうちに、戦いは既に始まっていた。
「……ッ!?」
突然に喉が切りつかれたように痛んだ。
温度の下がった空気を吸い込んだ証拠だ。
低温化しすぎて空気中の水気が凍って細かい氷の刃となり、喉を傷つけた?
「余は、氷の魔法をこそ得意とす」
既に甲板は再び凍り始め、僕を凍結の中に捕えて押し込めようとしている。
「氷はすべてを停止させ、活動をやめさせる。この余のすべては、余の許可を受けて初めて動くべきなのだ。余の思う通りにな。余の思惑を無視して動くものは皆悉く、凍って停止し、砕け散るべし」
「傲慢な考えだ」
自分自身もまた世界に渦巻く流れの一部でしかないと、何故気づかない?
「貴様は余の思惑を乱す異分子だ。故に凍って砕けるべし。我が超低温が、貴様のすべてを停止させる!」
既に低温は、音なく静かに僕への侵攻を始めていた。むしろ侵攻を終えようとしていた。
僕の体表と接する空気も、冬の一番寒い日より冷たくなって、僕自身を芯まで凍らせようとしている。
……僕が前世で戦った風林火山、そして影の『命剣』使い。そのどれとも類似しない戦い方だ。
これが魔法の戦い、か。
思えば魔法を正真正銘戦いに利用するヤツと出会ったのはこれが初めてじゃないか?
「しかしいかなる攻勢を掛けようと……」
我が雷剣の前では無意味。
そう思ってレーザを的に、雷剣を伸ばし飛ばそうとしたところ……。
……!?
「なんだ?」
雷剣の収束が急に弱まり、周囲に散っていく!?
伸ばそうとした雷剣が必要以上に薄まって、雷光が床に吸収されて行っている?
どういうことだ?
僕が雷剣の扱いをしくじるなどあり得ない。
「無知なる未開人。己の力に溺れたな」
レーザの口調に、僅かながらも勝利に酔いしれる優越の感情が交じる。
「我がフェニーチェ法国は魔法技術立国。魔法を土台に様々な自然現象も研究してきた。研究し、理論を組み立て、それを実用化して富に変えるために」
「それがどうした?」
「自然発生する雷も当然研究対象だ。それほど昔でもない数十年前、一人の魔法研究者が、ある決められた低温において電流が急激に流れやすくなる現象を発見した。その現象は超電導と名付けられた」
何が言いたいんださっきから?
「超電導は、それこそ絶対零度に近い超々低温でしか起らぬと思われていたが、ある物体に関しては比較的浅い低温でも起きることがわかった。その一つが窒素」
「?」
「わからぬか未開人? 空気中にもっとも多く含まれている窒素は、約マイナス二百度で液化し液体窒素となる。その時点で電気抵抗はほとんど消えて超電導化する高温超電導物質が液体窒素だ。……そして!」
その時僕は気づいた。
僕とレーザを挟んだ床の広範囲に液体が張っていた。
もはや水は残らず凍結してしまうほどの低温下で、何故水が?
水……。
違う、液体?
僕が初めて見る類の、水以外の液体!?
「既に余と貴様との間にある空間は、空気中の窒素が凝縮するほどに冷え切っているのだ。マイナス二百度ほどにな。参考までに教えてやるが、同じ魔法技師でも単体でここまでの超低温を実現できるのは、この余のみ。ゆえに余は『凛冽の獅子』のあだ名で呼ばれる」
凛冽……。
厳しい寒さを表す単語。
アイツの他の解説はチンプンカンプンだがそこだけはわかった。
あともう一つ、この床に這った液体が我が雷剣の雷光を無理やり吸収して、操作を阻害していることも。
恐らくこの液体は水より何倍も電気を流しやすく、そのせいで雷剣の扱いを難しくしているのだ。
水に流され雷剣の刀身が崩れてしまうのは、雷公家の半人前にがよくやることで、それを克服するために前世の僕は川の中で雷剣を操る修行をやらされたものだ。
失敗すれば電流が水中に漏れ、自分自身が痺れて溺れる。
その苦しみを乗り越えて雷剣を完全に我が物とするのだが……。
「あの時の四苦八苦が再び襲ってくるか……?」
レーザは既に勝者の振る舞いだ。
「液体窒素はマイナス二百度の液体。人間にとっては触れるだけでも大変なことになる凶器だ。自分の武器を封じられたまま、氷結地獄で悶え苦しみ死んで行け!!」
レーザは魔法の力で液体窒素とやらも自在に操作できるらしかった。
ヤツの手の動きに合わせて液体窒素も右へ左へと波打つ。
僕へ頭から浴びせかけることも当然可能だろう。
氷漬けにされるよりも過酷な、それこそ低温地獄。