63 キナ臭い
「ユキムラ!」
「ユキムラ殿!!」
女の子には支度がある、などと言って遅れていたクロユリ姫、ルクレシェアの二人が追い付いてきた。
そしてすぐに状況の緊迫を感じ取る。
「一体……、これはどうなっているのだ?」
「あのお海にたくさん浮かんでいるのは……、フェニーチェの船? でも全部軍艦じゃない!?」
フェニーチェの新たな軍艦団は、もう肉眼でもそれを確認できるほどに接近していた。
やはり目標はこの雷領。
ただ、その目標というのは到達目標ということなのか? それとも攻撃目標ということなのか?
「ルクレシェア……」
とにかく僕は、あの軍艦と同じ所属のルクレシェアに視線を向けるしかなかった。
しかし彼女は、首を横に振るのみ。
それもそうか。
ずっとこの雷領にいたルクレシェアに、フェニーチェ本国で起こることを感知できるわけがない。
「だが信じてくれ! 我はシンマとフェニーチェが平和裏に手を結ぶことを望んでいる! ジュディに持たせた書状にも、その旨充分に父や兄に訴えるようしたためた!!」
「ルクレシェアはウソをついていないわ。信じてあげて……!!」
クロユリ姫も、ルクレシェアのことを庇いだてするように訴えるが、僕だって別に彼女のことを疑っていない。
しかし実際に起こったこの事態。
ルクレシェアの主張が歪んで伝えられてしまったのか? それともルクレシェアの主張は完全に無視されたのか?
どちらにしろ僕たちは、その威圧的な艦隊がゆっくりこちらへ迫ってくるのをただ待つことしかできなかった。
* * *
そして、ついに艦隊の先頭が僕たちの間近にまで迫ってきた。
マストに描かれたフェニーチェの紋章が細部まで確認できるほどの距離に。
『シンマの未開人に告げる!!』
先頭の軍艦から、何やら大きな声が響き渡る。
しかもそれには肉声にはない金属的な響きが混じっていて、しかも肉声には出せないくらい大きな声だった。
いつか前にも聞いた、魔法で拡声する装置というか何かだろう。
そしてまあ、わかりきっていることだが、その声は僕たちに向けたもののようだ。
『我々はフェニーチェ法国、第十七巡航艦隊である! 我々はシンマ王国に要求する! 一つ、我がフェニーチェの法王令嬢にあらせられるルクレシェア=ボルジア=フェニーチェの身柄返還。二つ、我がフェニーチェとの国交交渉の速やかなる再開。以上である!』
まーた自分勝手なことを一方的に。
もはやお馴染みと言っていいフェニーチェ側のゴリ押しであるが、今までと少し違うのは……。
『この要求が受け入れられなかった場合。当方は即座に武力行使に出る構えである。貴国の賢明なる判断を願うことや切である! 以上、通告を終わる!』
要求を突っぱねられた場合に用意している行動が、今までにないほど具体的で危険だということだ。
最初にシンマ王都を襲った時のような暴発とも違う。
その次にルクレシェアがとったような中身のないハッタリとも違う。
聞く耳を持たぬ相手に対して振り下ろす拳を、相手はこれ見よがしに見せつけているのだ。
これはある意味で極めて明快かつ論理的な意思表示と言ってよかった。
「今回……、けっこうヤバいかもしれないな」
発言と行動がちゃんと連動しているところが。
こんな遠い海の向こうまで艦隊を派遣しておいて、まさか虚仮威しということはないだろう。
つまり相手は、こっちが拒否すればその場で戦争に踏み切る覚悟があるということだ。
本気で。
「ここまで峻烈な決断は、今までのフェニーチェには見られなかった。まるで喉元に匕首を突き付けられた気分だな」
ここまで俊敏な判断を下せる者が、フェニーチェの中にもいたとは。
まるで僕の前世――、雷公ユキムラが生きていた頃のシンマ六州の住人であるかのようだ。
「我に心当たりがある……。ここまで苛烈な判断を下し、実行に移せる御方。……でも、あの人が何故……!?」
ルクレシェアはあられもなく困惑するが、同時にとても怖がっているように見えた。
……?
たしかに軍艦は威容で空恐ろしいが、それらはフェニーチェ法王令嬢であるルクレシェアを救うためにやってきたのだ。
それを何故恐れる必要がある。
「ユキムラ……。どうするの?」
クロユリ姫が恐る恐る尋ねた。
「本当にあの軍艦の要求通り、ルクレシェアを差し出しちゃうの?」
「嫌だ!」
ルクレシェア当人が即座にそれを拒否した。
しかも強く。
「我は決めたんだ! このシンマに残り、フェニーチェとの懸け橋になると! そうすることで母国フェニーチェの役に立ち、法王令嬢としての義務を果たすと! そのためにもユキムラに手籠めにされて、ユキムラの子を産むんだ!!」
後半の文脈が、前半の文脈とどうつながるかわかりません。
わかるかもしれないけれど、わかるわけにはいかんのだ!
「それを成し遂げられずにフェニーチェ本国に連れ戻されるなんて絶対に嫌だ! ユキムラ……、その……!」
萎む声。
それでも彼女にはわかっているのだ、突然に突きつけられた戦争を回避するためには、自分がフェニーチェに戻るしかないと。
それが理解できないほど、ルクレシェアは愚かでもない。
自分の我がままのために人が傷つくのを許容できるほどバカでもなかった。
「……」
そんな意気消沈してうなだれるルクレシェアの金髪を優しく撫でた。
「……シンマ王国の人間は、未開の野蛮人なんだろ?」
「え?」
「そんな野蛮人の僕が、一度手に入れた獲物をそう簡単に手放すと思うか?」
そう言った途端、誰より先にクロユリ姫が躍り上がった。
「その通りよユキムラ! ルクレシェアはわたくしたちの戦利品なのよ! それをただで返してもらおうだなんてフェニーチェは随分な了見じゃないの!!」
ルクレシェアを大切にしているのかよくわからない物言いだが、威勢のいいことはわかった。
では、方針が固まったところでいよいよ交渉と行くか。
ここ数か月間待ち続けた、フェニーチェ法国との本格的な交渉を。
開戦以上の覚悟を持って臨む交渉に。