61 無聊の慰めに
そんなわけで、僕たちのいる雷領は平穏そのものだった。
「はー」
「平和ねー」
クロユリ姫やルクレシェアも日々穏やかさに満たされて、お姫様にあるまじき自堕落さでまったりしてしまっていた。
僕はまあ、未完成領と言えどもそれを管理する仕事は領主としてあるが、それも今では事務的なものばかり。
急ごしらえであっても、ここがフェニーチェの第二使節を迎えることのみを目的にして作られた以上、肝心の施設が来なければ何事も進まないのだ。
準備はもうできてしまっているので手持ち無沙汰。
やるべきことはたくさんあるはずなのに、ある一事を済まさなければ、どれもこれも始められない。
そんなことってあるでしょう?
それが今の僕たちの状態だった。
「ねえユキムラ、暇よ。暇で暇で死にそうだわ。何かいい暇潰しはないの?」
ついにクロユリ姫が、無為な時の流れに耐えかねて騒ぎ出す。
「そんなもの、こんな遠くの僻地にあるわけないでしょう」
娯楽? 遊興?
そんな心ときめくものが、田舎と呼ぶことすら生温い陸の孤島に存在するわけがない。
「クロユリ姫だって自分の仕事があるんでしょう? それをちゃっちゃと済ましちゃえばどうですか?」
「済ませたわよ! 掃除に洗濯、お皿洗いに夕飯の下拵えも! 全部済ましちゃって暇なのよ!!」
明らかにお姫様の仕事じゃない。
主婦だ。
現在僕たちが寝起きしている領主邸宅は、クロユリ姫の手によって最高の住環境を保持されている。
それも別に女中に任せればいいんじゃないかと思うのだが……。
要するに政略結婚で王家に益ある男を誑しこむスペシャリスト、クロユリ姫。
既に主婦の域にあり、ということだった。
「わたくしなんかまだいいわよ! 曲がりなりにも多少することはあるんだから! 問題はルクレシェアよ!」
「え?」
「あの子なんか正真正銘起きてから寝るまで何もすることがないんだから、精神が滞りすぎて色々腐ってきているわよ!」
クロユリ姫に促されて、改めてその様子を窺ってみると……。
ルクレシェアが黄昏たような無表情で畳の上に寝転がっていた。
「……これはまた一段と」
無刺激という苦行に心がすっかり殺されていた。
ルクレシェアは、フェニーチェ法国が送り込んできた第一次使節団の総指揮者。
しかしその最初の試みは、複数いた指揮官クラスとの間に置ける方針の齟齬などによって挫折。
遠い異国で自分たちの生存を維持することすらできなくなり、交渉相手国たる僕らの保護下に入ったというわけだった。
そのルクレシェアが、暇すぎて心が死んでしまっていた。
「…………」
もはや愚痴を漏らす気力もないらしい。
僕らの憐れむような視線に反応らしきものは見せたが、そのまま無対応だった。
「ルクレシェアって、外国から来たでしょう? こちらの文化に馴染んでないから益々無聊を慰める手段もなくて、食っちゃ寝するだけの生活に……」
「フェニーチェにも乗馬の習慣はあるんでしょう? こないだ野生馬を捕まえてきて調教したじゃないですか?」
「お馬さんで遠乗りするのも、四日連続でしたら飽きちゃったんですって。景色も変わり映えしないから探検し甲斐がないって……!」
雷領――、旧雷州は何もない荒野が広がるだけだからなあ。
四季折々の草花を楽しむには、やっぱりある程度人の手が加えられていないと。
そういうのに対応するためにも王都のユキマス陛下にお願いして、風流解する庭師の一人でも送ってもらおうかなあ……?
……って。
そういうことを考えている場合じゃなかった今は。
「やることがねぇーーーーーーーッッ!?」
退廃の中に沈みかけていたルクレシェアの精神が寸でのところで復活した。
気力を振り絞るかのように仰臥の体勢から立ち上がる。
「ユキムラ殿! 暇だ!!」
「その話はさっきクロユリ姫としたよ……」
とは言ったって、出来たてホヤホヤの我が雷領にはこれ以上人心に刺激を与えられるものなど見出しようがない。
すべては領自体の発展を待つばかりだ。
「それにルクレシェアには、新たなフェニーチェ使節団が到来したら嫌ってほど働いてもらうことになるだろうし。暇のは今のうちだけだよ。今のうちに暇そのものを楽しんでおくという手もアリだよ?」
「暇なんて半日もあれば楽しみ飽きる!」
それもそうだ。
特に僕みたいに、コマネズミみたく常に動き回ってないと落ち着かなくなってしまう人間にとっては。
見るからにわかるが、ルクレシェアも同じ類の人間だよなあ。
「それに、交渉の現状は既にジュディに持たせた書状にて本国に伝えてあるしな。アレを父上なり兄上が読めば、適切な方針の下に新しい使節を送ってきてくれることだろう」
ルクレシェアは、シンマ王国フェニーチェ法国間における外交問題に何の不安も抱いていないようだった。
だからこそ、ここまで暇に倦んでいるとも言えるのだろうが。
先日フェニーチェからやってきた先遣特使ジュディ=サイクロム。
ルクレシェア率いる第一次交渉団の音信が途絶えたために情報収集のため送り込まれてきた彼女は、ルクレシェア自身がしたためた書状を携えて本国へと戻って行った。
あれからもう幾日が経っただろうか?
フェニーチェ本国が知りたがっている情報は、その書状の中に詰まっているので、それを見たらすぐさま……。
「……あッ?」
僕はそこで、今さらながらに大変なことに気づいた。
「ルクレシェアの書状、検閲するの忘れた!」
いくらルクレシェアが、僕たちにとって信頼すべき相手になったとしても、国家間での警戒はむしろ礼儀だ。
シンマ王国の保護下にあるルクレシェアがしたためた書状。
シンマにとって不利な情報が漏洩していないかのチェックは当然すべきことなのに、こないだ押しかけて来たタチカゼやらジュディやらのゴタゴタに流されてすっかり忘れてしまっていた。
「大丈夫だぞユキムラ殿。我がユキムラ殿やクロユリたちに不利なことを、今さら本国に吹き込むわけがないだろう?」
「そうよ、ルクレシェアは今や、わたくしと一緒にユキムラの子を生む女。そんな彼女を信頼しなくてどうするの?」
とルクレシェアだけでなくクロユリ姫にまで叱られた。
……まあ、信頼すべきなのは認めますが、その理由としてクロユリ姫が挙げているのはちょっと……。
「あ、そこでいいことを思いついたわ! このいつ果てるとも知れぬ手持ち無沙汰を解消する方法が!」
「奇遇だなクロユリ! 我もたった今思いついたぞ、クロユリの発言をヒントにして!」
「その方法は……」
「せーの」
「「子作り!」」
おおう……!!
「子どもを生んで育てることこそ、女ざかりの時間すべてを注ぐ大仕事じゃない! 昼間どころか夜だって、夜泣きで眠る間だってないわよ!」
「暇で困るとか言ってられる今だからこそ次代を担う新世代の育成を! ユキムラ殿! 早速今からでも我らに仕込みを!!」
とズズイと迫ってくる美女二人。
「だからあ! そういうのはフェニーチェとの国交が堅実なものになってからって……!」
シンマの姫クロユリと、フェニーチェ法王令嬢ルクレシェア。
二人を娶って子を生ませたら外交的には最強なんだけど。むしろ最強すぎるがゆえに手を出すには尋常ならざる度胸が必要で。
シンマ王ユキマス陛下すらも「状況次第でどう転ぶかわからんからまだヤるな」と念押しするぐらい。
しかし姫たち二人は、最強の雷剣を持つ僕の血統を自分のお腹に迎え入れようと好戦的。
ここはさすがに姻戚同盟を駆使して頂点に立った王家の女ならではといった感じで、そのグイグイした勢いに押し任されそうだ。
ああ……。
フェニーチェの使者よ。
早く来てくれないと僕は一生この二人の尻に引かれることになりそうです。